イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第20話『僕らは夜更かしした』感想

 終業式を迎え、期待と不安に胸高鳴る季節。
 一瞬の間隙に滑り込む微熱が、危険領域へと二人を誘う!! ……っていう感じの、春休みな僕ヤバアニメ第20話である。
 原作よりだいぶんナーフされているけども、いい塩梅に結構久々に下ネタ大盛りなエピソードとなった。
 春めいていて良いと思う。
 この”春”は作中の季節のことだし、テーマであり舞台でもある青春の”春”だ。

 京ちゃんと山田がお互いを鏡として、陰キャ陽キャ、弱さと強さ、幼さと成熟、男と女……様々な境界線を乗り越え混ざり合わせていくこのお話、思春期につきものな性欲に関しても、平等で対等な書き方を心がけているように思う。
 俺は京ちゃんが女性の欲望の対象になりうる、線が細くてチャーミングで性的な描かれ方をしているのが好きだ。
 それは個人的な嗜好にドンピシャって話であり、胸がデカくて顔がいい山田杏奈だけが性的対象として消費されるわけではなく、山田杏奈もまた京ちゃんに発情し、己の性をぶつける相手として時に貪欲に、時に恥じらいながら距離を探っていく思春期の主体であると、感じられるからだ。
 デカくなったり小さくなったり忙しい、京ちゃんの中の悪魔(ルシファー)は彼だけの専売特許ではなく、彼が眩しい光と憧れている綺麗な女の子だって好きな子に興奮するし、そんな自分を恥じるし、上手く手綱を付けてギリギリ難しい線上を、よろめきながら歩いている。
 そういう生身の手触りが、ぽわんと嬉しいエロティックなサービスつう以上の体温で作中にあることが、中学3年生になっていく彼らの息遣いを伝えてくれる気が、やっぱするのだ。

 クラス一の美少女を死姦する妄想でもって、ガッシュガッシュブッこく厳し目の妄想……”ヤバさ”から始まった京ちゃんの物語は、他者である異性を消費可能なモノ(その最たるものが、全ての抵抗力を剥奪された”死体”だろう)としてではなく、生きてる存在として受け止めることで先に進んでいく。
 物言わず、自分の欲望だけを反射してくれる都合の良いマネキンとして他人を見ることで、傷つきやすい自我をこれ以上血まみれにせず、ヤバさの鎧で守ろうとする防衛術が、市川京太郎の魂を腐らせるより早く、京ちゃんは目の前に溢れた光に飛び込んでいった。
 生来優しく誠実な京ちゃんは、性別もクラス内ヒエラルキーも自分とかけ離れてるはずの山田が生身の血と涙を流す存在で、尊敬するべき誇りと守るべき脆さを兼ね備えて、彼女なりの人生を頑張っている一個人だと、しっかり認識する。
 山田杏奈がどんな人間であるか、考え分かっていく過程はそのまま、市川京太郎が何を望み、今どこにいて、これからどこに進むかを照らす鏡になる。
 そういう歩みの中で、京ちゃんの性欲と愛情は真っ白に漂白されるわけではなく、トホホな悪魔色を元気に残したまま、今の僕たちがどうあるべきかフラつきながら、彼ら独自の形に研磨されていく。
 セクシャルな場面の多い今回、そういう手触りが新たに懐かしく感じ取れて、とても良かったです。
 俺は京ちゃんも山田も、ちゃんとエロいこのお話が好きなの!

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第20話より引用

 っていう前置きをしておいて、『足立翔が良い』って話から感想に入る。
 足立翔が良い。(二回目、あるいは出番がある度思うのでN回目)
 アニメで20話、作中時間で約半年、最初は『こいつヤベーな!』な距離感だった京ちゃんとアホ話を繰り返す中ですっかり仲良くなり、ダチの間合いでワーワーやってるのを見る度に、背骨を多幸感が駆け上がっていく。
 山田の光となりうるくらいピュアで”正解”な京ちゃんが選べない、リアルな男子中学生のダメさとヤバさと愛しさを体現しているキャラで、『こらモテねーわ……』という敗着ばっか繰り返している足立くんは、しかしありがたく可愛らしい存在だ。
 無敵のギャル様として、全員に義理チョコ配ってそつなく立ち回っているように見える萌子の純粋な部分に、『それがな!』で一気に切り込む真っ直ぐな所とか、ツンツンしているように見えてバレンタインのお返しをママに作ってもらい、あまつさえ手紙の文面まで預けてしまえる仲良し親子っぷりとか、爆裂する萌えどころが随所にある。
 足立翔が、良い。

