イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第18話『山田は僕が好き』感想

 眩しい光が瞳を焼いて、涙が溢れるとしても顔を伏せず、目の前に広がる景色を見る。
 そこに反射する自画像が、いつかの夢より輝いて見えるのなら。
 さらば南条ハルヤ、嫌いだけどイヤな顔して欲しいわけじゃなかった人。
 二年生を置き去りに通り過ぎていく卒業式に、あの時描けなかった”を”の先を照らし出す、僕ヤバアニメ第18話である。

 つーわけでナンパイ卒業であり、儀式終了である。
 圧倒的な共感力をもって、山田杏奈が手を添えて欲しいところ、涙を流して欲しいところ、抱きしめて欲しいところでその通り行動できる精神的超人、市川京太郎。
 選ばれる主人公を眩く照らす、選ばれなくて身勝手で気持ちに寄り添ってくれない負け役が、彼なりに本気でサッカーをやり、山田杏奈に恋し、彼女を好きな自分を好きでい続けるために、勝手な儀式をやる回である。
 第10話の改変で一回感想止まったことからも解るように、俺は南条ハルヤという人間が好きであるし、彼のことを嫌いつつも憎めない、誰に対しても堂々胸を晴れる人間になりたい市川京太郎が好きだ。
 負けるべくして負けていくイヤなチャラ男にも、描かれないだけで彼なりの人生があり、想いがあり、見えないながらも確かな光がある。
 ここまで埋め込まれた様々な描写に、それは既に瞬いていたわけだが、彼最後の出番に明瞭に、このお話はそんな誰かの人生を縁取ってきた。

 

 俺がナンパイの描き方を気にするのは、それが京ちゃんが掴み取りつつある彼の人生を、より気高く、気持ちよくしてくれるからでもある。
 他人を愚民と見下ろせるような、幼い万能感が受験失敗で挫折して、ヤバくて孤独な自己像にハマりかけた少年は、山田杏奈の涙を薄暗い場所から見上げることで、自分を引っ張り上げていった。
 その視界の殆どは山田杏奈で埋まっているわけだが、しかし好きだからこそ彼女の周りにいる人達を大事にしたいし、誰かを大事にできる自分でありたいとも思う。
 それは一度投げ捨てかけた、真っ直ぐで優しい自分へと立ち返る歩みでもある。

 今回ナンパイなりの本気を感じ取り、プレッシャーのかかる送辞の大役を、色んな人と自分自身からの信頼を支えに乗り越えたことで、京ちゃんはもう一つ、自分を好きになる。
 山田杏奈を好きでいて良い自分に、証をもう一つ積み上げる。
 僕がこのエピソードが好きなのは、自分を好きな山田のためだけでも、山田を好きな自分のためだけでもなく、京ちゃんがカンペなく読み上げた心からの言葉が、確かに何条ハルヤにも向いて、届いたことだ。
 そうやって本気で他人と向き合ったことが、結構広いところへと届いていることだ。
 京ちゃんが想定すらしていない、学びやを同じくし卒業式にすれ違う人たちは、坊ちゃん刈りの小柄な後輩が思いを込めて真っ直ぐ告げた言葉を、心のどっかで覚えているかも知れない。
 なにかの役に立つかも知れないし、泡のように弾けて消えていくかも知れない大事な一瞬から、京ちゃんは逃げることをやめて腹を固め、光の方へと進み出す。

 ナンパイが自分が負けること確定の儀式を、カーテン一枚隔てた京ちゃんの間近で執り行ったのは、そんな彼の顔を見てしまったからであり、本気で好きになった子を奪っていく恋敵のことを、嫌いだけど憎めはしなかったからだろう。
 肩組んで大の仲良しというわけでも、堂々殴りあうわけでもないけど、後ろから自転車投げ飛ばすようなヤバい関係とは、違った場所にたどり着けた二人。
 それぞれの道は別れ、京ちゃんを主人公とするこのアニメはその片側を置い続けるわけだが、そうやって負けることでしか先に進めなかった不器用な少年の未来も、確かに何処かへ続いていく。
 俺は、それが凄く良いなと思うのだ。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第18話より引用

 

 つーわけで若人の話をする前に、先生の話をしたい。
  京ちゃんに送辞を依頼した彼の働きかけがなければ、今回のお話もまたない訳だが、彼はあくまで脇役、人生に大事なことを京ちゃんに教える熱血教師……というわけではない。
 しかし京ちゃんが彼をあまり見ていなくても(だからお話の中で、大きな役割をもって描かれなくても)、教師として大人として彼は不登校になりかけたヤバい生徒を結構良く見ていて、数ヶ月前は想像もできなかったくらいクラスでの京ちゃんの世界が広がっていることを、受持期間最後の花束として受け取っていく。
 山田をきっかけに男女問わず友好の輪が広がり、色んな人を見て見られるようになった京ちゃんだからこそ、送辞を頼めると見込んだ。

