イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! It's MyGO!!!!!:第10話『ずっと迷子』感想

 ロックンロールの爆弾が、何もかもを薙ぎ払って生まれた荒野で、私たちは進み出す。
 言葉をかわすよりも強い視線が、詩に絡まって音楽になり、五角形の閉じた夢を飛び越えて客席に届いていく。
 10話かけてようやくMyGO!!!!!が始まる、青春迷子達一つの到達点である。

 前回お互いのハラワタ引きずり出し合い、エゴまみれの身勝手をぶつけ合ってぶっ壊れたバンドを再生させたのは、音楽を信じている知らない誰かの優しい手であり、それに支えられて前に進むことにした少女の詩だった。
 ロックンロールのアニメなんだから、『こんな状況からバンドになれるわけねーだろ!』というズタボロから主役たちが繋がり直すのは、当然演奏になる。
 考えてみれば当たり前だし、そういう音楽の特別な力は幾度も描いてきたお話なんだけども、これまでの物語に込めたドラマや演出を最大限活かす、圧縮率の高い展開に背中を支えられて、圧巻の仕上がりとなった。
 普通の言葉が喉にもつれて飛び出なさい時でも、歪な形で湧き上がって世界に飛び出していく詩があり、燈はそれを捕まえられる特別な存在だ。

 ロックンロールの物語の主役に必要な、歌うべき理由と歌う資格を兼ね備えていると物語の中示すことで、MyGO!!!!!は最悪のどん底から這い上がり集って、MyGO!!!!!になっていく。

 祥子がそう信じて抱きしめてくれたから、愛音がもう一度その可能性に手を伸ばしてくれたから、そして今回初華が破りかけたノートを手渡してくれたから、自分ひとりで前に進んでいくことが出来る。
 それは優しく強く生きられない自分を、”人間”にしてくれる誰かを特別に見つめ待つ生き方から、自分自身が何かを変えていく特別さへと進み出す一歩目だ。
 優しく器用な人たちとの出会いがなければ燈は今回の歩みへ進み出せなかっただろうし、そういうギブスを徹底的に外したからこそ、燈は自分の足でようやく踏み出せるのだとも思う。
 幾度目か上手く行かず、不器用極まる自分をなんもかんも投げ出したくなる場所からなんとか進み出して、今度は自分ひとりで歌い出す。
 その試みがバンドとしてステージに上がる特別な誰かと、観客席で身勝手な叫びに心を震わせる顔のない誰かに届いて、欲しかったものに近づいていく。
 そういう体験を一人ではじめみんなで成し遂げることで、自分のことを好きになれない燈が得たものはとても大きいと思う。
 生きて、歌って、それでも良いのだという実感をようやく、抱きしめられるくらいには。

 

 それはかつて祥子が手渡してくれた喜びであり、しかしあの雨の日にバラバラに砕け散ってしまったものであり、だからこそ何もかもが終わりかけている今、燈が一人でつかみ取り直さないといけないものだ。
 ”みんな”であることがあまりに難しい燈が、それでも自分だけのやり方で仲間を集め、観客を魅了し、色んな人に助けられて、一人ではないのだと実感できる舞台へ進み出す。
 無意味だと投げ捨てようとして、色んな人が拾い上げてくれたノートに刻んだものは、引力を生んで燈を星の中に連れて行く。
 そういう体験が独りよがりな思い込みではなく、猛烈で不定形な迫力を伴って他人の心を押し流すからこそ、燈はロックをやる。
 やるしかないのだ。

 そして仲間たちもそんな燈の周囲に、集うしかない。
 それだけが本心なんだと思い込みたかったエゴや身勝手や虚飾や痛みを、投げ捨ててでも飛び込みたい光が確かにあって、そこでしか得られない何かがあって、一度それを味わってしまったら離れられないから、彼女たちはずっと迷子だ。
 今回は迷子でいいのだと、少女たちが自分と自分たちを肯定する回でもある。
 名前のない寄せ集めとして”春日影”を歌い、かつてあった夢の残骸を決定的に壊した時と同じ激情が、しかし別の所から別の音として湧き上がり、MyGO!!!!!の音楽が動き出す。
 それは偶然と運命、エゴと愛、外面と本性が入り混じった混沌そのものであって、つまりは人間だ。
 高松燈は、MyGO!!!!!のセンターボーカルであることで人間になる。
 そういう話だ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 その出発点は白けた夏に孤独で、あんだけの思いが本気で暴れ狂った後に相応しい、広さと美しさで描かれている。
 甘ったるいチョコミルクでひび割れを埋めようとした試みが失敗し、立希は苦いブラックコーヒーを飲んで少し大人になる。
 そよの取り澄ました人当たりを遠くに見ながら、睦はそれでもじっと彼女の今と未来を見つめていて、しかし近づくことは出来ない。
 誰も彼もがバラバラで、しかし痛みに耐えかねて真実物語の舞台から降りる決断が出来ないほど、何かに惹かれている。
 そういう青春の現在地をちゃんと描いておくことで、この後展開していく迷子達の足跡が、未来への道標になっていく様子もしっかり刻める。
 青く眩しい、いかにもな青春味の夏はジメジメウジウジな少女たちの色ではなく、物語はもっと暗くて、だからこそ深い所まで踏み込める場所を選んで進んでいく。
 『ここでは、この色合いではお話は決着しませんよ』と、最初に告げてくるのは凄くこのアニメ(あるいはコンテ演出を担当した梅津朋美)らしい。

