不協和音は、静かに深く。
未解決のまま豊かに、楽譜を踊る。
地区予選を前に、複雑な揺らぎを見せる黄前久美子の表情を、執拗ですらある細やかさで折り重ねていく、ユーフォ三期第6話である。
100人の部員を束ねる部長、後輩の思いを受け止める先輩、進路に悩む高校3年生、どうやっても受け止めきれない”友達”に悩む少女。
様々な顔を持つ久美子が、不安と決意を混ざり合わせながら彼女を旗手に進んでいく北宇治吹奏楽部の現状を見つめつつ、またカメラと部員に見つめられ、コンクール本番へと進んでいく前夜を描くエピソードである。
『京アニっぽい』という便利な言葉に統一されつつ、実は非常に多彩かつ多才な表現力で担当スタッフ、あるいは話数ごとの表現を追い求め続けているこのアニメ、今回は北之原孝将さんのコンテが複雑に揺らぐ視線を丁寧に切り取り、視線のフェティシズム 別の制服を着ながら部長という立場、音楽への情熱で確かに隣り合って並べる友達もいれば、光が強いからこそ暗い場所で顔も見ず、緊張感に満ちて横に並ぶ者たちもいる。
梓は梓なりに立華での物語の主人公として、色々複雑怪奇な人間模様を泳ぎきって元気に爽やかに、悩める久美子のありがたい助言者やってくれているわけだが、間に楽器ケースを挟みつつも親しげに繋がるこの距離感は、真由とのオーディション控室には勿論ない。
進路に悩む久美子に『音楽に携わってない久美子は、想像できない!』と告げる梓がただの便利な明るさ供給要員ではなく、彼女自身複雑な心の動きを経てその言葉を今、黄前久美子に紡いでいるのだと解るのは、細やかな指の動きを丁寧に切り取り、積み重ねて心理的フェティシズムを成立させている、表現力ゆえだろう。
梓が真っ直ぐな明るさで……結構頑張ってそんな色合いを作り上げて、久美子に向きあって届けた視線を受け取る時、久美子の表情は部長の重責に縛られても、大人びた優しさと余裕を作ってもいない。
とても幼いその素直さは、自分に真っ直ぐ向き合ってくれる、同じくらい音楽と勝負に本気だからこそ信用できる友達だからこそ、生まれ得たものだ。
真由相手には、未だ作れていない土台がしっかりあるからこそ、美しい宇治川の夕景に刻まれる心の交流は成立している。
この赤心の交わりを描いた直後に、ガラス越しの不鮮明な距離感が印象的なオーディション控室をゴリゴリに書き込むの、ほんとに京アニらしい鮮烈な残酷さで、めっちゃ最高だと思う。
あがた祭を終えてオーディションが迫り、部内の空気は静かに緊迫しだす。
しかしあくまで『みんなで一つになって、全国金を目指す厳しくも楽しい部活』である北宇治吹奏楽部において、衝突や内乱の予感はそこかしこに見えつつも顕在化することなく、あるいは発火する前に愚痴を幹部ノートにしか書けない黄前部長が受け止めて潰し、白々しくすらある清々しさの中で、皆が青春を謳歌している。
カメラマン/観察者という特権的立場に自身を対比することで、被写体にならない世過ごしを身に着けている真由も、焼き増しが面倒くさいアナログフィルムにこだわりつつ、写真を手渡しし皆と同じ夏服に着替えることで、なんとか部活に馴染もうとしている。
久美子もそんな努力を見つめ、認めつつ、どうしても肌に合わず馴染まない違和感を乗り越えられない……自分に、結構な嫌悪感を感じている様子が、彷徨う視線と変貌する声色に、強く滲んでいる。
タイトルにあるディゾナンス……不協和音はオーディションの衝撃が揺らす部内の人間関係、あるいは鏡合わせに歩み寄れない久美子と真由の距離感だけではなく、高校3年生の黄前久美子が着込んだ複数のペルソナ、それぞれの不一致にも及んでいる。
