イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

スキップとローファー:第8話『ムワムワ いろいろ』感想

 真夏の日差しが眩しいほどに、影は濃くなり長く伸びる。
 それぞれの明暗が複雑に絡み合い、陰りの中の確かな光が静かに瞬く、スキローアニメ第8話である。

 遂にやってきたサマーシーズン、動物園にお泊まり会と楽しいイベント目白押し……なんだけども、人生にはつきものの複雑な起伏がザラリと顔を見せて、明るさ一辺倒では進まない。
 愛され恵まれてきたものにもだからこその影があり、あるいは光の中にしか身を置かなかったから見えないものもある。
 長い影に足を取られて後ろ向きな者たちにも、目指すべき星があり、そこへ進む後押しをしてくれるものがあり、あるいは未だ響く傷の中瞬く温もりがある。
 幸福で明るいトーンを維持しつつも、その明朗さで作品を照らしてきた主役から少し離れた所、確かにある陰りの複雑さを掘り下げていく複雑で豊かな回だった。

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第8話から引用

 主役と王子様役のドキドキ動物園初デート、フォーカスは美津未ちゃんの高なる純情ハート……にもあるが、それぞれのムワムワ抱えて後をつけるおミカとナオちゃんにも、しっかり当たっている。
 初のメイン回において、自分を置き去りに進んでいく者たちを羨ましく見つめる姿を強調されていたミカちゃんは、今回もカレンダーや幸せそうな二人をじっと見続けている。
 そこには絵に書いたような可愛らしい青春があり、今この瞬間にしか生まれない柔らかな幸せがある。
 それを見つめて近づけない、近づけたいのに遠くに置いてしまう複雑さを、ミカちゃんは微笑みながら見守る。

 それは嘲笑でも興味本位でもなく、姪っ子の人生にあんまり本気で悪い虫が付いていないか、真夏の動物園に思わずついて行ってしまう人情が、袖すり合うも他生の縁、偶然であったツンツン少女にも向けられているからだ。
 自己嫌悪と尚早と純情と好きと、色んな色が混ざりあった混濁をどうにか制御しながら、それでも自分を抑えきれず志摩くんを追いかけたミカちゃんが今立っている場所は、青春の蹉跌をくぐり抜けて”良き叔母”をやっているナオちゃんが、かつて通り過ぎた景色に似ている。

 家族に、友人に、地域に愛され、それを返すべく過疎地を蘇らせる凄腕官僚を目指している、純白に正しい美津未ちゃんにはなかなか見えにくい、複雑怪奇な自己防衛と自己矛盾の色合い。
 それが、かつての自分を十重二十重に取り巻き、今もなお長い残響を伸ばしていることに自覚的だから……そういう暗さを呪いに変えず、最高の保護者やれる自分を掴み取ったから、ナオちゃんは今あったばかりの少女の顔をよく見て、言葉をよく聞き、その人間に寄り添おうとする。
 その視線が人間の錨になって、かつて遠く孤独に何かを憧れ見るだけだったミカちゃんが、相変わらず何かを見つめつつ一人浮かび上がりはしない、不思議な距離に自分を置けるのだろう。
 それは人間の暗い部分なーんも分かんない、どんよりミカちゃんとは大違いの美津未ちゃんに出会えたから、開いた扉だ。
 そこに自分を投げ込む勇気を、ミカちゃんが持っていたから照らされている道だ。

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第8話から引用

 むせ返るような熱の中で、志摩くんは美津未ちゃんの体調をしっかり見つめて、優しい言葉を手渡す。
 好きになった人が自分に向けてそうしてくれる、特別な喜びが美津未ちゃんの世界を明るい色に照らして、一方的な熱量を込めたデートはいっそう幸せな思い出になっていく。
 その透明度の高い光を間近に浴びて、ミカちゃんはサングラスに瞳を封じ、拳を握りしめて間近を見る。
 ずっと誰かを羨み、置き去りにされながらその背中を見つめていた少女は、好きな人すら勝手な想像で塗りつぶして貶めかけて、事実も真実も見ようとしない己の浅ましさに打ちのめされる。