 長いモノローグで内心を吐露する燈の眼前には、何もかもうまく出来ない自分への嫌気と、全身を引き裂くような徒労感を反射して、長い長い坂がそびえ立っている。
 ここを一人で登っていくのかと思えば、足を止めてしまっても無理もない孤独の中で、しかし燈の吐き出す言葉には確かな詩情が宿る。
 無骨に、率直に紡ぎ出される言葉の強さは、かつて祥子の涙を誘い、今初華に受け止められて燈の手に戻り、近い将来ステージの向こうにいる観客の心を震わせていく。
 詩人としての燈の資質を、一見絶望の中彷徨っているように思える出だしにしっかりと告げてくることで、後の覚醒と突破に説得力を出していくのは、精妙で的確な構成だと思う。
 ここらへんは羊宮さんの声と芝居と共犯することで、叫ぶ詩人としての唯一性がしっかり仮想のキャラクターに宿っていく部分で、ここに迫力と殺気があればこそ、MyGO!!!!!とその真中に立つ燈が耳目を集める説得力も生まれる。
 そんな詩の強さで勝負するにあたり、ポエトリーリーディングという表現を選んだのも適切だと思う。

 

 不器用で弱っちいダンゴムシが世界に食らいついていくための、唯一の武器。
 かつて祥子に手渡してもらったノートを、その祥子にすがられて新たな一歩を踏み出そうとしている初華が見届け、燈に返すのは面白い縁だ。
 無論『大事な人の大事な人だから』という理由もあろうが、初華自身sumimiとして音楽活動に勤しみ、詩や曲が成し遂げうるなにかを信じて、自分自身楽器を握る人間だというのが、この奇縁には大きいと思う。
 ステージで戦う同志への連帯というか、同じ偽物の星を眺めるものへの共感というか、偶然と言い切るにはもう少し太いものが初華と燈を繋いだからこそ、人生の奈落に落ちかけた燈の手を取り、延々下向きに落ち続けた物語が上向く契機を、初華が掴むのだと僕は思う。

 そうしたくなるような魅力が燈のノートにはあって、しかし燈自身はそれを信じきれていない。
 誰かが『これは凄いものだよ、世界を変えられるよ!』と信じ手を差し伸べてくれることでしか、燈は自分の才能を信じられないのだ。
 かつては祥子、彼女と別れてからは愛音に支えられ縋ってきた燈は、落ちれば這い上がってこれないヤバくて深い場所に落ちそうになる度、自分に手を差し伸べ抱きしめてくれる誰かと出会う。
 幸運であるし、そうさせるだけの魅力が確かに、高松燈にあるからだと思う。

 破かれ白紙だったノートに、燈が投げ捨てようとした己を添えて初華が手渡したものは、そんな風に誰かに甘え求め、手を引っ張られて進んできた燈の足取りを、もう一度動かさせる。
 初華はCRYCHICでもMyGO!!!!!でもないので、この一瞬を過ぎ去ってなお燈の側に履いてくれない。
 一瞬だけ決定的に彼女の手を取って、後は燈自身が進んでいくしかないのだ。
 しかしそうして落ちかけて手を差し伸べてもらえた事、ここから先一人で進んでいく強さが自分にあることを示してもらえば、燈は一人で始めることがもう出来る。
 一人でも始めなければ、バラバラに砕かれた夢をもう一度取り戻すことは、もう出来ないのだ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 というわけで、燈はガッシュガッシュとノートに言葉を綴り、大暴投気味に一人ライブをねじ込んで、自分の足で荒野に進み出していく。
 このアニメはバンドとロックと音楽の話なので、ライブを始めることで全てが動き出すのだ。
 『こんなの、どう考えてもまとまるわけねーだろ!』という所まで、心の奥底を暴き人間関係をずたずたに引き裂いてもつれさせてきたお話を、唯一解決しうる特権をメインテーマに委ねたのは、とても好きな作りである。
 高松燈はロックをやるしかないし、そうすることで奇跡は近づいてくる。
 そういう特別な力が、このアニメがメインテーマに選んだものにはあるのだ。

