イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

REVENGER:第12話『The Sun Always Rises』感想

 かくして闇は払われ陽はまた昇り、橋の袂で野良犬が死ぬ。
 微かな蛍火は失われた春日の温もりを、果たして最後に伝えたのか。
 痛快時代伝奇復讐譚、最終話である。
 このお話らしいトンチキと血しぶきに満ちたラストバトルあり、ド外道に相応しい死に様あり、寂寥感漂う始末あり、大変良かった。
 ”REVENGER”全体としては続編の目を残しつつ、繰馬雷蔵の既に終わっていた……終わり方を間違えきった物語にはこのアニメの範疇でしっかり終わりを届けて、因果応報恨みの太刀筋、収まる所に収まった……感じかな?
 不気味な存在感のみを漂わせるアンゲリア、礼拝堂と利便事屋の関係、魔都長崎に蠢く不穏と、まだ彫り込める素材を残しつつも、雷蔵主役の1クールアニメとしては手応えのある終わり方になっていました。
 なんもかんもが燃え尽きる怒りの日を見届けたい気持ちもあったけど、それが形になるかは賽の目次第、できれば続きが見たいけど、今はありがとうとさようならを。
 いいアニメでした、面白かったです。

 

 

 

画像は”REVENGER”第12話から引用

 つうわけで前置きは前回済ませたから初手から大爆発度派手に行くぜ! ってんで、殺し屋どうしの潰し合いと外道の本拠への襲撃が同時進行。
 あんまりタメなくバッサバッサと死んでいく感じは、このアニメらしい手触りだし景気はいいしで、大変良かった。
 曲射可能な弓の特性(あと徹破先生の異常なフィジカル)を生かして狙撃戦を制したり、『あ、貞一党は全部灯台島に集めちゃったんで幽烟&鳰組のマッチアップ相手がいませんね……んじゃあ未訳ルールから虎が出ます。強いですよー』とか急に言い出すGMとか、唐突にぶっこまれる幽烟先生の新殺し技とか、見どころ満載大暴れである。
 マージで虎出したときのライヴ感はとんでもないグルーヴ宿してたけども、あいつの倒し方が猛獣使いに空中浮遊と、ちょっと見世物小屋っぽい華麗なケレンに満ちてたの、堂庵おじさんの名残を感じて少ししんみりしてしまった。
 鳰くんも人間相手には全く見せない情けを、マジ巻き込まれただけの虎さんには匂わせてたし、異形の天使なりのズレた美意識が最後の殺しに宿るのは、とても良かったね。
 宍戸の悪趣味見せつけるための大江戸ピラニアプールが、エグ目のスパイスとして嗤っちゃいけない笑い作ってたのはズルい。

 仲間たちの露払いで生まれた一対一の機運、示現流の豪剣に清国の歩法を組み合わせた雷蔵の剣技と、小狡い逆手抜刀が持ち味の貞のチャンバラが大トリを飾る。
 貞は雷蔵がしがみつきたかった利便事屋の理念を土足で踏む、大変憎らしい敵役なわけだが、真実の一端をたしかに見据えている外道の賢者でもあって、その言い分には一部の理がある。
 純粋な侍が純粋な人殺しで要られた時代はとうに終わり、剣才よりも心意気よりも銭勘定こそが武士がよって立つ足場の、近世資本主義の街・長崎。
 そこに流れ着いてしまった雷蔵が、武士としてしか生きれず武士として死ねる機会を軒並み奪われて始まった物語は、坊主どころか人間の本分も置き去りにした外道との、剣を介した対話で終わっていく。
 切った張ったに勝ったから偉いとか正しいとか、そんな血なまぐさい夢が自分を慰めないことは雷蔵も知っておろうが、それでも生き延びてしまったその身は何か、魂を休める宿り木を求めた。
 それが背徳の信仰者・碓氷幽烟の信念と確かに響き合うものだからこそ、ここを命の捨てどころと血に染まった瞳を閉じず、貞のせせら笑いに向き合う。
 そういう、真っ直ぐすぎて曲がりくねるしかなかった生き方の決着を、ここで付けるのだ。

 

 

