イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! It's MyGO!!!!!:第3話『CRYCHIC』感想

 うまく笑うことも、うまく泣くことも出来ない少女はどのように運命に出会い、それと別れたのか。
 24分間高松燈一人称視点、徹底してCRYCHICの始まりから終わりまでをそこから彫り込んでいく、MyGOアニメ第3話である。
 僕は遅れ馳せの分散視聴になったけど、初回放送三話分のラストにこんなアバンギャルドな話やったのマジッッ!!?
 主にエモーショナルな方向から只者じゃない”気”漂わせてきたお話が、表現的挑戦においてもかなり強めにクレイジーなのを示す、勝負の第3話となった。
 俺は”少年ハリウッド”第5話の一話まるごと劇中劇とか、”トロピカル~ジュ!プリキュア”第33話のショートショート11連発とか、ヘンテコな形式に挑むことでしか描けない場所に挑むアニメが凄く好きなので、MyGOがこういう事してくれたのは嬉しい。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第3話より引用

 燈の視点に縛られた語り口は、否応なく彼女が何を見て何を感じたか、その内面と世界に深く潜っていく。
 自分が好きで大事だと思えるものを、他人と共有することにずっと難しさを抱え生きてきた。
 幼年期、外界に繋がる窓の前に並べた石ころは燈にとってはかけがえのない宝物で、他人にとっては無価値な残骸でしかなく、差し出しても拒まれ嫌われ憐れまれながら、歌にならない思いをノートに綴ってきた。
 過剰な収集癖と整理癖、危うい不安定、ぼんやりとした感情出力……そしてノイズまみれの受信。
 『壊れている』と世間一般が判断するに十分な自分に、燈自身当惑しながら生き続けていて、しかしそれをどう受け止め差し出せば良いのか、ずっとわからないまま進んできた。

 それが星の形の花に誘われて、ふらりと危うく揺らいだ時に、身を乗り出して掴み取ってくれた人がいた。
 膝小僧を擦りむくことも、きれいな制服を汚すことも気に留めず、勘違いのお節介で誰かの苦しみに、体ごと飛び込んでくれる、特別な出会い。
 豊川祥子。
 圧倒的に”人間”である。
 お互いの名前を名乗るよりも早く、行く宛もなくノートにかきつけた言葉が詩であり音楽を待っているのだと、ピアノに載せて教えてくれた人。
 そうやって自分の迷いや苦しみを、歌にしてどこか遠い場所へ届ける営みが、世界にあるのだと見せてくれた人。
 今までの自分の足取り全部が、壊れてなんかいない自分だけの音符で、それだけが生み出す叫びが確かにあるのだと、抱きとめてくれた人。

 そりゃあねぇ……人生の足場が不安定になる全部を、全身全霊偽りのない本気でググッと詰め寄り、誰も支えてくれなかった己を受け止めてくれる”人間”に出会っちまったら、特別にもなるよ。
 燈の生きづらさはありふれて良くある話で、しかしだからこそ決定的な処方箋がなく、自分らしさを持て余したまま自分一人ではたどり着けない何かを、必死に探していた。
 鏡を使わなければ己の顔が見えないように、ノートに書き連ねた苦しみが歌になって良いのだと、バンドの仲間と歌にしていくのだと、迷い道に導きを与えてくれるのは、いつでも他人だ。
 燈にとってこの出会いが、魂を揺るがすほどに特別になり得たのは、祥子がとにかく本気でぶつかって、燈が一人震わせてきた振幅に波長を合わせてくれたからだ。
 普通の人間が特に気負わず(あるいは愛音のように、過剰な意識で強張りながら)参入できるコミュニケーション市場では、値がつかないまま突き返されてきた”高松燈”という貨幣を、その清い心で受け取ってくれたからだ。

 他人が血のインクで連ねた言葉を嘲笑わず、指先から紡がれる音に乗せて、より豊かに、本当に近い形でかき鳴らしてくれる。
 そうなり得る共鳴りが二人にはあって、そうしてくれる優しさと強さが祥子にはあって、熱い血潮は赤く赤く、膝小僧から流れ落ちていく。
 燈がその滴りを、ペンギンのバンドエイドで止めてあげたいと思って、しかし果たせない不器用さが、愛しくも哀しい。
 燈はずっと誰かの傷に気づき、それに手を差し伸べたいと思いつつ、うまく果たせないで口ごもり続けている。
 優しくしてくれた人に、優しくし返したいと願いつつ果たせないでいる。
 そういう人なのだ。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第3話より引用