進路を決めかねる学生であり、100人からの部員のトップを束ねる部長であり、様々な思いを受け止める先輩であり、極めて真摯で優秀な音楽家であり、理性と感情の間で態度を決めかねている子どもでもある。
真っ直ぐに感情を叩きつけ、こういう複雑さに雁字搦めになっていた先輩たちに思いっきりぶつかっていくことで問題を前に進めていた、一年生の黄前久美子は背負わなかった/背負えなかった/背負う必要がなかった複数のペルソナを、久美子は使い分け時に共鳴させることで、部と自分を望む高みへ押し上げようとしている。
その頑張りに救われてしまった久石奏が、戯けて意地の悪い芝居を軽妙に身にまといながら、時に言葉が足りない黄前部長のサポートを補うように、適切な言葉を投げかけているのが、チャーミングでいい。
これも自分の心地よい環境を維持する政治的努力と、ただただ黄前久美子を好きな純情の入り混じった複雑な行動だが、周囲の空気を見定めて頃合いを測り、適切な言葉を使う面倒くさい仕事を、久美子に言われたわけでもないのに率先してやってのけているのはまぁ、愛ゆえの行動である。
それを愛だと認められない素直じゃなさと、極めて分かりにくい屈折した形で発露する純情は、”誓いのフィナーレ”で久美子がこのクッソ面倒くさい後輩相手にガッチリ向き合い、心の柔らかい部分へ踏み込んだ成果だ。
思えば一年前の奏でも、迷える瞳の真由と目的は違えど、オーディションにしっかり向き合わない不誠実に踏み込みかけていたわけで、時の流れは人を変える。
あんなに甘えん坊で頼りなかったさっちゃんが、新人に”音楽”教えている頼もしさは後の展開への地獄めいたスパイスであり、彼女なりに必死に吹いてきた一年間の、正しい成果でもあろう。
制服を着替えても写真を手渡しても、真由は北宇治に馴染みきれない。
三年目の厄介な時期に迷い込んできた、不穏当な火種という、一年目の傘木のぞみにも似た難しいポジションを、敏い彼女は的確に認識して、自分から身を引くことでこれ以上疎外感に傷つかないようにする。
しかし北宇治の生徒たち自身が今年も、全会一致で『ガチって全国』を目指してしまった以上、その”みんな”から真由をはじき出すことは許されず、同調圧力と久美子の我欲に巻き取られる形で、真由もまた平穏よりも闘争を、思い出を守る優しい音楽よりも闘って勝つ激しい歌を、自分の音楽と選ぶことになる。
そうしなければ北宇治は北宇治で……北宇治を愛しきもはや自身が”北宇治吹奏楽部”ですらある久美子は、ひどく不安になってしまうのだ。
最初は諭すように伝わりやすい声色を作って、北宇治が選んだ(つまり、黄前久美子が自分のアイデンティティにしている)完全実力主義に加わるよう、幾度目か伝えていた久美子の言葉は、だんだん部長という立場、それが生み出す硬く強い装甲を引っ剥がし、柔らかな個人としての感情がにじみ始める。
それが表に出てしまうくらい、部長になっても久美子は不完全で未熟なままであるし、そうせざるを得ないくらい黒江真由という存在は、黄前久美子を揺るがすのだ。
そうなる理由はソリを奪いかねない確かな実力とか、その癖調和を重視して身を隠し秩序を保とうとする気質とか、三年で強豪にのし上がった北宇治の歴史≒久美子の個人的な青春譜を共有していないとか、まぁ色々あるのだが。
やはり久美子が時に泣きじゃくりながら本気で挑んだ吹奏楽に、本気になってくれない鏡合わせこそが、久美子の居心地を悪くするのだと思う。
三年前、中学最後のダメ金に泣けなかった自分を久美子は恥じていて、あの時のまま実力だけが抜きん出て成長した真由という影は、あり得たかもしれない/あってはいけない自分との対峙を強要してくる存在だ。
ただただ純粋に音楽に向き合い、魂を燃やし尽くし激しくぶつかりあって一つの歌にたどり着く、北宇治のユーフォイズム。
