イマワノキワ

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ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン:第36話『メイド・イン・ヘブン その①』感想

 互いの執念と運命を手繰り寄せてたどり着いた最終局面、ストーンオーシャン第㊱話である。
 と言ったものの、異様な体勢で宙に浮かびビカビカ光った挙げ句に姿を消したプッチ神父が再び姿を表すまで、アナスイと承太郎が奇妙なコメディを演じたり、無敵のスタープラチナが全然無敵じゃなかったりする、かなり不思議な味わいである。
 ”メイド・イン・ヘブン”はこんだけタメるに相応しい圧倒的な能力の持ち主なわけだが、そのわりにはカサカサコソコソ、真正面からのバトルは避けて地道な一撃必殺を狙った結果、腰から馬生えたトンチキスタンドが全容を現すまでで一話使う事になった。
 ここら辺は神父自身が述べてるように、”最強”になるための力ではないから真正面から力比べをする必要もない……ということになるか。
 新月それ自体ではなく、それがもたらす特別な引力こそが覚醒には必要で、そのために過程や方法を全部ぶっ飛ばしてビカビカ光った神父。
 彼はDIOと承太郎が演じた西部劇の早抜きめいた決着を押しつぶして、身も蓋もない圧倒的パワーによる全面制圧で、自分を邪魔し天へ押し上げる宿敵との決着を果たそうとしている。
 この期に及んで必勝を期する執拗な慎重さも、少年漫画的な全面決戦を拒絶する過剰な目的意思も、JOJOのラスボスが極限的に煮詰まった結果、アンチ・ジョジョイズムの体現みたいな感じがある。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第36話から引用

 時を止めたり巻き戻したりふっ飛ばしたり、色んなことをしてきた各部のボスだが、今回は究極的早送りである。
 神父を中心に加速していく時間はもはや彼個人では終わらず、世界全体の時の刻みを加速させていく。
 時の刻みから外れた神父を観測し、せき止めるのは極めて困難で、加速した世界は数多の犠牲を生む。
 神父が顧みることのない、”天国”へたどり着くまでに生まれるちっぽけな必要経費は、最終決戦においても生み出され、というかかつてない規模に加速されていく。
 それは血を分けた弟が生み出した”ヘビー・ウェザー”とは違って制御可能な災厄で、しかし神父はそれを止めない。
 時を極限まで加速し、自分以外のすべてを吹き飛ばし、自分だけが時の刻みの中心に立つこと。
 加速した世界の中で静止し、時の刻みに取り残されて孤独であること。
 それが、神父の求める救済(あるいは災厄)の形だ。

 どんだけ綺麗事ほざこうが、エンリコ・プッチという人間が何かを求めて動く時、必ず人死が出る。
 そういう運命に呪われているから独善と孤独によって世界を書き換え、その邪悪さを直視しないドス黒い悪になってしまったのか、それとも運命に向き合う意思がないから湧き上がる邪悪さを制御できず、あるいは制御する意思もさせてくれる縁も持てず、ここに押し流されてしまったのか。
 答えの出ない問だが、やってることは大変にはた迷惑かつ強力だ。
 このみみっちい小市民感と、ジョジョ史上最大規模で暴れ狂う”天国”のスケール感が噛み合わないのが、プッチ神父の独自性かなと思う。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第36話から引用

 そんな小さなビッグバンが夜に潜む大ピンチに、アナスイは空気読まず”許しと救い”を求める。
 そらー承太郎も『イカレてるのか……』言うわな、という状況だが、アナスイが直近触れ合った”許しと救い”がウェザーの末期であることを考えると、思わず笑っちゃうシュールな味わいとは真逆に、かなり大真面目で真摯な願いだった気がする。
 血縁の生き死ににすら心が揺らがない、心の底が壊れた殺人鬼である自分が、せめて人間でいられる命綱が徐倫への恋心であることを、アナスイは自覚している。
 そんな自分が徐倫に愛されないことも、空気読めないイカレ野郎なりに、クレバーに冷静に理解している。
 それでもなお、徐倫当人ではなく彼女を一番愛し、彼女に一番愛されている父親に”許して”貰えれば、あまりに悲惨な運命と魂を抱えたあの親友のように、死に貧しても””救われる”ことが、出来るのかもしれない。