 ステージに立ちライブをやる、己の奥底から湧き上がってくるモノを押し留めておけない本性が燈にはあり、初華に助けられた彼女はもはや、そんな自分の中の獣から目をそらさない。
 見栄だの外面だの、気にせず突っ走ってしまうその野生は、人間に上手く混じって生きていくにはあまりに野放図で、しかし圧倒的に嘘なく本物だからこそ、動き出したら何かを絡め取って動かしていく。
 燈は一回目、愛音の傷つき閉ざされた心に上手く近づけない。
 愛音が初めてであった時、テキトーに気軽に自分の心に触れてくれたような、器用で軽妙な生き方ができない。
 それは鏡写し逆様に照らせば、ぐじゃぐじゃ乱れた心に縛られてステージにもう一度立つなんて、考えられない愛音の足踏みを、追い抜かしていく疾走でもある。
 愛音に燈の詩は書けないし、燈は愛音に程よい間合いを取れない。
 少なくとも、まだバンドになれていないこの段階では。

 

 思うまま野放図に、やりたいことに向かって突っ走っていく野生はむしろ楽奈の領分で、音楽に魂を震わせる在り方が一番最初に共鳴するのが彼女なのは、納得が濃い。
 とにもかくにも心の赴くまま、まっすぐに突っ走るしか自分にはないのだと開き直れた燈の無茶苦茶な願いも、バレバレつまみ食いをごまかす自由人楽奈も、鷹揚に受け止めているRiNGのスタッフさんに助けられて、少女たちはもう一度ステージに上っていく。
 夏の強く綺麗な日差しは迷子達の問題を解決しないが、暗い闇の中ステージに上ったときだけ灯るスポットライトは、確かに彼女たちの顔を鮮明にしていく。
 歌うことだけが、何も見えない暗がりで自分がどんな顔をしているのか、目の前に誰がいるのかを教えていく。
 そういう季節に立つ特別な主役たちを、濃く熱く描くだけでなく、彼女たちがそういう光に進み出せるキッカケを、それぞれの物語を別の場所で背負う誰かが手渡している描写がさりげなく多いのが、今回好きな部分だ。
 詩の意味を教え直してくれた初華にしても、ステージへの道を整えてくれるスタッフさんにしても、そよの存在を思い出させる睦にしても、一瞬だけ燈に触れ合う誰かがいてくれればこそ、運命は名前のないバンドがMyGO!!!!!になっていく方に転がっていく。
 そういう風に、主役以外の存在価値を結構重く取った視線があるのは、とても良いことだと思う。

 お菓子つまみ食いよりオモシレーことに引き寄せられて、楽奈は燈の隣に立ってギターを弾く。
 そこには優しさも心遣いもない。
 ただただ、それが面白いから至近距離で味わいたいという、動物めいた衝動だけがある。
 その時別に、ステージの真ん中じゃなくてもいいというエゴの薄さが楽奈ちゃんの可愛げであり、余計な見栄や承認を投げ捨てて音楽とバンドだけやりたいという、純粋な気持ちを証明もしている。
 あんだけ身勝手な振る舞いで暴れながら、楽奈ちゃんは目立ちたいわけでも拍手してほしいわけでもなく、ロックンロールの本質が暴れ狂う瞬間を間近に感じれ、その一部になりたいだけなのだ。
 余計なことに迷わず、自分に出来る表現に一心不乱になった燈の嘘のなさは、そんな気持ちをまっさきに引き寄せる。
 そんな衝動が、詩の朗読に爪弾きを添えて、最小編成の音楽を生み出していく。

 そして絆創膏の奥、便利に使われ投げ捨てられた痛みに足踏みしている愛音は、そんな風に純粋にはなれない。
 見栄のためにテキトーに初めて、こんな重たく痛いもんが奥に潜んでいるとは思わぬまま無自覚に取った手が、引きちぎられて痛む。
 そのまま撤退してAnonymousな自分を受け入れてしまえばいいのに、己の才覚を再動させてチヤホヤされてる燈を睨みながら、羨望以外の気持ちが確かに疼いている。
 余計なものを投げ捨てて、真実求めるものに飛び込み、それを共鳴させて私たちになる。
 その瞬間をあの水族館で、あるいは”春日影”を奏じながら感じたからからこそ、愛音は燈を遠くで見ながら近づけない。
 もう一度、燃えられるのか。
 燈と楽奈が疑問にも思わず、とにかくやってしまえている場所に踏み込むための馬力が、どうやったって千早愛音には足りていないのだ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 ピンクの軽薄な外装よりも、複雑怪奇で繊細な愛音の内側に踏み込むのはもう少し先として、まずは楽奈が立希の張り巡らせた障壁に回り込んで、扉の向こう側へと誘っていく。
 姉への劣等感とか、燈への執着とか、自己防衛のための凶暴さとか、自由なようでいてメチャクチャ不自由な生き方を椎名立希がしちゃってる描写は多いので、カウンター扉、二重の障壁に封じられて身動き取れなくなってる様子も、それを野良猫がひょいと乗り越え手を引く様子も、なかなか痛快だ。
 今回は今まで溜め込んだゴチャゴチャを一気に爆破していく、スピードと圧縮の効いたエピソードなんだけども、微かな引用や再演で物語の密度を上げて、語らずとも感じさせる演出を最高速度でぶん回しているやり方が、見事に生きている。
 ここらへんはここまでのお話を、精妙な意味論的体型で編んできた成果だと思う。