高坂麗奈と田中あすかを筆頭に、色んな人々と音楽を通じて向き合い、感情で殴り合って見つけた『本気になることの素晴らしさ』を、ともすれば自分以上の実力を持っている真由は、無価値……とは言わないが、平穏と楽しさに勝る価値だと認めない。
真由にとっても久美子は、清和から転向せず吹奏楽を続けられたらそうなっていたかもしれない、ただただ音楽にひたむきでいられた自分という可能性で、だからこそそうなっていない今の自分を、顔を見る度思い出す鏡なのだろう。
人間自分の顔を歪んだ鏡で照らされるのが一番不愉快なもので、久美子は『誰が私を愛してくれるの?』と、ユーフォを盾に顔を隠しながら訪ねた真由を相手に『私が!』と即答できない。
すぐさま、一切の計算もなく本心で……あるいはそう思えるくらいの打算で、例えば田中あすかならば答えて、自分がほしい未来をもぎ取っていただろう。
しかし久美子は、自分自身真由を受け入れきっていない柔らかで粘ついた感情を、三粘性/部長に必要な冷静な計算から切り離すことが出来ず、『みんな』と答えてしまう。
『その綺麗事は、何も答えていないのと同じだ』と真由は感じただろうし、久美子も部長としての空言が少女の魂に届いていない事実を、震える瞳で確認している。
その後ろめたさもあってか、問答は立場の鎧を外した非常にナイーブな色合いを帯びてきて、久美子はエゴイスティックで個人的な願いを、今の真由に届くわけがないと心の何処かで知りつつ、結構真摯に手渡そうとする。
それが届いていないことを、久美子の瞳はしっかり視ている。
この空転する瞳は、オーディションを終えようが本番に挑もうが、未解決の和音として譜面に残り続ける。
なぜならば非常にオーソドックスな青春小説の王道を走るこの物語は、どうしても受け入れられない他者の中に自己との対峙を果たし、己がどんな存在であるのか確信を持って掴み取るまでの、長い旅路をこそ主題とするからだ。
この話数で、真由と久美子の重ならない視線、部内のギスギスが収まらないのは、この違和感を起爆剤として最終盤に炸裂する、音楽と青春と己が全て重なり合い、55人の音楽が一つになればこそたどり着ける最高の栄誉を、物語のクライマックスとするための必然である。
とは言うもののギスギスネバネバしてばかりでは、僕も久美子もあんまりにも辛い。
なので長く苦しい道を走りきれるように、爽やかな青色の同志が学校の壁を越えて、美しい宇治川の夕景に寄り添ってくれる。
梓も清和の部長として異様な粘度で糸をひく感情の地獄を潜り抜け、彼女なりの物語を必死に走っている真っ最中だが、彷徨う指先にそういう複雑な心の名残を残しつつも、悩める友達に部外者だからこその心地よい気楽さで、適切なエールを送ってくれる。
こういう青春の給水所が細かくあるから、辛いばっかりではない旅路の明暗も複雑な色彩で描けるし、ギスついたストレスばっかだと死にそうになる視聴者にも、一瞬の癒やしが届けられるという寸法だ。
後まぁ、すげー単純に佐々木梓は良いやつだ。
久美子がイメージできていない『音楽をやっている自分』を、梓は極めて明瞭に力強く、未来のカタチとして断言する。
それが見た目ほど気楽なもんじゃないことを、彷徨う指先が良く語っているけども、しかしその心地よい一刀両断は久美子の顔から、悩みと部長の重責を削り落とす。
幹部ノートにしか吐き出せないはずだった、無防備で力を抜いた表情はちゃんと、こういう場所でも見せることが出来るし、視てくれる人もちゃんといるのだ。
そんな事実の再確認が、どん詰まりに流れ着きかけていた久美子の重荷を、少し削る。
の、だが。
同じ横並びの座りであっても、宇治川の水面を優しく照らす夕焼けの柔らかさと、日差しが強いからこそ影が濃いオーディション控室の景色は、全く色合いが違う。
