イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第16話『掃除屋/みりん干し』感想

 迷宮変貌の法則を解き明かしても、なお見えぬ運命と心の行方。
 3パーティーが一同に介して、交わったりぶつかったりする結節点、ダンジョン飯第16話である。

 ここまで別視点に隔てて描かれた、ライオス・シュロー・カブルー各一行が合流して、物語の激浪が彼らを押し流していく寸前の一休み……という塩梅のお話。
 切れ者チルチャックが己の職分を見事に果たし、物理的迷宮から帰還する道筋を立てるものの、運命と人間関係という複雑怪奇なもう一つの迷宮を見誤り、ヤベー男どもを触れ合わせた結果、のっぴきならない状況が発火する話でもある。
 『こっちのがヤバい!』と土壇場で勝負を張った、マイヅルとセンシの方は心を込めて食事を作る者たちの共感で穏やかに繋がり、ライオス一人きりにしたシュローとの対峙は境界線を見誤って一触即発の大惨事と、弘法も筆の誤り、チルチャックだって判断力チェックにファンブルするわなぁ! という展開になった。

 

 3パーティーが合流して賑やかになる前、最後のライオス式”ダンジョン飯”として描かれるのは、ダンジョンの恒常性を保っているダンジョンクリーナーの生態だ。
 放っておけば傷ついたまんまなリアルな損傷を治し、永遠にハック&スラッシュしていられる欲望の器を維持し続けるからくりは、目に見えない小さな生き物が生態系を維持しているからだ。
 幾度か語られた、一つの大きなエコシステムとしてダンジョンを見る視点を更に補強する描写だが、ライオスはそれも口に含んでみる。
 人間の舌には合わない食材だが、ライオスは『美味い/不味い』というグルメ漫画的価値観軸で魔物食を評価していない部分があって、これも一つの経験と激マズ食感も含めて味わってる感じがある。
 傍から見ればイカれた社会不適合者だが、しかしそんな好奇心や鷹揚な態度がどれだけ楽しいものか、1クール見守ってきた僕らには結構共感できる姿勢といえる。

 クリーナーは惨劇の跡を上手く隠蔽し、チルチャックがどう誤魔化したものか悩んでいたファリンの痕跡をかき消して、地上への道を開いてくれる。
 しかし階段を目の前にしてまき起こった諍い、ライオスが不用意にパナシた真相開示で、地上に戻るルートはとたんに危うくなり、人間同士のゴチャゴチャを全部ひっくり返す衝撃の異形が顔を見せもする。
 人を危機に陥れるはずのダンジョンが、チルチャックが一瞬夢見た希望へのマッピング通り道を作り、眼の前の相手の胸の中にある迷宮を読み残ったパーティリーダーがより深い奈落に自分たちを突き落としていくのは、なかなか皮肉で面白い構図だ。
 ライオスは魔物が蠢くダンジョンに惹かれここまで辿り着いたわけだが、カブルーは黒魔術のヤバさ引っくるめて人間が織りなすよしなし事全てに愉しみを覚え、複雑に絡み合う情念と関係全部に魅入られている。
 そしてシュローは東国のしがらみを引きずりながら辿り着いた異国で、出会ってしまった北方人への恋に飲食も忘れてのめり込み、ようやっと運命のたどり着くべき場所へと足を運んだ。
 人と人の間、人の内側にも”ダンジョン”はあり、攻略され簒奪されるばかりと思える”ダンジョン”にも人間に似た不思議な面白さが、確かにあるのだと改めて描く回である。

 

 人間と人間が触れ合う領域において、カブルーは壊すも繋ぐも思うがままな達者を見せる。
 どこか高みから興味本位、修羅場も愉しむ意地の悪さを冷ややかに匂わせつつ、地上の倫理から逸脱したヤベー魔物食野郎の懐にするりと入り込み、発言を誘導して情報を得ていく。
 先週チルチャックが危惧していた、人を見抜く眼力や適切な話術に欠けているライオスの危うさに、思い切り付け込まれる形で”迷宮攻略”された……とも言えるか。
 ライオスも脳みそ空っぽのカカシではなく、下手くそなりに嘘をつき間合いを測るわけだが、専門領域には舌が軽くなるというマニア特有の弱点を付かれて、ベラベラ喋って地金を晒すことになる。
 まーここで自分を隠し通せる器用な男を気に入って、ここまでこのアニメを見てきたわけではないし、イカれっぷりの奥に確かな人間味があればこそこのお話は面白いわけだが、対人心理戦において全く、ライオスはカブルーに勝ち筋がない。

 シュローが激怒する呪われし復活を、ライオスは後ろめたく感じている気配すらない。
 そういう芝居をすれば、シュローから共感の欠片でも盗み取れそうなうろたえ方をせずに、ゆらぎのない瞳で自分が感じていたこと、仲間に共感して欲しい事を真っ直ぐ突き出す。
 ストレートにしか生きれない、感じ取れないこの気質が地上に展開する人間たちの社会では雑音の源となり、ライオスを迷宮で生きるしかないアウトサイダーにしていった様子が、容易に想像できるガンギマリっぷりだった。
 いいとこの子弟として、社会常識をある程度以上身につけているシュローにとって、黒魔術行使の大罪を平然と語るライオスは、対話不可能なモンスターに見えているかもしれない。
 この難物をどう斬り伏せ、調理し腹に収めていくか。
 あるいは許せず斬り殺してしまうか、そういう土壇場にやせ衰えたサムライは立っているわけだが……まぁヤベー奴だよなライオス、普通に考えて。
 ここら辺の価値観にチルチャックが近いってのを、黒魔術師マルシルへの当てこすりで既に書いているところとか、やっぱ好きだな。

