記憶という牢獄にスタンド使いを閉じ込める強敵、”ジェイル・ハウス・ロック”。
徐倫とエンポリオは危機を乗り越え、神父を追い詰める旅へ進み出せるのかッ! という、ストーンオーシャン第24話。
3つの記憶が常識や尊厳を塗りつぶし、あんだけ覚悟決まりまくりのハンサムな徐倫がか弱き小娘に見える大ピンチから、過去最大級の『そ、そうはならんだろッ!』を凄みで踏み倒し、敵の凄さを逆手に取って堂々脱出を果たすまで、勢いまみれのパワフルな回だった。
監獄編最後の強敵となる”ジェイル・ハウス・ロック”は、記憶と認識を奪う。
それは精神の力と記憶をDisc化し、勝手に奪ったり分け与えたりする神父の冒涜と、どこか繋がっているように思う。
北極星のようにまばゆく、苦境を導く運命の星を疑わない心の強さこそが主人公最大の武器であるのなら、記憶や認識をスタンド能力で書き換え、その強さを奪ってくる相手にどう立ち向かえば良いのか。
ミューミュー戦は、そんな強さを今まで以上に際立たせてくれる。
精神の在り方を力のあるヴィジョンとして浮かび上がらせる、多種多様なスタンド能力。
徐倫の”ストーン・フリー”は柔軟な糸として、それを織った編み物として、あるいは鉄よりも硬い拳として、多彩な機能を発揮する。
”ジェイル・ハウス・ロック”戦でも相手を追跡する発振器になり、束縛する糸となり、それをすり抜けて膝を屈するかと思ったら、エンポリオくんの異様な頭脳とのコンビ打ちで”記憶するプリンター”となって、敵の顔を薄れゆく記憶に焼き付けもする。
そうなったらもう、握りしめた拳でオラオラして、便利な能力を脱獄に利用させてもらうことに成る。
キャプってみると、ほんとにスゲェ殴られ方してるなミューミュー……。
人間の根源を支配できる”ジェイル・ハウス・ロック”を過信して、『勝ち誇った瞬間、そいつは敗北している』というジョジョルールに基づきボコられるミューミューは、銃弾でPCをぶっ壊せばもう逆転の目はないのだと思いこんでいる。
しかし徐倫の凄さをよく知るエンポリオは、彼女の”ストーン・フリー”が絶対に壊れないプリンターとして機能することを信じ、0/1変換されたミューミューの顔を仲間に託し、二人で勝利していく。
ミューミューの敗因は記憶の絶対性を過信しすぎたところだが、水に反射した”銃弾の固まり”でそのルールを破る頭のキレだとか、エンポリオくん規格外の頭脳を甘く見る以上に、二人の間にある信頼をナメてた結果でもあろう。
徐倫もエンポリオくんも、鼻血ブーブー吹き出している惨状ながら、瞳の奥に宿った強い光が、何よりもかっこよく輝いている。
たとえ記憶を奪われようとも、なにもかも台無しにされようとも、けして譲れぬもの、誰かから受け継いだ大事な物が、魂の奥底で燃えている。
思えばこの二人を出会わせていたのも、母から受け継いだ”骨”だったわけで、親から継承した思いを支えに、厳しい戦いに挑む気骨はよく似ているのかもしれない。
こういう戦士の顔だけでなく、感電ビリビリでボロカスになったエンポリオくんの手を取り、心から気遣う”お姉ちゃん”の表情も見れるのが、この二人が触れ合う時の欲張りな楽しさだ。
エンポリオくんは前回、徐倫の覚悟に気圧されていた。
今回も慎重に、後ろに下がって機を待つ行き方を変えようとしないが、しかし徐倫と共に戦う中で、絶対に譲れない”今”に全霊で飛び込んでいく戦士の生き方を、己の魂に焼き付けていく。
年若く、戦闘向きでもないエンポリオくんがあえて外に出て、巻き込まれてしまった運命を恨むのではなく、むしろ真の強さを教えてもらった事に感謝するような表情で前に進んでいく姿……そんな新たな可能性を導く徐倫の立ち姿は、とても勇壮で気高い。
徐倫はメソメソ泣いてる小娘から、凄みでラスボスを圧倒する超戦士に試練を通じて成長していった主人公であり、その影響力が色んな人に伝播し、変えていくさまを見るのは楽しい。
知性なきプランクトンでしかなかったF・Fが定めを振り千切り、『さよならを言う私』であるために命を振り絞った様子とか、それを受け取って冷徹な殺人者であるアナスイが変わっていく様子とか、未来を託され運命に挑む最後尾に立ってるエンポリオくんの物語とか、ね。
それは糸のスタンドである”ストーン・フリー”が編み上げていく、未来へ続いていく運命の物語であり、引力に惹かれ合う魂のお話だ。
そしてそういう縁と引力は、善にだけ降り注いでいるわけではない。
囚人たちが闇の向こう側、確かに広がる大きな海と空を見つめた後、その先で待つ神父が真っ黒な闇に沈んでいるの、面白い書き方だと思う。
使命に突き動かされケープ・カナベラルを、運命の瞬間へ突き進んでいくプッチ神父は、既に地上にいないDIOへの敬愛、徐倫たちを突き動かすものを理解しない深い闇に囲まれて孤独だ。
彼自身はそれを、偉大な運命を知るものの孤独というのだろうし、他人を理解せず心を寄せない強さというものは、確かにある。
しかしそれが絶対であってはいけないからこそ、徐倫は出会ったモノの魂を震わせながら運命を編み直し、受け継いだものを握りしめて神父の後を追う。
脱獄囚となった徐倫と仲間たちは、世間の基準からすれば”悪”である。
堂々刑務所を後にし、世界を終わらせる運命に突き進んだ神父は、一般的には”善”と思われるだろう。
しかしその魂の奥底に秘めた強さの形は、表面的な表れとは真逆だ。
真実は地面に埋もれた宝石のように見つけにくく、試練に磨かれてダイヤモンドより激しく輝く。
徐倫が見つけた強さと、神父がDIOとの思い出に捧げる強さは、激化する戦いの中でどちらが本物なのかを、激しくぶつかりあう。
正義も真実も必ず勝つわけではなく、”主人公”に無条件に味方するどころか敵対する邪悪にすら宿るものだが、しかし確かに、魂の色を分ける一線というものは存在する。
それを確かめる試金石は、やはり命を賭した闘いになるしかない。