真由と隣り合う時、否応なく久美子はこういう空気に身を浸し、あけすけで飾りのない信頼ではなく、ガラス越しの不穏当な不信と不安を、どうやっても滲ませてしまう。
梓との率直な繋がりを描いた直後に、同じ構図で真由との衝突を描くことで、相手次第でガラリと空気が変わってしまう人間の不思議、大人びて頼もしい姿を見せていた黄前部長の危うさが、より鮮明になっている。
果たして真由は、一応は伝えた久美子の願いを、北宇治らしいやり方を自分に引き寄せ、波乱なく”正しい”選択を果たしてくれるのか。
確信がないからこそ、久美子たちを切り取るカメラはガラス一枚隔てて遠い距離感を、画面の中に刻んでいく。
二年前、あるいは三年前の再演なるかと、ブルブル震えていた久美子の耳に届いたのは、しかし極めて流麗な本気の音だった。
第3話での一年生ボイコット未遂といい、既に描かれたトラブルを予感させつつスカして安心させ、その間にもっとデカい地雷を足元に仕込むのが、三年目のユーフォのやり口ではある。
真由は夏紀のように突っかかってくることも、奏のように間違った小器用さで手抜きすることもなく、望んではいない本気を誠実に絞り出し、他人を押しのけて椅子を奪う演奏を、しっかりとやり遂げた。
そこには音楽への好意と熱意と同じくらい、久美子と北宇治の一員であるために、その行動理念を尊重する意思が込められている。
でもそれは未だガラス越し、完全に心に届いて響く真実ではなく、未解決の和音は不協和のまま、次の曲へと持ち越されていく。
しかし久美子がなぜだか理由も分からないまま、自分の演奏に気合が入ったのは、僕は凄く良いことだと思う。
何を言うべきか考えながら吐き出す言葉や、煮えきらない仕草や迷う視線は、複雑すぎる情報量を背負って重たい。
しかし高校生活を吹奏楽に捧げ、全国トップクラスの演奏能力(つまりは音を聞く力)を鍛えてきた久美子に一番響くのは、やはり音なのだ。
どんだけ噛み合わななくても、気に食わないってことを言葉にすら出せなくても、音は久美子を裏切らないし、真由も裏切りのないメッセージを、実力に相応しくしっかり奏でてきた。
そこには余計な荷物がないコミュニケーションが成立していて、不穏で複雑な青春模様の中、嘘のないものがそこにあるのだと語ってくれていた。
それが物語のメインテーマとズレなく重なっているのは、僕が”音楽”の物語に望む構造そのものであり、大変嬉しい。
というわけでオーディションが終わり、さっちゃんを押しのける形で初心者すずめが選ばれ、いつも朗らかで優しい先輩の顔は、今回ばかりは親友にも見えない。
揺れる瞳の複雑な乱反射が印象的なエピソードだけに、ここで瞳が見えない重たさはずっしり響く。
第1話ラスト、全会一致で『ガチる』と決めた以上部員全員が覚悟の上で選別の厳しさに身を投げているはずで、しかし高校生の柔らかな心はそれを全部飲み干せるほどに強くはなく、発表後の廊下は悲喜こもごも、大変複雑な色合いのモザイクと化している。
俺だって”かけだすモナカ”で号泣人間、三年間の成果を掴み取った葉月ちゃんの笑顔を無邪気に堪能したいが、『完全実力主義』が生み出す苦さは、安楽にそこに視を投げ出させてはくれないのだ。
あと釜屋妹は心底姉が好きすぎ。最高。
繕った笑顔の奥に滲む辛さと悲しみを、正しく受け取って美玲の言葉を受け取る教室は暗い。
『滝先生が何考えてさつきを外したか、信者じゃないんでわかりません』とあえて告げてくる態度は、久美子ならばこの厄介な火種を複雑にこねくり回すことなく、誠実に受け止めてくれるという信頼が支えている。
