イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! It's MyGO!!!!!:第13話『信じられるのは我が身ひとつ』感想

 五人の迷子が手を取り進み出して、仮面の五人が嘘を編む。
 何かが終わって何かが始まる、今すぐ”BanG Dream! Ave Mujica”演ってくれ!! な、MyGO!!!!!アニメ最終回である。

 MyGO!!!!!結成秘話としてのピークはやはり第10話にあり、二話と半分じっくり使って彼女たちがたどり着いた今を確認し、一瞬一瞬すれ違いまみれのでこぼこ道を進んで一生バンドを演ってく手応えを描く、長めのエピローグとなった。
 同時にそれはCRYCHICで一瞬、決定的に人生を交わらせた祥子が新たなバンドを始動させるプロローグでもあり、頑なに私室を見せなかった彼女が今、どんな奈落にいるのかを教えて次なる物語へのヒキともしていた。
 燈の一人称で描かれた第3話、救済の女神のように輝いていた彼女の、眩しさの奥にあった死角はひどく生臭い酒浸りで、『そらー見せたくはないわな……』と思わされるものだった。
 同時に金と数字を仮面で覆って、他人を道具に音楽を操る道になにゆえ祥子が踏み出したのか、暗い闇の奥にある熱は未だ正体不明で、だからこそ先を知りたくもなる。
 コンセプト優先で嘘まみれ、舞台上で演じるのは誰かが用意した台本という、これまでMyGO!!!!!が繰り広げてきた熱血大公開主義とは真逆の、Ave Mujicaの戦術。
 祥子が選んだ(選ぶしかなかった)世界との闘い方が、果たして彼女と彼女たちにどんな幸福と地獄を連れてくるのか、心して待つしかない優れた予告編だった。

 同時にそういう虚妄主義と戯れてる余裕なく、ガチンコ生身で青春ぶつかり稽古を繰り広げてきたMyGO!!!!!が、13話話重ねてどんな高みにたどり着けたかを、幸せに書いてくれる回でもある。
 心を抉る燈の詞が苦手で、でも本当の自分と本当の世界に向き合う覚悟が出来たから、それが求める厳しさと嘘のなさを自分で引き受ける気持ちになれた、長崎そよの飾らない微笑。
 二人の……つまりはバンドの運命を大きく書き換えたペンギンの水槽に立ち戻り、これまでどんな優しさを受け取って、これからどこに進んでいくかを確かめて未来へ漕ぎ出していく、愛音と燈。
 名前と衣装を手に入れ、観客の側を向いて必死に抱きとめ守ってきたものを、ステージから客席へと投げ渡す姿勢が整った”私たち”の肖像画は、生っぽくて綺麗だ。
 ピカピカな電飾で満ち足りた青春を飾り立て、幸せで繋がる(パブリックイメージの中にしか実はない、本筋読めばかなり暗くて痛い)”バンドリ”にはなかった、薄暗いリアリティとそれを越えていける手応え……確かな希望。
 そういうモノをずっと描いてきたアニメが刻む、一つのメルクマールとしてとても良かった。
 五人それぞれ問題大アリ、人生間違えっぱなしの迷子集団が、一緒に抹茶パフェ食べてあけすけに文句いって、それでも笑えるようになった。
 『そういうシンプルで、幸せな決着を目指して13話やってきたのだ』と最後に思えた、とても良い最終回だった。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第13話より引用

 というわけで1クールかけて、ようやくまともに打ち上げ出来るようになった迷子のバンドたち。
 抹茶味を求める亡者と化した楽奈があまりにも可愛く、そんな彼女を『まぁ、そんなもんだ……』と諦め混じり手綱を握っているお姉ちゃんたちも、また微笑ましい。
 数字稼げるバズメシの写真を撮り、”イケてる私”のプロデュースに愛音は相変わらず余念がないが、彼女のそういう軽薄な社会性がなければMyGO!!!!! は今より更に迷っていただろうし、今後も彼女の仕切りで五人は進んでいくのだろう。
 Anonymousな軽さは1クール程度お話積み上げたから消えるわけではなく、ペラペラ積み重ねた言葉は燈がとつとつと、促されて語るナチュラルな詞に押しのけられてしまう。
 紡ぎ出す言葉が否応なく強い質量をもって、他人の心に届いてしまう特権(ボーカリストではない睦が持ち得ず、そよにきゅうりを突き返された原因)はステージ上のみならず、当たり前で幸せな日常でも鋭い。
 燈の言動が秘めていた引力を真ん中に据えて、今後もMyGO!!!!!は進んでいくのだなという予測(あるいは希望)が、これからまだまだ続いていく最終回に元気だ。

