イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 水星の魔女:第21話『今、できることを』感想

 瓦礫の先にも、まだ物語が続いているのならば。
 終局に向け一気に加速していく、水星の魔女第21話である。
 色んな人が死んだり傷ついたりしつつ、巨大企業体による一極支配体制が大きく揺らぎ、遂に顔を見せる暗黒宇宙要塞”クワイエット・ゼロ”。
 ここまで得体のしれない人類定義改変計画だと思っていたものが、どこに出しても恥ずかしくない邪悪なデウス・エクス・マキナとして物理顕現を果たした衝撃。
 『な、なんとか話がまとまるかも……』という感覚を、全力で叩きつけてきた。
 そらー地上と宇宙の分断とか、どこにも正しさが見当たらない末世っぷりとかが、あの悪魔の城を撃ち落とせば即座に解決するわけではないが、物理的に殴れる超強そうなラスボスが出てきて、一応の決着でまとまる見通しが立つのは大変大事だ。
 自分たちが作品に見据え盛り込んだ、答えの出ない問題設定に飲み込まれてお話が終わらない物語は沢山あるわけで、こんだけ具体的な形で『終わらせるぞッ!』と吠えてきたのは偉い。
 『最終決戦は宇宙要塞』ゆう、ガンダム文脈の飛び道具的有効活用……と言えるか。

 同時にこんだけの力技で風呂敷を畳みに来た以上、今まで描いてきた社会情勢のどうしようもなさとか、子どもたちの心と異場所の機微とかを、押し潰さずに着地させる繊細さも要求されるだろう。
 『終わんないよ~~』と喚いてたのは、それらが終わるところを見たいからこそで、こんだけグチャグチャに入り乱れた社会や精神が大嵐の果てに、どういう決着を迎えるのか見届けたい気持ちは、とても強い。
 このお話の中で描かれた苦悩や混乱はとても魅力的で、色々考えたくもなるグチャグチャだったから、どういう形に収まるにしろ、作品なりの答えを幕が下りるまでに出し切ってほしい。
 そしてその願いが叶えられる信頼感は、しっかり言葉を尽くしてお互いの気持を、進むべき未来を定めていく子どもたちの書き方が、既に支えてくれてる感じもある。
 迷って、間違えて、届かなくて、それでも。
 そういう、未来と希望に向かって顔を上げる姿勢が未だあるのは、暗黒のジュブナイルがしっかり終わってくれる望みを、豊かに膨らませてくれた。

 

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第21話より引用

 とは言うものの、全ての子どもたちが光に向かって顔を上げられるわけではなく、ミオリネの視線は深い深い絶望の淵へと、暗く沈み込んでいってしまう。
 母の愛を失うことでその呪縛から解き放たれ、何も掴めずとも今立っている”ここ”が私の居場所なのだと、思い行動できるようになったスレッタ。
 理想と野望の果てに数多の犠牲を生み、それもまた一つの必然だったと顔を上げるシャディク。
 かたや自由、かたや牢獄と進む先は間逆ながら、やることやったキャラクターの顔は光の方へと眩しく向いていて、迷いと後悔と絶望に囚われたミオリネの視線は、ずっと下がりっぱなしだ。

 ミオリネとスレッタ……このお話の両翼は片方が凹んだり間違えたらもう一方が上を向いて手を引き、比翼の鳥のように進んできた。
 世界の理不尽や邪悪が全部自分のせいなのだと、無力感と罪の意識に引き裂かれつつあるミオリネがいたからこそ、スレッタは母との愛で満たされた世界から残酷に切り離され、それを自律呼吸の契機として、自分の両足で地面に立てた。
 その頼もしい立ち姿を今回描くのは、かつてミオリネが彼女にしてくれたように手を引いて、傷ついて揺らぐ魂が安らげる場所への扉を開き、そこからより広くより眩しい場所へと、一緒に進み出す未来の輪郭を、クライマックスに向けて描くためだと思う。
 物語が始まったときのように閉ざされた場所をこじ開けて出会い、絶望だけでなく希望もまた数多そこに在る世界へ、スレッタが一足先にたどり着けた場所へと、震えながら足を進める仲間を、受け止めうる資格。
 崩壊した学園でなおたくましく生きるスレッタと、地球寮の仲間たちを描く筆先はそこに、ミオリネも戻ってくる予感をしっかり含んでいる。
 というか、含んでくれなきゃ困るのだ(俺はミオリネさんがいっとう好きなので)。

