イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! It's MyGO!!!!!:第12話『It’s my go!!!!!』感想

 迷いに迷ってたどり着いたこの場所で、眩しさに包まれながら新たに進み出す。
 遂に名前を得た迷子たちの物語、圧巻のライブを通じて彼女たちの現在地を指し示しつつ、新たな嵐の予感を描くMyGO!!!!! アニメ第12話である。
 第3話、第7話、第10話、そして今回と、気合の入ったライブシーンを通じて言葉で語るよりも分厚く、『今燈たちが何処にいるのか』を描いてきたこのアニメ。
 ライブに至るまでの道のりを丁寧に追いかけた前回と合わせて、エモーションに押し流されて五角形に自閉するのではなく、表現者としてより開けた場所へ、少し落ち着いて進み出せている五人を心地よくスケッチしてきた。
 曲数も多く、ドタバタ噛み合わないまま始まっても動き出せばバンドに、ライブになっていけるある種の安定感を宿した舞台は、ここに至るまで本当にいろんなことがあった五人が、そう悪くない場所に立っているのだとしっかり教えてくれる。
 無論まだまだ問題山積、個性も思惑も人間的成長もバラバラな連中ではあるが、これまで物語がそう進んできたように、必ずしもたった一つの正解をエモく共有し、矛盾なく一つになる統一性の快楽に染まりきらずとも、音楽は続く。
 答えのないまま、一つになれないまま、道が見えないまま迷い続ける自分たちを、バンドメンバーもそれを望む観客も肯定した結果としての、MyGO!!!!!という名付け。
 1クールアニメを充実した気持ちで見届ける上で、絶対必要な決着点としてとても良かったと思う。

 同時にこのアニメがアプリへの導線という側面を持ち、終わらない物語を始めるためのアニメでもあった以上、問題は完璧に解決しきってはいけない。
 そんなお商売の都合が、『コイツらこういう奴だしな……』という納得とともに、魅力的な未完成を楽しみながら飲み干せるところに、このアニメの強さ(の一つ)があるのだろう。
 第10話ほど激烈なエモーションを宿さず、だからこそあの時果たせなかった社会的存在としてのバンドの責務、客の方を向いてより広く歌う可能性が……そうすることで目の前に立ち上がる歓喜を、高揚しつつも落ち着いて受け止めれる姿勢。
 MyGO!!!!!が再度励起させるバンドリコンテンツの、短くはない歴史が生み出す分厚い感慨を補助装置に据えて、少女たちの現在地をしっかり描いて、終わりつつも次に繋げる。
 謎めいた楽奈がその魅力的なミステリを未だ残したまま、彼女が手に入れた居場所を祖母に見届けてもらう眩しさを一つの卒業証書として、MyGO!!!!!アニメは一つの落着へと落ち着いていく。

 そしてそんな決着を横合いから蹴り飛ばす形で、祥子は金と数字にどす黒く汚れた有様を顕にして、Ave Mujica結成へひた走る。
 第3話、燈の限定された一人称で見据えた救済の女神の面影はもはやなく、何かがねじ切れて歪んだ結果、見たくもなかった生臭さでもって、新たなバンドが動き出す。
 睦が差し出し拒絶された、謎めいた胡瓜の暗号含めて解かれるべき謎、伝わるべき思いは未解決和音として残り、居心地の悪さとそれ以上の期待感を、物語に強く宿していく。
 Ave Mujicaの物語を終わらせる……というより的確に始めさせるには、残り話数はあまりに短いが、しかしコンテンツ全体が持っている物語の伸び代を思えば、むしろ最適解といえる牽引の仕方なのだろう。
 残り一話、不穏なタイトルが既に燃えているこの物語がどう終わって、どう続いていくか。
 最後まで淡麗な熱量がしっかり宿っていて、見るものを飽きさせないアニメである。
 はー……俺、復帰すんのかなぁガルパ……。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第12話より引用

