イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

REVENGER:第5話『Love Never Dies』感想

 ヒョロリヒョロリと喇叭が鳴って、今日は曲馬の華やぎの日。
 怪力男に蛇女、スルリ絡まる因縁を断ち切る天使の口づけに、宿るは愛か憎しみか……はたまた、何もないのか。
 倫理の果てに立つ美しきフリークス、鳰の底知れぬ内面を掘り進んでいくリベンジャー第5話である。

 

 

画像は”REVENGER”第5話から引用

 『いくら国際色豊かな長崎って行っても、大江戸サーカスはアクセル踏み過ぎじゃない!?』と思ってたら、濃すぎる顔面と良すぎる声帯を兼ね合わせたピエロ怪人が堂々登場してきて、全てのツッコミが無化されていった。
 今回のターゲットである堂庵おじさんは美醜善悪の曖昧なあわいに立っている、ある意味利便事屋の鏡みたいな存在だ。
 人買い稼業は褒められたもんじゃないが社会の埒外に置かれた人達のフェールセーフとして機能しているし、奇っ怪な外見の奥には半陰陽の天使にずっと焦がれる純愛が、静かに燃えている。
 総じて『殺すほどの外道じゃねぇよな……』という人で、しかし恨噛小判が投げ込まれれば自動的に機能してしまうリベンジャー・システムは、その内情を良く知っている(けど、その背景にある倫理的機能を実感してない)鳰にハックされることで、堂庵をターゲットに選んでしまう。
 もともと明暗ハッキリしない、善悪を切り分ける視線では成立しないあやふやな話なのだが、サーカス一座と純愛ピエロを画題に選ぶことで、そのあやふやさがクッキリと、奥行きと横幅を広げて削り出されていく感覚があった。
 一見文字通りの”色物”に思えるネタの強さに流されず、奇天烈絢爛な人でなしの恋をしっかり楽しませつつ、お話がまとっている雰囲気や危うさ、曖昧さを丁寧に掘り出してくるのは、”第5話”としてなかなかいい感じだなと思う。

 

 

 

画像は”REVENGER”第5話から引用

 これまでは長崎に吹き溜まる外道達の汚濁を、血しぶきで掃除する必要悪としての顔が強く描かれてきた利便事屋であるけども、今回カメラはもっと柔らかな、だからこそどうにも動かないモノを切り取っていく。
 山に広がる大江戸スラム街は社会の歪みを一身に受けて終わりきっていて、そこで生きる異人混じりの子どもたちは、無邪気に笑いつつも屋根のない暮らしを強要されている。
 堂庵サーカスはそんな食い詰め者最後の歯止めとして機能もしてて、それをぶち壊しに終わらせる鳰自身が理解しているように、芸さえ覚えればちったぁマシな暮らしを供給もしているのだ。
 生きている以上、何か実りが欲しい。
 前回行き合った天職に励む雷蔵が、話の主役として濃くにじませる人の生業を満たすという意味では、大江戸フリークショウは単純な悪とは断じられない、もちろん善でもない、複雑な色合いで描かれる。

 幸不幸が入り混じったあやふやな存在意義をしっかり理解しつつ、鳰は恨噛小判を子どもに投げつけ、依頼の形を裏口からハッキングする。
 自分が凧合戦に負けた結果惣ニが食うに困って、それを解決してあげたい……という、極めてシンプルな”親切”から、殺しの制度を書き換えて、歪みながらも殺すほどではないフリークスの命を、銭に変える。
 鳰の歪さは殺人にまつわる倫理だけでなく、自分が身を置いている暗殺の経済においても長く伸びていて、解っているけど歩みを止めない、冷静にぶっ壊れている現状を良く伝えてくる。