 そんな燈の引力と真っ向向き合うのを避け、運命の歩道橋から遠く離れた暗い屋上……あるいはタワーマンションの一室に逃げてきたそよだが、第10話で魂を撃ち抜かれ、第12話で私たちの現在地をライブしてしまった今、自分から燈の手を取る。
 『当然今日も、燈と帰るぞ! なんて幸せなんだ!』みてーなツラしてた立希が、するっと愛を略奪されて呆然と叫ぶ場面、めちゃくちゃ面白かったな。
 そういう宿命が、今後もこの人にはつきまとうのだ……頑張れ、椎名立希。

 

 かつて追いすがってすれ違った路面電車から一緒に降りて、堕ちるか登るか定かではない青春の踊り場に足を付けて、燈とそよは本音を語らう。
 あまりにもむき出しに叩きつけられ、否応なく嘘を引っ剥がして本気を求める燈の詞は、外面を取り繕うことで自分の居場所を探っていたそよにとって、劇薬めいた危うさを宿していた。
 CRYCHIC時代から燈の歌が変わっていない(から、MyGO!!!!!が結成されたし客にウケてる)以上、嫌いだったそれを飲み込めるようになったのはそよの変化であり、解放と帰還なのだろう。
 主に愛音に向けてぶっ放されている性根の悪さ、黒い計算高さがそよの”本性”であると、うっかり受け取ってしまいがちなのだけども、彼女が世間との摩擦を減らすべく被っていた仮面は、全部が全部ウソではないと思う。
 CRYCHIC再生のための便利な道具として、愛音を惹きつけた面倒見の良さ、優しさと包容力は、”母の母”というグロテスクな家庭内役割を演じる上で身につけた武器であり、元々長崎そよが備えていた強さでもあろう。
 重荷を下ろし生身でいられる場所へを手に入れた結果、そういう柔らかな地金もバンドやる中で顕になっていくと思うし、そうやってもっと優しく笑えるようになることは、長崎そよが生きることを楽にすると思う。
 母に必要な自分、誰かに求められる自分だけでなく、根性悪だったり虚無的だったり、それでもなお優しかったりする多様な自己像を、MyGO!!!!!で過ごす日々はそよに教えていくだろう。
 けして消えない痛みと眩さで、一生CRYCHICの思い出を見つめる自分も肯定して、同じ時間を過ごした燈と同じ思いを共有して、別の名前のバンドで別の自分になっていく事を、ようやく長崎そよは受け入れることが出来た。
 その一歩目として、彼女は燈の歌が苦手だった自分と、それを今受け止められている自分を認めて、燈自身に曝け出した。
 手渡したのだ。

 この真摯さを前にいつでもガチンコなのが、高松燈の生きづらいところであり、良いところでもある。
 誰かの思いを受け取ったら真っ直ぐ一直線、鉛筆握って脇目もふらずにノートに向き合うアーティスト魂が、彼女と彼女の詩をを誰かの特別にしていく。
 当人すら見えていなかった思いに輪郭を与え、より鮮烈な切れ味で突き刺す才が燈にはあって、そうやって本質を射抜いてしまえる資質は時に、彼女が日常に馴染む邪魔をする。
 愛音とそよが得意な、皮相で軽薄な言葉によるグルーミングは深層なんぞ何にも捉えないけども、人と人が触れ合う上ではその軽さこそが時に大事で、しかし高松燈はそこらへん、一切の戯れが出来ない。
 言葉を扱うのならば、いつでもガチンコだ。
 そんな力んだシリアスさが人を遠ざけ、あるいは言葉が気軽に喉から飛び出す邪魔をして、彼女を迷子にしていく。
 でもその重たさと鋭さが良いのだと、かつて言ってくれた友達がいて、今一緒に走ってくれる仲間がいて、燈は自分のまま生きていく道筋を手探りつかみ取りつつある。
 陸に打ち上げられた魚のように、日常生活の中では個性が生きる邪魔をする人が、ステージという特別な場所、そこに一緒に進み出してくれる戦友を得て生きるすべを見つけられたのは、やはり良いことだ。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第13話より引用