 カンペを忘れ、ギリギリに追い込まれた状況で京ちゃんの方を掴んでグイグイ望まぬ方に押しやる担任の掌に、”信頼”という青臭い、自分には似つかわしくない光が宿っていることを、京ちゃんはしっかり認識している。
 捻くれたヤバい感性では、自分を追いやる悪意と受け取ってしまいそうな重荷の意味を、真っ直ぐ見れるようになっているのだ。
 クラスメイトの死姦妄想してシコってた激ヤバくんが、そういう人になった(あるいは戻った)のには、今回描かれるように色んな理由があろう。
 その一つとして、大人として教師として当たり前に京ちゃんを心配し、信頼し、見てくれていたオッサンがちゃんといると、描いているのが僕は好きだ。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第18話より引用

 そんな圧力に背中を押されて、京ちゃんは光と闇が明滅する場所へと進み出していく。
 山田杏奈との出会いを光として、ヤバい京ちゃんを影として描くグリザイユはこのアニメの特徴的な演出であり、一期からずっと継続しているモチーフ(あるいはテーマ)だけども、送辞の中で明確にそれが言葉になる今回は、より鮮烈に光と影の間を、主役が行ったり来たりする。
 お仕着せの送辞を顔下げて読んでいるだけのリハーサルを終えて、京ちゃんはもはや日常となった眩しい光(主に山田杏奈から発する)から引っ剥がされ、暗い影へと身を投げる。
 ここで、ナンパイが京ちゃんの惨めな姿を見ている描写があるのは、結構大事だろう。
 世界の暗い方に沈み込んでしまいそうな重力を、引っ剥がして行くべき場所へ連れて行ってくれるのも山田杏奈であり、彼女に手を引かれて京ちゃんは明暗が濃い体育倉庫へと進み、ナンパイが後輩の告白を断る瞬間を目撃する。
 失敗するのが怖くて、ついつい逃げ出しそうな自分を眩しい場所へと連れ出してくれる山田の特別さが、いつものように友達では親しすぎ近すぎる距離の中で明滅する。

 盗み聞きの形になった後ろめたさと、山田の顔に現れているだろう答えを見る怖さがないまぜになって、二人の顔は一回影に沈む。
 それでも受け取ってしまったイヤな奴の本気を裏切れないと、顔を上げて逆光の中で、京ちゃんは送辞を頑張ることに決める。
 山田杏奈に顔向け出来る自分を、どうにか形にしてみようと思うのだ。
 二人きり、狭くて近い場所でこういう強い思いをやり取りしている時点で、ナンパイに勝ち目はない……ってことを、彼はいつかの夕暮れ、自分を置き去りに好きな人が京ちゃんの手を取って駆け抜けていった時、既に思い知っている。
 それでも、京ちゃんと山田を青春の真っ只中へと導いた夕暮れの渡り廊下と、同じ景色に彼も立っている。
 それは昼と夜、子供と大人が混じり合う、思春期の景色だ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第18話より引用

 ドヤ顔で賞状掲げて、世界の全部がバカだと言い切れるような幼い思い上がりに、存分浸ることが出来た時代は、中学二年生の市川京太郎にはもはや遠い。
 世界を見る目、世界に見られる顔を覆い隠す前髪から、京ちゃんの意志を示す瞳が見えているのか見えていないのかも、光の明滅と同じく繰り返され続ける、このアニメ特有のモチーフである。
 家族(特に京ちゃん好き過ぎるラブリーな姉)の助けなども借りつつ、なんとか試練に向き合おうと足掻く時、その前髪は視界を半分塞いで世界はなかなか良く見えない。
 世界の方も、京ちゃんの顔をよく見れない。
 カンペを忘れる一大アクシデントの後、逃げかけてなお立ち上がるための自問自答を経て堂々顔を上げた時、友達に整えてもらった髪の毛の間から、青い瞳がよく見える。
 それは京ちゃんの視界に、もう髪はかかっていないということだ。
 世界が良く見える場所は、世界から良く見てもらう場所でもある。

 そこに立つまでに京ちゃんが奮い立つためには、もちろん柴犬のストラップがいる。
 自分が山田杏奈と特別に繋がっていて、それを大事に思う気持ちを形に変えて託し、失われかけて必死に探し、誰かの好意を顔上げて見つけた、小さな冒険の証。
 前を向いて世界に顔向けできる自分を頑張る時、その理由はいつでも山田杏奈で、しかし山田を好きでいることは、京ちゃんの秘めた望みを常に叶えていく。

