イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第20話『アイスゴーレム/バロメッツ』感想

 奇妙な縁でパーティーに加わった、荒くれネコチャンとの騒がしい日々!
 さらなる深層を目指す戦いと、気まぐれで粗暴なイヅツミ攻略戦を混ぜ合わせながらお送りする、ダンジョン飯アニメ第20話である。
 シュローやカブルー達との接触に忙しかったお話も、再びライオス一行に焦点が絞られ、アイスゴーレムやダイアーウルフとの戦いの中で、ぶつかり合いながら新しい仲間がパーティーに馴染んでいく様子が描かれた。
 この物語において魔物との戦いは、命がけの激闘であると同時に食材確保の貴重なチャンスであり、凸凹が上手く噛み合わない小社会の構成員が交流を深める、血みどろのレクリエーションでもある。
 それぞれの特性や能力を最大限発揮しなければ、乗り越えるどころか屍をさらす厳しい戦いを乗り越えればこそ、いがみ合っていた連中が少し距離を縮め、絆が深まる動きにも納得がいく。
 そんなハードなコミュニケーションの成果物として、みんな揃って食べるのがマナーな”食事”が用意されているのも、食べる行為の身近な重要性を通じて、お互いのことを良く知らないからいがみ合う人間集団が、だんだん親しくなっていくうねりを納得する、大事な足場だと言える。

 

 今回は協調性も帰属意識も皆無の難物、イヅツミが呉越同舟正式加入して、一緒にいる理由もないのにそれでも同じ釜の飯を食う現状を、主にチルチャックとマルシルに担当させて掘り下げていく。
 金目のものは懐に放り込み、スプーンの握りも飯の食い方も粗雑なイヅツミの性格は、人生の裏街道を良く知っているチルチャックに一番近いものだ。
 彼が同族への帰属意識、プロとしてのプライドで保っている社会的生物としての外装を、軒並み持っていない野良猫をチルチャックは同族嫌悪で蔑み、アイスゴーレムとの死闘を通じて少し距離を縮めて、荷物を手渡し仲間に迎い入れていく。

 シュロー一行に”アセビ”という異名で潜り込んでいた時、顔も耳も隠していたイヅツミは話の流れで頭巾を失い、パーティーから離脱したナマリの服を受け継いで、ライオス一行の一員としての装いを整えても行く。
 人間の生活を構築する衣・食・住のうち、”飯”はタイトルにもなっている重要な要素であるが、主にマルシルが”衣”を担当してネコチャンの毛づくろいをし服を直し、バリバリ爪を立てつつもだんだん”パーティー”になっていくイヅツミの面倒を見ているのは、とても微笑ましい。
 手製の”衣”を与える儀礼は、イヅツミが忍び装束を脱ぎ捨て東方での体験から距離を取り、奇妙な一行の一員として新しい体験を咀嚼していくために、とても大事な新生なのだ。
 ……加入順も最後なイヅツミはライオスパーティの”末っ子”であり、手がかかりなかなか懐かしい猫でもあるので、何かとお姉さんぶりたいマルシルに庇護されているこの距離感が、マルシルが本来庇護されるべき幼子でもある事実を隠蔽しちゃってる感じも、またあるんだがな。

 

 ”動く絵”であるアニメの特長に助けられて、軽やかなアクロバットを披露するイヅツミは、首輪が外れた今なら自分ひとりで勝てる、生きれると思い込む。
 しかしアイスゴーレムの撃退はチルチャックとの連携に、ダイヤウルフに受けた負傷はマルシルの治癒に、それぞれ助けられて生存を勝ち取っていて、望んで同行しているわけではないライオスの旅の一員であることが、知らずイヅツミを助けてもいる。
 奴隷、あるいはできの悪い家畜としての扱いしか受けなかった(と、イヅツミ自身が認識している)過去において構築できなかった、誰かを助け誰かに助けられる社会性の基礎を、助け合わなきゃ死ぬだけの厳しいダンジョンを学校(あるいは家)代わりに、獣人少女は今作り上げている真っ最中だ。