そうするだけの向き合い方を去年、久美子は美玲にしてきたし、ぶつかり解り合う北宇治イズムが作り上げた変化が、この暗い教室には国滲んでいると思う。
トゲトゲ心の中のモヤモヤをそのまんま外側に出して、触るものみな傷つけるストロングスタイルを引っ込めて、二人きり誰にも視られない場所で久美子だけに告げる事を選んだのは、美玲が1年分成長して周囲を見れるようになったのと同じくらい、傷つきながらも微笑むことを選んだ親友のプライドを、大事にしてあげたかったからだと思う。
俺はそこが好きだ。
『言ってくれてありがとう』と告げた久美子の言葉も、美玲への信頼と感謝が半分、部を揺るがす火種を気配の段階で受け止められた安堵が半分……といったところか。
美玲の疑念は滝先生が言葉を尽くし、目指すべき曲想とそのために必要な編成を共有していれば、多分消えるものだろう。
しかし他ならぬ生徒自身が選んだ『全国金』という目標にたどり着くために、滝先生はそれを演奏者と共有するより、揺るがぬ決定事項として手渡す道を選んだ。
これは生徒の自主生と可能性を信じ、それを手助けするために死力を振り絞る滝イズムゆえの行動だが、だからこそ取りこぼしてしまうものは必ず出てくる。
久美子が部長の仮面の奥から、個人的な記憶と強く結びついた反発を真由に溢れさせてしまうように、滝先生もまたけして完璧ではなく、その上で”勝つ”ためにはどうしたらいいのか、必死に探っている。
そしてその苦悩と未熟は、未だしっかり久美子の眼には入らないものだ。
久美子自身が本気に成れない自分を泣くほどしっかり鍛え直され、全国を目指したいと思える音楽家へと叩き直された当事者だからこそ、自分たちを高みへ連れて行ってくれる滝先生への信頼は分厚い。
滝先生が弛緩した空気を入れ替える前の、エンジョイ勢の地獄たる北宇治を、今の一年二年は知らない……ということもあろう。
視界は常に死角とともにあり、神ならぬからこそ不完全で面白い人間たちが見えるもの/見えないものは複雑に重なり、あるいはすれ違いながら、一つの歌を作っていく。
それが少しでも己の願いと、あるべき”部”の形となるように、吹奏楽部部長であり青春探偵でもある少女は、『重たい言葉をしっかり受け止めてくれる、頼れる先輩』の顔を作りながら、さらなる迷いの中へと踏み込んでいく。
手渡された重たい荷物をどうしたものか、久美子はひとり暗い場所に身を沈めることで悩み、乱れた己を音で抱きしめるように”響け! ユーフォニアム”をひく。
オーディションの直前、あるいはそれが終わった後脳裏をよぎった、数多の思い出と同じように……あるいはそれ以上に、この曲は田中あすかの存在と強く結びついており、彼女が卒業して幾年か経つこの闇の中でも、弾けば愛しさの残滓が静かに、黄前ちゃんを抱きしめてくれる。
他の場面では過去回想をカットインし、何が再演されてほしくないかを明言していた久美子が、聖域たるこの曲を真由と分かち合うことに失敗するこのシーンにおいては、あすかの名前も姿も出していないのが、逆に別格の特別さを良く語っている。
部長という立場を得て、三年生になってさばけた成熟を身に着けているように思えて、やっぱり重いぜ黄前久美子……ッ!(最高)
具体的にその名を告げれないほどに重たく大きいものが、この楽譜と演奏には個人的に封じられていて、真由はそこに踏み込もうとして、銃口のように突きつけられた金色のベルに拒絶され、背中を向ける。
同じ曲を奏でるはずの楽器が柔らかな自我を守る盾、そこに踏み込む相手への牽制として機能する様子は、まゆがどうしても一歩引いた距離でオーディションに向き合いたいと低音パートで告げた時、既に告げている。