 自分を好きになりたい。
 世の少年が大概そう願う、ありふれて切実な願いを彼はずっと抱え続けて、叶いそうもないからヤバくて嫌いな自分になりかけて、本当はそうなりたくないのだと、恋の中で知っていった。
 山田との関係に悩む時、正しい答えや本当の願いをイケてる声で差し出してきた知らない誰かが、他ならぬ自分だということにも目を向けた。
 いつもは気楽に実体化していたイマジナリー京太郎が、その本性を示すかのように不可視の内言として立ち上がってきて、京ちゃんがたった一人、自分だけを抱えて立つしかない場所に進み出す中で、決定的な仕事を果たすのが好きだ。
 それは、どこにもいなくて一番近くに居続ける、自分という他人の声だ。
 誰かに見られることも聞かれることもなく、それでも自分だけにはいつでも聞こえてしまう、強がりと裏腹なカッコつけた願い。

 山田に好きになって欲しい。
 強くて優しい自分でいたい。
 『バカじゃねぇの?』と、大人ぶって賢く距離を取ることで諦めようとしていた思いは、山田杏奈と出会うことで自分にも制御できない形を得て、思春期の煩悶を面白く彩ってくれた。
 そんな自分の似姿が、自分に問いかけ自分を信じる気持ちでしかないことと、それがあればこそここに進めた事実を、京ちゃんは顔を上げて受け止める。

 彼は、あるいは僕は、確かにそこにいる。
 色んな人の優しさとありがたさを噛み締めた上で、逃げたくなる自分を振りちぎって勝負の壇上に突き進む時に、誰よりも自分を信じてくれたヘンテコな自分が、妖精のごとくそこにいてくれるのは、綺麗で美しい景色だ。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第18話より引用

 自分自身からの/への信頼に背中を支えられて、京ちゃんは未だ紙に描かれていない自分だけの言葉を、自分の口から絞り出していく。
 それはここに至るまでの物語を噛み締めての個人的な総括であり、同じ季節を学び舎の中静かに共有していた、一瞬の戦友たちに送る言葉でもある。
 傷つきやすく臆病で、後ろめたく痛みから逃げ出してしまう僕たちが、それでも光眩い方へと進み出す理由。
 それを言葉にする時、京ちゃんは山田杏奈を見て、山田杏奈に送り受け取ったストラップを握りしめる。
 それがあるから、今ここに立てているのだという事実を確認する。
 暗号のように、未だ真っ直ぐ伝えられていないたった一人への愛と感謝を、それが照らしてくれた己の弱さを、堂々と語り切る。

 しかし隠れるところのない広い場所に立ってしまっている以上、京ちゃんの立ち姿も言葉も二人きりでは収まらず、学友や姉や先生や恋敵に受け止められてしまう。
 個人的な思いのこもった言葉は、世知辛いようでいて思いの外暖かな人たちの心に届き、彼らからの視線は京ちゃんを傷つける刃ではなく、彼が積み上げてきた生き方への祝福となって眩い。
 世の中全てがバカに思えた幼い日には、ちゃんと見れなかった/見てもらえなかった、公の場所に己を晒し赤心を語る意味と価値。
 そこに顔向けできる自分を震えながらやりきった時、京ちゃんの頭上には強い光が宿る。
 ムカつく恋敵にそんな素敵な立ち姿を見せつけられてしまった、ナンパイのなんとも言えない顔が俺は好きだ。
 あと愛弟の晴れ姿を間近に聞き届けた、市川華菜の満足げな笑みもな……。
 お姉はホント、京ちゃん好きすぎ。(そんなお姉が俺は好き)

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第18話より引用

 卒業式という、沢山の人が関わる公的な空間を照らす光はあまりに眩く、個人的な影を遠ざける。
 そこでも強く輝けたことが、京ちゃんをまた一段見晴らし位のいい場所へと連れて行くわけだが、その烈しさはナイーブな少年には毒である。
 かつて山田杏奈と決定的に出会ってしまった、保健室のベッドに横たわりながら、京ちゃんはナンパイが自分の恋心を気持ちよく殺すための儀式に、カーテン一枚隔てて隣り合うことになる。
 京ちゃんと触れ合うときとは明らかに違う、礼節を保って遠く隔たれたねじれの位置が、もう分かりきった結末をフィジカルに語るわけだが、それでもなお形にしなければいけない切実さが、南条ハルヤにはある。
 山田の気持ちを考えない勝手な押し付けだし、最後の最後まで自分の柔らかく弱いところを見せない強がりだし、同じ気持ちで共鳴することのないすれ違いだし、つくづく京ちゃんが山田に差し出したものとは、真逆のふるまいだ。
 それでも、軟派で本気な彼が今、そうするしかない熱がこの眩さの中には宿っていて、山田杏奈を光と見つめていたのは、市川京太郎だけじゃなかったのだ。