 足立ママンがギャルノリ全開で書き上げた手紙は、多重勘違いを経て京ちゃん→山田のラブコールとして届き、少女は幾度目かの高鳴りに胸を弾ませる。
 足立くんのホワイトデイはやっぱ、メイン二人がネトネトイチャコラする前フリに収まっていくわけだが、しかしぶっとくときめきの本筋をおっ立てつつも、主役を取り巻く人達にも愛しい目配せをしてくれている所が、僕はこのお話で好きだ。
 山田に選ばれるだけの繊細な心配り、共感と勇気を主役である京ちゃんは背負うしかなくて、トホホでダメダメなクソ中坊力ってのは話が先に進む度削られていくわけだが、やっぱトホホでダメダメな部分こそがこのお話の特色であり、味だとも思う。
 否応なく削れていく”味”を、度し難い性欲にまじえて補充する今回、ダメ担当に思える足立くんの可愛げや人間味が、結構な尺使って書かれたのはやっぱ嬉しい。
 ……南条ハルヤにまつわるアレソレでもそうなんだが、やっぱ僕ヤバアニメ化においてこの、サブキャラ男性陣の描かれ方が一番気にかかってんだな、僕は。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第20話より引用

 つーわけで『中学二年生の僕たち』が終わる日、市川京太郎くんの誕生日、当然ながらイベント盛りだくさん、ピンク色濃いめでレッツゴー! である。
 誰もいない体育館で、制服姿のまま1ON1……大気中のアオハル濃度が法定数値を越えてそうなシチュエーションであるが、ぽよよん嬉しいハプニングよりも、山田杏奈がバスケ上手いのが印象に残った。
 シュートは下手くそ(そこが可愛い)んだけども、作画が気合を入れてくれたおかげでかなり良いディフェンダーだったと動きの端々から感じ取れて、そういう可能性を殺してモデルという道を選んだんだと、十数話越しに納得する描かれ方にもなっていた。
 ボールの持ち方も分かんねぇところから、京ちゃんを翻弄するくらいバスケ上手くなるには結構な努力が必要で、つまり山田はバスケが好きだったのだ。
 でも辞めなきゃいけなくて、泣いて泣いて顔を上げて前に進んで、今ここに立っている。
 影の中にある京ちゃんにとって山田が眩しく見える表現は今回も元気だが、山田から見た京ちゃんもまた光の中にあって、お互いがお互いを照らし励まし合いながら、ここに来たのだ。
 そうなるべくしてなった納得と、『そうじゃない道も、ありえたのかもな』という想像がないまぜになって、バスケシーンは大変良かった。

 そっから怒涛の誕生日おめでとうラッシュになだれ込んでいくわけだが……市川家が仲良し過ぎるッ!
 京ちゃんパパは控えめな人なのであんま目立たないけど、姉筆頭に元気で仲良しな家族の一員であり、家族の輪の中でニコニコしている姿がよく見えて、大変良かった。
 足立ママンもそうだが、ゼリーのように脆く震えている思春期の少年たちを、当たり前に特別に優しく見守ってくれる家族の姿が、確かな存在感で作中にあるのはとても良い。

 

 そういうほんわかテイストを、山田杏奈の劣情が押し流しても行くんだけどさ……。
 股間に宿るルシファーが権限を果たす今回、全体的にエロティックなネタが多いわけだが、『同性の姉』というフェイルセーフが浮かれ飲酒で速攻ダウンし、『交際未成立のままお泊り敢行』という無法がまかり通るの、熱量高くて良い。
 メッチャ気に入ってる美少女と仲良く過ごし、可愛い弟の誕生日にうめー肉を食い、幸福のストッパーがぶっ壊れてあっという間にぶっ潰れる市川香菜(20)、やはり好きすぎな……。
 親に嘘ついて好きピと夜を過ごす背徳感に、山田が酔っ払っている感じも漂ってて、京ちゃんのテンパリっぷりにピントが合ってはいるのだが、色んな人の特別な日が見れる回である。