あの時は部長の立場を鎧った久美子が銃口を向けられる側/踏み込む側だったが、今回は真由が一人になりたかった久美子の個人的領域に踏み込もうとして、楽譜に抱えた感情に気圧される形で、後ろ髪をなびかせ去っていく側になる。
つまり真由は、かなり敏感に部という社会や久美子という個人が生み出す。不可視の”空気”を感じ取るセンサーが(三年生になった久美子同様)発達していて、自分の一番柔らかな場所に不躾に踏み込もうとした”敵”へと、苦笑いのまま久美子が放った毒に、ちゃんと気付いている、ということだ。
転校生である真由は”響け! ユーフォニアム”に刻まれた物語を共有しておらず、久美子もまた膝を突き合わせて真由に語ってはいない。
語るほどの信頼関係をお互いに築けていないから、野生動物が暗い森で出会ったような奇妙な衝突と反発が、ここで演じられてもいる。
その上で、何の背景も知らぬまま結構重たい感情が乗っかった久美子の”響け! ユーフォニアム”を『いい曲』だと思えた耳の良さ、音には嘘がつけない演奏家としての共鳴が、オーディションガラス越し久美子が感じた熱と響き合っていることには、注目しておきたい。
心乱された時強く音に抱かれたいと、ひっそり一人奏でる名前を出せない女の思い出が、どれだけ重たく大事であるか。
計算高い怪物と感情だけを片手に取っ組み合って、一緒にたどり着いた場所がどれだけ眩しかったか。
本気で競い合い、『上手くなりたい!』と心から吠えて駆け抜けた場所で、傷つきながら何を得たのか。
久美子の一番大事にしたい、熱くて真っ直ぐなものは真由が受け取れる形に(まだ)なっていないし、真由もそれを受け取る姿勢が(まだ)作れていない。
この(まだ)が物語の都合でいつか必ず解体される、幸せな予定調和でこのお話が動いていないことは、ここまで見届けた皆さんは既にご承知かと思う。
そういうところで油断しないからこそ、このアニメは面白いのだ。
真由と融和しきれない不協和な現状を、言葉にならなない……してはいけない反発を未来への宿題として抱え込んだまま、久美子は美玲から受け取った疑念を滝に手渡す。
そこには部長としての責務だけでなく、心かき乱され道が見えない久美子個人の確かな悩みと、ずっと頼れる大人でいてくれた滝への微かな甘えが、仕草の中に滲んでいる。
後輩を説得する時には外側に向けて拓けている掌が、今回自分の柔らかな部分を守るように内側に向いていることで、美玲の疑念が半ば久美子自身のものであり、公務の形を借りて極めて個人的な質問を、滝昇に投げかけているのだと解る。
それは逆に言えば、滝昇の前では久美子は悩むからこそ学ぶべきものの多い、ただの生徒になれる……ということでもある。
教師であり吹奏楽指導者でもある滝昇は、あらゆる生徒にそうあれるように常に己の顔を作ってきたし、今も久美子の言葉や視線や態度をしっかり探りながら、何を語るべきかを必死に考え、言葉を届けている。
『それってつまり、部長という立場を背負ってしまった久美子が今、色々悩み苦しんでいるのと同じ厳しさじゃん』と気付けるのは、この繊細な機微を画面の向こう側、俯瞰で見ている外野の住人だからこそで。
久美子自身は滝が”先生”であるために何に苦しんでいるか見えないし、滝も見せないようにしている。
この隠蔽が大人と子供、指導者と演奏者の区分を成立させる必須の壁となって、北宇治の躍進を後押しすると同時に、ダメ金に終わった去年の無念を晴らすべく、今年も生徒自身が望んだ願いを叶えるべく、”勝つ”音楽を選ぶ背景を、当事者から覆い隠しもする。
まー滝先生が抱えてるヴィジョンに学生が自力でたどり着けるなら、吹奏楽指導者なんて仕事は存在していないし、できねー未熟者の集団だからこそこのお話は楽しく成り立ってもいる。
