イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

NieR:Automata Ver1.1a:第3話『break ti[M]e』感想

 鋼鉄と鋼鉄が命の意味を問う未来型御伽噺、機械生命体の新たな可能性に遭遇する第3話である。
 第1話はすべてが唐突な世界観体験型エピソード、第2話は立場と時間軸をザッピングして叩きつける変化球と来て、ようやく素直なストレートが真ん中に来た感じもある。
 とはいえ何かを隠している風味なレジスタンスといい、知性と魂の片鱗を見せる機械生命体といい、謎の全裸マンSといい、謎は整理されるどころか更に増えた。
 ここで諸事情により放送中断たぁ生殺しもいいところだが、いつか続きが見れる日を心待ちにしつつ、魅力的な不親切と今回も踊るぜ!

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第3話より引用

 というわけでレジスタンスの村を活動拠点に、情報収集したり新たな出会いがあったり、まるでJ-RPGみたいな落ち着いた展開を見せる今回。

 延々出口もなく機械の怪物と殺し合っている割には、地上のアンドロイドには当たり前の喜怒哀楽と生活の匂いが強く宿っていて、まるで”人間”みたいだと感じる。
 色んなことに興味津々、イカれた瞳がチャーミングなジャッカスさんとか、何かとむっつり黙り込みがちなヨルハ部隊に比べ、なかなか親しみやすい。
 しかしそれが当たり前で自然なものかと問われれば、けしてそんな事はない……はずで。

 『”秘”です』する9Sくんの戯けたチャーミングも、思い出の遺物たるジュークボックスに死線を反射させるリリィにしても、人型機械が内側に抱え込んでいるものはあくまで物質に還元できる形而下の現象でしかなく、魂の特別な芳香をまとっていない。
 もし仮に何らかの原因で、あるいは奇跡のような偶然の積み重ねで、人を人たらしめる何かが人型の機械に宿ってしまったのならば、彼らはもはや使い捨ての道具ではなく、独自の意思と尊厳を持って世界を切り開き物語を紡ぐ、一個の主体となっていく。
 果たしてそういう個別の輝きが、データをバックアップされ個体の破壊すらコントロールされる彼らに……そして彼らの敵にあるのか。
 答えは、まだ出ない。

 戦争の端末たる2B達にそれが見えないのは当然として、レジスタンスを捨て駒に機械生命体の変化を探ろうとしている人類会議も、永遠の戦争を駆動させているスローガンたる”人類の栄光”が何なのか、おそらくは知らないのだろう。
 真実ってのを知っていようが知らなかろうが、世界は極めて奇妙な形に捻くれながら動いてしまうし、そこに巻き込まれた歯車たる個別の意志は、積み重なる体験の中で独自の変化を遂げていく。
 ジャッカスさんの随分イカれた自由さは、そういう個体もアンドロイドの中にはいるのだという事実を教えてくれて、喜べばいいのか訝しめばいいのか、なかなか複雑な気分にさせてくれる。
 あらゆる奇異を尊ぶジャッカスさんの個性は、魂に刻まれた運命の喜ばしき発露なのか、ただのプログラムのバグなのか?
 この問い掛けは多分、魂も尊厳も勝手に管理されながら永遠に戦う、怒りに満ちた2Bにも伸びるモノだと思う。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第3話より引用

 砂に埋まった巨大団地を巡る旅は、そんな大仰に構えた存在への問を横に押しやる、手触りのある可愛げと謎に満ちている。
 人の形をしていなくても、自動的な反応のように思えても、2Bが置き去りにされたポッドを撫でる手付きと、そうして愛でられる鉄の箱には……名前も形も定かではなく、だからこそ大切な”なにか”を感じさせる。
 それに勝手に共感するから、この謎だらけのお話に僕らはぐいと引き込まれ、先を見たいと前のめりにもなるのだろう。

 それがアンドロイドの占有物ではないことを、9Sがハッキングの先に見た景色や、機械の遺骸で作られた謎の聖堂や、そこから生まれたヒトの形をした機械生命体は、強く主張してくる。
 9Sは自己暗示的に、機械が発するコミュニケーションの兆しをランダムなノイズだと自分に言い聞かせるが、それはつまり現場で”敵”に接する彼が、一番親身に鋼鉄の人間性を感じ取っているからではないか。
 セックスや出産や育児や……人間の形をしたものが演じていれば、微笑ましいファミリードラマにもなろうものは、錆びついた鉄の塊が真似るとおぞましくも醜悪……だと感じてしまう。
 しかし彼らの行動がプログラムのバグなのか、表には出ない衝動と真意を宿した”本物”なのか、見た目から判断することは難しい。
 未だ明かされざる大きな秘密がこの世界には確実にあって、それが軋んで奇妙なミメーシスを演じ、あるいは鋼鉄の子宮から新たな人類を生み出しもする。

 数多の機械生命体が折り重なったところから生まれた存在を、2B達は斬り殺す。
 それだけが自分たちの為すべきことだと思い込み、実行する姿勢は正しく機械的であり、その最も最悪な意味合いで”人間的”ですらあるかもしれない。
 赤い血を吹き出させた裸の男の、肋骨から生まれた新たな男。
 彼らが鋼鉄のアダムとイブなのか、確かめる余裕はなく状況はゴロゴロと転がっていって、人類会議が訝しんだ通りの”なにか”が確かにここで起きている事実が、闘争の形にまとまって吹き出していく。

 話し、わかり合い、知る。
 そういう機能はヨルハ部隊には付いていないし、理性と意志が発火して生まれる感情は禁則事項だ。
 鋼鉄のアダムは斬り殺される前に、確かに『なぜ、戦うのか?』と問うていたように感じたけど、栄光ある人間様の意志なき端末たるアンドロイドたちに、立ち止まってそれを考える余裕はない。
 平和の意味を問う機能自体もはたして無いのかは、まだ理解らない。
 2Bが眼帯の奥に隠す瞳の炎、シニカルを装って自分を守る9Sの剽軽を見ていると、バグとも奇跡ともつかない”なにか”が彼らの……あるいは彼らの敵に宿っているのは、間違いないかなという印象だが、さてどうなるか。

 

 心なき鋼鉄の的に見えたものが、未知の可能性と危うさを宿してうねっている事実を主役が観測して、まて次回! という回でした。
 やっぱ擬人を題材にした物語の根本にある、”人”なるものの定義への問いかけを浮き彫りにするべく、ヒトに見える機械と、ヒトには見えない機械がそれぞれいびつに人を模し、ヒトになりきれない様子が話の真ん中、戦塵に汚れつつ色濃い。
 こっからどんな感じで魅力的な謎と残酷な秘密、動き出してしまった運命と思いを描いていくのか。
 大変気になるだけに休止は残念ですが、いつかの再開を心待ちにしたいと思います。