 楽奈ちゃんは個人的な事情や心情をほぼ掘り下げられず、良く分からないまま勝手気ままにかき回す野良猫として、物語に存在している。
 この浮遊した特別さが、グジャグジャ言葉を費やして必要な答えへとキャラを導く手間を省略し、『楽奈ちゃんがやんならしょうがねぇな……』みたいな圧縮率を可能にしてもいる。
 ジョーカーは何者でもないからこそ鬼札として機能するわけで、長い時間かけてバンド仲間の心情と関係を引き裂き絡ませ、厄介な複雑さを積み上げてきたお話が再生のカタルシスに突っ走る今回、そういう特性を活かして話し転がしてきたのは、凄く良いと思う。
 ドミノを倒すように、限界まで追い込まれていたはずの状況が出会いによって好転し、一人では成し遂げ得なかったことが可能になっていく。
 それはこのお話がソロアーティストの物語ではなく、ガールズバンドのお話だから選ばれた展開なのだと思う。

 

 楽奈ちゃんは野良猫なので、ここで立希ちゃんの頑なさをスルッと乗り越えてその手を取ったのがなんでなのかは、さっぱり分かんない。
 ゴミクズ人間どものエゴを一身に引き受け、空回りしつつも必死に何かを成し遂げようと頑張ってる立希は、普通の話なら苦労人ポジションに納まる器なんだけども、常時キレ続ける結果そういう甘さがない。
 色々やって苦労もしてるけど、お前もお前で問題山積み。
 つまりは色々やって苦労してくれてる立希ちゃんに、野良猫なり懐いてるからこの時問答無用に懐に入って、『オメーがドラムやれよ。オモシレーぞ』と言ったのだと、僕としては思いたい。
 実際、曲りなりともバンドやってた頃この野良猫の面倒一番見てたの、間違いなく立希ちゃんだからな……。

 ここまで示されていたように、立希は燈を特別に思うと同時に、音楽をやること自体に惹かれていた。
 ドラムを叩き自分らしさをステージの上から届けることで、なりたかった誰かに近づける喜びがあったればこそ、バンドという形に拘りすぎて空回りもし、海鈴ちゃんの純情を便利に使ってしまった。
 しかし『叩いて楽しかった』という、メチャクチャシンプルな正解は立希にこそ間違いなく色濃く、その喜びは衝動主義者である燈や楽奈と、彼女を繋ぐ大事な橋だ。
 喋るよりも簡単で濃厚なコミュニケーションを、不器用で規格外な彼女たちは選ぶしかないから、楽器を握ってバンドになる。
 そういう圧縮された交流を可能にする特別な場所として、ステージをしっかり書いていく回でもあるのは、バンドのアニメとして大事だし素敵なことだ。
 余計なものに囚われて最悪やっちゃった立希は、野良猫に引っ張り出されたステージで、一番自分らしい自分と出会い直していく。
 それは気持ちのいいことだ。