不安を吹き飛ばすためにヴィジョンを共有する努力が足りてない滝先生を、未熟だ無能だと罵ることも出来るだろうけど、あのイタリアンホワイトの祈りの奥に彼が何を抱えているのか、少しは見届けた立場の人間としては、そんなことはしたくない。
久美子がすがるように吐き出した『勝たせてくれるんですよね?』を、滝は否定せず訂正する。
『貴方達が勝つんです』は、ノリと見栄で全国目指して地獄を見た物語の始まりから、教師として大人として滝が語りかけ続けている、彼のスタイルだ。
どんな形であれ、同調圧力と薄っぺらい虚栄に押し出されたものであっても、自分たちで選んだ未来のカタチにたどり着くべく、最大限の助けを差し出す。
それはもはや演奏者でも子どもでもない滝昇が、自分なりの戦いとしてストイックに定めている、エゴイズムへの手綱だ。
同時にこの清廉な自己抑制が、滝昇という人間を生徒にわかりにくく遠ざけ、あるいはカリスマとしての牽引力を生み出してもいるのだから、人間というのはなかなかに難しい。
ただ僕個人としては、ここで久美子の生徒としての、一人間としての震えをしっかり見つめて、答えるのが難しい問いかけから逃げなかった彼の在り方を、尊いものとして覚えておきたい。
この良く整った仮面の付け方、揺るがしちゃいけない建前をやり切る姿勢は、真由を相手に久美子が揺らいだ部分でもあるしなぁ……。
先輩、部長、受験生、演奏家、少女、人間。
様々な表情と声色を、揺らぐ視線の中で重ね合わせ……あるいはぶつかり合わせてきた久美子の一日は、特別な親友と出会うことで一番自然な色を見せる。
最悪な衝突から始まり、本音を暴きあって繋がり、ここまで共に進んできた……名前をつけられない切実な絆でつながった、高坂麗奈という少女。
やはり彼女を鏡とした時、久美子は一番率直に”黄前久美子”としての統一性を取り戻して、チャーミングな和音として響いてくれる。
色々突き放したことも言ったけど、この一話みっしり黄前久美子スペシャルを観てみてつくづく感じるのは、久美子は可愛いしいい子だし、幸せになって欲しいってことだ。
悩みながらもめちゃくちゃ頑張って部長やってるし、複雑怪奇に揺れ動きながらも熱く眩しい何かを目指して、必死にあがいて自分と、他人と、音楽と向き合い続けている。
そこで揺れたり間違ったりすることも含めて、黄前久美子が黄前久美子でいてくれる事がただ嬉しいくらいに、僕はこのお話に長く付き合い、好きになってきた。
だから麗奈と合うとどんなに主に背負っても笑いあえて、明るくて美しい場所に進み出せる久美子を見て安心もするのだが……この体重のかけさせられ方が罠ッ! って感じもある。
『黄前部長大変だけど偉いなー。麗奈だけが救いだなー』って感覚は、その唯一の足場が揺らぐぶっ飛んだ時の衝撃を、ありえんほどデカくするからな……。
デカくするべく、不協和音が色んな人の間で、あるいは高校3年生が有する複数のペルソナの間で鳴り響く、ストレスの強いエピソードの最後の息継ぎに、麗奈との触れ合いを持ってきてる感じもある。
まーそういうの全部ひっくるめて、やりきり弾ききることでしか、”響け! ユーフォニアム”は終わってくれない。
まずは府大会、勝って当然最初の正念場。
色んな顔を見せつつも、ポニテも勇ましく伝統の拳を突き上げる黄前部長の顔は、しっかり”部長”している。
勝負の瞬間に頼もしいこの顔を作るべく、久美子がどんだけ苦労しているのか、一話みっちり追いかけることで教えてくれる、良いエピソードでした。
少女の内面に、青春の楽譜に撒き散らされた不協和が、一体どんな和音へとまとまっていくのか。
あるいは不快な手触りもまた人間の奏でる音だと、そのまま活かして物語を編んでいくのか。
次回府大会とその後の景色が、とても楽しみです。