機械に芽生えた心と歌を巡る物語、テクマイ第9話である。
機体ごと記憶をぶち抜かれたコバルトのために、KNoCCがデジタル・ダイブを敢行して記憶を拾い集め……結局再生は果たせずエソラの持つ”テガミ”とノーベルおじさんの怪しい訳知り顔が奇跡を起こすか、というエピソード。
一切自分の目的やら思惑やら説明しないまま、差し迫った危機解決に手を貸すことでキャスティングボードを握り込むノーベルおじさんの立ち回りが、胡散臭い通り越して凄かった。
このまま最後までウラを明かさないまま『詳しくはアプリでねッ!』される可能性が残っているの、1クールのアニメとしては相当異形な作りだと思う。
溶鉱炉事件の真相、時折クラックされるボーラの”上”と、社会情勢に絡んだ大きめの謎がまだ残っているわけだが、そこら辺に切り込むでなく半ば総集編みたいな感じで精神宇宙で思い出回収旅してたの、なかなか大変だな……。
楽曲の強さを再確認できたのは、思い出旅の良いところではある。
独自の欲望と価値観を持つ(と、視聴者としては判断できる)ボーラが、誰ともしれない何かに心身の制御を奪われ、上位コマンドで便利な道具として扱われている描写は、KNoCCが素朴に弾けさせる生の実感に反して、アンドロイドが所詮機械でしかない現状を語る。
抵抗の権利と実力を有さない奴隷は、人間存在の原理に反して(あるいは、それゆえに)引き続き奴隷でしかなく、リモコンひとつで聖人から人殺しまで勝手に生き方を決められる都合の良さを、跳ね除ける手段がないのなら、クズ共が鬱憤のはけ口としてアンドロイドを道具扱いする現状こそが”正しい”という事にもなろう。
無論サイバー奴隷制度を肯定して話が終わるのは面白くもなんともないので、どっかで機械の首輪を外す奇跡が顔を出すと思う。
それは主役に選ばれたKNoCCだけに用意された特別なのか、それともアンドロイド全体に広がりうる”更新”なのか。
アプリの前日譚という形式上、作品世界の矛盾全部をぶっ飛ばす圧倒的解決策を出しにくいアニメなのかもしれないが、ふわっと幸福な家族主義に包まれてきた主役が、無形の奇跡でより良いステージに上がっていく決着だと、エグい社会を擦ってきた作風を拾いきれないかな、とも感じる。
個人的な記憶を回収し、コバルト個人を復活させようとする今回の物語が、アンドロイドという大きな枠組みと、彼らを使わなければ文明社会を維持できないどん詰まりの世界に、どう響くのか。
個人的にはそこが気になっていて(つまり今回のエピソードは、ほぼ答えを返してくれていなくて)、やっぱノーベルおじさんに全部ゲロってもらう他ねぇな……と感じている。
いい加減テメーが誰で何狙って主役を助けているか、視聴者に見えやすい形で書いてもいい頃合いだろ~。
主役が救命活動に勤しむ裏で、すげぇサクッと5thステージが挑戦者不在でぶっ飛び、カイトさんがほぞを噛んでいた。
KNoCCをヒョ外縁者として認め正々堂々闘いたい気持ちと、アンドロイドが目の前でぶっ壊されても我関せずな態度は、KNoCCが機械奴隷である以上完全に矛盾していると思うが、そこら辺を整地するつもりも余裕もないまま、妹さんの死期は迫る。
構成物質が無機だろうが有機だろうが、人間を取り巻く状況はいつでも最悪で、微かな誇りをドブに投げ捨てることで大事な人の命を買おうとしてるカイトさんも、何かを選ぶ時が近づいている。
そもそもカイトさん、強烈なラッダイト主義者と妹のためなら何でもする情の鬼という、あんま釣り合ってないニ極性でキャラを立てているので、その苦悩にあんま入っていけない感じが強いんだよな……。
そんなに妹大事なら、差別主義くらい投げ捨ててなりふり構わず救いに行ってよ……みたいな。
すごーく露悪で胡乱な言い回しになるけど、現状カイトさんのイメージ『気は優しくてポルポト派』なんだよな……個人としては善良なのかも知んないけど、社会的動物としては褒められたもんじゃない。
純粋無垢な機械であるKNoCCと、しがらみに縛られきった人間・カイトさんを対比させる構図なのかもしれないが、”フェアな真剣勝負”でまとめるにはぶっ壊されたアンドロイドの死骸が足元にたまりすぎていて、正直喉に引っかかって飲みづらい。
ただのイケメンアイドル物語で終わらせないスパイスとして、かなり詰んでる世界のロクでもない情勢を選んだのか、それともギクシャクややこしい問題をある程度整理して、説得力があるアンサーを出すつもりがあるのか。
24分使ってあんまり核心に踏み込まなかった今回から、残り話数をどう使って何を掘り下げていくか……超☆訳知り顔で解決の鍵を差し出してきたノーベルおじさんに、全部がかかっていると言っても過言ではない。
……過言だな、ウン。
僕はこのアニメ、モノでしなかないプログラムに、モノ以上の何かが宿っているロジックが気になっているのでそこも”テガミ”開ける中で見えると良いかなー、と思う。
結局このアニメが描いてきた、人間よりも人間らしく歌う機械は”人間”なのか?
人間型の機械を便利に使い潰す残酷をスタンダードにしている社会が、新しい可能性を隣人に迎えるとしたら、どんな困難があるのか?
歌はそれに、どんな奇跡を添えるのか?
そこら辺の疑問は、作品自身がアンドロイドSFという自ジャンルと呼応しながらここまで用意してきたものだと感じているので、作品なりのアンサーを出して欲しい。
それがトンデモオカルトだろうが、お話なりの本気と熱意が籠もっているのなら、答えとして納得はできると思うので、そういうモンを残りの話数で削り出して、届けて欲しいと思います。
次回も楽しみですね。