イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

私の百合はお仕事です!:第12話『ようこそ夏のリーベ女学園へ!』感想

 最後にデザート出しときゃァ客は騙せる!
 ドロドロの百合ジビエを問題山積のまま一旦片付けて、今は爽やかにサヨナラを。
 夏服おっぱい仕事に女女、色んなワクワク山盛りで、今日もリーベは元気いっぱい営業中です!
 そんな感じの、わたゆりアニメ最終回である。

 先週までネットリ煮込んできた感情と執着の因縁煮込みが嘘だったかのように、ライトな百合ギャグちょっとえっち混じりみてーな味付けで終わったが、まー視聴者は最終話の印象を訴求させて、作品全体の評価決めるからな!
 ……そういう側面がないわけじゃないが、このライトな味わいが欺瞞っつうか嵐の狭間の静けさというか、とにもかくにも話の真ん中にないことはここまで見てきたグルメニアンには、流石に理解ると思うよ。
 まぁ原作に素直にアニメ化する手付きは別に変わってなくて、こういう明るさもまたわたゆりの本当なので、最後に思い出す形で終われたのは良かったと思う。
 『んでこっから先、おんなじテイストの洒落になる女と女絵巻が続くんですか……?』ですと?
 んなもんないよ……きらら探しなよ……。

 

 というわけでメガネとギャルの激重感情衝突に、クロイツの誓いという一応の決着が付き、落ち着きを取り戻したリーベ女学院。
 頃合いは夏……最終話にしてコンカフェのどこがときめきポイントで、難しさとやりがいがあるかを本腰入れて描くぞー!  という展開、やっぱスゲェな。
 ここに至るまで、コンカフェという業態がどういう事に注意しながらやるお仕事で、何頑張ると顧客が満足して、キャストのどこがその水準に足りていないのか、明瞭に描かれてねぇもんな……。
 こういう書き方でありながら、嘘っぱちを客前で演じて売るコンカフェという舞台は話にかなり重要で、外面と本音をバチバチ擦り合わせてまぁまぁいい場所にたどり着いたお話の舞台として、存在感は確かにあったのもまた凄い。

 あくまで清楚で美しい夢、えっちなのはNGなリーベにとって、夏服をまとった美月は表に晒せぬ危険物である。
 ここら辺、どう傷つけずに当人に伝えるかは難しい問題……ってぇソトズラとは、またちょっと違った視点で陽芽は憎いあんちきしょうの胸めがけ、熱色視線をブチ込んでいく。
 美月は成熟の仕方が相当歪なので、自身がセクシャルな身体を持っていることに全く無自覚であり、当たり前に愛着がある自分の身体が『みっともなく、客前に晒すべきではないもの』として扱われることに結構真面目に傷ついている。
 対して陽芽は可愛い子こそが異性に求められる社会規範を内面化し(しすぎ)、誰かが誰かを性的に見る視線を順当に受け入れた上で、自分にその引力がないことを自覚し、羨ましそうにセクシーな美月を見上げている……という、お行儀の良い構図とも、また違う手応えはある。

 美月がとても幼く自分の身体、そこに宿る性がどう流通し消費されるかを見落としているのに対し、陽芽ちゃんは彼女自身気付かない律動を、美月だけに独占的にぶつけている。
 いつかの玉の輿を狙っている陽芽ちゃんの性傾向/性自認はシスヘテロ……って事になっているが、作中描かれる発情は明らかに矢野美月に独占されており、『世間一般のお姫様イメージが求めるセクシャリティ≒そうであるべきと受け取り内面化している白木陽芽のアイデンティティ』と、身体の中から湧き上がるマグマにはズレが有るとも見える。
 陽芽ちゃんの迸る性欲はライトなエロギャグ文脈に乗っかった洒落なのか、洒落にならないまま人生を押し流していく本気なのか、この段階では判別がつかず、表向き前者として軽やかに踊る。