 この闇の中の再生を、CRYCHIC残党で唯一しっかり見届けているのが睦なのは、とても面白い。
 『バンド、面白くねーし……』でCRYCHICのとどめを刺した彼女が、何を思ってそよの背中を、今新たに脈を打ち直している燈たちの音楽を見ているかは、彼女自身語らないし物語も踏み込まないので、良く分からない。
 しかし何かがあるからこそ睦は闇の中に立っているはずで、それが残りの話数では示されないとしても、彼女自身のバンドでうまく言葉になったら良いな、と思う。
 他人には分かりにくい形でも、伝わらない難しさがあるとしても、人間が人間である以上魂の震えと秘められた詩が心に宿っているってのは燈主役で既に描いているわけで、そういう不器用を共鳴させてる睦がいつか、自分だけの詩を伝えたい人に伝えられると、凄く良いなと思うのだ。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 立希の固有領域といっていい屋上に初めて燈は上がり込み、今までお互いの顔をしっかり見れていなかった事実を、共弾きの熱を夜風に溶かしながら伝えあう。
 今回のお話は、不器用な自分を変えてくれる誰かをずっと待っていた(そして実際出会ってきた)燈が自分の足で動き出すエピソードなので、立希の方に回り込んで顔を見るのは燈の仕事になる。
 この歩み寄りは愛音と向き合うときにも描かれていて、一回目ライブを始める前、ただ前に立っただけの場面では描かれなかったものだ。
 自分を人間にしてくれる特別な出会いを突っ立って待つのではなく、上手くいくかわからない場所に己を投げ込むことで、かつて崩壊するのを見ているだけだった燈のバンドは、彼女を中心に再生していく。
 そうするだけの引力が自分にあることを、他人を狂わせるに足りる存在の質量を、ようやく主人公が自覚し、それに支えられて進みだす回……とも言えるだろう。

 立希にとってもこの挫折と再生は大事で、さんざん身勝手に暴れて間違えてみたからこそ、自分が本当は何を求めどう進むべきなのか、考え直せたのは大きい。
 そよがぶっ刺したとおり、燈だけに視界が狭まり、その当人すら置いてけぼりにバンドの形だけ保てば望みが叶うのだと、色んな人を足蹴にしてしまった自分に、立希ちゃんは結構驚き傷ついている。
 狂犬めいた荒々しさで自分を守りつつ、その牙で誰かどう傷ついているのか、結構見えてしまう人なんだと思う。
 だから燈が始め楽奈が手を引いて立ったステージで、自分がロックをやるとどんな気持ちになるのかを確かめ直して、姿勢を正して自分と燈を見つめ直せもする。
 結局自分が気持ちよくてバンドになろうとして、でもその真中に燈がいてほしかったのも事実で、そのためにできそうな事をどうにか、不器用に探り当てたい。
 そういう新たなスタートラインが近づいてくるのを、燈はもう待たない。
 自分の足で近づいていく。

 そういう変化を観客席で聞き取ったからか、ライダーバトル始まりそうなオーラまといつつ睦が高い場所に現れて、謎めいた一言だけをつぶやき去っていく。
 立希にとっては『はぁ?』なそれが、天性を目覚めさせた燈にとっては光明であり、彼女が求める私たちをもう一度繋ぐためにやらなければならないことを、眩しく照らしていく。
 闇が濃いからこそ光が際立つ、グリザイユ画法で青春を切り取っているこのアニメにおいて、真夏の自然光はあくまで後景にしかなく、何かが動く特別は大概、夜闇やライブハウスの暗がりに潜んでいる。
 じっと口をつぐんで、しかし何かを求めて睨みつけている睦が、三人が闇の中から這い出してスポットライトを浴びるステージを見届けて、友達に受け取ってほしかったもの。
 それが何かは、全くわからない。
 でも僕は睦が好きになってしまっているので、それが何かを知りたいと思うし、わからないなりに何かを感じ取った燈に、睦の祈りを引き継いで欲しいと願ってもしまう。
 MyGO!!!!!にはならない睦が、鉛直方向にねじれ交わらないながら、確かに視線と言葉を交わせるポジションに立っている事含め、複雑で濃厚な場面だった。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 睦曰く”分からなくなってる”そよをもう一度闇の中の光に引っ張り出すために、絶対必要なピースとして……なによりも、不器用な自分の手を取ってくれた大事な友達として、燈は一度は拒絶された愛音の眼の前に立ち、大きな声で愛を叫ぶ。
 外面を気にかける愛音には絶対に出来ない、魂のど真ん中から湧き上がる思いを告げる時、燈と愛音の顔は大きく歪んでいる。
 3Dセルルックは整いすぎたお人形感が弱点だと個人的に思っているが、こんだけ崩して人間が本気になる瞬間を切り取れている、サンジゲンの表現力は流石だなと思いつつ、燈がむき出しの思いをようやく吐き出す様子と、それに愛音が気圧される場面を受け取る。
 燈は愛音の傷にだけ寄り添っているわけではなく、彼女が軽率に差し伸べた約束に本気を返せと、本気だと受け取った自分に報いろと、結構身勝手なことを言っている。
 それが良いんだと思う。
 そういう動物みたいに根源的な願いを叩きつけられる、神様なんかじゃない自分と誰かをようやく見れるようになったから、燈は大きな声で吠えるのだ。

