イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

【推しの子】:第7話『【バズ】』感想

 人の命を啜る不定形の悪意に、今子どもたちの吠え声よ届け。
 バズとバズが食い合う、注目経済世代の成り上がり物語、恋愛リアリティーショー編クライマックスの第7話である。
 『可哀想な被害者なはずが、演劇ターミネーターだった』という黒川あかねの反転があまりに鮮やかで、若人(約ニ名実態年齢詐称)が力を合わせてクソみてーな世間に一発かます展開がやや霞む。
 だが前回丁寧に積み上げた重苦しいストレスを、しっかりカタルシスに繋いでいく劇作は見事だった。
 あそこで『うんうんみんな頑張って上手くいったね、あかねちゃん可哀想だったね!』という手応えがしっかりあるからこそ、『え、なになにそのサイコサスペンスの犯人の部屋みたいなのは……恐怖の芸能イタコっぷりはッ!!』という、想定外の角度からぶん殴られる快楽もデカくなるわなぁ。
 それこそOPで一億【バズ】達成したこの作品が、移り気な世間とがっぷり組み合って夢中になってもらうためにどういう作劇技芸を叩き込んでいるのか、パワーに満ちた勝負回だった。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第7話から引用

 あかねを死の淵ギリギリで引っ張り上げたアクアの手は、彼自身が嵐の中に差し出すと同時に、面倒見の良すぎるYoutuberが率先して気にかけた結果、届いた手のひらだった。
 『大人は子どもを守るもの』という、芸能界では軽視されがちな当たり前が世間をぶん殴りに行く今回、自分のことで手一杯なガキと、転生の果てに重すぎる荷物を背負って動きが鈍い自称・冷血漢の手が届かない部分に、色んな人が気を回す。
 クールに他者との接点を少なく、地獄の復習行に誰も巻き込まないように距離を取っているアクアは、死に至るあかねの変調に気づかず……あるいは気づいていても、どうしても動きが鈍い。
 その上で母の死(あるいは医師としての経験)から生き死にの境が世間で思われているほど分厚くないことを知っていて、余計なお世話を外野席から差し出すことを選んでいく。
 仲間たちが差し出した明かりに照らされて、あかねを包囲していたモノトーンの暗がりが照らされていく描写が精妙だ。

 事ここに至って、母の前でようやく号泣できたあかねの声を遠くに聞きながら、アクアはミヤコさんに我が子のように頭を撫でられる。
 育ちが早すぎる異形の赤ん坊との付き合いも十数年、実母がショッキングな退場を果たして以来”家族”やってきた二人には、色々重たいものが絡みついてはいるものの、人間味のある間合いで見守り、触れ合う間柄が構築されている。
 しかしそれは転生の事実を伏せた、転倒した親子関係でもあり、アクアは肉体・社会年齢どおりの若人の顔と、年経てスレた精神年齢の間をフラフラと揺らいでいる。
 眼前で展開される、それこそショーのように劇的な若者たちのリアルから少し距離を取って、アクアは仲間であり大人が当然守るべきガキでもある存在が、生き延びるための術を静かに企む。
 その遠さには、15歳の今を星野アクアであり雨宮吾郎でもある男がどう捉え、二度目の人生をどう扱うべきか、覚悟と迷いがそのまま反射されている。
 『俺はコイツラの中に入るべきじゃない』と、『それでも、一緒にいて楽しかったコイツラを守ってやりたい』の間で揺れながら、人情家の復讐鬼が選び取った間合いが”ここ”なのだろう。

 冷たい雨の温度をそのまま引き継いで、警察署はくすんだ寒色に傾いでいる。
 ゆきちゃん渾身のビンタが友情と生きる意志を取り戻させた後、アクアがあかねの意思を確認するべき言葉をかけることで、この歪さは収まるべき所に収まっていく。
 彼が企画し編纂したメッセージが世間に……なによりも黒川あかねに届くことで、制御不能だった悪意は軛を付けられ、ギリギリ人死がでなかったが大成功のビジネスとしての形を得ていく。
 それは狂信にも似たアクアへの恋をあかねの中に芽生えさせ、煤けた復讐鬼を彼女の【推しの子】にしていく決定打でもある。
 アクア自身がそうなってしまったように、傾いで不安定だったものがその歪さを正されることなく強烈に人間の中に固まり、生き方を定めていく。
 そうなってしまうのは、死にたく/殺したくなるような歪な不安を改め、世界の形を定めてくれる救世主性が、彼らの【推し】にあるからだ。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第7話から引用