 祥子はガラスの向こう薄らぼんやり霞む世界から、一緒に音楽をやって燈の叫びを歌に変えてくれる仲間を連れてきてくれる。
 それは燈にはどうしても難しい行動で、血管に”高貴”が高濃度で流れている祥子はためらわず、その才と生き様に惚れ込んだ少女に必要なものを整えていく。
 仲間、笑顔、友情、バンド。
 祥子が広げてくれた世界に自分を照らして、ずっと見えなかった魂の輪郭線を引く。
 歪で、剥き出しで、危うく、間違いなく生きている高松燈を見つけていく。
 それはかけがえのない、黄金の時代だ。

 後に燈の狂った番犬となる立希が、初対面ではぶっちぎりのツンツン塩対応なのが相当ウケるけども、そよもなんか雰囲気硬いし、初顔合わせの凍りついた空気が一人称に良く映える。
 それがカラオケルームで雪解けしたり、ずっと視界を塞いでいるノートを降ろして自分と世界を見れるようになったりして、燈は笑う。
 CRYCHICの仲間たちも笑う。
 失われてしまうことを知っていればこそ、それは僕の目にはあまりにも眩しい。

 ”しゅわりん☆どり〜みん”を率先して歌った時、睦も笑っていた……はずだ。
 だが第1話冒頭で突き刺されたように、彼女はその日々を楽しくなかったと告げた。
 その解らなさ、理解出来なさは、今回一人称の主役となってこれ以上ないほど、自分の内側に封じられた気持ちをこちらに伝えられる燈の、逆位相にある音だ。
 ”羽丘の不思議ちゃん”として愛されつつ遠ざけられていた燈の分かりにくさ(祥子が全身で体当りして、ぶっ壊し抱きとめててくれたもの)は、この第3話で解体され並べ直されることで、僕らに可視化される。
 しかしその内面に踏み込めない睦の気持ちと痛みは、遠い謎としてこのあとも残り続ける。
 そういう分からなさが頑として世界にあって、硬い摩擦熱で色んなものを発火させる事実を、人間の宿命として結構大事にしたいからが、この段階では睦の一人称視点はアニメにならないのかなと、僕は思った。

 歌にならない声が、うまく形にならない気持ちがあらゆる人にあって、それでもなお何かを解ってもらおうともがくから、人は音楽を作る。
 燈が見据える世界と自分を、24分長回しで伝えるこの特別な形式に選ばれないとしても、硬い質感で突き刺さった”分からなさ”に、少女たちは向き合っていかなければいけない。
 歌を続けなければいけない。
 その難しさと痛さ、かけがえなさと切実さを追いかけるべく、燈の視点に捉えられた睦は(他の他者たちと同じく)底しれぬミステリとして、誠実な切断面を残して描かれていく。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第3話より引用

 自分の叫びを曲にしてくれる仲間と出会い、燈が初めて歌として作った”春日影”に、祥子は熱い涙を流す。
 『これは私の、私たちの歌なのだ』と心の底から感じられる優しさと強さが眦から溢れる姿は、燈にとっては誰より確かな”人間”の指針だったのだと思う。
 それに導かれて共に歌い、熱狂の只中に身を投げ、まばゆい光の中に己を溶かす。
 自分が自分でなくなるからこそ、何よりも本当の自分でいられるような一瞬を、燈は確かにその身に浴びた。
 その鮮烈が呪いになって、少女たちを過去へと繋ぎ止めもする。
 泣きじゃくりながら抱き合う舞台裏で、一人同じ熱を宿していない睦の視線に築けなかったことが、崩壊の始まりだったのか。
 浮遊する世評を携帯電話越し拾い集めて、その不確かな刃に貫かれたのが致命傷だったのか。
 構造的に嘘をつけない一人称の中で、燈にその根源は見えない。

 この第3話をこういう形に作ったのは、ある意味『CRYCHIC殺人事件における、高松燈の証言』をこちらに見せるため……という感じがある。
 今後My GO!!!!結成に動いていく物語の中で、それに関わる少女たちの深い傷となり、乗り越えるべき壁となり、未来へ羽ばたいていく翼ともなる一大事に際して、燈は何を見て何を感じ、何を見落とし知らないのか。
 燈の主観を通して一話やり切ることで、彼女がその崩壊を何も知らないことと、あまりにも決定的なモノを彼女のバンドと音楽、誰よりも豊川祥子という人間から受け取っていたかが、真に迫って届いた。
 この物語的証拠を一つの支えに、今後も大荒れだろう青春物語を噛み砕いていくことを、この第3話は要求している感じがある。
 燈はただただ切実に、純粋にCRYCHICを愛し信じていた。
 それが、青春を無惨に殺した一つの事件における、彼女の中の真実だ。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第3話より引用

