イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第13話『僕らは探している』感想

 片腕折って年明けて、近づく距離と流れる涙!
 京ちゃんと山田の熱い夏を、学友たちとの触れ合いを交えつつ描く僕ヤバアニメ第13話である。
 二期第一話でもあるのだが、話としても視聴体験としても思いっきり地続きなまんまなので、冬休みのアレソレを通じて縮まった距離がどう発火していくか、楽しく見届ける心持ちが強い。
 腕折れてても気楽に過ごせた冬休みとは、色んなことが変わってくる学校生活。
 必死に気持ちにブレーキをかけて大事な誰かとぶつからないよう気を配る京ちゃんだが、当の山田はもっと頼って欲しいし触って欲しいし、前のめりにグイグイ来る。
 と思いきや、自分が遠因となって京ちゃんが怪我したと知り、そのショックでお揃いのマスコットを無くして子どものように泣きじゃくり、図体デカくて外で仕事していても、まだまだガキである。

 京ちゃんが山田杏奈を好きになったのには、クソガキである自分と違って一足先に社会に出て、モデルとしてアイドルとして仕事をしている、大人びた顔を見たのが理由の一つだと思う。
 しかし等身大の山田は学校でモッシャモッシャお菓子は食べるし、感情の制御が思いの外苦手だし、京ちゃんと負けず劣らずのクソガキである。
 ということは、『大人になりたい』という気持ちもまた京ちゃんと共通であり、それに突き動かされて他人や自分と向き合う中で、『なりたい大人って何か』ということにも、対峙していくことになる。
 自分が思っているよりも子どもっぽくて弱く、そんな弱さを乗り越えて誰かのために強くなれる自分と、一歩ずつ向き合っていく足取りが二人の恋路には着実にあり、子供と大人の間でなりたい自分を探していく思春期の物語として、その手応えが僕には好ましい。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第13話より引用

 というわけで新学期が始まり、二人きりプライベートな時間をたっぷり共有して育まれたものが、また別の空気に触れて形を変えたり、そのまま引き継がれたりしていく。
 ダチが知らぬところで憧れのマドンナ相手にメッチャ間合い詰めてるのも知らず、ごくごくフツーのバカ中学男子やり続けている足立くんの空回りは、山田に選ばれるべき存在としての京ちゃんを際立たせる意味で大事で残酷な対照物だ。
 同じくバカ中学男子だった人間として、足立くんの気軽さと無神経とバカさこそが普通なのであり、京ちゃんの繊細な優しさと強さ(あと可愛さ)は選ばれたものの特別さだと、確かに思う。
 しかし足立くんが気づかず踏みつけにしてしまうところで、立ち止まってしまうナイーブさが京ちゃんにはあり、それが複雑な響き方をしたからこそ彼は山田杏奈の特別になった。
 今後も……そして今回も京ちゃんが踏み出し掴み取るものを、作品の主役でも山田杏奈の運命でもない足立くんは普通に取り逃し続け、しかしそうして選ばれないことが、彼を惨めな存在にするわけではない。
 そこら辺をアニメも上手く描いてくれると、足立くんが好きな自分としては嬉しい限りだ。

 不機嫌で暗い圧力を出したり、明るく朗らかな笑顔で上機嫌に間合いを詰めたり。
 なかなか難しい取り扱いでコロコロ表情を変えつつ、山田は京ちゃんの失われた腕の代わりを、積極的に務める。
 牽制を交えつつ、常時至近距離を専有し続ける貪欲さは冬休みから継続だが、学校という小さくも学生唯一の社会を意識して、少し何かを装うような雰囲気が、制服と一緒にまとわれていて面白い。
 まぁBパートで描写されるように、感受性が高い一部の人達にはモロバレであり、いつもどかしい距離感から踏み込んでいくのか、優しく見守られたりもするのだが。

 甘酸っぱい恋の駆け引きそれ自体を、大好きな人の間近にいられる喜びと一緒に楽しんでいた山田であるが、その気安さに油断した京ちゃんがフラッと漏らした真実に、凄まじく暗い顔をする。
 ここで自分の存在が大事な人を傷つけたのだと、過剰に重たく引き受けてしまうのは、山田といると浮かれて落ちるのだと、伝えられない京ちゃんと良く似ている。
 お菓子モガモガぶっ飛び女としての顔、恋に恋する乙女の表情、そしてひどく繊細で感受性の強い思春期。
 色んな顔が山田杏奈にはあって、その全部を至近距離で見つめられる特権が、京ちゃんには譲り渡されている。
 自分が思っているよりも遥かに複雑で単純な他者を前に、どう振る舞うのが正しいことなのか、選び取る場所……大人になる瞬間が、山田の側にいると幾度も訪れるのだ。