 んでさぁ……そよが真剣に手渡してくれた言葉を、必死こいて咀嚼して今度こそ向き合うんだ! と、突き出したノートをすげなく拒絶するのが、今の祥子である。
 さんざんややこしいものと闘い、長崎そよがどこにたどり着いたかを描いた直後だけに、この頑なな態度はどうにも辛く、悲しく、寂しい。
 愛音が即座にフォローに入っていなければ窒息していたところだが、今の千早愛音はここら辺のケアが抜群に上手く、早い。
 ひび割れた心を、壊れかけた絆を修復する絆創膏のつもりで差し出したノートが受け取ってもらえなかったら、自分が絆創膏を手渡してあげるよと、親友に真正面から告げれる朗らかな強さが、元気にブン回っている。
 こういう資質も元々愛音に備わっていて、ロンドンでの挫折を経てなんかねじ曲がりかけていて、それこそこのペンギン水槽の前で燈に言葉を手渡してもらったから、もう一度取り戻せた善さなのだろう。
 色んな人がバンドやる中で、失われかけた善さを取り戻す姿が描かれているからこそ、そういう再生から弾かれている祥子や睦の姿は悲しく、『コイツラが救われるまでアニメ見るしかねーじゃねーかッ!』という気持ちになる。
 取り戻せること自体は、MyGO!!!!!の物語が幾重にも力強く描いてきているわけで、このロックンロール・リバイバルの恩寵をどうにか、泥に塗れ地に落ちて苦しんでるかつての仲間にも分け与えてほしいと、思わず思ってしまうのだ。
 こういう気持ちになるよう、あえてAve Mujicaを掘り込まず繋げずで書いてきて、最後の最後に『こっから本腰行くぞッ!』と叩きつけてくるの、マジ上手すぎる……。

 思い返せば第1話から、千早愛音はずーっと高松燈を気にかけ、視線を送り、手を差し伸べてくれていた。
 テキトーに調子を合わせる軽薄さと並走して、他人の痛みや迷いを直感できるセンス、それに従って行動する勇気がずっとあって、ミーハーな人格とその善さは切り離せないまま入り混じっていた。
 色々あって引き返せないほど深く、高松燈の存在と言葉を胸に突き刺されてしまった結果、千早愛音はロックバンドを本気でやることになった。
 『みんなが演っているから』というAnonymousな理由ではもはやなく、自分自身をより良い場所へと進めるために、放っておけない友達の一番そばにいるために、ステージにしがみつくことにしたのだ。
 そういうマジっぷりは、マジにしか生きられない燈を間近に感じて、その熱に感染した結果彼女のモノになった。

 受け取れないほど重たくなく、表層しかないほど軽くもなく、絶妙な手応えでもって、祥子と上手く繋がれなかった燈の手を取り、両手を差し出す。
 絆創膏渡すのも、燈の”一生”受け取るのも、両手なのが極めて千早愛音的でいいなと思う。
 時流に乗っかって、ペラペラ流通しやすい気安さを追いかけてはいるものの、この人はそういう軽やかさとは結構縁遠い所に魂があって、それが仕草ににじみ出ている。
 誰かの魂を受け取るときには、自分の魂を差し出すときには、両手でやるもんだ。
 自覚なく、そういう姿勢で生きているのだ。
 そこが僕は、ずーっと好きである。
 千早愛音と出会ってしまえたのは、高松燈にとって幸福で幸運だったのだなぁと、最終回につくづく思う。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第13話より引用