 意志を秘めた星の瞳は母譲りの輝きを時に眩しく、時に暗く宿しながら、ハンディカメラをお供に世間を切り裂いていく。
 プロ/大人/雇用者の無責任で生まれた悪意の渦を、アマチュア/子ども/非雇用者の立場から跳ね返す。
 アクアがそのために選んだのは、あかねを死の淵に追いやったのと同じネットの波を逆位相に乗りこなし、バズでバズを塗りつぶす技法だった。
 そのために必要なのはむき出しの真実ではなく、細やかな知恵と工夫がたくさん詰まった見事な嘘であって、しかしそれを作り上げる過程には青臭い若さと、大人びているようで熱い友情と、自分たちを殺しにくるものへの静かな怒りが確かに宿っている。
 人を守る、優しい嘘。
 それを誰かに引っ剥がされたせいでストーカーに家を突き止められ、母を殺されたアクアにとって、真実を元に精妙に作り上げられたフィクションでもって、リアルで暴れまわる実態のない悪意を倒していくのは、一種の復讐戦なのかもしれない。

 MEMちょの世慣れた対応に助けられ厳選されたサムネイルは、『こう見られたい私たち』を力強く反映する。
 誰かを突き動かすメッセージ性を精妙に尖らせなければ、情報過多が当たり前になった時代に突き刺さって何かを変えることなど不可能で、賢い子どもたちはそのための武器をそれぞれ持ち寄って、つなぎ合わせて夢を売る。
 押し黙ったまま不定形の悪意が誰かを殺していくのを、黙ってみている多数派を味方につけていく指標は、形がないからこそ尊い善意ではなく、膨れ上がっていくインプレッションの圧倒的説得力が受け持つ。
 形にないものに殺され、あるいは生かされていく不自由で不自然な時代を上から断罪するのではなく、皆で磨き上げた嘘っぱちで噛みちぎっていく道を、アクアは選び子どもたちは続く。

 それはフィクションだからこその善意の勝利であり、どれだけ歪で乾いた世間にも情熱と真心は刺さるという、皆が信じたい物語を心地よく提示もしている。
 シビアな現実を描いているようで、このお話は主役たちの善意や祈りが(メインエンジンであるアイの死を除いて)どこかに届き、確かに爪痕を残す期待感を裏切らない。
 見えているほど世の中捨てたもんじゃなくて、クソみたいな利益最優先主義を逆手に取って戦えば、心の奥底にある本当に大事なものは守られ、世界にあふれていく。
 そういうポジティブな夢想にしっかり応える所に、物語としての強さがあると感じているし、その体現たるアクアはクールな蒼の奥に秘めた炎を、結局は隠せない。

 自分と推しがぶっ殺されて、復讐の為飛び込んだ芸能界はマジロクでもなくて、それを消費する観客は極めて残酷で。
 そんな事実を突きつけられつつ、”本当”の青春を目の前で弾けさせる若人に奇妙な後ろめたさを感じつつ、それでも若作りの中身オッサンとして、大人になりきれない理想主義のガキとして、冷たい世間に一発入れる。
 そうするのだと決意した時、アクアの瞳には生身の黒川あかねがすっぽり入っていて、顔の見える誰かを真っ直ぐ見つめるその熱意が、ディレクターに残った微かな良心と義務感を、もう一度発火させていく。
 巧妙に責任を回避し、なにもかも演者の自由意志だと逃げ道を張り巡らせてきたビジネスが、死にかけた子どもに真っ向向き合うラストチャンスを突きつけられた時、どういう角度で向き合うのか。
 転生者が秘密で覆った大人の責務は、喜ばしくも正しくしっかり届いて、精妙に作り上げた本当の嘘は正しく、世間を……誰よりも届くべきたった一人を揺らしていく。
 何がどう刺さってバズるか、小狡く計算し作り上げた嘘の中に揺れてる本当の思いと同じくらい、子どもの側に立ちながら嘘まみれの大人でもあるアクアの立ち位置は不安定で、奇妙に純粋で、熱と透明度が高い。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第7話から引用

 ピカピカドロドロ青春バズバトルを嘘っぱちの純情で殴りつけ、クソみてーな世間を理解らせてスカッと【推しの子】! 黒川あかね大勝利!! ……と思った感慨を、逆手に取って全力で殴りつける急反転。
 推しであり、患者であり、母でもあった、たった一人の星を思う時、アクアは取り繕った冷たさを全部引っ剥がして、ひどく無防備な生身を晒してくる。
 その特別さを間近にメモって、あかねは【推し】の【推し】に近づくべく徹底的な分析を、紫の色合いが印象的な闇の中で練り上げていく。
 元々眼球のアップに様々な意味をもたせるアニメなのだが、今回は特にキャラクターの複雑さを反射するレフ板として”眼”が活用されていて、多彩にトーンを変える色彩表現と合わせて、たいへん力強い演出だ。
 つーかあかねにとっては『昔死んじゃったアイドル』であるアイが、MEMちょからソッコースルッと出てくる所、面白い伏線だよな……。