画像は”REVENGER”第12話から引用

 小判を噛むのがエテ公や犬っころにも出来る芸なら、小判を噛もうが噛むまいが殺し合いに恨みは募り、因果はいつか背中を刺す。
 捨にとどめを刺さない武人の生き様が、後に仇となって終わりを連れてくるわけだが、必殺の大江戸大ジャンプ斬りで貞を上回った闘いは、別に雷蔵の正しさを証明するわけではない。
 殺しは殺し。
 切り捨てれたはずの貞のベタついた現実主義は、切り合いで決着を付けても別に消えて無くならず、時代にも運命にも取り残された哀れな男に必然の決着を、否応なく突きつける。

 それでも殺しのスペシャリスト……侍であることには意味があるのだと、剣を捨てれず譲れぬ矜持が浪人の身に残るからこそ、絵筆を置いて最後の始末に雷蔵は踏み出した。
 この主人公が全然正しくも潔くもなく、未練タラタラで大間違いであることを結構冷静に見据えたまま、それでも12話分情を寄せた視聴者が納得できる決着をちゃんと用意して、ド派手に斬り殺して終わるのが、なかなか親切な所である。
 殺しは殺し。
 素人が適当な題目はっつけて作った銭金駆動の私刑網は穴だらけで、理念としてもシステムとしてもいくらでも突っつけるけども、しかしそれでも、そこに縋るしかないバカが確かにいる。
 そしてそうして死にかけの魂を剣に預けて、必死に進めた刃は確かに悪党に届き、何かを終わらせる。
 そんな結末にちゃんとたどり着いたことと、それを全部の答えにしない所が、やっぱ良いなと思う。

 

 

 

 

画像は”REVENGER”第12話から引用


 蒔絵師・幽烟と絵師・碓心の響き合いが最後に書かれることからも、そして宍戸の独りよがりな地獄芸術論の砕かれ方からも、『人でなしとアート』がこの作品の大きなテーマなのだなと、うっすら感じる最終話でもある。
 自分で阿片地獄に落とした陶工の、技芸もクソもない歪な茶碗を『最高傑作』と嘯く宍戸の自己陶酔は、幽烟を自分と同類の外道と見誤る。
 いつか自分も正しく裁かれる(そのことで、神の不在を反駁する)事を望みつつ、手を罪に汚して現場で殺しを続ける幽烟の信仰、その根本が何処にあるかは、終わってみれば『繰馬雷蔵の物語』だったこのアニメにおいては、明瞭には語られない。
 しかしジェラルド嘉納の不定形な異端とも、宍戸の歪な殺人アート論とも違う場所で、幽烟は信仰者である自分、それが向き合うべき神を考え続け、殺しとはまた違う信心の現れとして、蒔絵仕事に精を出す。

 『殺しの道具として、自分が選んだアートを使うのは冒涜なんじゃないの?』というツッコミに、フワッと綺麗で耽美な金箔殺しで終わらせず、無様に地面にめり込む死体を切り取るカメラは、結構自覚的な気がする。
 信仰を貫きたいなら、大罪である殺しなんぞぶん回さず、荒野の聖者のように祈りに励めば良い。
 ただそう出来ない何かが幽烟の中にあって、所詮醜い殺しでしかない”裁き”を未だに続けている。
 その未練タラタラな悟れなさ、すがり方はやっぱ雷蔵に似ていて、結局そういうロマンティシズムが二人を芸術家にし、共鳴させてきたのだと思う。

 救われぬまま救いを求め、真善美から遠くとも手を伸ばしてしまう。
 愛が恨みに、殺しが救いにねじり曲がってしまうこの世間の泥の中、人間が宿してしまうそういうやるせなさから距離を取って、自分だけ神様気取りで毒を撒く。
 そういう宍戸のやり口は、幽烟(と雷蔵)の真っ直ぐで不器用で大間違いな”人間”とは真逆で、殺してケリを付けることになる。
 かくして長崎に巣食った巨悪は討ち果たされ、世はすべて事もなし……ではこの話、終わらない。

 

 