 そんな感じで、もはや『信じられるのは我が身ひとつ』ではあり得ないMyGO!!!!!と高松燈を確認して、物語の軸足はAve Mujicaへと移っていく。
 第10話で燈が立ち上がり直す切っ掛けを、偶然の出会いからぶっ刺した初華はプラネタリウムの安らぎと、祥子の大事な”燈ちゃん”との再開を、星の見えない街唯一の瞬きだとうそぶく。
 有名人の優しい……あるいは当たり障りのない対応にわーきゃーときめき、すぐさま好きになっちゃう千早愛音のミーハーっぷりはもはや愛おしいが、彼女が迷って捕まえた暖かな手応えとは違う場所に、初華は進み出していくことになる。
 ピカピカな充実を身にまとった偶像として、街を満たすSumimiでは得られなかった何かを祥子との日々に求めて、Sumimiの自分たちをラブラブカップルだと思っている方を裏切り、仮面を付け直したのか。
 ここら辺の内面も、未だ語られざるミステリだ。

 新シリーズへの序奏として切り取られる、Ave Mujicaのデビューステージ。
 舞台裏も追いかけ人間味をさらけ出す手法はMyGO!!!!!と同じアングルのはずで、底に描かれている自然体も似通っているのに、どこか手触りが違う。
 それはバンドの中心に立つ祥子がひどく頑なに他人を拒絶し、そのことで自分を守り、第3話で燈に示した自然な優しさと強さが、もはやどこかに消えてしまったように思えることに主因があろう。
 全てを計算づくで準備し、大掛かりな舞台装置と世界観の作り込みでもって、初手からマス相手のバズ商売で時流に乗る。
 むき出しの言葉を叩きつけるより、求められている嘘を的確に作り上げて、数字と金をまきあげる。
 楽屋でうっすら感じられていた繋がらなさは、ステージに上った後の観客席の空虚さ、演奏時のアイコンタクトの少なさ、表情と仕草に滲む強い感情の薄さで、より強く裏打ちされていく。
 それはMyGO!!!!!が三度演じたライブにおいて、それらの要素が全面に押し出され、ロックンロールとライブの存在意義として強調されていたことと、面白い対比をなす。
 MyGO!!!!!がアンチバンドリ! な在り方を真ん中に据え、コンテンツへの自己批評性を燃料に強力な物語を展開し得たように、Ave MujicaはアンチMyGO!!!!! 的な鏡像関係をアイデンティティにすることで、バンドとしての存在感を得ていく……という話かもしれない。

 星。
 ”バンドリ!”という大きな物語の中で常に強力なメタファーであり、主役の象徴でもあったアイコンは、Ave Mujicaを物語の真ん中に据えた時、常にフェイクに堕ちる。
 初華が見れる星はプラネタリウムの幻影でしかなく、窓越し見上げる都会の空には、地上の繁栄が眩しすぎて星がない。
 熱なく……あるいは意識して熱を殺してビジネスライクに動き出した舞台では、大掛かりな作り物の夜が独自の雰囲気を作り出すけども、観客席で生身の人間がペンライトを振って作り出す星海は、そこにはない。
 暗い闇を切り裂いて、進むべき場所を教えてくれるはずの示極の輝きは、全部嘘っぱちでしかない。
 統合プロデューサーとしてAve Mujicaを作り上げ、銭を巻き上げれる巨大な嘘として運営し、自身キーボードを叩きもする舞台の支配者が、今世界をどう思っているのかが、Ave Mujicaのデビューからは透けて見える気がする。
 そこがあまり、良い場所ではないことも。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第13話より引用