 そんな情景を正しい光と誤った陰り、あるいは青春の(人間の)勝ち組負け組で簡単に分割しないのが、このお話の優れたところだ。
 ミカちゃんは薄暗い影にいつも引き寄せられながら、それを振りちぎってもう少し明るい場所に自分を近づける、矛盾した力を持っている。
 ずっと憧れの遠くに自分を置いて、他人を勝手に測って決めつけて生きていく道だってあるのに、時に臆病に震えながら、あるいは思いがけぬ激情に身を任せて駆け出して、心をバラバラに引き裂かれそうな難しさの中に、柔らかな自分を投げ込んでいく。
 自分が憧れつつ嫌悪するチャラいハイスペ彼氏と勝手に思い込み、でもそうではないと確認したかったから漕ぎ出した、真夏の動物園でわかったのは、自分の心の中にあった幻像と、それに反射する勝手で、好きになれない自分だ。
 その複雑でリアルな自画像に、ミカちゃんはちゃんと向き合おうとする。
 その姿勢は正しくも澄んでもいないが、生きた人間の色がする。

 

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第8話から引用

 

 この混色は美津未ちゃんには宿り得ないもので、陰りのない純粋さで多くの人を幸せに導いてきた少女には、ミカちゃんの屈折は遠い。
 似通った影色を志摩くんも抱え込んでいて、小さな弟に素直にプレゼントを渡せない事情をほじくることもなく、『喜ぶよ!』と”正解”を真っ直ぐ手渡せる。
 その気づかなさこそが、様々な人たちに自分の人生をほじくり返されてきた志摩くんにとっては新鮮で、大事で、救いなのだと思う。
 何もかもが解ることだけが唯一の正しさではないし、何も分からなければ全てが救えるわけでもなく、複雑な色合いが同居する世界の中で、美津未ちゃんは稀有な透明を背負って、今日も眩く生きている。
 その輝きが、志摩聡介にとって結構遠い場所にあって、だからこそ置き去りに眩しく眺める複雑さ……ミカちゃんの握りこぶしと同じものが、何もかもを手に入れたように思われてるハイスペ男子にもあると、蓮池前の攻防は静かに語ってくる。

 容易に他人に預けない陰りが立ち上る時、志摩くんはいつもの人当たりを引っ込めて、視線を影に隠す。
 いっつも優しくて明るくて、素敵な美青年。
 だからこそ美津未ちゃんやミカちゃんが好きになった志摩くんを、人当たり良く生き延びるため身につけたサバイバル・スキルを、いつでも振り回せるほど彼も完璧ではないのだ。
 家庭環境と自己像に乱反射する複雑な明暗を、愛され育まれた美津未ちゃんが見ない。
 見れない。
 それは一つの事実であって、主役の死角になる人生の真実を照らすべく、ミカちゃんや志摩くんも影を背負うわけだが、溢れるほどの真っ直ぐな愛を受け取ればこそ、愛の不在に思い悩む人の道を照らせる主役が、必然的にたどり着いている現状だ。

 高校生活に複雑な事情が、様々な人に出会っていく経験が、美津未ちゃんの世界に影を伸ばし、もっと色んなことが見えてくるようになるのか。
 ピカピカな純白を信じきれない、素養と経験に濁って染まった人たちの内側にも、優しく踏み込んで何かを変えていけるのか。
 それは、未だ描かれぬ未来の物語だ。
 ただ……美津未ちゃんが好きになった男の子には、今の美津未ちゃんでは見えない影をたくさん抱えていて、そこに踏み込み深く触れ合うのなら、見えない場所を覗き込む必要も出てくるだろう。