 第4話においては愛音が逃げて追いかけられ、第5話においては立希を愛音が追いかけた追いかけっこの距離感が、今度は運動苦手な(だから第5話では愛音に追い立ててもらった)燈が必死に追いかける形で再演される。
 逃げるな・逃げてないの応酬にほほえましい懐かしさをおぼえ、そう思えるくらい場の空気が和らいできている事実を、曇天の中感じ取る。
 冒頭描かれていた、爽やか極まる晴天の下ではなくて、どんより薄暗い曇り空に追い込んでから魂の対話が始まるのは、まーMyGO!!!!!っぽい書き方よね。

 利用され使い捨てされた痛みと、見栄張って使い倒そうとした嘘っぱちをお互いに暴いていく中で、燈は愛音の方へとにじり寄り、歩みを止めない。
 やはり初華に階段から堕ちかけたところを救われ(第3話、祥子との出会いの再演!)ノートに刻んだ叫びが本物だと背中を押してもらって以来、燈は奇跡を待つのを止めて目の前の人間に、自分の望みに、獣の素足で歩み寄る生き方へ変化している。
 その積極性は愛音が無自覚にぶん回し、燈の手を取って救っちゃった美質の反射でもあって、色んな人に助けられ『そうはなれないけど、こういう人になりたいなぁ……』と見つめ続けてきた燈だからこそ、掴み取った影響だと思う。

 そしてAnonymousでありながら何者かになりたいと、願ったから見えでバンド始めようとした仮面を、一度引っ剥がしてあの水族館本音を燈に預けた愛音も、『燈ちゃんみたいになりたいなぁ……』と、心のどこか願った。
 だからここでジリジリ壁際に追い詰められながら、それでも逃げずに燈に対峙し、天を仰いで『燈ちゃんのせいだよ……』と呟く。
 ”春日影”の熱狂に身を浸して、もう一度進み出せば二度と戻れないと分かっていたから二の足を踏んでいた場所へ、そよの手ひっつかんで戻っていく覚悟を、燈の情熱と愛情に根負けする形で戻っていく。
 立希を伝書鳩にして、そよから投げつけられた道具扱いを、これ以上燈が自分の中に踏み込ませないための防壁として露悪に、必死に叩きつける最後のあがきは、燈の歩みを止めてくれない。
 こうして新たに一人で進み出す以前から、二人は嘘っぱちな軽薄から始まった繋がりの中で、本当のことを交わらせてきた。
 上手く行かない人生を必死にもがいて、迷ってためらってそれでも何かを欲しがっている姿は、鏡写しに良く似ていたから、貴方と一緒に進んでいきたい。
 代返可能なAnonymousではなく、身勝手も弱さもなんもかんもさらけ出した一匹の千早愛音を求める声を、少女はもう跳ね除けられないのだ。
 そういう迫力と引力を元々燈は持っていたし、歌うこと、それを通じてもう一度”みんな”になることを迷わなくなった結果、そういう資質を覚醒させてきてもいる。
 その最終的な結実と炸裂は、やっぱりステージの上になる。
 このアニメは、ロックンロールのアニメだからだ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 女女薩埵峠の崖っぷちまで自分を追い詰めた燈の”本気”をその身に宿し、逃げるそよに食らいつく愛音には、ダチが自分の目まっすぐに見て託してきたものを裏切れない覚悟が、総身に宿っている。
 『こんな風になりたいなぁ……』と心のどこかで思いつつ、そうはなれない自分に安住していしまうズルさを掘り下げていた物語が、身近な憧れでもって”らしさ”の壁を超えていく瞬間を連ねていくのは、カタルシスが濃くて良い。
 初めてあったときの紅茶の味を、苦くはなく思い出す愛音にとってそよは『こんな風になりたいなぁ……』であり、裏切られてなおその憧れは消えていない。
 まだ好きだからこそ追いすがり、伏せられていた豪奢と虚しさの内側を自分の目で確かめて、愛音はそよの真ん中へと切り込んでいく。
 ここで私的領域を開陳し、心の内側に他人を上がり込ませる意味をこのお話は幾度か書いてきたし、祥子との間にそういう距離感を作れなかったから、そよは公園で修羅場を演じることにもなった。
 それはAnonymousでいることに耐えられず、そよがまとう華やかな外形にすがった愛音が、見上げていた大きなお城がどんだけ寂しい場所なのか、そこでそよがどう育ったかを、肌で感じる瞬間でもあるのだろう。

 そよが愛音と絶縁していると勝手に思い込んだのは、祥子がぶん回した真実があまりに痛くたたえきれず、連鎖反応的に吐き出した本音が何もかも壊してしまったと、勝手に思い込んだからだ。
 しかし千早愛音は長崎そよが思っているほど貧弱ではなく、というかそういう愛音を信じた燈に思い出せられて、図太いタフさで欲しいものの前に立ち直す。
 愛音は人間関係の周辺視野が広い人間なので、自分が何を求めて動いていたか、目の前の女と何を交わしあったかを、一瞬で理解してかつて傷ついた。
 しかしそれがお互い様の身勝手な醜さで、それでもなお目の前の人間が結構好きであると紅茶の味と一緒に飲み下してみると、痛い痛いと絆創膏撫でている場合じゃない事実も、愛音には良く見えてしまう。