 今回のエピソードは冒頭と最後、今まで秘せられてきた豊川祥子の現在が暴き立てられる、真実の暴露回だ。
 テレオペバイトに励み、不器用な哀れみを手渡そうとした睦に厳しい視線を向け、仲間との打ち上げを拒絶してみすぼらしいアパートへと帰り、酒瓶だらけの暗闇に『ただいま』を吐き捨てる。
 それが、人生から落ちかけた高松燈を掬い上げ、一番最初にその詩の強さを抱きしめ、一緒に走ろうとした女神の現状である。
 ショッキングであるし、巧妙に匂わせられてきたこれまでの描写を思えば、納得でもある。
 そうして描かれているものは現実であり、現実でしかなく、MyGO!!!!!の連中が山あり谷ありバンド活動に勤しむ中でむき出しにしてきた、思いと熱がどこから湧いて出ているのかは、今まで通り解らない。
 その不鮮明なミステリが、豊川祥子をずっともっと知りたいと思ってきた視聴者を、ここから先まだまだ続く物語へと、絡め取って引き寄せていく。

 MyGO!!!!!に劣らずAve Mujicaの連中もクセが強く、他人と繋がることがあんまりにも下手くそで、しかしその芯に奇妙な優しさをにじませている。
 海鈴ちゃんが立希と向き合っている時の、ぶっきらぼうで誠実な優しさ。
 アイドルとして恵まれた立場を投げ捨ててでも、幼馴染の傷へ走り出す初華が、燈や睦に差し出す掌の暖かさ。
 燈のように誰かの心に突き刺さる詩を紡げず、それでも不器用に何かを思い、全然上手く行かない睦。
 みゃむはマージ良くわかんねぇけども、祥子が数字と金を求め一緒に嘘を演じきる仲間として集めた連中には、何かが上手く行きそうな可能性が、確かに宿っている。
 燈を抱きしめた時はそれを見事に花開かせられたのに、今の祥子は全然そんな気配がなくて、彼女を好きになってしまった視聴者としてはとても悲しい。

 凸凹噛み合わないながら、自分たちらしく幸せに”打ち上げ”出来たMyGO!!!!!に対し、Ave Mujicaは初ライブ後に肩を並べない。
 本音を語らず、優しさを交わらせず、暗い闇の先で祥子がどこに行くのか、追いかけることもしない。
 今回、MyGO!!!!!がたどり着けた場所と今Ave Mujicaがいる場所は明瞭に対比されていて、それが13話使って生まれた飾らない幸せに、仮面の戦士たちもたどり着ける予言なのか、それとも間違えちまった連中に星は掴めない残酷なのか、読みきれないのが面白い。
 バチバチやギスギスは、それが存在してしまう世界に嘘なく向き合った結果であって、不器用な優しさも張り付いた嘘っぱちも引っ剥がして、真っ直ぐ向き合える瞬間をロックンロールが連れてくる。
 MyGO!!!!!の物語はそういう希望を語ったけども、さて祥子の”現実”が描かれた後に続く物語でも、ロックンロールの魔法は少女たちを救うのだろうか?
 ここら辺は、大変に難しく面白く、興味深い。

 先に述べたように、祥子と愉快な仲間達が腹の底で何考えてAve Mujica演ってんのかは、現状全然わからない。
 だからこその仮面バンドだと思うけども、あの地獄アパートが暴かれた今、燈を救いCRYCHICを作ったかつての祥子が、恵まれた経済環境の生み出した偽りでしかなかったのか、もう一度考えるタイミングなのかなと思う。
 そよと燈は、CRYCHICを一生忘れず、しかし囚われずMyGO!!!!!でいる道に二人で進み出せた。
 あの時祥子が生み出したものが、確かに幸福を照らす大きな星だったからこそ、今、嘘ではないと抱きしめ進み出せる道だ。
 学生風情がどう足掻いたって立ち向かえない運命に翻弄され、余裕と優しさを引っ剥がされて、悪辣を身にまとって必死に戦っている祥子から、あの時の光は贅沢品として引っ剥がされてしまったのか。
 何もかも失われてしまったように思えて、それを取り戻すために長崎そよが必死にあがいて、ぶっ壊れてなお消えていないものを見つけ出して新たに進みだした物語は、この第13話で一旦幕を閉じる。
 もしこの語り口が祥子にも適応できるのだとしたら、露悪的ですらある現状を叩きつけて、それこそが彼女の真実なのだと思わせるショッキングなヒキの先に、残骸の中確かに息をしているモノが、何もかも奪われてなお残るものが、蘇ってくるのだと祈りたくもなる。