 そして踏み込める希望を、ペアのパンダはしっかり示しているように思う。
 志摩くんが褒めて気に入ったヘアピンは、親友に愛されてる証であり、そういう”美津未性”みたいなものから自分は遠いと実感しつつも近づきたいから、志摩聡介はすぐさまパンダを身につけたのだと、僕は思う。
 なにか暗いものに囚われ、笑顔の仮面を張り付けて自分を装いながら、それでも偶然と運命に導かれ出会った人に、惹かれてその魂を借り受けていく。
 憧れが生み出す変化に対してこの物語は前向きで、幸せな光の中で結びあえた約束を……例えば厳しい試練で試すこともあるだろうけど、しかし手ひどく露悪的に裏切ることはないと感じている。

 パンダを身に着け、ペンギンを弟に手渡す自分であろうと選んだ志摩くんは、すぐさまこの眩く白々しい光に身を置くわけではない。
 でもその一歩目は、なーんも知らない美津未ちゃんによって力強く開かれて、立ちすくみながら必死に前に足を出して、志摩くんが選んだのだ。
 そんな彼の優しさを疑い、己の目で確かめようと熱波に進みだしたミカちゃんと同じく、その決断は嘲笑われるべきではない。
 嘲笑われてはいけないのだ。

 

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第8話から引用

 そんな外野の郷愁を他所に、少女たちは今を満喫……しきれず、暗い穴ぼこに自分を押し込めかける人も、そっからヨイショと手を伸ばし若人を今いるべき場所にお仕上げてくれる人も、勿論いる。
 結月ちゃんの中学時代の悩みを、せんべいボリボリ仲良し楽しい日常の一幕としてライトに描くのは、ある意味確信犯的な表現だと思う。
 その美貌と環境を羨む(しかない)ミカちゃんにとって、その苦悩は他人事であり、惨めな自分が生き延びるための麻酔薬を悪意で絞り出す犠牲に、選んでも正当化出来る程度には、軽い存在であって欲しい。
 意識して共感を引きちぎることで、誰かを貶め悦に入る気持ちよさの使い方をミカちゃんは学んでいて、同時にそれしか人生に立ち向かう武器がない惨めな存在に、自分を落としたくないとも考えている。

 恵まれて生まれた(ように見える)人はみな悩みもなく幸せで、苦悩と劣等に満ちた私が下から噛みつく権利ぐらいは、当然あるのだ。
 そう思ってしまう自分がミカちゃんは大嫌いで、ダチとの楽しい時間に身を置く資格が自分にはないのだと、ひどく純粋に己をジャッジする。
 せんべいに乗せて手渡される、とても柔らかで暖かなもの。
 それを高校で掴めたから、ピリピリ張り詰めて自分を守ろうとした結月ちゃんが、見た目ほど軽くはないシリアスさで幸運に感謝する、ずっと求めていた温もり。
 それは自分を置き去りに、遠くにあるのだと見つめている。

 そんなことはないよ、と。
 ナオちゃんは遠く砂浜に膝を抱えていた、遠い昔の(今の自分に確実に繋がっている)思い出を見つめながら、自分に何処か似た少女の今を複眼視する。
 色々辛い経験をしてきたからこそ、誰かにとても優しく出来る大人が差し出す言葉は、多分あの時の自分が言ってほしかった言葉で、自分を追い込んだ呪いよりも前に進む出すための祝福をこそ、手渡せる自分を選んだからこそ、差し出せる言葉だ。
 ちょっとヘンテコでおせっかいで、とびきり優しく賢い人と出会って、自分でも気づいていない陰りの奥の輝きをしっかり見つけてもらったから、ミカちゃんはここで、他人と本当にと友達になれるチャンスへと、自分を押し出せる。
 それはとても幸運で幸福な、優しい決断だ。

 ミカちゃんがせんべい手渡す資格のない自分の薄暗さを見る隣で、ナオちゃんは生真面目で真っ直ぐなその輝きを、しっかり見つめる。
 自分でも……自分だからこそ気づけない己の真実を、見つけてくれる他人のありがたさに背中を押されて、ミカちゃんはダチと一緒にカレーを作り化粧をしホラーにビビる自分へと、自分たちへと踏み出せた。
 『自分はこんなもん、世界はこんなもん』と見限ってしまうにはあまりに幼く、でもそうやって視界を狭めなければ、目に入るノイズと憧憬があまりに深く、魂を傷つけてしまう季節。
 脱皮したての幼虫のように、魂の外殻が分厚くないモノたちが手を伸ばしかけて諦めるものに、怯える必要がないのだと傷だらけの強さで微笑んで、未来を約束してくれる人。
 そういう人がいてくれるありがたさが、しみじみエピソードに満ちる。
 マジ偉い大人過ぎる……。