 

 ミオリネの顔を上げさせる仕事が、グエルとの”決闘”で野望を挫かれたシャディクにはないと残酷に示す対話シーンだが、軋みきった世界の矛盾を暴力的に世に問うた決断自体を、堕ちた王子は悔いてはいない。
 穏健で時間のかかる対話という”一番”(ミオリネが選ぼうとしたもの)を選べなかった結果、多大な犠牲に自分も巻き込んでなお、身内の減刑を望むのが彼らしいと言うか、この話らしいと言うか。
 家という小さな単位を、社会や経済全体を差配できる巨大な世界と接合して取り回す家族経済主義でサイバーパンク世界を切り取ったことが、見ている側が食べやすい描写にも繋がっていたわけだが、血で繋がり目で見える”俺たち”を特権視する視線が権力と結びついて生まれる最悪は、既に幾度も描かれたとおりだ。
 それでもなお自分を”俺たち”と思わせてくれる確かな絆は愛であり優しさであり……それでもってもっとたくさんの人を殺せる魔女が、愛娘のための世界を地獄の釜から取り出そうとしている。
 獄に繋がれてなお晴れがましく、”俺ら”の行く末に顔あげれるシャディクの視野の狭さは同時に強さで、この頑迷があったから同志は彼に運命を預けて、正されることもなく間違いきれたのだろう。

 ……と、シャディク個人の業として彼の退場をまとめてしまうと、このキッモい粘着人間が何を変えたかったのか、何を問題と捉えていたのかを取り逃す感じもある。
 地上と宇宙に分断され、乗り越えられないまま搾取される構造は、自分一人がアカデミーに取り上げられて”上”に登ったとしても解決なんぞしやしない。
 自分だけがミオリネを娶り、企業宮廷の邪悪なルールを丸呑みして生きていく道が敗北で潰えた時に、彼は一個人としての幸せよりも大きく広く眩い物を選んで、どす黒い暗黒に沈んでいった。
 あの決闘に勝ってミオリネを勝ち取る……あるいはもっと前の段階で自分の気持ちに素直になる道は、アース&スペースの混血児である自分が、企業の恩寵によって高みに引き上げられた自分が、当事者として改変可能な矛盾を全部横に置いて、自分の同類を再生産する未来とイコールだ。
 そうやって自分一人が幸せになる道を選べなかったから、背負った重荷で沢山の人を殺して、シャディク・ゼネリはこの牢獄にたどり着いた。
 優しくてどこにもたどり着かない言葉だけを、世界で一番好きだった女の子に手渡すしかなかった男の子が、このどん詰まりでようやく、自分らしい皮肉を総帥就任のプレゼントに手渡せるのは、寂しくて綺麗な情景だった。

 

 

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第21話より引用

 

 全てを失えばこその晴れがましさは、ミオリネが暗闇から顔を上げる助けにはならない。
 赤心の果実を手渡す特権は、それが育まれる密室に踏み込むことを唯一許され、共に愛を注いで育ててきた赤毛の少女にこそある。
 前回劇的な空間として長く扱われてきた温室が、あっけなく踏み潰される様にテロルの無情が強く滲んだわけだが、今回はその絶望からの再生が、保護されるべき閉じた空間から出てトマト本来の仕事を果たす赤が、なおのこと印象的である。

