イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

好きな子がめがねを忘れた:第7話『好きな子のめがねを持って帰った』感想

 高鳴る心音燃える体温……恋の予感が雛たちの翼を伸ばす!
 幼子たちの無邪気なヰタセクスアリスを描く、好きめがアニメ第7話である。

 短めのエピソードを数珠繋ぎにして、ちょっとずつ変化している二人の関係を削り出していく話数になった。
 自分を恋する/恋される存在だと全く思っていなかった三重さんが、ゼロ距離接触の危うさに少しずつ自覚的になっていき(距離近すぎラブコメを成り立たせるために、それを綺麗に忘却し)、自分の間近に唯一置いておきたい少年として小村くんを意識しかけている手応えが、大変良かった。
 野の獣のように何ごとも気にせず、自由闊達に突っ走っている三重さんも大変素晴らしいが、中学三年生の身体と社会性に引っ張られる形で”人間”である自分に思い至り、そんな自意識を鮮明に反射してくれる小村くんへの意識が、メリメリ育っていく様子もまた微笑ましい。
 三重さんが小村くんに抱く好感の根っこが、『お父さんに似てるから』なの、まだ父親への嫌悪感が思春期の奥底から湧き出してはいない幼さと、それを自然と許している三重家の朗らかさが感じられて、僕はとても好きだ。
 そんな彼女が家族以外の存在、恋愛対象となりうる(自分の、そして小村くんの)性に目が向いて、恥じらい戸惑いつつ慎重に手を伸ばして間合いを測っている様子が、結構丁寧に積み上がっているのは良い。

 最初のエピソードで小村くんを描いた肖像が、非常に素朴で暖かなものだったのはそのまま、三重酸の心のなかにある小村くん、そういう形で小村くんを認識している三重さんの”今”を、率直にスケッチしたものだろう。
 そんな彼女も女友達との接触を経て、近すぎる間合いにドギマギする小村くんの心を想像したり、珍しくメガネを忘れず鮮明になった視界でその存在に触れてみたり、年相応……というにはやや幼く、しかし三重さん固有の足取りで、好きな子と自分の在り方を探る。
 自分と他人の境目がぼやけている三重さんの幼さは、小村くんのややキモい献身と純情を鏡にすることで切り分けられて、三重さんは今まで見えなかった新たな自分を、触れ合いの中で見つけていく。
 そういう普遍的な人間の変化を、めがねを忘れがちな二人固有の描き方と体温で書いてくれるのは、もう彼らが好きになってしまった自分としてはとても嬉しい。

 

 三重さんが輪郭のない体熱……”照れ”として発現させるものを、小村くんはもうちょい鮮明な形で自覚し、暴走させ、必死に抑え込んでいる。
 性欲と明言されないが明らかに激しく燃え盛っているリビドーが、今回は三重さんのめがねを借り受け、彼女を象徴するモノと隣り合うことで、グッと彫りを深める回だった気もする。
 小村くんはド変態ながらジェントルマンなので、人格と尊厳を宿した三重さん当人がいる前では彼女を徹底的に尊重し、エゴに押し流されて身勝手な振る舞いに出ることはない。
 しかしめがねという、作品としてもキャラクターとしても作中最も象徴的なフェティッシュが、独立した形で小村くんの私的領域に鎮座することで、普段はモノローグとして荒れ狂っている狂愛がドパっと溢れ出した感じがあった。
 イマジナリー三重さんを全力でリアルブートしてくる小村くんのキモさは、もはや一芸の領域にまで昇華されて大変面白いが、こんだけの”獣”に首輪をつけて何食わぬ顔、爽やか中学生ライフを送れている所に、主人公が持つ優しい異常性が垣間見えて大変良かった。
 僕は誰かが好きすぎて頭がおかしいキャラがとても好きなので、小村くんのクレイジー力が暴れるほどに、彼のことが好きになっていくのだ。

 眼鏡についた指紋にしろ、うっかり転びかけて預けられる身体にしても、今回は肉体の手応えが強い話だった。
 かたや変態紳士、かたや藪睨みのベイビーちゃん……幼い二人に身体性の恋愛(あるいは恋愛の新体制)は未だ遠い星だが、不定形のマグマのように『体を持った私たち』が生み出す熱は、日常にはみ出してきている。
 性欲や身体性を排除した清潔で爽やかにすぎる胸キュンラブストーリーよりも、浅ましい懊悩と相手を尊重する優しさに満ちたドタバタ劇のほうが、見てて楽しいから僕は好きだ。
 野生児のように自在におもえる三重さんが、めがねに付いた指紋を気にするのはそれを保持しているのが小村くんだから。
 頭が認識している現在地よりも半歩先に進み出している体の声が、メガネという最も一般的な装具が持ち主を離れたからこそ際立ってくるのは、めがねラブコメの真骨頂といったところか。
 三重さんにおいては透明度の高い”照れ”であるものが、小村くんだとどう考えてもネトツイた性欲混じりの濁流になってるギャップも確認できて、良いエピソードだったと思う。

 実像をぼやかして、それでも確かにつり合い繋がっている絶妙なバランスが、くっつきそうでくっつかない(から、もどかしく見てて楽しい)ラブコメを成り立たせているわけだなぁ。
 『めがねを忘れる』という出落ちなシチュエーションは、このバランス/アンバランスを可視化する装置としてとても優秀で、朗らかな笑いの足場にもなっている。
 『三重さんはめがねを忘れて良く見えず、自分の気持ちも三重さんの可愛さも良く見えてしまう小村くんだけが、ドギマギ空回りする』という基本構図のひねり方も良くて、めがねを付けた三重さんは眠る小村くんの顔をよく見て、自分の気持ちに少し接近する。
 その心の動きが、小村くんの体に触れるというフィジカルな手応えと同居している所が、とても良かった。
 心と体のバランス/アンバランスを精妙にとって、セックス(の前駆としてのキス)までの距離を適切に保ち続けることも、ラブコメを続けるために重要なレトリックであろう。
 恋する身体は不安定に揺れながら近づき、ふれあい、また離れ、行ったり着たりを繰り返しながら物語と恋の決着に、ジリジリと近づいていく。
 そのまどろっこしい歩みを噛みしめるのが、僕は結構好きなのだ。

 

 というわけで、作風とキャラが視聴者の心に定着してきた頃合いに相応しい、小気味いいショートショートでした。
 清潔な純情を真ん中に据えていた時にはぶっちゃけ悪目立ちしてた作画力が、暴走する妄想と身体性をようやく捕まえられる所までお話が転がってみると、垢じみた実在性の奥にあるピュアな思いを削り出す、いい武器になってくる。
 癖の強い表現がクールの物語の中でどう意味合いを変えて、見ているものと作品自体に居場所を見出すのかという意味でも、興味深い話数でした。
 やっぱ恋と愛と性の話には、フィジカルな手応えがあってくれたほうが嬉しいね。
 熱を帯びながら転がっていく二人の青春は、次回も続く。
 来週も、大変楽しみです。