 ナオちゃんの正しい強さが、美津未ちゃんの純粋で無自覚なそれとはまた違った色合いをもっていて、だからこそ友達が疑いもしなかった嘘の内側に踏み込み、ほんとうにやるべきこと、やりたかったことへ道を開いてあげれる。
 そんな奇跡を描くことで、美津未ちゃんに万能なる救済の天使ではなく、当たり前に限界や不可能を持つ生きた人間として、必要な陰影を足せている感じもある。
 群像劇に必要な多面性や複雑さ、それぞれの人間がそれぞれの物語を生きている公平な広さが、クールが折り返しを過ぎたあたりから蠢動を始めて、豊かに芽吹き始めている手応え。
 色んなことがあって、色んな影が魂を縛って、それでも震えながら目の前の光に、確かに手を伸ばせる世界の物語。

 

 

画像は”スキップとローファー”第8話から引用

 それだけが幸運に、子どもたちの前に訪れるわけではない。
 わがままに乱雑に志摩くんを呼び出した梨々華ちゃんは彼の帽子を奪い、世間の視線に常にさらされている顔を隠す。
 真昼、美津未ちゃんと一緒にいた時は眩い陽射しと燃える熱から自分を守るための道具だったものは、自分ではないなにかに責め立てられ、急き立てられる状況から少しでも心を軽くするための、心理的防壁へと姿を変えていく。
 あの動物園では一度も顔を出さなかった、心理的圧迫の強い断絶のレイアウトに包囲されながら、二人は宛もなく夜の街を進んでいく。
 志摩くんが一人だけ当たり前に幸福になることを否定し、どんな時も自分の手を取ることを求める梨々華ちゃんの瞳は、張り詰めたエゴに乾くだけでなく、今は遠くなってしまった何かを切実に求める、行き場のなさに満ちている。
 それを受け止められるのが自分だけだと知っているから、志摩くんは友人との約束をぶった切り、笑顔で付き合いやすいいつもの志摩聡介を投げ捨ててでも、梨々華ちゃんの願いを見捨てられない。

 小学六年生の時、大人が為すべきことを果たせない大人(ナオちゃんの歪な鏡)に取り囲まれ、梨々華ちゃんは確かに助けを求めていた。
 その視線に気づかず道を踏み外した結果、志摩くんは笑顔の仮面で他人を遠ざけ、幸せになり愛される資格を自分の外に探しながら、贖罪の機会をどこかに探し求めているように思う。
 出会うべき人に出会えず、立ち止まるべき時に立ち止まれなかった結果、既に起きてしまった事件の、長い長い影。
 それが志摩くんと梨々華ちゃんを強く縛り付けて、二人は愛憎半ばするとても複雑な距離感で、お互いの一部を深く心に食い込ませたまま、お互いを独占し束縛する。
 共犯のへその緒で繋がれた双子のように、救えなかった男の子と救われたかった女の子はお互いを縛って、そうし続ける限り誰かに優しくしたり、本当にやりたいことに進んでいったりすることが、とても難しい。

 ナオちゃんがミカちゃんが自分を縛りかけた鎖をほどき、進むべき場所に進む勇気を手渡せたことは、とても幸運で幸福なことだ。
 しかしそうしてくれる人が奇跡にように、人生に寄り添ってくれる物語ばかりではない。
 出会えず、己を見つめず、他人が抱えているものに気づけず、既に終わり果てて強く人生を捻じ曲げる、重たく暗い闇。