 むしろ完璧ではないほころびにこそ、自分と同じ人間の愛しさを感じ取って、愛音はそよを挑発する。
 これは自分たちが始めたバンドで、だからケリは自分たちでつけなければならないのだと、屋上で燈に追い込まれた時思い知ったことを反射させる。
 愛音の心を決定的に傷つけたのが、立希が伝書鳩になってそよの本音に殴りつけられたことであることを思うと、燈が愛音に受け渡した炎がそよに延焼し、ロックンロールが炸裂する現場へと繋がっているのは、面白い反転である。
 当人がいない所で決定的な爆弾が炸裂することもあれば、その荒野から立ち上がったものが受け渡されて、ドミノめいた連鎖が運命を引き寄せることもあるのだ。

 『私が終わらせる』
 言っちゃったなぁ長崎そよ……もう、嵐のど真ん中に立つしかねぇのよ。
 この結末だけ雨の中叩きつけてCRYCHICぶっ壊し、残骸の後始末から逃げてる祥子の後追いしているようで、運命が再燃してしまう現場にノコノコ顔出して渦に飲まれていくあたり、黒幕ぶってきた長崎そよの器の小ささ、可愛い人間味が見える発言でもある。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 衝動を目覚めさせたロックンロールの獣は、長崎そよが観客席に留まることをゆるさない。
 目を見開き、自分の足で観客席まで降りてその手を引くのは、祥子の心を砕いた”春日影”に夢中になって、観客席の彼女が見えなかった至らなさを、心のどこかで悔やんでいるからか。
 幾度も間違え、傷ついて迷ってたどり着いたこのステージには、いてくれなきゃ困る人がいる。
 だから燈は夜の屋上で立希に、曇天の下で愛音に、自分から歩み寄ってその手を取り、目を真っ直ぐ見て自分の側へと引き寄せてきた。
 立ったまま奇跡を待っている生き方を、燈はもう止めることにしたのだ。

 この本気をナメてかかってたから『私が終わらせる』とか出てくるわけだが、なんもかんも諦めたフリでお友達ごっこに癒やされようとしてた弱虫が、青春の猛獣に噛みつかれて抵抗できるはずもないよね~~~~。
 あんだけ大見得切って、あっという間に処刑場に引っ立てられ、”春日影”のときと同じく『ふざけんなファック!』と叛逆も出来ないあたり、青春怪人の正体見たり! って感じではある。
 しかし祥子が頑なな強さを必死に演じきり、内情を知らせないままCRYCHICをぶっ壊し得たのに対して、完璧でも完全でもないそよが悪役演じきれないまま、何かが動き出す予感に突き動かされてステージに上ってしまうのは、良いことかもなと思ったりもする。
 祥子は燈の神様になれるくらいに完璧で、しかし人間である以上当然完璧などではなく、その軋みがあの”春日影”で決定的に崩れて、初華に縋って新たに動き出した。
 それは強いからこその孤高な無理で、CRYCHIC全員そうだったように祥子に憧れていただろうそよが、柔らかくて弱い部分頑張って隠して他人を道具にしてる時、視界の隅で追いかけていた影でもあろう。
 それを、今日殺す。
 あまりに眩しいからずっと消えなかった、本当の私で、私たちで要られたCRYCHICの残影を、迸る音楽の中で塗り直していく。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 黎明を告げるように、燈がマイクを握り訥々と詩を語りだした時、闇の中オレンジ色の光が一つ加わる。
 闇の中に光が灯る瞬間は、ギスギスネバネバ感情を絡み合わせてきた少女たちがしかし、確かによりよい未来へ進み出す予兆として、ここまでの物語でも幾度も切り取られてきた。
 それは常に音楽とともにあり、詩が流れ出す瞬間にこそ光が訪れ運命が動いていくのは、第1話愛音と燈が初めて心を繋げた、カラオケ屋のシーンでも同じである。
 そういう演出を再演・回収し続けることで、総決算としてのライブシーンを成立させている、とてもテクニカルな回でもある。
 (この『闇の中の光、動き出す本当の音』の対置として、華やかな芸能界に身を置きつつどこか満たされていないsumimiの在り方が、広告越しに幾度も切り取られているのは面白い表現だろう)