 イヅツミという異物を混ぜ込むことで、気づけばおなじみになっていたライオス一行の異常性が改めて浮き彫りになり、『なぜ魔物飯なのか?』という問いかけを再度発することが出来るのは、なかなかに面白い。
 最初っからパーティーだったチルチャックやマルシル、”魔物食”という興味領域で繋がれたセンシに対し、イヅツミは人間関係の引っ掛かりが全然ないし、そういうものを大事に感じる感性や体験にも欠けている。
 誰も自分を大事にはしてくれない厳しい世界で、自力でなんとか生き延びてきた(と思い込んでいる)イヅツミは、好きなものしか食べない偏食家であり、やりたいことしかしない自由人だ。
 そんな彼女も生き延びるためには変人たちと協力したほうが良いし、飢えを満たすのはケガレに満ちた魔物食しかない。
 いがみ合いながらもチルチャックの刻んだ矢を手がかりに強敵を倒し、マルシルと迷い道を進んで仲間のもとに戻る中で、本当にちょっとずつ獣は獣なりに人になれ、人が人たる所以を、口に運んで噛み締めていく。
 そんなこの作品なりの人間性の再確認を可能にしてくれる、面白い触媒として突如パーティーに迷い込んだ凶暴な猫娘は、はー……やっぱりとびきり可愛い。

 

 チルチャックが人生の裏街道を知る同志として、マルシルがお姉さんぶりたい人生の先達として、センシが若者を飢えたままではいさせられない給食闘士として、それぞれイヅツミに近づいていく中、ライオスはあんまりうまく距離を詰められない。
 彼の興味はイヅツミの中の人間ではなく魔物により過ぎていて、『乳首の数』というともすればエロティックになりそうな要素も、動物観察の一環としてエロよりヤバく突き出され、仲間に取り押さえられてギリギリで暴発を防がれているくらいだ。
 イヅツミ自身のアイデンティティとしては、彼女は正統な権利と混ざり物のない肉体を求める”人間”であって、魔物部分を認めてもらっても現状全然嬉しくない……てのが、ライオスの魔物学的アプローチが噛み合わない理由の一つなのだろう。
 周囲の扱いによって奴隷であり家畜である自分を内面化して卑下しつつも、ようやっと自由でいられる立場になって、好きなものを食べ好きなように生きる”人間”を求めているイヅツミ。
 ドッタンバッタン可愛らしい騒動の奥に教育荒廃と被差別つう、全く洒落にならないシリアスな重さを抱えているキャラでもある。

 シュローの邸宅に身を寄せていた時も、実はちょこまか萌芽があった”人間”への道。
 自分に良くしてくれたタデの温もりを、『どーでもいい』とうそぶきつつも掌中に転がしつつ、イヅツミは自分を放っておいてはくれない面堂な連中に、時に爪を立て時に触れ合い、反発しながら何かを学んでいく。
 食事のマナーをダイレクトに教えてるセンシが一番わかり易いけど、最悪な種族コスリをぶつけ合いながらも戦いを経て素直な謝罪を果たし、年長者らしく率先して胸襟を開いているチルチャックとか、毛づくろいしておべべ作って、めちゃくちゃ親身に面倒見てるマルシルお姉ちゃんとかも……リーダーが”人間”下手くそな分を補うように、色んなものを与えられなかった少女と触れ合っている。

 戦う動物として買われ、平穏を知らないイヅツミがこのアプローチを受け取るうえで、命がけの戦いを一緒にくぐり抜けることは結構大きな助けになってると思う。
 難しくてワケわからない御高説よりも、生き死にって形ですぐさま答えが出る荒っぽいテストのほうがイヅツミには馴染が深く、熟練冒険者でもある仲間たちはぼんやりとぼけた顔をしながら、ちゃんと戦って頼れるところを見せてくれる。
 そんな実戦叩き上げの存在証明こそが、何かと荒っぽいネコチャンが人の優しさをちょとずつ受け入れていくための、大事な調味料なのだろう。
 ここら辺の価値観は、アイスゴーレム戦では目立った活躍をしなかったマルシルを最初軽んじて、ダイアーウルフ戦では命を助けられ一緒に傷だらけになって距離が縮まる描写に、一番顕著かなと思う。