 それに行きあってしまったことが間違いなのだと、このお話は描かない。
 それに行き合わず、あまりに幸福に人生を進められた主役がどんな変化を周囲に巻き起こしたのか、とても暖かく描く筆は逆さに翻って、否応なく己の中から湧き上がる影に、白紙を黒く染めるシミのような思い出に、呪われ振りちぎりながら生きている人たちの、懸命の戦いを描く。
 美津未ちゃんのイノセンスが、性格ネジ曲がった悪役令嬢との恋愛バトルに勝利する鍵になるような展開を跳ね除けて、このお話は梨々華ちゃんが志摩くんの手を求める時の瞳を、その触れ合いが二人に思い出させるものを、そしてそれがもう遠くになってしまっている事実を、ちゃんと書く。
 暖かな光の中に幸福にも進めた人たちも、暗い影の中に囚われそれでもなんとか人の形を、手触りの良い愛想笑いと、女帝のような気位で保っている子どもたちも、この街に皆生きているのだと描く。
 それはとても複雑で、奥行きがあって、真摯で切実な視線だ。

 

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第8話から引用

 純白の希望と優しさに包まれた過去と、漆黒の闇の中向かい合う今。
 断ち切られてなお繋がり、罪人の鎖のように重たく魂を縛るものにのしかかられて、志摩くんが眠る場所は薄暗い。
 幸運な出会いの果てに、一度は背中を向けかけていた一生に幾度かのチャンスにミカちゃんは飛び込んで、とても幸せな夜を過ごす。
 響き合って、繋がっていて、だがバラバラな数多の明暗。
 街に瞬く明かりのように、その一つ一つに人間の思いと、生きることの複雑さと、既に終わってしまったものと、これから始まるものが混ざりあわらないまま、そこに在る。
 そこに、確かにあるのだ。

 美津未ちゃん達のお泊りは、最高の保護者の最高の心配りに支えられて、最高にチャーミングで幸せだ。
 そういうことばかりが人生を占めていれば、踊りたくなるようにハッピーな色合いで、世界は真っ白に塗られていくだろう。
 だが美津未ちゃんの視界の外、例えばマブダチが抱え込んだ複雑極まる思いや過去に、あるいは憧れの青年が秘する思い出と痛みに、複雑な陰影が木霊している。
 そういうものに引きずられて、自分がなりたいと願っていた正しい強さと優しさから自分を遠ざけて、それでもなお、善き人でいたいと望んで光に憧れる。
 そんな暗がりの中の震えは確かにそこにあって、正しくはなくとも間違いと切り捨てられるものではなくて、いつか光にたどり着くことを望みながら、小さく瞬いている。
 そういうことを、描くエピソードだった。

 志摩くんの過去や内面が描かれ、『イケメン闇深ぇ~~www』と記号論的消費を視野そうな影が、梨々華ちゃんを鏡にしっかり描かれた。
 でもその影が切実な痛みと懐旧に、幸運にも美津未ちゃんが歪めず殺さずに澄んだ純朴な幼さに確かに繋がっていて、でも曇のない光そのもののような主人公にはなかなかなれない様子が、そういう安直を跳ね除ける。
 あんまりに色んな人がいて、色んな荷物を背負い、憧れや嫉妬や憎悪や愛を乱反射させながら、出会い離れていく、そんな場所。
 明暗同居する”街”をこのエピソードの最後に映すのは、作品が何を視界に入れて物語を作っているのか、その豊かで真摯で公平なヴィジョンを、とても良く象徴しているように思った。

 美津未ちゃんの頑是ない眩さは、確かにとても強い。
 そして彼女みたいには生きられない人たちもまた、そう生きられないからこその賢さや強さを、闇の中に目を凝らして光を探す決死の行いを、確かに持っている。
 多分、その全部に意味があるのだと祈りながら、このお話は紡がれているのだろう。
 それは凄く優しくて、人間が人間であることに厳しい視線だ。
 そういう眼差しを携えたお話が、これからまだまだ生きていく青年たちにどんな物語を用意しているのか。
 次回も、とても楽しみだ。