ヴィンランド・サガ SEASON2 第3話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
オルマル坊っちゃん17歳のありふれた鬱屈、奴隷を殺して一皮むけよう! という、最悪社会の最悪マチズモにトルフィン達が巻き込まれていく回。
人命が個人ではなく経済と暴力に帰結する、古い時代のイヤーな現実の手触りが、ずっしりと重い。
そういう時代と場所を、野蛮で遅れた過去の遺物と遠ざけることも、そうすることで自分とは縁遠い異世界のお話と心を守ることも出来るわけだが、あの時代あの場所の生活をしっかり切り取る筆は、最悪部活の度胸試しめいた”当たり前”の空気を、確かにこっちに教えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
どれだけあってはいけなくても、”それ”はかつて人間の大地に確かにあり、今でも文明教化の狭間からメリメリと顔を出す、一つの真実なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
命は無条件に重たくなければいけないが、無条件に重たいはずもない。
この矛盾に齧りついて、ドブと金が入り混じった地金を見せる。
そういう話であるから、暴力の現場に奴隷たちが引っ立てられる現場も、元殺戮マシーンがそこに向き合う瞬間も、スカッと爽やか快傑ノルドとはいかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
そらー、そうも言いたくなろうが。
トルフィン、『生きてて良いこと、何にもなかったよ』は、聞き流すには辛すぎる…。
『オメーのためにハゲ散らかしながら奴隷市場走り回ってる、レイフおじさんのこともちったぁ考えろよ!』と叫びたくもなるが、あの惨劇を経て前向きに人生を考える底力は、今のトルフィンには無い…ということだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
『そらそーだ』と納得しつつも、この虚無が答えじゃあんまり、寂しすぎる。
でも無関心な神の足元で、人間が生きたり死んだり殺したり、延々出口のない檻の中をさまよい続けている匂いを嗅ぎすぎた元少年が、どうすれば生きる力を瞳に宿してもう一度立ち上がれるかは、そうそう簡単に答えは出ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
出してもいけない話だから、どっしり生きることの実相を削り取り、物語を編む
今回も、そういうお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
私的戦士階級として農場に飼われている”キツネ”は、剽げた態度の奥に暴力業者として譲れぬ、冷たい一線を保っている。
抜けない剣、飲めない酒、満たされない女。
男の証を何も起てれない17才に、精一杯の度胸付け
(画像は"ヴィンランド・サガ SEASON2"第3話より引用) pic.twitter.com/rP8e60jLUT
通過儀礼として殺人を勧める価値観は、現代人の感覚からすると”論外”であるが、ノルド人戦士から逆向きに照射してみたら、ナメられっぱなしの軟弱野郎…となってしまうのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
実効を伴った”男らしさ”が、確かに何かを守り得る時代。
それを振りかざさなければ、暴虐にされるがままの土地。
オルマルは『男である、大人である』という実態を何も解らぬまま、ひ弱でナメられっぱなしの自分をどうにか世界に認めさせようと、危険な空転を続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
そこに導き手ッ面で近づいて、血のインクで一線を越えさせて、後々の生活の手綱を握り込む。
そういう算段も、細い目の奥で光っている。
ニヘラニヘラと、”男らしさ”の証明としての飲酒、暴力、蛮行を許容し囃し立てる”客人”の空気には、遠い昔の異国のそれであると同時に、最悪の体育会系部室やブラック企業にも似通った、奇妙な生活感が宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
倫理とされるもの、人間の本道と誰かが持ち上げるものを、土足で蹴って証を立てる。
その手触りは、確かに今も随所にあるなぁ…と、その終わってなさにずいぶんゲンナリさせられながら、やり取りを見ていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
真実優しいことは何よりも難しく、時に命を賭しても貫けない厳しい生き様だということは、真の戦士たるトールズ父さんが既に示している。