 原作を先取りした話をすると、ここでコミカルに描かれている人格的成熟度、性的認識にかかわる視野差は後々、大変シリアスな重さを伴って話の真ん中を占めることになる。
 現状メガネとギャルと悪魔の物語がどんろどんろの女殺油地獄に嵌まり込んで、最終的決着にたどり着くのを保留されている段階だけども、一応は彼女たちなりの安定距離に落ち着いた、お互いを見つめる視覚のズレ。
 これは美月と陽芽ちゃんが向き合ったときだけでなく、彼女たちと社会、あるいは自分自身が対峙したときにも、何が本当なのかという認識、本当であるべきかという規範を交えて、複雑に絡み合い続けている。

 

 社会一般に流通する、愛され求められるためのニーズを過剰に受け取った結果、ソトズラを作って他人を騙して、人生上手く泳いでいく道を選んでしまった陽芽ちゃん。
 性的傾向だけでなく、人としてのあり方自体が大きな困難を持ち、社会と噛み合わない本音だけで生きていく苦しさと、それを飲み込めてしまう(陽芽ちゃん)強さを併せ持った美月。
 彼女たちのあり方がお互いを鏡とし、崩れそうな自分を支える柱と求めている以上、女と女が恋をすること、それが現在の社会においてどういう扱いを受けるか、そしてお互いがその規範にどう向き合うかは、作品の中核にある重要なテーマだ。(そうでないと、五影堂というキャラがメインステージに再生されない)
 そこにはセックスという、気恥ずかしく背徳的でなかなか真っ直ぐには見られない……でも自分という存在の根っこに深く刺さった行為/自己定義/関係性構築があり、『陽芽ちゃんが自分だけ美月のおっぱいが見たい/他人には見られたくない』というコミカルな描写は、一見の軽さに反してかなりの鋭さをもって、作品とキャラクターの真ん中を貫いているように思う。

 陽芽ちゃんが、美月のおっぱいに惹かれる自分にどう向き合っていくかは、現在進行中の物語が一つの答えを得た後、最後の問いかけとして描かれる画題なのかな、と思いもする。
 自分自身が”こうだ”と定めた自分が、出会いによって生まれる変化や、誰かを思い変わろうとする気持ちによって複雑に揺らぐ様子は、アニメの範囲でもとても大事にされてきた。
 ソトズラを取り繕い、ドロドロの本音を覆い隠してなんとか人間の形を保ち、それでも誰かと繋がろうとする真っ直ぐな思いが、真っ直ぐなまま伝わらない。
 人間が活きることにつきまとう難しさは、嘘つきの玉の輿志望である自分を”こうだ”と思い込んでいる陽芽ちゃんにも、これまで幾度も襲いかかってきて、これからもそうなるだろう。
 今回楽しく描かれた、美月の豊かな胸を思わず見てしまい、そこに抱かれると動けなくなってしまう自己像は、陽芽ちゃんがかなり強めに固定したあるべき形から、多分かけ離れている。
 だが、確かにそこに在る。(一時の洒落なのか、洒落にならない本音なのかは未だわからないけど)
 楽しいおっぱいコメディは、その前駆として思いの外大事なのかな、と感じるアニメ最終話でもあった。

 

 

 Aパートがタイトルの”百合”の部分を回収するものだとすると、Bパートは”お仕事”を回収するものだ、
 陽芽ちゃんのお仕事力不足もこれまた洒落になるコミカルさで、明るく描かれていく。
 陽芽ちゃんは都合のいいソトズラで他人を動かし、仕事を代替わりしてもらって楽をすることで生きていくロールモデルを、”こうだ”と決めている。
 しかしカフェのキャストとして客をもてなすのであれば、果たすべき責務は厳密に存在していて、それをやり遂げるのは他でもない陽芽ちゃん自身でなければいけない。
 そして選んだ生き様のツケとして、陽芽ちゃんはそういう人生の随意筋が全く鍛えられていない。
 可愛さ一点突破の嘘つきフリーライダーが、現状の白木陽芽の立ち位置である。

 対してこの段階で明かされているよりも遥かに、嘘つきを商売にするコンカフェ稼業に救われていて、”仕事”に本気である美月。
 彼女は持ち前の過剰な生真面目さを良い方向に駆動させて、メチャクチャ仕事はできる。
 そもそも他人に何かを預け楽をした経験がほぼないので、全部自分で引き受け自分で決めて、他人の求める自分をあまり見れない……優しくない人間になる傾向が強い。
 これは陽芽ちゃんへの当たりの強さのように、他人を押し退け自分を傷つける棘にもなるし、妹の仕事できなさを補う杖にもなってくれる。