 

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第13話より引用

 自分の不注意(と思いこんでいるもの)で山田が落ち込み、大事なものを無くして雪空のした一人きり。
 しかし京ちゃんはどこに進み出るべきか未だ道が見えなくて、そこへの導きは山田以外の誰かが手渡してくれる。
 僕はこのエピソード、京ちゃんがストラップを直接は見つけないところが凄く好きで、原さんが玄関で彼女の大事な人と一緒に探す姿を見て何をすべきか見えたように、雪の下一人きょうちゃんを待ち見定めようとしてた萌子に教えられて行くべき場所が見えたように、二人は二人きりで世界に佇んでいるわけではなく、悲しいことを乗り越えるのも二人だけだからではない。
 キモくてヤバい中二病仕草の奥に、繊細で誠実な市川京太郎らしさを時折瞬かせていたから、力になろうと思える誰かがいて、あるいはそんなの全く関係なしに、幸運と善意で雪に埋もれかけた大事なものを、引っ張り上げてくれる見知らぬ人もいる。
 そういう広くて気持ちのいい場所に、思春期ど真ん中の二人はいて、泣いたり笑ったりしているのだと理解るエピソードだからだ。

 ヒビの入った腕を悴ませながら、京ちゃんが雪の中誰かのために何かを探している時、彼の前髪がいつものようにその瞳を塞いでいないのは、おそらく意図的な演出だろう。
 前半で見せた大人びた牽制だとか、いたずらな態度だとか、あるいは雑誌に飾られた社会的活動記録だとか、そういう成熟が全部ウソであるかのように、思い詰め傷ついて泣きじゃくる山田へ、京ちゃんは手を伸ばそうとする。
 それは前回、校舎脇で繊細で傷つきやすい内心を吐露し、棘の鎧を外して隠してきた気持ちを抱きしめてもらった行為への、対等な返礼だ。
 自分の目の前に誰がいて、どんな気持ちで、何に傷ついているのか。
 泣きじゃくる大切な人に、何が出来るのか。
 何をするべきなのか。
 それを見つめる時に、感じ易すぎる瞳を覆い隠す長い髪を暴いて、燃える瞳が顔を出す。

 

 とは言え前に進み出る積極性はまだまだ山田の領分であり、抱きしめるよりも早く顔を上げて誰かの好意を、あんま捨てたもんでもない世の中を見つめて、京ちゃんは約束を取り戻していく。
 偏屈な自分の内側に入り込み、時に抱きしめてくれる女の子が、感謝を込めて取ってくれる掌は、雪の寒さにかじかんで赤い。
 ここで両手で京ちゃんの手を取れる山田は、無邪気な時代を挫折させた痛みで京ちゃんが踏ん出るブレーキを積んでない……ってわけでもないのは、図書館で見せたこの世の終わりみたいな表情と、京ちゃんが自分を見つけてくれたときの涙でよく分かる。
 しかしまぁ、おねえに『可愛いって良く言われます!』と眩く返事できるくらい、自己肯定感に溢れた超絶美少女ではあって、そんな心のあり方がここで手を取る立ち位置に、山田杏奈を引っ張ってんだなとも思う。

 大人っぽさとか、涙混じりの幼さとか、好きだからこその積極性とか、だからこそ踏むブレーキとか。
 色んなモノが入り混じって、色んなモノを無くしたり探したり捕まえたりしながら、二人の青春は確実に、前に進んでいる。
 冷めきった体を熱くするお宅訪問、一体何が起こるのか。
 次回も大変楽しみである。

 

 しっかしアニメで新たに描かれ直してみると、『もう……普通でも友達でもないだろッ!』という距離感が可視化され、柔らかな心の底まで共有するような事件を乗り越え、それでもまだ付き合わなねぇんだからスゲェモンよ。
 山田と京ちゃんを繋いでいるのは、劣化の如き恋と性欲のアマルガムであるのは間違いないのだが、不確かな自分と他人と世界のかたちを手探りしつつ、より善い人になりたいというメッチャ純粋で原理的な願いに向き合う、”青春の戦友”みたいな手触りが、やっぱあると思うんだよな。
 ダイナシドタバタギャグと胸キュンロマンスに包まれて、ムチャクチャ青臭い思春期のど真ん中やってくれてる所が、俺はやっぱり好きだ。