 色々無神経なところのある山田が、サッカーが本当に好きだったナンパイの横顔を、その本心にけしてたどり着けないままちゃんと見ていたのが、俺は好きだ。
 京ちゃんと触れ合う中で他人の顔を視るようになった結果かな、と思いもするし、あのたそがれた横顔にどんな痛みを抱えていたのか、山田にだけは知られたくなかったナンパイのプライドが、守られた触れ合い方だなとも思う。
 山田は京ちゃんとの間に願うほど、緊密であけすけな関係をナンパイとは望んでいないし、望んでいた体温と湿度を手渡してくれる存在だからこそ、京ちゃんを特別に好きになった。
 ナンパイは山田が溢れさせる思いに重ねて涙を流せないし、京ちゃんは流せる。
 流れてしまうし、どうやってもナンパな仮面の奥にある柔らかなものを、本気で好きだった女の子の前では外せない。

 少年たちが少年なりに持っていて、だからこそお話がこうなるしかなかった業が瞬く向こう側で、優しい女の子達がそれを見届けているのも、僕は好きだ。
 間宮先輩がナンパイ玉砕の結末を邪魔することなく見届けるのに、武士の情け的な潔さを感じたりもするし、ここで大事な友だち二人を守るために、萌子が牽制かけてくるのも良い。
 テストの順位からも解るように、萌子は相当に頭の良い人なわけだが、大晦日のファミレスで京ちゃんの本性を聞き届けて、それを信頼することにした彼女のクールじゃない一面が、ここで燃えてるのが好きなのだ。
 山田は戻ってきたストラップを指でなぞりながら、それを握りしめて堂々言葉を編んだ少年だけを思っているだろう。
 そこにいるとは思ってもいない、優しい戦友がいてくれることが、自分のことを彼なり本気で好きでいた少年の恋を正しく殺して、自分の気持ちを山田もまた言葉にする助けに、確かになっている。
 色んな繋がり方とすれ違い方が、卒業式の夕焼けには瞬いている。

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第18話より引用

 南条ハルヤはなぜ、去り際に悪し様な嘘を(おそらくバレると解って)付いたのか。
 アニメで選び取られ作り上げていく”僕ヤバ”を、噛み砕いて腹に落とし込むのは自分には結構な難儀で、このアニメオリジナルな場面が何故描かれたのか、自分なり確言することは今はできない。
 ほんと、ナンパイに関しては難しいアニメになってると思うよ正直……。
 しかしまぁ、そう言わざるを得ない青年として南条ハルヤをアニメが受け取り、描き、組み上げたのは一つの事実であろうし、描き切られてみると結構好きな造形ともなった。
 クールにかっこよく、何もかも明け渡し手渡して恋敵の天使になれる正しさに、殉じきれない勝手な男。
 それがサッカーホントに好きで、それを残酷に奪い去られた痛みにカッコつけた強がりつぶやくしか出来なくて、ヤバい自分になろうとした弱さを涙ながら預けれた素直な京ちゃんとは、どうあがいても勝負にならなかった一人の少年の、偽らざる顔なのだろう。

 この往生際の悪さは、俺は結構好きだ。
 アニメが選び取った描写によって縁取られた、アニメの中に確かに在った南条ハルヤが、俺は好きだったのだ。
 同情されて愛されるより、強がりな嘘で別れていく方を選んじゃう捻くれ方が山田にハマんない理由なわけだが、そういうヤツだって青春にはいるだろうがッ!!
 主役が決別できた自己防衛のためのプライドの鎧を、脱がせないやつだって本気で生きてるし、それに振り回されもするしと、横幅広く描いてくれたのは、やっぱ好きだな。

 

 つーわけで間接的に告白受け取っちまった京ちゃんであるが、ヤッたオーラを漂わせつつも二人きりの時間を速攻切り上げ、ぐるぐる目ん玉でまだまだ青春は続く。
 『いやもー決着(おわ)わってるだろ……解答(こたえ)出てるだろ……』と皆が思っているだろうが、当人たちの心が整い”機”が訪れなければ、ラブコメはクライマックスにたどり着かないんじゃいッ!!
 山田も京ちゃんも、ナンパイが強がりながら差し出してくれたものの価値を解る人へと自分たちを育てたので、ここで聞き届けてしまったものは気恥ずかしさの中に消えていくわけではないけども。
 まーまだまだ、二人には時間が必要って話よ。、
 二期も全然折り返しだしなッ!!

 さよなら、南条ハルヤ。
 俺は主役とは全く正反対に、軽薄で薄情で手前勝手で気に食わなくて、それでも少年らしい柔らかさを必死に強がって生き延びて、自分なりに自分の物語に一つしっかり、終止符を打とうと届かない光に手を伸ばした君が、凄く好きだった。
 選ばれることのない君も、当たり前の意地と尊厳を抱えて、夕日の中に確かに在った。
 それを描ききれたのは、このお話にとって、このアニメにとって、とても良かったと思う。
 ありがとう。
 次回も楽しみだ。