 俺は……人生から足踏み外しそうになった人を、何の計算もなく自分も血を流しながら抱きしめられる人間を尊敬するし、ブサイクなうめき声だと思っていたものが世界にたった一つ、吠え声を突き刺すための武器なのだと泣きながら教えてくれる存在が、誰より強くて偉いと思うから。
 こんなんが豊川祥子の終わりだなんて、認められねぇワケよ。
 こっから開始るんだろうーがよ!
 商業主義と作り込んだ嘘っぱちに身を包んで、仮面かぶらなきゃ歌うことも出来ねぇ人形たちがそれでも歌う理由を、物分り良い態度ぶっ壊してぶつけ合う物語がよー!!
 マージで”BanG Dream! Ave Mujica”、待望しております。

 

 

 

 

 というわけで、BanG Dream! It's MyGO!!!!!、全13話の演目を終了しました。
 圧巻でした。
 成功し巨大化したがゆえに窮屈になっていた”バンドリ!”を、真正面からぶっ壊して新たな風を入れる。
 コンテンツとしての目論見は確かにありつつ、それぞれの不器用さと真摯さで青春に苦しみ生きている少女たちが、ゴツゴツした善さと悪さを”改良”されることなしに、あるがままバンドになっていく。
 その過程で生まれる摩擦熱と衝撃を、最適な角度で視聴者に叩きつけて物語の方向を向かせる、ワガママで強引なパワーのある物語でした。
 そういう試みは露悪に濁ることが多いわけですが、ある種の哀れみというか『かーッ! 全くしょうがねぇ奴らだなぁ!!』という呆れた優しさでもって彼女たちの人間味を包み込み、凸凹激しいところも魅力なのだと、アクが効いてて味が濃い見せ方を工夫して届けてくれるアニメでした。
 最悪に思える連中みんな自分なり必死で、色んな思いをゴツゴツした態度の奥に隠していて、一個一個それが解るうち、彼女たちが愛しくなっていく。
 そうやってキャラクターと対話して、握手できるアニメでした。

 このプリミティブでパワフルなドラマの力を突き刺すにあたり、レイアウトや色彩を凄く精密に、繊細に制御して美しい劇的空間を作り上げていたのも、とても印象的です。
 メチャクチャシンプルに、『アニメが良い』んですよねこのお話。
 動画や仕草の強さだけでなく、少女たちの心象風景たる街の景色、ステージの在り方、共有される私的空間をどう作ってどう見せるか、メチャクチャ考えてくれたと思う。
 ここら辺のセンスと統一感、必要なタイミングでとんでもない飛び道具をぶっ込んでかき回してくる手腕とかは、やっぱ柿本監督由来なのかな~。
 シビアな現実を描いているように見えて、凄くファンタジックで美しい情景を適宜挟むことで、俗っぽい生臭さに作品世界が汚染されないよう、丁寧に物語を編んでくれたのが嬉しかったです。
 ゴツゴツした生っぽさと、眩いファンタジーの同居がこの作品独特の強みだったなー。

 キャラは全員好きですし、全員イイところが山ほどあって愛おしい。
 特に燈の生きづらさと、そこを突破していくカリスマと詩才は、自分にぶっ刺さるものが多くて良く効きました。
 生きて自分であるために、それを選ぶしかない生存闘争の武器としてのロックンロールをちゃんと書けたのは、燈が主役だったからだと思います。
 おんなじような不器用を抱えつつ、きゅうり差し出して突き返されることしか出来なかった睦が、どんな風に吠えるのかを見届ける意味でも、マジAve Mujica早くしてください……。

 大変に面白く、力強い作品でした。
 人間の生々しい地金を暴きつつ、それだけを真実には出来ない夢見がちな星見の視線を、ちゃんと大事にしたロックンロール・ファンタジーでした。
 まだまだ続いてくれることに大きく安心し、期待を膨らませつつ、今はお疲れ様を。
 素晴らしかったです、ありがとう!