 

 魔物職を諭すにあたってもライオスは、全然芯に響いていない小むづかしい理屈を振り回して、イヅツミに拒絶される。
 食のマナーと同じように、なんだかんだ育ちが良い(けど人間に興味がない)ライオスは、理屈を超えた感覚でもって動く無教養な社会階層のことを、あんましっかり理解できていない。
 ここらへんは世慣れたチルチャックやセンシが『ったくしょーがねーなー』と言いつつイヅツミの無作法を諌め、付き合っているのと好対照で、そらーただ一人目隠しもされるわな、って感じ。
 言語化出来ない大事な枝葉に重要性を見いだせず、言語化出来る興味領域のみを視野に入れているライオスのあり方は、現代社会でもよく見る凄く普遍的な人間性で、自分の鏡を見ているようでいたたまれなくもある。
 ライオス、客観的情報を俯瞰で整理・分析し、現状打破のために必要な戦術を先入観無しで打ち立てる能力は凄く高いからな……その裏側に、『なんとなく』が全然わかんない無感覚があって、彼が人間に馴染むのを遠ざけてもいる。
 ここらへんは『なんとなく』でしか動かない、理屈大嫌いネコチャンと真逆。

 言葉で通じないなら舌で解らせろとばかり、イヅツミはあんだけ警戒してた”ダンジョン飯”をおそるおそる齧り、みんなで揃って好き嫌いなく敬意を持って食べる、センシ式のマナーを学んでいく。
 身体に混じった魔物のサガもあって、偏食家である彼女は『こんなの不味いに決まってる!』と口に含まず否定するけど、そうして警戒してたバロメッツ・チョップはこの世で一番美味しい食べ物として、彼女の舌を納得させる。
 戦いと同じくらい、人間の根源に根ざした”食べる”という行為は、色々警戒心が強い頑固なイヅツミに、言葉を超えたところで馴染みがないけど大事なものを納得させる力を、確かに持っている。
 これを鮮やかな手つきで差し出せるんだから、そらーセンシは強いわな……って感じでもあるが、お姉さんぶってしまった手前倫理的に受け付けないバロットを、わめきながらも食べなきゃいけなくなったマルシルが、今回も可愛かった。
 彼女が自分自身に言い含めるように語った、面倒を避けて生まれる致命的な”ダンジョン”が、一体どんな問題に関連して立ちはだかっているかは、前回夢魔の見せた悪夢と、これから先の物語が語る部分であろう。

 

 というわけで第1クール前半を思わせる、バトル&グルメで絆が深まる回でした。
 イヅツミという新メンバーに向き合う形で、こういう形のお話を久々に食べたわけだが……やっぱ良いなぁ。
 ワクワクするし美味しそうだし、そこで生まれてくるものの手応えはしみじみ良いしで、変人ばかりの魔物グルメ冒険紀行は、そこにしかない魅力がやっぱりある。
 同時に異常で異質だってのも確かで、んじゃあ叶えたい願いを見つけ掴み取るために、フツーじゃない難しさを社会や他人と噛み合わせるために、一体どうしたらいいのか教えてくれる厳しい教室が、このアニメの”ダンジョン”でもあるのだろう。
 バトルの激しさが人間ドラマの説得力を下支えもしているので、毎回キレの良い戦いを描いてくれているのは、本当にいい。

 イヅツミは人間扱いされなかった獣混じりであり、教育の機会がなかったヤサグレ不良娘でもあり、なにより自由気ままなネコチャンなので、あんま素直に”良い子”にはならない。
 むしろ過剰に構う連中の方に問題があるのだと、言わんばかりにキュートな爪痕が刻まれ血が流れても、彼女をハミダシモノに追い出さないのは多分、ライオス達自身が社会に馴染みきれない、アウトサイダーだからでもあろう。
 そんな奇妙な連帯と融和を積み上げながら、ダンジョンに生きダンジョンに死ぬ旅路は続く。
 次回も楽しみです。