武器を取って死をひさぐことの意味を、真正面から見つめるのはあまりに厳しい問いかけであり、必死に苦界を生きるほぼ全ての衆生が、そこから目を背ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
そういう意味では酒も剣も弱いオルマルと同じくらい、あるいはそれ以上に、”殺す権限”を専売せんとするキツネ達には、哀しい弱さが漂う。
では罪なく生きていれば正しいのかといえば、流されるままの人生を肯定してくれるほど、このお話も時代も甘くはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
朝一アキレス腱を伸ばし、美しい薄明に活力をみなぎらせるエイナルと、悪夢にうなされ水鏡に血まみれの手を見るトルフィン。
(画像は"ヴィンランド・サガ SEASON2"第3話より引用) pic.twitter.com/XsjjuuyI6C
奴隷コンビを取り巻くものは明暗にクッキリ分かれているが、生きる気しか無い男も生きる気が全くない男も、運命は区別なく死地へと巻込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
エイナルの淡い恋心が、どのような顔をしているかはっきりと解る、アルネイズの美しい横顔。
奴隷に落ちても、愛があれば世界は生きるに足りる。
そんなロマンスだけで話し回ってりゃ、トルフィンもこんな死んだ眼していないわけで、どうにもこの淡い思いも土足で踏みにじられ…るどころじゃ終わらねぇ、この世の悲惨を煮こごりにしたような展開に、既に怯えてもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
間違いなく”やって”来るよ、このお話は…(揺るがぬ信頼感)
それでも恋に仕事に前向きなエイナルの輝きは、奴隷暮らしに伸びる薄暗い影を跳ね除けてくれて、とても有難い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
この気持ちの良い青年がどうにか、ちったぁ人間らしい幸福を掴んで欲しいと思うのも道理だと思うが、トルフィンの耳は破滅を聞く
(画像は"ヴィンランド・サガ SEASON2"第3話より引用) pic.twitter.com/VdGQh19bWw
予感のとおり剣の前に引きずり出されて、死ねの殺すのロクでもない、命の現場に引っ張り出される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
エイナルの顔が恋の喜びや、死への怒りに激しく変わるのに対し、トルフィンの表情は刃を前に全く動かない。
その感触も、それがもたらすものも、うんざりなほど慣れ親しんでいる。
”客人”は死の特別さ、それに怯える者たちの恐怖を売り買いすることで、麦も刈らない気楽な立場を成り立たせている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
平和な農場に戦火は遠く、思春期の坊やが自己確立の方法と憧れるほどに、剣がもたらすろくでもなさや虚しさ、身も蓋もなさの素顔は、暴力屋の専売特許だ。
ある種のヒロイズムとマチズモが入り混じった幻想を刃に宿すことで…農場のボンボンをその中に取り込むことで、キツネは今後の政治と経済をやりやすくしようと考えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
商品でしかない奴隷の命は、そんな狙いの良い薪…という暴論に、エイナルは心底怒り反抗する。
それは真っ当な人間として全く正しい態度で、こんな気楽に生きるの死ぬの、決してあってはいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
だが”客人”に無駄飯食わせなければ平和な農場が営めない現実は、確かにその理不尽に立脚している。
幸せだった時間は一瞬で灰になり、殺すものは殺される者の嘆きを聞かない。
奴隷と主人、殺戮者と犠牲者の間に冷たく太い線を引いて、共感を追い出してメシを食う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
そうやって暴力行為に慣れ親しんだ者だからこそ、立てる場所というものが確かにある。
トルフィンは喉笛までそこに浸かって、魂をすっかり錆びつかせて今、ここにいるのだ。
恋(その先にある生と性)にも、死にも強く表情を動かして自分を押し出すエイナルの活発さは、そういう当たり前の反応を封じているトルフィンの歪さ、冷たい虚しさを良く強調する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
生きたいと願うからこそ、美女に鼻の下も伸ばせば、窮地に歯をむき出しもする。