 虚栄の花ではなく、飢えと苦しみを満たす食料を作品の象徴に選んだ意味が、ガッタガタに物語と見てる側の心が揺らいだこのタイミングで生きてくるのは、とても良い。
 緑から赤へと色合いを代えて成熟し、不条理な死の嵐の中でなお、生き延び希望を繋ぐもの。
 そのフレッシュな手触りが、全てを失って世界に放り出されたスレッタがなお立ち上がる歩み、そこに地球寮の仲間たちが隣り合ってくれる頼もしさを、しっかり味付けしてくれる。
 ガンドの呪いを受けない選ばれた子どもでも、魔女の愛娘でもない現実を見据えてなお、まだ心のなかに残るものが在る。
 その実感がスレッタの顔を瓦礫の中で上げさせて、ペトラの命をギリギリで繋ぎ、膝を曲げた学友に希望を届けさせていく。

 この若々しい逞しさはニカやマルタンにも同じで、二人はこの瓦礫の先にある未来を、微笑みながら約束していく。
 シャディクがシビアに見据えていた(企業の子である以上見据えなければ生き残れなかった)血みどろの現実から、目を背けていたから掴めなかったもの。
 三馬鹿監禁部屋で、企業支配の犠牲者たるレノアや五号と触れ合ったから……あるいはクエタの惨劇の中、生きるか死ぬかの土壇場で選んだものがあったから、自分の問題だと引き受けられた課題を、ニカは今度こそ自分の手で掴み直そうとしている。
 その活力に救われる形で、何が正しいか理解らかないままリーダーとして、みんなの未来を必死に考えて走ってきたマルタンも、自分の道のりに微笑める。
 沢山迷って間違えて、正しくはないその足取りを、より良い場所へ繋げられるように、顔を上げて強がって笑う。
 それが自分たちの進み方なのだと、お互いの心を言葉に乗せて通じ合う二人の生命力が、傷だらけの青春に眩しい。

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第21話より引用

 そういう個人レベルの希望を置き去りにするように、ペイルはグループを見限って議会連合に擦り寄り、サリウスの犠牲をミオリネは拒絶し、連合穏健派は最後の希望をスレッタに押し付けてくる。
 自己保存のために風向き自分の方に強引に捻じ曲げる、ペイルの魔女たちの面の皮と、大人たちがずっとそうしてきた現実的な対応を拒絶するミオリネの甘さが、なかなか苦い対比である。
 誇りや正しさを地面に投げ捨てなければ生き延びられない世の中に、適応した結果大事なものなんもかんも踏みつけにして、それを疑うことなく進んできた大人世代のツケが、巡り巡って子どもを呪う。
 そこで呪いと同質化していくのか、呪いの中に確かにあった祈りをなんとか掬い上げて、正しさにしがみついていくのか。
 水星の魔女最終盤は、そこら辺を問う戦いになりそうだ。
 ……そらー他の子どもらが健全なコミュニケーションで前向きな未来に漕ぎ出す中、一人出口のない孤独と逆恨みにラウダが落ちても行くよなぁ……。

 

 後悔しつつも反逆せず、犠牲を承知で生き延びて、選べぬ/選ばぬ弱さに流された果て。
 魔女の娘であるスレッタにこの状況の元凶への説得を……それが叶わないなら怪物と呼ばれたガンダムへの登場を促す大人を前にして、ベルメリアは今まで通り動かない。
 『これが正しかったから、これで生き残った。これからもこれでいい』という生存者バイアスに縛られて、己を変えることの出来ない大人の浅ましさ、愚かしさを体現する彼女は、それを指弾するニカの、あり得たかもしれない未来の姿だ。
 自分が信じる正しさを掴み取るために、血に濡れた現実の手を取った責任を自分で引き受けるのだと、マルタンに微笑んだ時から、『仕方がないのよ……』という呪文で自分を守ってきた弱い魔女は、ありふれた大人は、ニカの歪んだ鏡ではなくなった。