 流され乗せられる形でステージに上ったそよが、ようやく五人になったMyGO!!!!!の仲間が、演奏する中で何を感じて何に揺れ動いているか、視線を送るのはやっぱり愛音である。
 軽薄な見栄坊であるのは間違いないけど、それと同じくらい彼女が周囲を気遣い、逃げていく人の背中を追いかけていたのもまた事実であり、そういう美質はこの運命の真ん中においても、あるいはそういう場所だからこそ、眩しく輝く。
 皆が泣いている。
 心の奥底をさらけ出し音に乗せ、それを聞いて己の演奏を加熱させながら、言葉で伝わるよりも重たく強いものに、心を叩かれている。
 既にわだかまりを爆破した立希や愛音の涙が描かれる中で、最後のサスペンスとしてそよの涙が長い前髪に隠蔽され、楽曲が熱を上げていく中満を持してその涙滴を暴かれるのが、グッと胸に迫って大変良かった。

 二度目の”春日影”では客席に愛する人の涙を見つけて、どうしても一体にはなれなかったバンドとしての演奏。
 『終わらせる』と意気込んで足を進めたはずの場所で、燈に手を引かれて上がってしまったステージで、頑なな心を貫いて確かに震える、私たちの音。
 私たちの熱。
 それに感動できる心があったから、CRYCHICは長崎そよを捉えて話さず、そんな思い出に癒着した”春日影”では切開できなかった患部を、MyGO!!!!!として新たに生み出した私たちだけの曲が切り裂いていく。
 その切断面から溢れ出す飛沫は、心の全部を宿して、なによりも熱い。
 ロックンロールの温度だ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第10話より引用

 第9話冒頭で開示されたように、家庭ですら求められる役割を演じ、共同体を円滑にまとめ上げるために何かを演じてきたそよにとって、自分の醜さと虚しさ全部をさらけ出してなお、手を引いて光の中共に思いを燃やしてくれる仲間は、あまりに眩しい。
 だからこそ加熱していく演奏の中思い返すのは、初めてそんな喜びをくれたCRYCHICであり、しかし目の前で一緒に泣きじゃくる”今”の私たちに、そよはもう目を塞がない。
 思い返す日々はそれぞれに異なり、しかし同じ何かを必死に追い求めて重なる音は、MyGO!!!!!だけの新しい音楽になっていく。
 ここで楽奈ちゃんが回想も号泣もまーったくせず、ただただロックンロールのど真ん中に立ってる歓喜を満面に浮かべているのが、大変に良い。
 そういう思いでギターを引くやつだっているし、いていい。
 それがロックであり、バンドであり、ライブってことだろう。

 散々他人を便利に使い、振り回してきたそよは、悪い意味で大人びていた。
 そんな彼女が心の防壁を崩され、流れていく音楽と詩に自分の思いを混ぜ合わせる時、赤子の顔で泣きじゃくっているのは当然のことだ。
 今この演奏の中で、長崎そよはようやく生まれ直すのであり、何の計算もない三昧境で奏でるベースは、迷子であっていい新たな彼女の産声なのだ。
 そういう、人間が生きて息をするためには絶対必要な絶叫へと友達を導き得た仲間たちは偉いし、そんな連中がもう一度集って、バンドになれる特別な一瞬を掴み得た燈は、とても偉い。
 そんな燈が三度目落ちかけた時、手を差し伸べノートを返してくれた初華も、一人のライブをするっと受け入れてくれた凛々子さんも、そよもまた迷子なのだと一言教えに来た睦も、バンドの形だけ整えても未練千々に乱れるなら魂なんか宿らないと教えた海鈴ちゃんも、みんな偉い。

 

 みんなそれぞれ勝手に自分の人生を生きて、それぞれの音楽を奏でて、それが重なって一つになることも、バラバラに重なり合わさらないことも、一部一瞬交錯してなにかが変わっていくことも、人生にはある。
 他人を便利に使う身勝手も、本当に欲しいものを隠して嘘をつく弱さも、まばゆく強いものから思わず逃げ出してしまう臆病も、輝石を待ちわびて誰かの手を求めるズルさも。
 決意や熱量や優しさや、純粋さや嬉しさや愛しさと裏腹に結びついていて、時に軋んで傷つき、時に強く共鳴して熱を帯びながら、得体のしれない何処かへと転がっていく。
 10話。
 そういう青春の身じろぎを追いかけ続けてきた物語が、様々な出会いと相互作用を通じてどういう星座をステージに刻んだのか、しっかりと見せるエピソードでした。
 とても良かったです。
 残り話数何を描き切るのか、僕は大変に楽しみです。
 やっぱ俺、このアニメ好きだわ。

 

 

・追記 この視点で見ると、教室で愛音へのLOVEを脇目も振らず絶叫し得た激情一直線っぷりは、ステージに繋がる大事な前フリだったんだろうなぁ。