 本来そういう仕事をするはずの”神父”が、狭っ苦しい勝手なエゴで世界を巻き込み勝手に書き換えようとしてるこの状況で、神様に縋る訳にはいかない。
 そもそもそういうモノに救われるのなら、アナスイは無慈悲な殺人鬼にはならなかっただろう。
 偶然により、あるいは運命により出会ってしまった彼だけの少女を、強く慕う気持ちこそが彼なりの天国への階段であり、しかしそこに一人突き進んでも意味はないのだと、アナスイはこれまでの旅路から考える。
 自分の行いと思いがいつか徐倫に通じて、無理くり心や世界を書き換えてしまうのではなく、尊い意志を込めて自分を受け入れてくれること。
 そんな未来への約束を、徐倫のいちばん大事な人が”許して”くれること。
 見えざる死が眼前に迫る極限状況だからこそ、アナスイはそれを手渡して欲しくて必死で、承太郎にすがった。

 その必死さが、恋愛感情おそらくゼロ以下でただ戦友として、自然とアナスイを抱きしめる徐倫に抱きとめられるのが、僕は好きだ。
 アナスイのここまでのアプローチは常時大間違いで、その間違いっぷりに懲りたから彼は承太郎の方に”許し”を求め、間違えきった自分と徐倫の関係が、望む方向へと進んでいける可能性を求めた。
 そんな切ない願いがあながち、あり得ない未来ではないのだと示すように、徐倫はこの極限に共にたどり着いた仲間として、アナスイを柔らかく抱きとめる。
 そこに恋はないのだけど、無限の可能性に満ちた未来花開くかもしれないと、思える自然さが”ストーン・フリー”の抱擁にはある。
 そのナチュラルな信頼に嫉妬してか、思わず娘を抱きとめに行く承太郎と、ようやく父の腕に抱かれた徐倫が戦士ではなく乙女の顔をしているのも、僕は好きだ。
 徐倫を間に挟んで、ありきたりで幸せでとびきり笑える『パパと彼氏の物語』が始まっても良さそうな……始まってくれたら嬉しい気配が、そこにはある。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第36話から引用

 しかし神父が目覚めさせた”メイド・イン・ヘブン”と、ジョースターの血脈への妄念は、そんな未来を許してくれない。
 ペルラの死によって『あり得たかもしれない可能性』全てを憎悪するようになった(つまりは、そこに潜む理不尽や不幸に対応できない自分に、耐えきれなくなった)神父は、手前勝手に確信した幸福を全世界にばらまくべく、主人公に立ちふさがる。
 かつてDIOが承太郎に入門され、上回られた”時が止まった世界”。
 ”スタープラチナ・ザ・ワールド”に上回る加速で承太郎の喉笛をちぎり、5秒制限をものともせず、”メイド・イン・ヘブン”は迫りくる。
 第3部を決着させた時を巡る想念が、この第6部で再び問われ、蹂躙され、書き換えられていくラストバトルだとも言える。
 まぁDIOの妄念背負ってるラスボスなんで、その克服は必然なんだけども。

 記憶をDISC化する唯物主義な神父にとって、キリストはペルラの救いたり得なかった。
 妹に十字を切るのを拒絶した時、彼の神は死に、自分が求める救いを自分が体現するために、自分だけの”天国”に進み出すために、あらゆる存在を犠牲にする男が鍛造された。
 それは人命だけでなく、その速度でなければ命も世界も保てない時の進み、社会の常識、律法とルール……そういうものも含む。

 人間を運命に縛り付け、あるいは人間足らしめている厄介な引力。
 ウェザーが手に入れた”救いと許し”を間近に見て、『結婚の許しを、義父となる人に求める』という当たり前の手順を踏むことにしたアナスイが、死地において尊ぶことにした当たり前の手順。
 その先にある幸福な可能性を、神父は否定する。
 そんなモノがあるから人間は……私は不幸なのだと手前勝手に加速を続け、しかしそれは新たな扉を開きはしない。
 ”メイド・イン・ヘブン”は自分が生み出す加速の影響を受けず、それに巻き込まれるのはそれ以外の全て……”世界”そのものだからだ。
 肥大化しすぎた自己愛に隠れて、自分も世界も見えなくなっている男が生み出すスタンドとしては、最適で最悪だろう。

 この強力で凶悪でキモいラスボスを、現世に降臨させないために徐倫達は駆けずり回ってきたわけだが、ヤツはついに立ち現れてしまった。
 それがどれだけ無法で無軌道か、無敵の”スタープラチナ・ザ・ワールド”を圧倒することである程度示されてはいるが、次回はさらなる絶望と破局が主人公を襲う。
 それでも、繋がれる意思はある。
 ”ストーン・フリー”が紡ぐ糸の先に、どんな運命と決着が待つのか。
 残り2話、大変楽しみだ。