イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第21話『卵/黄金郷』感想

 ダンジョンの内外で知らず連動する、長命種たちの迷宮調理。
 久々カブルー&シュロー側の描写が入ったと思ったら、迷宮攻略のスペシャリストが派遣されてさぁ大変! という、ダンジョン飯アニメ第21話である。
 ライオス一行も、謎の核心に迫る黄金郷へと誘われ、味のしない豪華な食事を通じて永生者の苦境を学び、どんどんと物語の核心へ突き進んでいる手応えが凄い。
 ノーム魔法に習熟し、妹と同じく死者の声を聞けるようになったことで開いた、ダンジョンというライオス達の”職場”の真実。
 これが世界の全部を訳知り顔で管理する、傲慢なるエルフの対応と同時に展開するところが、なかなかに面白い回である。

 

 というわけでまず地上編、差し出された果物を弄びつつも口には運ばない、カナリア部隊とカブルーの対峙である。
 ライオスと向き合っているときはどこか嫌な余裕を残し、安全圏から人間観察に勤しんでいたカブルーであるが、義母を通じてエルフという種の時間間隔、他種族への無自覚な尊大をよく知る彼は、『人間の問題は、人間が乗り越えるべき』という理想を心に抱えて、極めて真摯に”政治”を行う。
 これは『善人じゃない、他人に興味がないだけ』とライオスの性根を語る時引き合いに出された、島長が投げ出した責務をカブルーが代行した形になる。
 蓄財と虚栄にしか興味がなく、特権に伴う責任を投げ捨ててエルフ任せに未来を預ければ、全ては長命種の良いように操られてしまう。
 それに抵抗するために、自分の個人史からダンジョンで目撃した事実、エルフに刺さるだろう話題の提供まで、使えるネタ全部使って”人間”を政治的アクターとして部隊に残そうとする、カブルーの顔はいい感じに必死だ。

 この人間らしい表情は、冷たい人間観察を楽しんでいた時から化けたわけではなく、根っこにあるのは同じモノなのだと思う。
 故郷を焼かれ母を殺され、エルフに拾われ生き延びる。
 『その経歴でモンスター食うの……?』と、シュローにドン引きされていた過酷な過去に押しつぶされず、シュローは自分が出来ることと成すべきことをしっかり見据え、世界がより善くなるように必死にあがいてきた。
 そこには根本的に”人間”が好きな、ライオスとは真逆の嗜好/思考があって、迷宮災害を前に何も出来ない子どもだった過去を乗り越える、個人的な執念と重なり合ってもいる。
 『人間によるダンジョン問題解決』は、カブルーの遠大な理想と個人的感情が混ざりあった、譲れない夢であり現実なのだ。

 

 長命種のスパンで歴史も個人も扱うエルフにとって、ダンジョンで騒いでいる短命種は火遊びで世界を焼きかねないクソガキも同然である。
 孤児としてエルフ社会に庇護されて育ったカブルーは、そういう交渉相手の性質を良く理解していて、ガキだとナメて丸め込んでくる(実際、島主は丸め込まれかけていた)相手に自分が対等な交渉相手だと、態度と論の組み立てでもって証明しようとする。
 今回カブルーは嘘を言っておらず、しかしバカ正直に全部を告げる愚劣からも距離を取って、ともすれば敵対的になりうる相手の懐にどう入り込むか、根本方針を揺らさないまま相手の顔色を見て、臨機応変な対応をやってのけている。
 ライオスがダンジョンの奥で魔物相手に、自分の嗜好と特性を活かして確信に迫っているのを、反転させた政治活動を地上でやっている……という構図か。

 エルフのやり口に反発しつつも、哀れな孤児である自分をポジティブに受け止めてくれる(≒自分の過去と心情を交渉材料に活かせる)、個人としての善良さを、カブルーは良く見ている。
 そこには短命種が短い人生で必死にあがいている哀れさを、上から覗き込む傲慢がじっとり燃えているわけだが、その”正しくなさ”をカブルーは指摘しない。
 そんな事をしたって、迷宮問題の解決を自分の望む方向へ導き、その実行要因に己をねじ込むという交渉の目的は果たされないからだ。
 彼は結構な理想主義者であるが、安全圏から喚くだけで手も汚さない臆病者ではないし、理想と現実をどう結びつけるかという極めて困難な作業を、いとわずやり遂げるタフネスもある。
 その上で、その”人間的”優秀さが必ずしも迷宮踏破に有利に働かないのは、なかなか面白いところだ。
 人間種の政治だけで解決しない、超越的な部分が魔法や呪いに満ちたダンジョンにはあり、人の世と隣り合いながら侵犯し、時に致命的な炸裂を悲劇で吹き飛ばしながら、ギリギリ共存している。
 そんなせめぎ合いの中、社会と迷宮に一人ずつ、カブルーとライオスという主役を置いてる構図が、作品に立体感を与えてもいる。

 