 第7話でも印象的だった、ドキュメンタリーめいたカメラワークは今回も健在で、本番ギリギリに曲を仕上げ、なにもかにもが噛み合わないバンドの現在地を、生々しく伝えてくる。
 バンドの中心であっても人間関係の中心になり得ない燈の引力の弱さと、そこら変面倒見る立場に追い込まれつつ、苛立ちを隠せない人格が共同体の接着剤を引っ剥がす立希の立ち回りが、『コイツらマジ……』感凄い。
 愛音は誰かに”完了”を告げてほしくてワーワー聞きまわり、そよは人当たりのいい外面バンドではまとわないと決めたので我関せずに冷たく、楽奈は相変わらずの野良猫っぷり。
 それでも出番は近づき、夢見た”ちゃんとしたライブ”は遥か彼方に遠く……しかし、彼女たちは舞台へと進んでいく。
 何もかもが理想的に整ってはいないけど、手持ちの材料をなんとか組み合わせて楽曲を形にし、個性として魂に刻まれた凹みに誰かの出っ張りを噛み合わせて、前へ前へと迷いながら歩いていく。
 言葉にも態度にも現れにくいけど、野良猫なりにお世話してくれる立希になつき甘えている様子をスケッチしつつ、不安と緊張に満ちたライブが始まる。

 

 音楽が鳴り出せばそこは演者と観客のものだけども、その狭間で一瞬、懐かしい連中が顔を出して微笑んでくれるのが嬉しかった。
 バンドリの顔として”キラキラドキドキなガールズバンドストーリー”を体現してきた香澄から、燈へマイクが手渡される行為には、スタッフからボーカルへ機材が渡された以上の意味と感慨が、多分ある。
 ようやくバンドの名前を手に入れ、観客の顔を見たまとまりあるライブを板に乗せる燈がこれから進んでいく場所を、彼女は既に走り抜けてきた。
 香澄がその身をキャンバスにして描き、『It's BanG Dream!』と描かれてきた、実は世間に思われているより傷だらけで湿った……結構MyGO!!!!!的な物語の、その先。
 そこに燈はバンドの真ん中として進みださなければいけないし、進んでいくだけの資格はここまでの物語で、これから演じるステージで、しっかりと示している。
 何もかも未熟で不鮮明で、バラバラに噛み合わないけども、しかし確かに前に進んでいる。
 その様子を観測するための窓として、四回のステージとその変化はとても大きな役割を果たし、充実感と納得をアニメ見続けてきた僕らに教えてくれる。

 そこは他のメンバーに負けず劣らず、生きづらく居場所がない孫娘がようやく見つけた居場所でもあって、MyGO!!!!! がどこまで来たのか、彼女たちの物語が何を生み出し得たのか確認する審査員として、オーナーが出てくるのはとても良い。
 バンドリアニメ第一期においては、ロックンロールの厳しい(そして優しい)門番であった彼女はSpaceという居場所を終わらせ、ただただ要楽奈の祖母として孫娘が行き着いた場所を、『やりきる』ことを信条としてきた自分が託したギターが何を奏でるかを、見守り見届けに来た。
 それは懐かしいと同時にとても新しい表情で、当たり前に家族がいてそれを愛している老婦人の顔が、都築詩船にもあるのだと教えてくれる。
 考えてみりゃ当然なんだが、ロックンロールが小山茉美の声帯を備えて両足で立ってる人に、そういう人間の体温があるってあんま考えてこなくて、アニメ放送から六年、巡り巡って出会い直した感じがある。
 この発見/再開は彼女がSpaceのオーナーではなくなったからこそ生まれるもので、何かを終わらせて初めて描けるものが確かにあるのだと、ライブハウスの隅っこから今、MyGO!!!!!が叫ぶ歌を支えているようにも思えた。
 楽奈ちゃんはとにかく内面が解らねぇ野良猫ちゃんなので、成長やら本音やらが描きにくいキャラだと思うのだけど、ここでお祖母ちゃんを補助線に置くことで決着に必要な到達感、納得感を生み出せるのは、まー上手いよね。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第12話より引用