トルフィンには、そういう魂の熱がすっかり無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
剣によってもたらされる死に、特別な値段を付けることで成り立っている戦士稼業に、慣れ親しんだキツネは血に怯えない。
ビビったとバレれば、後は喰われるだけだからだ。
(画像は"ヴィンランド・サガ SEASON2"第3話より引用) pic.twitter.com/80RFx08qOw
そういう意味ではトルフィンの傷に共感し、自分が切られたかのように慄くオルマルは、獲物の側である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
出会ったばかりの同僚の惨事に、本気で怒り悲しんでいるエイナルも、もしかしたらそうなのかもしれない。
心を凍りつかせ、誰にも想いを寄せない。
喰う側、殺す側、奪う側、勝つ側であり続ける。
キツネがトルフィンを嬲ることで、証明したいその無敵が、けして成立しない事実をトルフィンは良く知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
愛は裏切られ、剣を握れば誰かが傷つき、殺すことの先には何もない。
復讐は果たせず、喜びは消え失せ、なにもかもが虚しく終わっていく。
死は、何も特別なことじゃない。
そういう事実を身をもって刻み込まれた眼は、”客人”が振り回す暴力に特別な値段をつけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
トルフィンの虚無にキツネが激高するのは、彼らがひさぐモノの価値をその態度が無化し、平和に寄生する立場を危うくするからだ。
しかしトルフィンの不動は、覚悟よりも諦観、希望よりも絶望から生まれている
生きていても、良いことなんにもなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
一切の飾りがない事実の吐露であろうけど、それだけが彼の真実であったのか。
それを思い返すだけの視力は、絶望に薄暗く曇った瞳には宿らない。
奴隷としてデンマークに流れ着いてしまった今のトルフィンには、無明の闇だけが真実なのだ。
苦しむために生きているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
死なないために生きているのか。
重苦しい胸から吐き出された問に、”客人”は当然答えを持たない。
そんな事を考える余裕はバカの贅沢だし、立ち止まってしまえばもう剣は振るえない。
はずみが付いた暴力は、その担い手が死んでも止まりゃしないのだ。
半ば自動的に、様々な命と定めを巻き込みながら転がっていく、死と暴力の戦車。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
死の値段を保とうと凄みを利かせるキツネが、その手綱を握っていないのは明白である。
自分が押し付ける死が、それ以上の暴力で覆された時、キツネがブン回している優位は軒並みひっくり返される。
剣を取るものは、剣によって滅ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
獣の立ち位置は、吠え声の大きさで決まる。
奸智を巡らせて良いように事を運ぼうと、勝手に踊った弟分を鉄拳制裁した”蛇”は、何を睨んで暴力を仕事としているのか。
(画像は"ヴィンランド・サガ SEASON2"第3話より引用) pic.twitter.com/dwKKhfAEDA
次回事態はひとまず収まるのだろうけど、ここに示された虚しい問が満たされるのはまだまだ先…もしかしたら、長い物語(サガ)が幕を閉じてもなお、答えは出ないのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
でも、だからこそ、血と涙をインクにして綴り続ける。
一つの幕が終わり、そこで思い知らされた虚しさが、魂を食い潰し…
なお終わらない、終わってくれない、死なないだけの生。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
それを自由に力強く動かすものは、何処にあるのか。
剣でもって他人の物語を勝手に終わらせて、自分もいつか剣に倒れる以外の物語を、人は持ちうるのか。
まだまだ、新章は始まったばかりだ。
重たい問が、ドラマの中幾度も脈動するだろう。
それは暗黒の中世に刻まれた遠い物語であると同時に、今を生きる僕らにも強く跳ね返る、鋭い鏡でもあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年2月1日
そう足りうるように、残酷と悲惨と微かな輝きを繰り返していくお話は、次回何を描くか。
とても楽しみです。
どーにかならんかなぁ…ならんか、簡単には。