 謎めいたカナリア部隊の本性がわかってくるのは、カブルーとともに迷宮制圧に赴くこれから……なのだが、まーロクデモナイのは初見で分かるよ!
 耳に消えない傷を埋め込まれた囚人と、それを管理する看守で構成されたハグレモノの集団であるから、お耽美な外見に似合わず荒くれているのは、まぁ必然といいますか……。
 ”カナリア”という華やかな名前も、炭鉱(別種のダンジョン)で発生した有毒ガスを感知して真っ先に死ぬことで、人間様の安全を確保する皮肉であり、死んでもいいエルフを大社会問題の解決に役立てる、極めて怜悧なネーミングである。

 彼らの登場で、のんきなダンジョンハック(あるいは魔物グルメ)の舞台が爆発寸前の火薬庫であり、一歩対応を間違えれば世界を巻き込んで炸裂する危うさが、グンと前にせり出してくる。
 既にカブルーの故郷は悲惨な結末を迎え、彼が作品の重要点を担うことで災害モノとしての切実さも、しっかり担保されているわけだが。
 妹を蘇らせるという個人的願いのために、ダンジョンの奥に潜っていくライオス達の物語と、いろいろやり方に問題はありつつ、社会全体の大きな問題を実害が出る前に制圧する、カブルー&エルヴズの物語が、反発しつつ絡み合う構図も鮮明になってきた。
 ライオス達が魔物と戦い食ったり迷ったりする冒険の旅も、カブルーがエルフと呉越同舟対応する政治と公益の戦いも、両方正しいとするのなら、それがぶつかりあった時、何を選ぶのがいいのか?
 そんな将来の課題も、地上と地下に別れて展開する物語の内側に、静かに熱く内包されている。

 

 というわけで個人/社会の片側を担当し、迷宮/地上の暗くて深い方へと潜っていくライオス達の物語は、いよいよ迷宮の核心へと迫っていく。
 その重要な前置として、賢者料理人センシの卵問答もあるわけだが、聡明で思慮深い彼は世界を料理で考え、蘇生魔術と迷宮の関わりにも個人的嫌悪感で足を止めず、思考のメスを伸ばす。
 センシは可愛いしセクシーだし強いし、全てを備えたパーフェクトヒロインだと常々思っているが、調理の手を止めずにファリン復活(あるいはイヅツミ人化)の大事なところへ疑問を差し込む、実用的な賢さを今回たっぷり見せてくれて最高だった。
 難しくて大事なことを考えつつ、美味しいエッグベネディクトまで振る舞ってくれるんだから、センシはマジで”無敵”だよ……。

 迷宮の狂気がいよいよ危険域に達したサインと、地上のエルフにおいては戦かれるキメラ・ファリンの存在。
 それをキメラ/ファリンで切り離し、人間としてかつての仲間を取り戻すという、ライオス一行の悲願が果たして、叶うのか叶わないのか。
 それには”狂乱の魔術師”がダンジョンマスターとして、不死のルールを設定したこの迷宮について……そこで扱われる生死と魂について良く知らなければいけない。
 第1クールでは言葉も通じぬまま闘い、ジェラート製造装置として活用してきた悪霊も、ライオスが僧侶魔法を学び死者の声を聞く力に目覚める中で、不死の呪いに囚われた犠牲者だと……話の通じる”人間”だと解ってきた。
 地上にはありえない形やあり方だったとしても、狂気と死に飲み込まれていたとしても、ダンジョンには”人間”が確かに生きていて、そこに魂はある。
 その事を、味のしない食事会から学び取る回である。

 

 ”狂乱の魔術師”が守るべき身内たる、黄金郷の住人。
 平和と安全を最初は願っていたはずなのに、彼らを永遠の牢獄に捉え、黄金郷の外に出さないシスルの支配は、どこかエルフと似通った傲慢さを宿している。
 モンスターを家畜にする魔法は、身内を守るために凶暴な魔物を配置する攻撃性と裏腹であり、愛ゆえに約束した永遠が多くの住人の霊を傷つけているねじれが、そこには確かにある。
 地上においてはおどろおどろしい伝説と語られる、デルガル王の遺言と消失がその実、自分たちを永遠に閉じ込める”ダンジョン”からの脱出であり、魂を賭した大冒険だと分かってくるのは、なかなか面白い反転である。

 それもこれも、物語の始点であり出口無き牢獄でもある黄金郷の住人が、極めて気の良い善良な人たちだと分かるからだ。
 彼らはライオス達と同じくダンジョンに適応し(シスルの狂気に巻き込まれる形で適応させられ、あるいは適応するしかなく)、モンスターを育てて食べ、服と酒を作る。
 ライオスたちの”ダンジョン飯”が、肉体が生き延びるための必然であったのに対し、彼らの衣食住は狂気に飲まれぬための魂の滋養だった違いはあれど、服は着れるし酒は飲める。
 そしてメシは……美味くないけども、そこに込められた歓待の意思、ほほえみながらも一千年の苦悩と哀しみを滲ませる”人間”の営みは、確かに通じる。
 ここまでライオスたちを通じて描かれ、作品の面白さとして活きてきた衣食住の描写が、物語の核心に近い黄金郷への親しみ、住人への共感の触媒として、しっかり機能しているのが面白い。
 彼らも今までの主人公たちと同じく、食って着て飲む”人間”であると、語られずともちゃんと解る描写だ。

