イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第8話『僕は夢を見た 』感想

 どんどん近づく心と体、気がつけば青春は発火寸前危険領域、僕ヤバアニメ第8話である。
 自分の適切な立ち位置や振る舞いと同じく、他人の気持ちも見えないからこそ難しい時代を繊細に歩いているお話なので、長い前髪に隠された一人称しか京ちゃんにはなく、その外側で山田の気持ちは沸騰を続けている。
 心の中のロコモーティブに後押しされ、家族と知り合ったり間近に触れ合ったり、色んなことが起こるけども、決定的な本心はなかなか伝えられない。
 もどかしくも甘く、夢見るように危うい思春期のふらつきが、誰に見守られ支えられているのか。
 子どもたちの柔らかな気持ちを守る、家というシェルターを描く回でもある。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第8話から引用

 というわけで、市川京太郎以外の人達との距離感を描くことで、彼が山田にとってどれだけ特別なのか、浮き彫りになっていく。
 小林さんにあんだけ人生背負ってもらっておいて、好きピに無自覚に近づくと迷わず牽制入れてくるあたり、獣性が強いよな山田杏奈……。
 学校行くのが楽しくなったり、女子とも普通に話せたり、足立くんに最近優しかったり、山田を好きになっていく中で京ちゃんは社会性を獲得……あるいは再生させていく。
 京ちゃんは考えすぎるほどに自分と他人を良く思う人なので、山田が好きな自分、自分が好きな山田に悶々とする中で、『こうありたい自分』を捕まえることに成功して、その理想に現実を近づけるべく、ちょっとずつ勇気を出して自覚的に、あるいは思考をぶっ飛ばして情熱的に、何かをやり遂げていく。
 勝手にスクールカースト上位で自分を蔑んでいると思いこんでいる女の子を、殺して苛む妄想こそが相応しいと思いこんでいた自分から、背後にいる女の子はとても綺麗なのだと無自覚に出てくる自分へと、市川京太郎を前進させていく。
 この推進力が、山田杏奈を惹きつけるのだと思う。

 京ちゃんが意識しないとお母さんを”ババァ”呼ばわり出来ないの、可愛らしい反抗を年相応と背伸びして頑張ってる感じあり、わざわざ棘を出さなくても当たり前の優しさに見守られて過ごせた感じもあり、とっても好きだ。
 山田が京ちゃんに惹きつけられる”匂い”は市川家に満ちた香りでもあって、山田は好きな人の好きな人をどんどん好きになっていく。
 それが京ちゃんにとっての山田家にとっても同じなのかは、もう少し先で描かれる物語であるけども、ひどく幼く無防備(だからこそ山田ママも外では厳しく言う)に見える山田は、結構選り好みが激しい。
 触っていい場所とダメな場所があり、その取扱説明書には不備があり、日夜お互いに触って分かり合いながら、二人の距離は縮まっていく。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第8話から引用

 にしたって縮まりすぎだろ! な、危険な色合いの風邪ひき夕暮れである。
 山田の為ならエンヤコラ、雨の中全力疾走かましてびしょ濡れになる京ちゃんは自分が考えているより熱い男で、熱に浮かされながら跳ね飛ばすポットの飛沫は、そんな彼の地金を反射している気もする。
 この二人は自分たちのポンコツ加減をあんま自覚しておらず(自覚せぬままのびのび育てる環境にいて)、雨よけにビニール袋差し出した挙げ句忘れ物して京ちゃんビッシャビッシャにする山田も、後先考えず全力疾走する京ちゃんも、どっか抜けている。
 しかし間抜けにガタつく現実の奥、何を思ってそういう間抜けに飛び込んでくれたのかを感じる真心のアンテナも良く発達していて、お互いの思いやりはキモいおせっかいにはならない。
 結果良ければ全て良し、お互いのヤバさがいい感じに噛み合ってる二人だからこそ、好きは明瞭な形を取らないまま危険領域まで加速していく。