 というわけで緊張と不安を残したまま動き出す一曲目は、しかしライブ特有の熱とノリに支えられる形で楽曲の形をなし、観客を熱狂させるに足りる強さで動き出す。
 MyGO!!!!!という新進気鋭の青春パンクバンドが、バンドの形になるまでをプライベート含め見届け、現場現場で顔を変える面白さを画面越し感じさせるようライブ表現が仕上がっているのは、このアニメのとても強い武器だ。
 今目の前で、失敗や緊張やアクシデント含めて生成されていく、MyGO!!!!!という物語……MyGO!!!!!の演奏。
 その目撃者/共犯者となれるように、仮想でしかない”その場の空気”を感じ取り、一つ一つの目配せや呼吸に込められた暗号を読み解きたくなる、身体性に富んだステージを編めていることが、物語への没入度も高めている。

 観客席で光る棒振ってる観客と異なり、僕らはMyGO!!!!!のプライベートまで窃視出来る特権的立場にいるから、最初っからライブを楽しみきってる楽奈ちゃんの演奏がオーナーへの卒業証書になっていることも、熱が入ってねぇシケヅラでしかし確かに弾ききる長崎そよが何故笑っていないかも、大体のところは感じ取れる。
 同時にそういう外部情報が一切はいらない、ただただパフォーマンスの原液を浴びている観客がMyGO!!!!!の何に狂って叫んでいるかも、しっかり感じ取れる描写になっている。
 バンドメンバーがどんな因縁抱えて、何を感じて楽器を握っているのか、知る由もないけども引き込まれてしまう、問答無用の迫力と引力。
 このステージは12話続いた物語の延長線上に乗っかっていると同時に、たった一回こっきりの”Live”として観客の……そして演奏者たちの目の前に立ち現れてくるもので、その唯一性と身体性が、特別な意味合いを持ってくる。
 二次元の嘘っぱちでしかないアニメ美少女に、こういう体熱を宿すのは相当な難行で、ステージ外のネトネト摩擦熱をねっちり追いかけたこと含めて、いろんな奇跡が噛み合っての表現だな、と思う。

 MyGO!!!!!の現在を切り取るドキュメンタリーの画角と、物語内存在に必要な演出で見せる部分が共犯しているのも良くて、MyGO!!!!! が一端のバンドにのし上がっていく説得力を、燈のカリスマを青く輝かせるライティングで浮かび上がらせてたりもする。
 ここで『この子が圧倒的に特別だから、ハチャメチャやっても観客が付いていきますよ!』というサインをしっかり出さないと、ライブでまとまる/ライブを燃料にするお話自体が破綻していくわけで、こういう無言のメッセージはずっと的確で強かったなと思い出す。
 Wギターでのソロワークを、全部楽奈にまかせているのも彼女の卓越した技量……もう一人のピンク髪のキャリアのなさを思うとしっくり来るし、むしろそこで臨んでいたはずの一人舞台に踏み出せない愛音が、自分の持ち場で必死に踏みとどまっている姿にグッと来る。
 薄っぺらな虚栄よりイイものを見つけれたからこそ、愛音はバンドの隅っこでシコシコ、不可欠な音とコーラスを奏でて音楽を作る役割に飛び込んで、汗かき顔を強張らせギターを弾いている。
 それが、Anonymousな女の子が自分の足で駆け抜け、誰かの手を取ってたどり着いた現在地だ。

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第12話より引用

 一曲目を終えてのMCも、なんか噛み合わず決まりきらない手びねりの不器用から始まって、転がっていくうち形となり、最後はビシッとハマっていく。
 バンドがバンドであるために取るべき”かたち”を気にかけ、心地よく演じる余力があるのが愛音だけなのが、このバンドらしくて良いなと思う。
 物語が始まったときから、羽所のクラスメイトは極めて善良誠実