 お天道様に顔向けはけしてできない、歪みきった暗殺稼業。
 それを形なりとも成り立たせているのは、依頼者が身銭を切り恨みを刻んだ”正当性ある私刑”が、恨噛小判によって形式化されているからだ。
 しかし形式は形式でしかなく、銭は銭でしか無い。
 内情を知るものが適切な手続き……を装って、世間様の裏口(それは利便事屋の表玄関でもある)からスルリと入り込めば、標的の善悪に関係なくシステムは駆動してしまう。
 今回は銭金と鳰個人の因縁という、比較的粘性の低い横やりで突っつかれたが、これが倒幕テロやら長崎権力闘争やら、重たくデカいネタに突き動かされて動いた時、殺しの末端でしかない雷蔵たちの運命は簡単に揺らぐだろう。
 人知れず闇の中から手を伸ばし、見えず聞こえずの必殺稼業……とうそぶいてみても、所詮は世間様に立て付けた歪なシステム、悪意を持ってクラッキングされると相当脆い。
 そこらへんの現状が、鳰の無邪気な暴虐から見えてくる。

 

 

画像は”REVENGER”第5話から引用

 少年の微かな興りを股ぐらに、少女の小さな兆しを胸元に、それぞれ宿した両性具有の天使。
 からっけつのドさんピン待ってましたの殺しの依頼を、仲間に持ち込む時鳰はおどけた風を装って、自分の顔を隠す。
 ここで自分がリベンジャー・システムをクラックした事実を伝えたら、仲間は怒って仕事は果たせないと解る知恵は、『んじゃあ依頼を取りやめよう』ではなく『仮面を被って嘘を付き、真意を探られないようにしよう』とまとまっていく。
 惣ニが一味で一番親身に感じ、ルームメイトからも称賛をあびる”世の中の道理”が、生来解らぬ異形の天使。

 その素肌が、幽烟の繊手と絡まって微かにエロティックだ。
 鳰が”世の中の道理”と接合する危うい一点は、堂庵から鳰を買った幽烟にこそあり、首輪をつけた相手が従っているから、リベンジャーのやり口にかろうじて引っかかって、殺しの願望を叶えている。
 幽烟にとって『恨噛小判を託された時以外、殺しをしない』という規範は、信仰者と殺人者の間に立つ自分を保つための唯一のルールであるけども、それがどれだけ大事なのか実感できないから、鳰はシステムをクラックして便利に使う。
 その人でなしを責め立て、まっとうな道を示せる資格はもはや幽烟にはなく、奇妙に絡み合ってしまった因縁が行き着く果てまで、美しい怪物の手綱を握るしかないと、共犯者めいた切なさが夜闇に宿る。
 男女の際、善悪の境を越えて踊る鳰はとても美しく、危うい。
 それは利便事屋という存在、皆が宿す儚い美麗なのだろう。

 

 

画像は”REVENGER”第5話から引用

 サーカスのおもしろ怪人VSリベンジャーの場外乱闘は、当人たちが言う通り派手な目眩まし……にしちゃ、ちっと面白すぎて良かったが。
 鳰の気まぐれで自分の全部を燃やされつつ、堂庵の瞳は涙に濡れ、ようやくたどり着けた幸福に安らぐ。
 醜いはずの白塗爺が、彼だけの天使を求め独占の掌を伸ばそうとして、しかし愛ゆえに果たせぬ葛藤には、奇っ怪な美が確かに宿っている。
 そこに宿っている赤心を鳰は理解せず、しかし彼らだけで通じる確かな答えとして死を仲立ちに、幸福に終わっていく。
 ヤバカップルの自己満足に焼かれ、結構な数人が死んでいる長崎曲馬心中は、極めてバロックな透明感で背徳を香らせ、なんとも複雑な味わいだ。
 髑髏に流れた血の涙は、奇妙な道化と殺しの天使、どちらが流したものなのか……そんな感じ。