 勝手に大きくなったり小さくなったり、イメージに振り回される京ちゃんの中の山田杏奈と違って、現実の山田には確定したサイズがある。
 その実在は特別な温度を伴って、間近で遠い場所に佇んでいるわけだが、京ちゃんの預かり知らぬところでその境界線が危うく揺らいで、一足飛びに体が繋がりそうにもなる。
 そこに確かな心身があるからこそ危うく揺らぐものと、夢や想像の中で勝手に揺らぐからこそ乱されるもの。
 夕日の中で、実在と不在が不思議なダンスを踊っている。
 このステップと自分たちなり向き合っていくのが、このトンチキで純情なロマンスの足取りなのかもしれない。

 日々ガッシュガッシュシコってるのは京ちゃんなんだけども、若い体を焦がす欲望をよりリアルに、手応えのある形で受け止めているのは山田だと思う。
 自分のためにフラフラになった京ちゃんの、無防備な裸身に宿る熱の意味を、山田は無自覚に的確に、良く分かっている。
 京ちゃんにとっては未だ夢でしか無いものが、山田杏奈にとっては手を触れられる現実で、その熱量に押し流されたら何かが確実に変わってしまうと最後の最後気づくから、少女はほつれ髪を正して帰っていく。
 たとえ表向きはなかったことになろうとも、京ちゃんが自分のために雨の中疾走してくれたこと、その熱を受けて湧き上がる気持ちは地中の宝石のように、山田杏奈の心に蓄積し、燃え続ける。
 モガモガよく食べるヤバ女の情欲をしっかり書いて、下ネタぶん回し主人公だけでなく彼が恋するヒロインにも、人間的な質感を与えてくれる筆致は好きだ。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第8話から引用

 それはさておき、おねえに❤付き名前呼びで起こしてもらえる特権はド許せぬ。
 田村ゆかりの声帯が乗ったおかげで、『いや最高じゃろ……なにを贅沢吠えとるのだこんガキャ!』感は更にブーストされており、ホントおねえは京ちゃん好きだな……。
 メチャクチャナイーブで他人の感情に気を配り、暴走気味に優しさを手渡してくれる年の離れた弟だもんなぁ、そらー溺愛もするよ。

 ババロアの謎めいた暗号も好きなんだけど、山田と京ちゃんママのふらついた接触が大変好きだ。
 普段は天真爛漫絶対無敵、何がルールだ私が法だとばかりにもしゃらもしゃら好き勝手絶頂過ごしている山田が、”京太郎くん”に係わるときだけフニャフニャキモく……ちょっと京ちゃんっぽくなる。
 あのフニャッとした応対が、これで良いのだと確立した自分への疑念に根ざしているのだとしたら、それは自分を疑ってより良く育っていく途中の、ある種の成長痛でもあるのだろう。
 多分京ちゃんと触れ合う前の山田にはそういう、考えすぎてフニャッとなっちゃう瞬間はあんまりなくて、学校が楽しいと思える瞬間を山田が連れてきてくれた(ことを、知らずママが喜んでいる様子がしみじみ良い)ように、触れ合いと変化は双方向的だ。

 その対等な関係性に京ちゃんは未だ気づかず、あるいは気づいているものをあえて無視して、クラスで一番の美少女が自分のために奇妙な行動に出た事実を、山田杏奈のチャーミングな赤面を見落としていく。
 自分にとって都合の良い夢が、バリッバリに現実であると気づいてしまえば、もどかしいロマンスは終わりだ。
 鈍感だからこそ維持される心地よい足踏みに、主人公らしく協力する仕草……であると同時に、やっぱ山田杏奈に好かれるに足りる自分を、京ちゃんは信じきれないんだなとも思う。

 自分が思うほど市川京太郎はヤバくもキモくもなく、誰かのために突っ走ってしまえるヤバさこそが色んな人の愛を引き寄せるんだけど、そういう自分はまだまだ、夢の中だ。
 少年が距離感ぶっ壊れてる美少女への思いを持てあまし、持ち前の誠実で無意識クリティカルをぶっ放す中で、少女は触れ合った身体の感触を、そこから沸き上がる熱の強さを、抱きしめ噛み締めていく。
 微妙にすれ違いながら重なる思いは、一体何処に転がっていくのか。
 次回も楽しみですね。