な人たちであったので、物語の答え合わせをするこのライブに、彼女たちがいてくれて楽しんでくれているのが、僕は嬉しい。
 彼女が指ハートで飾る愛嬌と社交性は、不器用人間しか集まってねぇバンドには必要不可欠であり、それは彼女のチャーミングな軽薄さが推進力となって、転がりまとまっていったプライベートと同じだ。
 むっつり音楽と仲間のことばかり考えて、真剣でありすぎることでゴツゴツ壁にぶつかっていく連中にとって、”かたち”ばかりを考える愛音の軽薄さと、その実指先傷だらけにして音楽をしっかりやってる生真面目さのバランスは、得難い資質なのだろう。
 ここら辺を補助できたはずの長崎そよは、飾らず生の自分でいられる場所をようやく手に入れたので、普段着で安住することに決めているので特に動かない。
 そのだらけた態度も、そうなるまでの大暴れを見ていた立場からすると愛おしい。

 愛音が口火を切ったMCは自然と燈に手渡されて、演奏自走であったようにMCでも燈がバンドの真ん中になっていく。
 率直で不器用なメッセージ性、飾りのないあけすけな語り口、必死で直線的な熱量。
 高松燈の人格がそのままMyGO!!!!!のパーソナリティであり、そうなるだけの質量と引力を、高松燈は備えている。
 しかし伴奏がない時の燈は全く人間下手くそで、観客に公開しちゃいけないプライベートをバンバン叩きつけるし、そのくせ個人的で場違いだったはずの言葉はいつしか力強くまとまって、次の曲への最高の助走になっていく。
 燈自身は観客の前、どんな立ち姿を演じるべきか全く理解も意識もしていないのだけど、客に背中見せてバンドメンバーの方を向いてしまう不器用さが、嘘偽りのない本気として形作られ、届いてもいく。
 立希やそよ個人が今、ここで告げてもらった言葉をどれだけ暖かく、得難く受け止めるかと、そんな個人的なやり取りを至近距離見届けてしまうことが、奇妙なプレミア感で観客に届き、対外的パフォーマンスの一部として成立してしまうこと。
 不器用極まる人間未満と、自分を卑下しそう遇されてもきた燈であるけど、ことロックンロールのエンジンが回っている現場においては、演者として人間としての”正解”を選べてしまうセンスがある。
 それを”正解”にしてしまうメンバーと、一回CRYCHICぶっ壊れてなお出会い直せる星がある……とも言えるか。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第12話より引用

 これまでのライブでずっとそうであったように、楽奈ちゃんはギターが語りに重なるべきタイミング……日常的な言葉が伴奏を得て歌になっていく魅力的なあわいを演出するのが、抜群に上手い。
 燈が不器用に真っ直ぐ告げている、私と私たちのあり方がその演奏と繋がっていて、音楽が生み出す熱狂と生真面目に冷えた理念が確かに、一体となってMyGO!!!!!なんだという体験を、観客に叩きつける演出。
 これをナチュラルにぶちかませる所に、パフォーマーとしての天分があると思う。

 最高のカタパルトに乗っかって滑り出した二曲目は、第10話で演奏された感情むき出しの演奏……お互いの顔しか見ていない内向きの五角形とは、大きく違う。
 あそこでわだかまりを爆破し、行き着くべき所に強引にぶっ飛んでいったからこそ、たどり着ける場所に今MyGO!!!!!はいて、だからこそ観客に向かって手を伸ばし、胸の中に溜まったエネルギーを音に変えて届けるような、拓けた演奏が可能になってもいる。
 燈は今回ようやく、マイク抱えて胸の内を守っていた掌を、観客席へと伸ばしていく。
 私たちの外側に、何かを掴もうとしていく。
 そうやって顔を上げて広い場所を見て、自分たちが何を生み出しているか確認しながら作るライブは、あの時の音楽とは違っていて、しかし何処かが同じだ。
 そういう変奏を繰り返しながら、今しか生み出せない音を噛み締め楽しみながら、もしかしたらMyGO!!!!!は一生バンドをやり続けれるかもしれない。