 

 カエルスーツにツノカブト、レンガ齧りの激ヤバ集団を、魔物と同等の存在と警戒したマイヅルの判断は偏見と切り捨てるには妥当であり、主人公一行以外の視点を作中に持ち込んだからこそ、気づけば慣れ親しんだキャラクターの異常性を、客観視するタイミングが来たとも言える。
 色んな人がそれぞれの角度から、自分に見えている世界や他人をマッピングして、誰が仲間で誰が魔物なのか見定めている、複合立体視の迷宮探索。
 爆発しそうな危険物と監視の目を届かせた、センシとマイヅルの調理場ではとても穏やかなコミュニケーションが育まれ、仲間たちが久闊を叙するはずの密室では、ライオスの魔物的価値観が不用意に飛び出し、マトモなシュローを打ちのめしていく。
 まこと一寸先は闇、道が見えたと思ったら迷い道くねくねの迷宮探索行であるが、では”マトモ”なシュローの考え通り、死の運命を受け入れて火竜に食われたファリンを諦めていれば良かったのか。
 ありえぬ富が溢れ、死者も生き返る奇跡の地が、ここ迷宮なのではないのか。
 そういう問いかけも、暖かな東洋飯作りとギスギス人生劇場の間で、面白い色合いを見せてきている。

 愛する肉親との離別を諦めきれない、ライオスの”人間らしさ”にも共鳴は出来るが、しかしこの世界の社会規範を当たり前に背負ったシュローのドン引きも、そらそうだと理解できる。
 かつてカブルーが兄妹を評した、『善人ではなく人間に興味がないだけ』つう言葉を裏打ちする、非人間的なズレ方が可視化される回だと言える。
 生き死にの土壇場で禁忌に踏み込むことを選んだマルシルといい、魔物食にためらいがない隠者たるセンシといい、そういう魔物性をライオス一行は、どっかに秘めている。
 ……どっちかと言えばシュロー的なマトモさを、備えているからこそパーティーの知恵袋になれているチルチャックは、貧乏くじ引くポジションだよなぁつくづく。

 では、この迷宮のどこに出口があるのか……あるいは”魔物”を殺し進むことで突破するのか。
 おぞましい怪物をなんとか料理して腹に収め、自分の一部と変えていくのか。
 簡単に見つからないからこそ迷い込み探る物語は、一触即発の危険を孕んだまま、まだまだ続く。
 人間の心のなか、あるいは人と人との間に広がっている迷宮は、より広く大きな”運命”にも足を伸ばして、様々な人を飲み込んでいく。
 ライオス達が迷宮を食っているように見えて、その実迷宮が人間たちを食っている入れ子の反転構造が可視化されていくのも、シュローやカブルーといった異物をライオス達に切り込ませ、新たな視点を付け足したからこそだろう。


 マルシル達と視聴者がうっかり美味しく楽しいものと馴染んできた、魔物メシがドン引き必至な異常行為であり、それでも命を繋ぎ願いを叶える大事な営みだった事実も、フツーのメシを作るマイヅルの手つきで、新たに照らされてきた。
 我が子同然に慈しんできた”坊っちゃん”が、寝食を忘れてやせ衰える悲しみを癒やすように、手ずから作った美味そうなメシを、危機を目の前にしたマイヅルは手放し符を握る。
 欠乏を満たすものであるよりも、戦うものであることを選んだ彼女が捨て去ろうとしたものを、センシがコミカルにキャッチしている様子が、僕にはとてもありがたいものに見えた。
 それは空中に危うく揺らぎつつも、まだ盆の上に乗っかって皆で食べれるものなのだ。

 ライオス達の楽しい冒険をカトラリー代わりに、この魅力的な世界を味わってきた僕らとしては、ファリン復活のために彼らが選んだ道が全部間違いだったと、地上の理屈で断じて欲しくはない。
 ましてや人間マニアの楽しい観察対象として、興味本位で引っ掻き回される言われもない。
 しかしそういう反発を突き抜けて、シュローやカブルーが持ち込んできた新たな視線は、確かに主役一行が選んでしまった道の危うさや問題を浮き彫りにし、当然起こり得る問題を表に引っ張り出してくる。
 というかカブルーがライオスの人となりをジロリと観察しているのは、能天気生物マニアに見えていない破局を回避するべく、大局的視座に立っているからこそだ。
 私的興味を満たしつつも迷宮の外に拡がる大きな世界、身内(パーティー)に収まらない広範な正義感を持ってる”マトモ”な人間は、やっぱり彼……あるいは愛する人の呪われし蘇生に真っ当に怒れる、シュローの側なのだ。
 しかしこの話……つうか血湧き肉躍る冒険譚全般、マトモじゃないからこそ面白くもあってな……。

 

 踏んだら終わりの対話トラップも、話していたらひょっこり顔を出すドン引きモンスターも、山ほど潜んでいる社会と世界をどう進み、どんな宝を持ち帰るのか。
 対話不能なモンスターではなく、対話必須な人間が話の真ん中に踊りだしてきたからこそ描かれる、融和と対立……その先に待つだろう決断と運命の物語は、人と怪物の中間点に立つキメラを画面に写し、不穏に次回へと続く。
 見知らぬ同士が交流するドラマを豊かに織りつつ、いいタイミングでテーマや価値観を相対化し、客観視した後に何が描かれるのか。
 次回も楽しみ!