 まるでバカで純情な十代のように、危うい場所で嘘を売る商売人たちが語らう場には冷たさや暗さがなく、アクアが彼のアイを思う時は更に、柔らかで暖かな色合いがそこに加わる。
 どす黒いモノトーンに追い込まれ、研ぎ澄ませた優しい嘘であかねをこの色合いに引き戻せた、ある種の報酬確認画面。
 『色々辛いこともあったけど、頑張ってこういう場所にたどり着けましたよ!』というフィナーレな手応えで一回腹筋を緩ませておいてからの、強烈に濃い闇。
 『あかねちゃんかわいそう……本当にかわいそう……』と、見ている人の殆どが思い込むだろうサスペンスフルな展開全部を前フリに、ここで彼女が嘘の天才である事実で殴りつけてくるのは大変面白い。
 良くできた嘘は優しいだけでなく、あまりにも面白い。
 そういう事実を、嘘と本当の間で揺れてるドラマ自体がぶん回してくるのは、馬力のある展開だと思う。

 あかねが役柄を解体し咀嚼する絵面が、一般的なサイコ殺人鬼そのまんまで、つまりはアクアが追い詰めるべき”敵”の匂いがするのも上手いなー、と思う。
 よくよく考えるとここであかねが解体しているのは生身のアイでもアクアの過去でもなく、【推し】に好きになってもらうためにまとうアバターでしかない。
 それはあかねが構造解析的アプローチを駆使して役柄を飲み込める、天才的な役者である事実しか反射していないのに、見ているものはそういう事実より強烈な何かを、描かれたものから受け取る。
 ここら辺の印象操作の精妙さは、アクアたちが世間を殴るべくぶん回したモノを一個高いレイヤーで活用している感じがあって、統一感のある多層性が活きてる造りだと思う。
 アクアたちが作ったビデオメッセージから希望を受け取ったのと、同じ瞳が貪欲にアイの過去を、内面を容赦なく暴き立てて噛み砕いている重ね合わせとか、つくづく良い画作りだよなぁ……。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第7話から引用

 かなちゃんのあかねワッショイを良い前フリにしつつ、かくしてうっすら白けた光の中で、怪物がその素顔を見せる。
 アクアはあまりにも有馬かなを高く買っているので、凡人だからこそ思わずその失墜を願ってしまうほどの天才にまーったく気づかず、ただの被害者だと思いこんでいた……つう運び、やっぱ結構好きだな。
 主人公がハメられたこの予断に乗っかる形で、黒川あかねを視聴者がナメた結果、このラストがズバンと刺さる算段よ。
 溺愛する妹の間近にいることを許したり、クールな孤独を選び取ってるはずのアクアがかなちゃんによせる尊敬と信頼が、かなちゃんサイドの思いと噛み合ってない所含め、やっぱこの二人は好きだ。

 あかねがアイに化ける瞬間は、作画・演技ともに総身に気合をみなぎらせ、勝負どころに最高のパンチをブチ込んできた。
 き、気持ちいい……『行くぞお前らぁあああ!』とアニメが血管バキバキにやる気をみなぎらせ、『ここが見せ場なんですぅぅぅ!』という力みを隠しようもなくぶっ込んで勝負してくる一撃に、真正面からぶっ飛ばされるのマジ気持ちがいい……。
 ”眼”を一つの軸に取り回してきた演出プランも、ここで本命をぶっこむための戦術だったのだろうと腑に落ちるのが、まーた最高快楽(エクスタシー)なんよ。
 生きながらにして伝説となったOPを本歌取する形で、下唇に魅惑のピンクを宿らせ瞳に星を映す瞬間の変化……黒川あかねが星野アイを”喰った”事実を、視聴者にガッツリ理解らせるのエグいよなー。
 ずっと会えないと諦め、しかしそれでも会いたいと焦がれたからこそ外道に落ちかけてるアクアが、死を超えて【推し】が目の前に戻ってきたとき何を考えたか、無限に複雑な表情もしっかり描かれていて、大変いい感じだ。

 この衝撃を足場に、物語は新しい次元へと飛び立っていく。
 次回も大変楽しみだ……え、総集編ッ!?
 最高のヒキで焦らしつつ、結構複雑な状況を整理するにはいいタイミングとも思います。
 此処から先の【推しの子】も、とても楽しみですね。