 

 それが見果てぬ夢だとしても、必死に走った今が何かを壊して変えていけることは確かで、だから湿気た面でステージにたった長崎そよはライブの熱気を肌で感じる中で、気づけば笑顔になっている。
 それは学校や家庭で、和を保つこと最優先で自分の居場所を得ていた時の、防具であり凶器でもあるような笑顔とは、全然違うものだろう。
 ともすればこの無防備で自然な表情を、一生知ることなく離れていったかもしれない長崎そよが、今ここで弾いている理由は、燈が必死こいてライブ続けたからで、利用し利用されてた愛音がその熱気に突き動かされて、最悪な私たちのまんまそよと繋がろうとしたからだ。

 いろんな縁があって、ぶっ壊れたり繋がり直したり新たに生まれたりしながら、今ここに立っている自分。
 その価値をそよがようやく理解ったから、ヒヤヒヤな演奏を駆け抜けて感謝の言葉一つ、ようやく喉から滑り出すのだろう。
 ありがとうが言える長崎そよになれたのは、多分明日がちょっと良くなる喜ばしい兆しで、そんな自分を素直に受け止めもさらけ出せもせず、顔を隠したままの彼女が可愛い。
 楽奈ちゃんの立希への甘えは、そういう微細なオブラート一切無しで良いね……頑張ったから眠いよね……。
 何考えてるかわっかんねー野良猫と、愛のコミュニケーションが成立してる”証”がこうして描かれると、『あー……このアニメ見てきてよかった』って気持ちになる。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第12話より引用

 というのが、MyGO!!!!!に成れた者たちの現在地である。
 ではそう成れなかった者たちは一体どこに進んでいくのかというのが、残りの時間を使って描かれる。
 睦は何かを言おうとして言い出せず、たった一つ確かに口からこぼれた言葉はバンドをぶっ壊す爆弾になってしまい、その残骸から這い上がって伝えた言葉が、長崎そよが今、素面で立ってる場所への後押しにもなった。
 訳分からねぇこと言ったりやったりしているのは燈と同じなのに、彼女がノートに書きつけた言葉は祥子や愛音や初華に誤解なく受け止められ、睦が必死に育てたきゅうりは突き返される。
 ずーっと溜め込んでいた絆創膏の使い道を見つけられた主役と、同じように不器用で不格好な睦を隔てる壁は、詩人でありボーカリストでもある燈が言葉に向き合う才能の有無なのか。
 詩人足り得ないものは、己が伝えたいものをけして届けることができないまま、痛みの中幾度もうずくまらなければいけないのか。
 これを掘り込むには、このアニメあまりに時間が足りなさすぎる。

 睦が差し出したきゅうりが彼女手ずから水をやり、必死に育てたとても大事なものであることを僕らは知っているけども、そよはそこに目もくれず背中を向ける。
 睦は何も語らない(語れない立場に、このアニメにおいてはいる)ので、当然伝わるわけもないけども、その”当然”は高い場所から落ちかけてた燈と、なんら違いはないだろう。
 あの時の祥子は燈が失いかけたもの、手渡そうとしていたものの意味を全身全霊で理解し、受け止め、手を引いて前に進むことが出来たわけだが、今の長崎そよにはその余力も資質もない。
 後に描かれるように、第3話で女神のごとく輝いていた人格を今の祥子は喪っているように見えて……そうして人間の”本質”が変化しうることは、未熟で優しくない長崎そよが今後、このアニメで確かに変わったようにまた成長していって、睦が言いたくて言えないことを受け止めれる自分になれる、希望のようにも感じる。
 今この段階で、長崎そよが睦が差し出したものを受け止めれず、結果二人と二つのバンドの運命が決定的にねじ曲がっていくのは、一つの必然なのだ。
 しかしそれは決定的でも不変でもなく、不確かな世界と自分が良い方にも、悪い方にも変わって行ってしまう事実と、それでも何か変わらないものがあるかもしれない祈りを、このアニメはずっと描いてきた。