 暗い穴蔵の底から、飛び去っていく友達を泣きながら見上げるダンゴムシ
 丸まるだけが能のそれが燈のセルフイメージなのだとしたら、それはあまりにも寂しく辛い。
 第1話冒頭、見てる僕らを湿度で殴りつけた場面を、高松燈の認識を通し別角度から再演されてみると、三話分の蓄積もあって大変に痛い。
 祥子の一言に揺さぶられ、睦の言葉に切り裂かれて、燈がやっと見つけた”人間”への足がかりが崩れていく。
 CRYCHIC。
 今は失われてしまった、魂の居場所の名前。
 ノートに愛しく刻んだ人々は視線をそらして、壊れて/壊してしまったものを置き去りにしていく、
 その再生にしがみつくそよが、けして健気でも健全でもないギラつきを宿してかつての仲間を見ているのは、既に描かれたとおりだ。

 こうして一話燈の一人称で通して見ると、想定以上にCRYCHICであること、祥子に抱きとめてもらえたことが、彼女にとって大きいことがわかった。
 そしてそうして、別々の虫なのに仲良くいられた”みんな”と同じくらい、自分の思いを詩に綴り、それを音楽が支え追いかけていく”バンド”というものに、熱があったのだなと感じた。
 一音一音、喉から絞り出す言葉を掴み取るように、燈が歌う時には手が動く。
 羊宮妃那のややハスキーな歌声と、自分で作り祥子が認めてくれた詩を命綱のように握りしめる歌唱が噛み合って、人間でいることに大きな難しさを抱えた少女が、歌うことでどれだけ己を見つけているのか、見つけようとあがいているのかが伝わる。
 なかなか見えない自分の輪郭を、抱きしめて教えてくれる鏡は……拒絶せず拒絶されない他者との繋がり方は、雨の中で断ち切られてしまった。
 それでも、燈はバンドに何かを求め続けている。
 穴蔵の向う側にある太陽と、そこを自由に飛べる仲間たちを、もう一度探している。

 

 そういう必死さをこの至近距離で体験しちまうとよぉ……愛音のカタチだけ整えた軽薄がどうにも、我慢できなくなっちまうなぁ!!
 音楽をやること、バンドであること、人間であろうと足掻くこと。
 全部あまりに必死で切実で、全部奪われちまった燈の気持ちをよぉ……あのピンク髪が引き受けれるのかって話よ。
 よりにもよって過去祥子が人間がそういう存在に出会った時果たすべき”正解”を全部成し遂げ、なおかつ全てを壊して未だ立っているので、あの高み……は無理にしても、せめて他人の真心を便利なファッションに使わない誠実さで、燈と音楽に向き合って欲しいとは思ってしまう。
 でもなー……あまりにも硬く強く結びついていたからこそ、祥子やCRYCHICと切り離されたショックに立ちすくんでしまっているみんなを見てると、な~んも知らない軽薄さこそが救いにもなりうるつう裏腹を、各アニメにもなりそうなんだよなぁ。

 同時にそう思わせるように、今回示された燈の一人称は精妙に制御されていたとも感じるけどね。
 客観的な情報にしても、主観的な情動にしても、かなり精妙に絞って視聴者に見せているミステリの組み立てなので、お話から素直に感じ取るものから半歩、後ろに回って色々考えるのが、大事で面白いお話……って感じかな。
 同時にそういう閲覧者気取りを許さない、グイグイ惹き込む熱と引力がしっかりあって、噛むほどに味がある仕上がりなのは本当に凄いと思います。
 重たく陰湿でナイーブな作りなのに、とても美しい情景が要所に差し込まれることで、『この話は人間がより美しく輝ける場所を、目指していく話なのだ』と肌で感じられる所とかね。

 かくして青春殺害事件の被害者一号……にして、もしかしたら加害者かもしれない少女の証言は得られた。
 なぜ、高松燈が己の全てとノートに記した名前は砕けてしまったのか。
 その残骸から、立ち上がり進みなおすには何を掴めば良いのか。
 物語は未だ、迷子たちのスタート地点にたどり着いてすらいない。
 次回も、たいへん楽しみです。

 

 

・追記 六話放送後、色々進んだ物語を自分の咀嚼した上で感じた、第3話の役割。あるいは”神様を地面に引き下ろせ”