 堂庵が彼の天使に抱かれるその瞬間を、子供の檻に救いの鍵を投げつけた後の幽烟が見届けているのは、窃視の色合いが濃く宿ってなかなか良い。
 『今回のエピソード、かなり乱歩味だよなー……』などと思いつつ、炎と血の中に終わっていく人でなしの恋と、美獣を従えて苦難の道を行く幽烟の歩みが、奇っ怪な火花を散らす瞬間だ。
 子どもでありながら極めてエロティックな鳰の危うさが、幽烟が持つ湿度を上手く受け止めて、魅力的に増幅していく構図が今回際立つ。
 ここの絡みが美味しそうと、理解らせてくれたのは有り難い話数である。

 そもそも幽烟の背骨を支えている信仰は、バレれば磔獄門のご禁制であり、彼は自分に正直に生きるほど世間とぶつかる、難儀な星の下に生まれている。
 それは侍でいられなくなった雷蔵も、殺しの衝動を暗殺請負で晴らしてる人情医者も、善悪を実感できない壊れた子どもも、皆同じなのだろう。
 ……こうして並べると、惣ニのマトモさと異質性が際立つなぁ。
 お天道様が指し示す”当たり前”と、どうやっても折り合いがつかない奇妙なフリークスたち。
 彼らが燃やしたサーカスは、やっぱり彼ら自身の真実を照らす一つの鏡であり、それをクソガキの思いつき一つ、銭勘定で切り崩しちまうどうしようもなさが、人でなしの恋をすっぽりと包んで示す回とも言える。
 ぜってーロクでもねぇ死に方する……してくれッ!!(ほとばしる破滅願望)

 

 

画像は”REVENGER”第5話から引用

 かくして悪漢成敗、子どもたちは呑気にスラムを駆け回り、焼け出された異形の者達は居場所を失い、苦難の道を進んでいく。
 あまりに不自由が多すぎる時代、世に認められぬ者たちが飢えて死ぬ以外の道を、一応街の中で得るための奇妙な例外として機能していた堂庵のサーカスが、ぶっ壊れた弊害をしっかり書いているのは、なかなか良いなと思う。
 そういうの全部頭でわかった上で、心の奥底から湧き上がる衝動で全部押し流して状況を作った鳰の、異質さも際立つ。
 怪物の子どもはぞぶりぞぶりとカステラを堪能し、人のいい博徒は自分の銭金欲しさが生み出してしまったものを、じわじわ噛み締め空を見上げる。
 何が正しくて、何が幸せか。
 一見明るい利便事屋の毎日は、それを問いただせる隙間のないどん詰りであり、誰もが答えを見いだせぬまま流されて、手を血に染めていく。

 大人二人もなんかしみじみと、自分たちの性業と信仰について語る……けど、漂わせてる雰囲気ほど綺麗に終わっちゃいないからなッ!
 穴だらけの大嘘と知りつつ、そこにすがって自分の形を保つことでしか、人として街に混ざれない異形の行進。
 ”信仰”を己の柱とする幽烟の奥に、どう考えても邪悪な天主堂が写り込んでいるのが、なかなか意地の悪いレイアウトである。
 鳰の暴走を知りつつ身支度を整え、殺し殺されの地獄に身を投げてなお信仰者たらんとするお前と、後ろの醜い教会は同列。
 そう、画面が教えている感じもある。
 そこら辺は殺戮衝動を夜の仕事でスカッと解消しつつ、昼間は仁術振るってる徹破にも言えるのだろう。

 

 かくして一つ人でなしの恋が終わり、イカれたサーカスはまだ続く……というお話でした。
 鳰のぶっ壊れ加減を丁寧に掘り下げつつ、リベンジャーシステムの脆さとか、どうにも正道に収まらない輩のため息とか、色々掘り下げてくれてよかった。
 やっぱサーカスってモチーフが、全体をまとめ上げる仕事をしっかり果たしてくれて良かったな。
 全く正しくも清くもなく、ふらふら危うく揺れながら転がる暗殺稼業の行く先は、一体どっちか。
 次回も楽しみです。