画像は”REVENGER”第12話から引用

 天網恢恢疎にして漏らさず、闇の仕事人が外道を狩り殺して、長崎の朝は眩しい。
 そういう風に何もかも収まっていけば良い終いなのだろうけど、碓心唯一の画題となった”唯”を描いて、描いて、描いてなお何も変わりはないと、鳰は見定める。
 善悪の彼岸に立つ天使の評論をどう受け止めるべきかは、最終回に残った数多の問いかけの一つであろうけども、雷蔵は罪悪と苦悶の檻から出て、刀を捨て惚れた女の恨噛み小判を投げ捨ててもらって生きていく道に立っても、自分を許し得なかった気がする。
 最初から救いなど求めず、罪と感傷に首までつかって溺れ死ぬまでの時を、降りしきる雪の中絵筆を握って過ごした。
 いつか裁かれる罪人として己の心を写実する果てに、幽烟たちがひた隠しにし緑の谷に投げ捨てた小判の真実が、よぎることはあったのか。
 無いからこそ、洗練されていく画風とは真逆に何も変わらぬまま、瞼の裏に焼き付いた雷蔵のイマージュとして、唯が積み上がっていった気がする。

 あるがままを描くリアリズムに一足先に踏み込みつつ、碓心の筆致は何よりもロマンティシズムに浸りきっていて、死に場所を奪われ物語を終えてなお生きる理由がない自分を、それでも前に進めていく意気地に欠けている。
 宍戸の悪魂を絶ち、自分の鏡のような劉の意思を継ぎ、真逆であるからこそよく似た貞との決着を付けて、長崎を影から守った。
 そうして長刀を捨てて、己の心に絵筆で問いかけてなお、女という謎は解けない。
 それが優しい仲間たちが必死に守った嘘故か、あの時腹かっ捌き損ない野垂れ死に損なって利便事屋となった当然の始末なのか、これもまたなかなか答えの出ない問いかけだ。
 終わってしまった物語を噛みしめるように、女の面影を筆に映す事、刻む”碓”と”唯”の合わせ文字。
 殺し屋であり芸術家でもある、終わった抜け殻であり生きて何かを残そうと足掻く生者でしかない己を、繰馬雷蔵はどう思っていたのか。

 

 

 

画像は”REVENGER”第12話から引用

 セリフが一切ないラストシーンは、表立って語ることはしない。
 その死の是非含めて、ここまで見届けた視聴者が個別に受け止めるべき終わり方だと思うが、一つには雷蔵が死んでくれたおかげで他のリベンジャー達が、ロクでもねぇ人殺しのまんま長崎に生き延びていく終わりが、収まり良く見てる側にハマってくれる部分はあろう。
 幽烟が人を殺すたびに祈るかの贖い主のように、雷蔵が殺しの因果を背負って野良犬のように死んでいくことで、小判を噛まずとも恨みを晴らしに来た捨の濁りきった目と、それを受け止めてなお微笑む雷蔵の瞳が、血の池に腰までハマった連中一つの結末として、不思議な余韻と納得を残す。
 殺しは殺し。
 声高に正義を吠え理念にすがってぶった切っても、遺恨は残るし刃は刺さる。
 いつか他のリベンジャーたちも報いを受けて野辺に屍を晒すのだろうけど、それは今ではなかった。
 そして、雷蔵にとっては今だった。
 そういう決着であろう。

 あらゆる戦闘シーンでマジ役立たずで、貞一味のお荷物だった捨が最後の最後、主役の土手っ腹に刃突き刺す無常も、強いの弱いのが実はそんなに大事じゃなかったお話の顔を、最後に際立たせてくれるが。
 飼い主たる貞が正しく指摘していたように、餌の代わりに死に場所求めてウロウロウロウロ彷徨い続けている雷蔵にとって、捨の刃はあの時掴みそこねた懐刀の、代わりになってくれるものだったのだろうか?
 銭勘定など出来ない、人殺しを支配階級に仰ぎつつも人殺しを必要としない時代の遺物が、奪われた『侍らしい死に方』とは程遠い、橋の下の野良犬のような死に様。
 それは唐突でありながら必然でもあり、悲劇でありながら救済でもあるような、不思議な印象を与える。

 