 何でもかんでも、他人に任せれば良い。
 陽芽ちゃんの現状はその効率いい生き方を肯定するけど、しかしリーベで思い出から蘇ってきた女に向き合い、湧き上がる自分の本音と取っ組み合った結果、他人任せに出来ない領分が世界にあることは、結構学んだはずだ。
 美月が陽芽ちゃんを鏡に、ソトズラ作って本音の角を取る意味をじわじわ学んでいる(そして時に学習に失敗し、とんでもない爆弾を全力で投げつける)ように、陽芽ちゃんも美月の生真面目さ、何事も自分に引き受けることで生まれる価値に、嘘つき少女も拓けてきている。

 『でもそうそう簡単に、人間”正しく”なんてなれないよね~~~』という話でもあるので、陽芽ちゃんの仕事できなさ、他人任せの姫プレイは、別に今回治るわけではない。
 それは愛嬌あるズルさとして、チャーミングなユーモアを交えて描かれる彼女の現状であり、もしかしたら変わっていけるかもしれない、思いの外ヤバい本質(あるいは、簡単には自分を愛してくれない世界と向き合ううち、本質として定着しかかっている外面)だ。
 耽美な姉妹関係を演じて観客を喜ばせつつ、粘ついた関係性を軋ませている果乃子と純加も含めて、爽やかな花咲く楽園の裏側には、どうにもならない魂と業を抱え、それでも幸せになりたくて誰かを見つめる人間の姿が、ずっとそこにある。
 そこにこそ、人間が人間である面白さと愛しさがあるから、こーんなに面倒くさい連中を主役に選び、その面倒くささが多大な摩擦熱を発生させる感情の物語を、ここまで描いてきた。
 最終回に満ちていた軽やかな味わいは、全部が全部ウソではなく、かといって本当でもなく、色々あって夏にたどり着いたリーベの少女たちの現状を素直にスケッチした、その一枚なのだ。
 その手触りがこの最終回ちゃんとあって、結構良かったと思います。

 

 つうわけで、わたゆりアニメ無事最終回を迎えました。
 あんまりにも食いづらい序盤戦をあんまりにそのままお出しする、ガチンコ勝負の獣臭に最初は面食らいましたが、自分も制作陣もこのお話をアニメにする行為に親しみだして、アニメ特有の表現力で何を書くのか、見つけていくような作風だったと思います。
 この手びねりの手応えは僕のとても好むもので、自分たちが選んだ表現と物語をどう扱うのか、何を描いてどう届けるのか、『作者なりホンキで考えてくれてんだなー』と思い込める証に、ちゃんとなってくれました。
 僕はこれがあれば、どういう作りであってもお話は食べれるので、凄く良かった。

 キラキラピカピカに整えた外面の奥に、どんだけ捻れた感情と過去が秘められているのか。
 だんだんと作品の臓物があらわになっていく一種のミステリとして、情報の出し方もそれを描く筆先も、大変良かったです。
 特に後半戦、巻き込まれただけの友人Bがメチャクチャなスピードで怪物の顔を見せてきて、そこに生真面目で正しすぎる偽装ギャルがメキメキ巻き込まれていく様子には、サイコホラーな味わいすら宿っていました。
 その危うさだけが彼女たちの全てではなく、祈りを込めて大事に抱きしめられているものとか、ぶつかり合いながら生まれた柔らかな感情と関係とか、大事にしながら12話描いてくれたのも、とても良かったです。

 ぶっちゃけこっから更に加速し、華やかな地獄に切り込んでいく本領が発揮される物語なので、この手触りで是非にも二期が見てみたいところです。
 ここまで描かれたものも十分以上に良いんだけども、こっから先はさらに枷を外し、ガチンコでキャラクターとその人生が殴り合いをしまくる、情動の闘技場だからな……。
 その力んで危うく嘘のない熱量を、二期で見れることを祈りつつ、今は素晴らしいアニメを作ってくれたことに感謝を。
 面白かったです、お疲れ様!!