 ペイルの技術者として、強化人士製造の根幹技術に関わってきたベルメリアを指弾するミカの言葉は、もしかするとあの閉ざされた部屋の中で自分の過去を語った五号が、かけて欲しかった言葉なのかもしれない。
 社会に対するアリバイのように、一部のものにだけ恩寵と救済を……自分たちが属する社会上層への切符を手渡す企業宮廷に、幸運にも選ばれてその自覚がない。
 自分とレノアが座ってる地べたに、降りてこないニカ・ナナウラ。
 それが今、百億いる自分たちのために怒っているのだという事実を壁越し聞いたことが、逃げて生きる事ばかり考えてきた……だから本当に掴み取りたかったものを打ち砕かれた男に、未来の指針を与えたのだと思う。

 いけしゃあしゃあと正義の告発者ッ面してるペイルが、どんだけ非人道的企業社会に適応してきたか。
 『仕方がないのよ……』とほざきつつガキを犠牲にしてきた罪を、五号の存在自体が暴きうる。
 そこに立てば命が危ういと、本気出せば死ぬ立場にい続けた彼は良く知っているから、進むか逃げるか、宙ぶらりんに迷っていたのだと思う。
 そこで”進む”を選んだのはレノアが死んで彼が生き残り、ニカの獅子吼を聞いたからだが、ニカは世界を正すデカい正義を求めて、ベルメリアに吠えたわけではない。
 そこに凝っている醜さと弱さが、どうしようもなくそういう風になっていってしまう人間の弱さが、私と私たちの全部じゃないのだと強く抗議して、未来への道を開いていきたいとただ願ったから、彼女の言葉は世界へと飛び出した。
 それが祈りとなり魔法となって、強化人士にようやく届いて……彼がそこに座って何かを待っていたのは、スケッチブックに本当に生きたい場所を閉じ込めていた女の子の気持ちにかすかに触れて、届かず砕かれた痛みに蹲っていたからだ。
 そうやって小さな優しさが、無力でちっぽけな子ども達が自分たちだけの武器として確かに抱え、誰かに手渡していく赤い祈りが、命綱のように繋がって、不確かな未来へと彼らを進み出させていく。

 

 この子ども達の連祷と、繋がることなく断絶と独善に閉じこもってしまった大人たちの間違いは、このお話を貫通する大きな柱なのだろう。
 大人世代がただ薄汚く間違えているわけではなく、彼らなりの人間味なり祈りなりが確かにあったけど、どこかで何かを間違えてどん詰まりに至ってしまったとも書き続けている。
 それは今まさに自分が全て悪いのだと、何かを間違えた償いをするのだと追い込まれている、ミオリネの姿に重なっていく。
 あるいはスレッタの優しき姉であり、頼もしい剣であったエアリアルが魔女の娘/使い魔としての本領を取り戻し、暗黒宇宙要塞に待ち構える極悪ラスボスとして立ちふさがっているのも、間違えてしまった者たちの祈りと嘆きを、呪いにせず未来に繋ぐための戦いなのかもしれない。
 ……監獄で妙に晴れがましく、己の大義と祈りをミオリネに(傷跡を残したい感情をネットリ交えつつ)届けたシャディクの行いを、この先呪いにしないために宇宙と地上の格差是正に取り組むってのも、その一つになりうるかな。

 関わる人すべての手を飛び越えて、矛盾と搾取と悲惨をばらまく装置に成り果てた巨大な経済企業体、ガンドという輝かしき新技術……その最果てとしての、プロスペラとエアリアル
 『仕方がないのよ……』という諦観と絶望が、これ以上傷つきたくない弱さゆえなのだと告げるニカの言葉は、壁を超えて強化人士に届き、学園の遥か彼方に広がっている現実に、かすかな理想を突き立てる。
 それを手がかりに、どこまで自分たちを這い上がらせれるのか。
 世界と自分を諦めてしまった大人たちが、確かに抱えた祈りを引き継いで、眩しい未来へと進み出せるのか。
 このお話の最終決戦は、多分それを問う。
 スレッタが掴み取った赤い果実は、そこに挑むための糧であり、自分たちがあの小さく暖かな場所で育んでいたものが無駄ではなかったのだと、確かに実って美味しいのだと、自分と彼女の大事な人に伝えるための、豊かなメッセージになるのだろう。