 何かを言いたくてうまく言えない睦を、アニメが丁寧に描いてくれたのもあって、僕は凄く彼女に肩入れしているのだけども。
 きゅうりに託して受け取ってもらいたかったものを、そよが跳ね除けてしまう残酷はしかし、『まぁ……しょうがねぇな』で受け止め、この後このミスキャッチがどこに行き着くか、見届けたくなるものになった。
 まー海鈴ちゃんも隣りにいてくれるからな……なんとかなるのだと思いたい。
 本命の唯一絶対に成れなかった結果Ave Mujicaになっていくってのは祥子も海鈴も睦もおんなじなのかもしんねぇ。
 あとショッパーだけ見て中身がブランド物のチョコレートだと思い込む、愛音の浅はかさが、短い場面でしっかり表現されてたのも好きよ。
 本質が見えない、見えてるのに軽い表層にフラフラ迷って行ってしまう今のお前に、ソロは無理なんだよ千早愛音展展。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第12話より引用

迷子にすらなれなかったはみ出し者たちを、捉えて束ねて飾って奪う。
 祥子……一体何がお前をそうさせちまったんだッ!
 見ているみんながそう思う、たいへんいい塩梅のドス黒さをにじませて、物語は最終話へとなだれ込んでいく。
 銭と数字が己の全て、かわいいかわいいあこちゃん先輩をバズの火種に利用するにゃむに、お互い見透かし見透かされながらの腹芸勝負。
 第3話で燈の目を通して、無謬の女神様たる祥子を見上げてきた視聴者としては、大変ショッキングな人間の肖像である。
 でもまー、こういう部分があの時の燈には見えなかったからこその神様扱いなんだろうし、俺たちと燈の死角でこういう顔はずーっと在り続けて、今表に立ってる……って話なんだろうけども。
 幻滅ってのは、まこと勝手な情動だよ。

 かつて愛音が憧れそよが演出し、二人が『まーアタシら最悪迷子だし、あんまそういうの合わないな……』と背中を向けた、高級ホテルでの作られた充実。
 それが今の祥子には高望みっぽいことを、にゃむはグラサン越しにしっかり見過ごす。
 その視線に飲み込まれない悪辣を、素の自分から染み出させているのか、必死に演じているのか……読み取らせないまま祥子は、バンドメンバーの釣り書きと、それが生み出す虚栄を弄んでいく。
 他人をなにかの道具に扱っていると、巡り巡って運命に顔面殴られる事実を描いてきたアニメにおいて、祥子が睦の肖像画を撫でる手付きは”悪”一文字であるけども、さて何故、彼女は地べたに落ちたのか。
 そうして泥の中這いずり回って、何が欲しくて仮面を被り直すのか。
 残り一話、アニメの範疇では描かれきれない爆弾の導火線に、確かに火が付いた手応えを感じて、物語は終わる。
 色々事情はおありなんでしょうけども、やっぱそういう表情と生き様は良くねぇよ、祥子さん……。
 

 

 というわけで、MyGO!!!!!が12話走ってたどり着いた現在地を描いて、納得と満足をライブの中生み出すエピソードでした。
 ここまで来たなら、もう大丈夫。
 先にまだまだ道は続けど、心を寄せてみてきたお話にたどり着いてほしかった場所までしっかり自分たちを押し上げたのだと、力強く証明するライブをやってくれて、大変良かったです。
 角が取り切れないゴツゴツ感、完璧になりきれない凸凹が、今まで書かれてきた迷子に嘘のない心地よさでした。
 このまんま、あの子達は進んでいくのだ。
 とてもいいことだ。

 んで、そういう迷い道にすら入れなかった連中のバンドが、次回産声を上げそうなんだけども……最終回!!?
 コンテンツ全体でどう舵取りしていくのか、バンドリが投げ込む新たな爆弾の行方含めて、目が話せないラストとなりそうです。
 とっても楽しみですね!!