 その感興は夫婦雛のかんざしに縁を繋ぎ、雷蔵が死に際唯一つぶやいた女の恨みを何処に手渡したものか、悩みながら雷蔵を見つめ続けた幽烟の指先が再びその掌を取った時、最高潮に達する。
 罪と後悔に苛まれ、なお美を生み出す雷蔵に幽烟が己を重ねていたのはおそらく間違いなく、この末路はもう一人の自分が暗殺者として無様に死に絶え、殉教者として救われる己の鏡写し。
 そんな結末を見届けたかったからこそ、幽烟は雷蔵であり碓心でもある男を守って活かすのではなく、殺されて終わる所に立ち会って、指を伸ばしたように思う。
 死の間際まで、雷蔵が唯を描き続けたこと……”美”をこそ己の苦悩を焼き付けるキャンバスに選んだことは、宍戸が歪な美意識でもって幽烟を引き寄せ、強く拒絶されて死んでいくのと、面白い対称をなしている。
 二組とも死によって別れるわけだが、宍戸の生臭く笑劇的ですらある死に様と、雷蔵の野良犬のように美しい終わり方には、心の響き合いに大きな差異があろう。

 救われず、許されず、己が重ねた死体の上に最後、自分の屍を載せていくような。
 ウロウロ罪の中を歩き回って、人を殺しながら自分が死ねる場所を探して、『正義の殺人』なんていう欺瞞を必死に叫びながら、それでも生きてしまう。
 そういうロクでもねぇ、浅ましい、どうしようもない存在としての人間、一つの決着として、繰馬雷蔵は死んだ。
 『陽はまた昇る』と告げるサブタイトルに反し、雷蔵に二度目の朝日はもう来ない。
 しかしそれこそが、いくら描いても抜け出せない罪の檻に身を置いた男が、唯一望める闇からの出口だったのかもしれない。

 それはこのアニメがずっと描いてきたものに、嘘のない決着であったように思うし、幽烟が雷蔵と共に生きるのではなく、優しく殺してその果て、死に果てた骸にそっと添えた指先の冷たさと暖かさを考えると、さらに良い趣で光る。
 雷蔵は死に際唯を呼び、幽烟を呼ばない。
 そういう間柄で触れ合い、すれ違い、蛍舞う長崎は侍として生きるしかなく、侍として死ねなかった男のことを忘れていくだろう。
 そういう話であった。
 とても、良かったと思う。

 

 というわけで、”REVENGER”終幕と相成りました。
 トンチキ江戸時代にやりたい放題、過去作のオマージュやら様式美やら、『美しい男たちがさいなまれる様子と、必殺面白死にするボケカスをたっぷり書きたい!』という欲望を詰め込みつつ、メロウに〆る所はしっかり〆て、大変良いアニメでした。
 雷蔵の話は序章で一旦終わり、流されるまま利便事屋稼業……かと思いきや、終盤ずずいと長崎を侵す阿片と因縁が鎌首をもたげてきて、切っても切れない因縁の重たさ、斬ることでしか進めない男たちの不器用さが、渋く美しく夜に滲んでいました。
 マージでロクでもない悪役共の、憎たらしい強悪っぷりも大変良い感じで、決着まで長く時間を取ったのが足早な印象を上手く拭い去って、手応えのある決着へと話を導いていたと思います。

 クセが強くキャラの立ったリベンジャー達の群像劇として、ナイスガイズがくんずほぐれつなブロマンスとして、時折アクセル踏みすぎに突っ込みつつも、むしろその過剰さが描きたいものに素直な印象を与えてもくれました。
 どんどん加速していく大江戸オーバーテクノロジーのやり過ぎ感と、いい塩梅に風情がある長崎の情景が奇妙な共鳴をして、伝奇時代劇として大変良い味わいでした。
 殺し殺されの物語の主柱として、”美”に罪の出口を探さざるをえない男たちの宿命を加えたことで、寂寥と叙情が色濃くなっていたのもまた、個人的なツボにビシッとハマりました。
 醜悪こそ美なのだと勘違いしきった、宍戸をラスボスに配置することで、雷蔵と幽烟を繋いだ縁が泥の中から浮かび上がって輝く作りは、俺はかなり好き。

 繰馬雷蔵の始まったときから終わっていて、終わりどころを間違い続け、この最終回にようやく終われた旅路として、しっかりとした手応えを見る側に与えつつ。
 描けるもの、描くべきものはまだまだ残っている感じもあって、もしいい方向に転がった時にはぜひもう一度会いたいと思える作品に、なってくれたと思います。
 この救われざるロクでなし達が野良犬のごとく死に絶える結末を心の何処か、夢に見つつ。
 お疲れ様でした、大変面白かったです。
 ありがとうございました。