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第21話より引用

 そのための舞台を血みどろに整えるべく、ママとお姉ちゃん頑張っちゃう!!
 あまりにハシャイだ外見で飛び出してくる、地獄のデスヘル要塞・クワイエット・ゼロ。
 その真実の形が持つ説得力とネタ力があまりに圧倒的すぎて、ゲラゲラ笑いながら手ェ叩いちゃった。
 こんだけ拗れた状況で話収めるなら、とりあえずぶん殴れる具象を出すのが一番正解だってのは、TRPGプレイヤーである自分としてはメチャクチャ納得がいく展開であり、同時にその剛腕に恐れ慄きもする。

 議会連合もシャディクとの裏取引、ヴァナディースぶっ潰して得たガンド兵器権益と、公的正義名乗るにはドス汚れすぎているわけで、自分をここまで追い込んだクズどもへの復讐として、プロスペラの魔法には一種の爽快があった。
 しかしそれは彼女の優しさや人間味と同じく、あまりにあまりな惨劇を肯定するものではなく、かといって完全に否定されるべきものでもなく、情と残酷が入り混じったこのカオスにどうかぶり付き、糧にしていくかが問題なんだと思う。

 スレッタを鍵にたどり着いたパーメットの極限が、可能にする戦場の完全支配。
 全てがパーメット技術に立脚している未来時代、社会インフラの根源をハックできる魔術を有することは、世界を制することとイコールだ。(ここら辺の技術暴走は非常に現代的なテーマで、格差問題と合わせてここら辺メインに織り込んでるの偉いなぁ、と毎回思う)
 しかし魔女はそんな世俗の権能を……企業宮廷の愚王達が社内テロぶっこいてまで欲しがった力を、愛娘が生きられる世界のためだけに使う。
 それはデータストームという子宮の外では生きられない、死せるエリーのために己の胎を世界規模に拡大していく呪い≒祈りだ。

 母であることのおぞましさと美しさを、こういう形で表現するのは凄く”ガンダム”的であり、ずっと挑まれてきたテーマが新しいカタチを得てきている手応えもあって、なかなかに興奮する。
 クワイエット・ゼロが生み出す静かな安寧は、人類を荒々しい業から遠ざけると同時に可能性を殺し、何もかもをパーメットのへその緒経由で与えられ支配される未来を、世界に産み落とす。
 スレッタがキャリバンに乗る理由は、もう一度家族に向き合う資格を得るためであるけども、ニカの獅子吼がそうであったように、個人の思いから出たものはより広いものへと拡大して、もっと洒落にならない闘争へと子ども達を引き込んでいく。

 

 そこで”上等”ぶっかませるのが、世界一の義人、チアチュリー・パンランチ大先生でございまして。
 『難しい世界のことは良くわかんねぇ……とか、目塞いでる余裕が自分にないことはたっぷり思い知らされたから冷静に勉強もするけど、それはさておきダチが命がけだってんなら……アタシらもだぜ!』という、シンプルで真っ直ぐな答えに飛び込んでくれるアンタがいるから俺は……俺はッ!
 実際血縁の檻業の鎖、構造化された断絶と報復の歴史にがんじがらめなお話をたたっ斬る、身近でシンプルな答えをチュチュ先輩が(時に拳で)体現してくれたから、このお話なんとか収まりそうなとこまで走れたわけで。
 これで『誰かのため』とかいうおためごかしを貼り付けるのではなく、あくまで自分がこの先も真っ直ぐ進むためのケジメとして、仲間の苦境に命かける形になってるのも、熱い血が通ってて良い。
 地球寮のバカガキ共がこの最終決戦に、それぞれの未来と私たちの夢を譲れないからこそみんなで飛び込んでいく姿は、空気悪かったりガタガタいがみ合ったり、色んな波風をちゃんと書いていたからこそ、しっくり見てる側の胸に収まる。