 

 腹を満たし身を養い、時に大事なものを教えてくれるメシを話の真ん中に据えてきたからこそ、豪奢な食事会が実はマズかったと分かった時の哀しみは、しみじみ見ている側に染み込む。
 一見迷宮内の秘められた”地上”として、安全に守られているように見える黄金郷には自由がなく、変化がなく、停滞と狂気に抗う極めて地道な……”生きる”という闘いを強いられてきた。
 カブルーの背負う大義名分がデカすぎて口に入らなくても、このしみじみとした哀しさは視ているが和の心に染み入るものであり、その心がライオスとシンクロしていくのが、話運びの妙味である。

 ライオスが魔物大好きな人格破綻者のようでいて、彼なりの感情や愛情を抱えて他人と向き合っている事実は、ここまでの21話でジリジリ積み上げられてきた。
 カブルーのように器用に、有用に人間を見て己の気持ちを届ける能力は高くないけども、ライオスだって人との触れ合いの中何かを感じるし、それを誰かに伝えて絆が生まれることもある。
 地上の常識にとらわれずはみ出した変わり者の集団だからこそ、黄金郷の異常さを頭ごなしに否定せず、楽しみながら飛び込んで親しめたのは、彼らだけの強みだろう。
 一番ワーワー言いそうなイヅツミが、モンスター無力化結界に半分引っかかって甘えん坊ネコチャンになってるのが、スムーズな進行を助けてるなそういや……。

 

 味もわからねーのに飯を食い、必死で”人間”のフリをして長い監禁生活を耐え忍んできた黄金郷の住人は、ぜひ助けてあげて欲しい可哀想な連中である。
 彼らは迷宮の真実をよく知るものの、自力で黄金郷(安全な街であり、出口のない牢獄であり、挑むべきダンジョンでもある場所)から抜け出す事はできない。
 なので問題解決の根本は、冒険者であり主役であるライオスに預けられるわけだが、『はい』と言ってしまえば気楽なハック&スラッシュ稼業には戻れない。
 黄金郷の救世主としてダンジョンを踏破し、死を否定する狂気の呪いに打ち勝つ大きな定めを、否応なく背負うことになる。

 そういうデカい話がカブルーの専売特許ではないからこそ、このタイミングで難しい問いかけに、ライオスも悩むのだろう。
 同時に彼は一人ではなく、ここで急に決断に投げ込まれたわけではない。
 オークとの問答を筆頭に、色んな経験がライオスの中には積み上げられているし、支え助けてくれる仲間だっている。
 生きたり死んだり、ワイワイ騒がしい迷宮の冒険は確かに、彼が変わっていくための栄養をしっかり与えてくれているのだ。
 逆に言うとカブルーの個人史と思いが表に出てくるのがこのタイミングなのも、ライオスが担当してた私的感情、個人それぞれの願いが彼と無縁ではなく、触れ合ったからこそ影響を与え合う運命の不思議さへ、より深く切り込むための一手かもしれない。
 物語が確信に迫るに従い、ライオスはカブルー的に、カブルーはライオス的に、それぞれ混ざり合っていく(しかし、当然おなじにはならない)という感じか……。

 

 思えばデルガル王が今際の際、国を譲ると告げて塵に帰った迷宮譚の始まりから、この冒険は”国”という大きなモノを巡る冒険ではあって、同時に我欲や願いを強く吸い込む、極めて個人的な人生の舞台でもあった。
 公と私、地上とダンジョン、人間とモンスター。
 対極に見えてたしかに繋がっているものを、それぞれ背負いながら進む二人の主役が、それぞれ大事なものに向き合うエピソードでした。
 死者の声に導かれてたどり着いた黄金郷が、迷宮に存在するはずのない『闘いのない街』だったのは、ここら辺の不思議な繋がりを可視化してて好きだ。

 かつて生きてる絵に迷い込んだときは、正体不明の他人事だった迷宮の歴史。
 そこに活きた”人間”の息吹と、彼らなりの心尽くしと、そこに味わいがない哀しさが確かに存在しているのだと、自分の歯で噛み砕いてしまったライオス一行。
 一体どんな答えを出して、どこへ踏み出していくのか。
 ふにゃふにゃになっちゃったイヅツミちゃんは、このまんま可愛いゴロンゴロンを繰り返すのか。
 それでもいいぞダンジョン飯
 次回も楽しみッ!!
 ……イヌとの生活が長すぎて、彼らが喜ぶようにベタベタ構ってたらイヤッ! されるライオス、個人的生活史が思わぬ所に滲んでてて、マジで”ダンジョン飯”って感じ。