 傍から見てると『もう正解(おわ)わってんだろー!』と言いたくなる、バレバレな二人の恋心。
 しかし当人たちには瑞々しく震え続ける、扱いの難しい危険物であり、踏み込むべき”機”を慎重に待ちつつ自分と相手の気持を見据えて……みたいな足踏みを、イベント盛り沢山な現実はなかなか許してくれない。
 余裕が生まれる間もなくありえねー爆弾が炸裂し、かっこよく決めようと考えてた全部ぶっ飛ばす感情の大嵐の中を、泥まみれ手探りで一歩ずつ、前に進んでいく。
 そういう青春ライブリポートを元気に動かすにあたって、”性欲”つうのは大事かつパワフルな燃料であり、翻弄されつつも押し流されない

奮戦を、楽しく見守る回でもある。


 好きだからこそ身悶えし、多分好きじゃなくても好きになっちゃう”熱”が燃え盛る、ハッピー&ラッキーな桃色イベント。
 性欲と純情の間で激しく身悶えする京ちゃんにフォーカスが置かれて、凄まじいアプローチで迫る山田の内心が見えない所が、話の勢いを殺さないまま面白い奥行きを生む回でもある。
 エロティックな誘惑の奥にある本心を、自分と相手の間に流れる激浪に翻弄されつつ必死に探って、手繰り寄せる戯れ。
 複雑な暗号が凄くシンプルなはずの身体の周囲を飛び交っていて、つくづく恋と性のコミュニケーションは難しい……と思わされる場面だ。
 どうするのが正解なのか、あまりに難しいドア越しの手渡しだとは思うのだが、ここで山田が欲しい距離感で、山田が欲しい手応えを迷った末に手渡せることが、京ちゃんを主役にしとるわけだな。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第20話より引用

 この暗号の複雑さは夜更けに加速し、中学生ながら”仕事”を持っている山田の社会性と混じり合って、なかなか面白い色に光る。
 やっぱ京ちゃんから見るとビッカビカに眩しい、光そのものとして自宅ですら描かれている山田杏奈が、なぜ輝いて見えるのか。
 モデルとしての経済的・社会的活動を通じて、一足先に何者かである自分を大人に認められ、努力して証明している在り方は、彼女がすき焼きもしゃらもしゃら食べる時の幼さとか、上気した肌に宿すエロティシズムとか、寝たふりをして口づけを待つズルい計算高さと、相殺するものではない。
 色んな山田杏奈があって、その全部が山田杏奈であるからこそ、市川京太郎は山田杏奈のことをもっと好きになって、大事にしたいと思う。
 山田杏奈を大事にすることで、そうする自分のことも、自分を柔らかく包んでくれる誰かも大事にできると、自覚なく”正解”を選べてしまう所も、京ちゃんの主役力である。

 反抗期気取りつつも、京ちゃんの思春期は可愛らしい優しさの刃で家族と戯れる、平和なものだ。
 幸せで温かな胞衣を引っ剥がそうと暴れる自分が、その実家族ではなくままならない自分自身に反抗していることに、今の京ちゃんは自覚的だ。
 山田の”仕事”をクリティカルに助けるその言葉を、果たして半年前、”ヤバいやつ”に成り果てようとしていた京ちゃんは言えたのだろうか?
 エロティックな触れ合いや暴走する妄想も含めて、目を焼いた眩しい光から逃げず……逃げれず恋と青春に取っ組み合いを仕掛けた結果、京ちゃんは自分の反抗を客観視出来る自分を、取り戻せたのだと思う。

 そういう意味でこの真夜中の語らいはここまでの集大成であるし、ここからの二人を描くゼロポイントでもある。
 無防備な唇に心音高鳴らせ、しかし奪いはしない距離感を市川京太郎が選び取ったことを、山田杏奈は知っている。
 そうして試し、確かめ、嘘すらつく強い気持ちを、確かに抱えている。
 市川京太郎にであれば、己のすべてを許してもいいと思える特別さを、確かに感じている。

 

 現状、二人はここまで来た。
 ここまで来てなお、まだ詰めきれぬ距離があって、ではそれはどう飛び越えていくべきなのか。
 残り一ヶ月、アニメが描くべき物語をどう駆け抜けてくれるのか。
 次回も、僕はとても楽しみだ。