 そんな未来に漕ぎ出す船に、俺も混ぜろと両足乗せる、最後の強化人士。
 ニカの言葉を壁越しに受け取り、未来を選ぶのに必要な対話を済ましたからこそここに立ってる五号の姿は、思わず笑うくらいに唐突であり、同時にそうなるしかない情緒的・物語的必然が僕には感じられて、とても良かった。
 ニカがベルメリアに吠えた言葉は、壁の向こうに広がってる公的空間にも確かに繋がっていて、そういう場所で浮遊する言葉を自分に引き寄せ、逃げるのではなく進むことを選べる手助けに出来る可能性が、確かに宿っていたのだ。
 それは学園なり企業宮廷なり、私的で家族的で公に接続されていない場所を延々写してきた物語が、もっと不確かで約束が何もない場所に、進み出していく兆しとして凄く良いなと感じたのだ。
 トマトと一緒に、言葉と子ども達も自分たちを庇護してくれていたアジールから進み出し、言葉と心で繋がった仲間たちに支えられて、嵐へと挑んでいく。

 

 そんな道程から一人孤独に置いてけぼり、よくねぇ他罰主義と巨大感情を極限化させて、行くぞ妾の息子、地獄の最終決戦DA!
 対話と相互理解が穏やかに広がっていく学生サイドから置いてけぼり、不和と激情と孤独に呪われた、いかにもなガンダム人間をラウダがここで担当するの、マジおもしれーな……。
 ずーっとお兄ちゃん不在の穴を埋めるべく頑張って、戻ってきたら一人で勝手に大人になって自分を置き去りに、親父ぶっ殺した事実を怒りとともに叩きつけるには愛しすぎ、大事なもんは踏みにじられ……ラウダの心は限界だッ!
 彼が握りしめる逆恨みブレードは、過剰な自罰主義に呪われたミオリネが喜んで受け入れてしまいそうな形しており、つまりスレッタが颯爽登場跳ね除けて、『そんなことない!』とふたりはプリキュアするために最適な凶器でもある。
 なまじっか世界を変えうる手応えを地球での交渉の中掴んだだからこそ、それが自分を道具にぶっ壊されて絶望しているミオリネも、今回彼女が社長を務める会社の仲間たちが辿ったような、決意と再生の連祷に加わるはず……加わるべきだ。
 (今彼女が置かれている、希望が相転移した絶望はプロスペラが21年前、デリングと議会連合に叩きつけられたものと同質であり、あのタイミングで燃やしに行ったのは魔女の復讐だったんだろうな……)

 

 祈りが呪いへと変わり、他人を踏みつけ踏みにじられる世界の当たり前を、具象へとまとめあげた呪いの箱。
 クワイエット・ゼロを壊せば何もかもが変わっていくわけではないけども、今できることは確かに、戦嵐の只中にこそある。
 そこへ進み出す代価として、怪物の名を持つガンダムが求めるものはなにか。
 魔女の庇護も母の愛も失い、それでもなお生きる糧と脈打つ愛を握りしめて、今スレッタ・マーキュリーが征く。
 残り数話、何を描いてくれるのか。
 非常に楽しみです。

 

・追記 悪党含めいっぱい出てきたキャラに見届けたくなる愛着をしっかり生むという、群像劇に必要な難題をしっかりやり遂げてきたからこそ、暗黒大要塞にみんなで立ち向かうクライマックスもしっかり刺さるわな。

 

追記 ”刻が未来にすすむと 誰がきめたんだ 烙印をけす命が 歴史をかきなおす”