イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新世界の扉』感想

 TVシリーズ三期、Webアニメ四話を数えるクロスメディアコンテンツの新たな試み、劇場版ウマ娘を見てきたので感想を書きます。
 ネタバレにならない感想を言うと……大変良かったです!
 今までとちょっと味が違う主人公・ジャングルポケットの真っ直ぐな思いを話しの背骨に、鮮烈な演出と小気味いいテンポ、2001年一つに絞った濃厚な物語を全力で駆け抜けていました。
 レースそれ自体に強い感情を燃やす主人公が、時に迷い時に導かれて自分の走りを追求していく中で、隣に並ぶライバルや仲間、追いつけない永遠の星のキャラクターが熱を帯びて鮮明になり、その激走を通じて”競走馬”そのものへの讃歌が奏でられていました。
 全体的に”あしたのジョー”テイストが濃い正統スポ根だったのですが、タイトルの”プリティー”部分もちゃんと頑張ってくれて、みんな可愛くかっこよく、それぞれの生き様を譲らずぶつかっていて、とても眩しかったです。

 走る以上は避けれない敗北や挫折の定めと、どう向き合って自分だけの未来へ踏み出していくのか。
 とても普遍的な物語を、あえて主人公に物語的リソースを寄せた構成によって極限まで加速させ、攻めたケレンがガチっとハマる熱量を生み出し、”ウマ娘”のアニメが今語るべきメッセージを、力強く打ち出せていたと思います。
 常識をぶっ飛ばすやり過ぎ気味な演出と、四季の変化を美麗に写し取る詩情が響き合って、ただ荒々しいだけではなく微かな寂寥と大きな高揚がちゃんとある、ウマ娘叙事詩とも言うべき大きなスケールで、物語が展開していました。
 ”走り”のシーンも音響含め大変いいんですが、しっとり心を通わす場面をやや引いたカメラワークで見せてくる手つきを堪能するのに、映画館の大スクリーンが凄く良かった。
 熱くて強くて美しくて、業と運命が強く絡む”競走馬”からなぜ目が離せないのか、擬人化すればこそその真中を射抜く、大変良い映画でした。
 オススメです!

 

 

 

 というわけである意味RttTの続編となる、ウマ娘初の劇場版を見てきた。
 自分はアニメは一応全部見ていて、アプリの方はノータッチな観客であるが、新主人公ジャングルポケットの2001年にしっかり焦点を合わせ、二時間という限られた尺で馬歴全てを描ききるのではなく、輝かしくも苦しい新馬時代を描き切ったこの映画は、”ウマ娘”アニメの新たな試みとして、大変良かったと思う。
 1クール12話で馬歴全部を追いかけきる群像劇形式では、どうしても散漫になってしまう部分……あるいはじっくり煮込めない部分を、一年というスパンに凝縮することで濃厚に描けていたし、RttTでは三主役に一話を割り振ることですこしだけ物足りなく感じていた、若きアスリートの浮沈を丁寧に削り出すことにも成功していた。

 こういう作りを成立させるためには、主役の造形が極めて大事だと思うが、ジャングルポケットは今まであまりいなかったタイプのヤンチャな闘争心と、感情を素直に表に出す真っ直ぐさが相まって、大変好きになれる主人公だった。
 見る前は他人を大事にできないタイプなのかな……と思っていたが、蓋を開けてみると憧れのフジ先輩とナベさん、可愛い三人の舎弟と温かな絆を結んでいて、とても微笑ましかった。
 ライバルたちにも真っ直ぐ挑戦状を叩きつけつつ、彼女たちと作るレースそれ自体を世界で最高の舞台だと誇らしく、熱く駆け抜けていく。
 その強い思いが、時に彼女の足を止めたりもするのだが、それもまた仲間でライバルな”ウマ娘”との魂のぶつかり合いで乗り越えて、新たな地平へと進み出す姿が、爽やかで力強く良かった。
 いかにも可愛い可愛いヒロイン造形はしてないんだけども、強さの奥にある柔らかな心が色んな場面で溢れていて、とにかくジャンポケくんが可愛い映画だったのは素晴らしい。

 

 話としては”幻の三冠馬フジキセキの疾走に魅せられれ、路上から中央へと殴り込みをかけた野生児が、同じく”幻の三冠馬”の名をほしいままにするアグネスタキオンに敗北し、追いかけ、伸ばした手が届かぬまま逃げられ、迷って苦しんで遂にジャパンカップ、”世紀末覇王”テイエムオペラオーに土をつけて己を証明するまでの物語である。
 無駄な停滞なくスパスパ進んでいく物語は小気味よく、濃厚で鮮烈なレース描写と、走るために揺るがぬ己を探すウマ娘の青春が、二時間にみっしり詰まっていた。
 ややガイナックス/TRIGGERテイストを感じるケレンの描写が、”ウマ娘”アニメの勘所である疾走演出に新たな息吹を与えて、彼女たち(そしてその魂の源である競走馬)が見せる”異次元の走り”を、上手く描いていたと思う。
 ゲームのカットイン的な、ちょっと非現実的な表現を大胆に盛り込むことで、”ウマ娘”の走りが肩を並べて走る競争相手に、それを見守る観客に、どれだけの心理的インパクトを与える偉業/異形なのかが、良く伝わっていた。
 僕は”ウマ娘”アニメで、いかにも萌え萌えした二次元デザインが獣の顔で突っ走り、怪物的な迫力で周囲を圧倒する場面がとても好きなので、そういう異質性を気持ちよく突き刺す場面が多いこの映画、大変良かった。

 限られた尺を有効に活かすためか、場面場面の繋ぎを大胆にカットし、新たなシーンへと一気に転換する演出も多かったわけだが、ここが鮮烈で美しいことが、独自のアップテンポを生んでもいた。
 突き出した拳や踏み出した足元、危うい赤色や眩しい星が、過去から現在へと、そして未来へと残光を残して場面を引っ張る演出は、かなり腕力のあるシーンとして機能し、映画の水気を適切に絞っていた。
 フツーのお話ならそこで時間を使ってしまう、現実的な辻褄をあわせるための移動シーンをざっくり切り捨てて、あるいはダンドリを整えるためだけのアリバイ用の会話シーンをカットして、ミチミチに中身が詰まった映像を成立させていた。
 このハイテンポと、風の如き疾走に濃厚な感情と思考が入り交じるレースシーンのスローモーション、あるいはターフの外でしみじみと心を通わせる場面のアダージョが、大変いい対比を作り出している。
 ただただひたすら早くて強い映像を押し込むのではなく、緩急をつけて”走る動物”が何に苦しみ何に心を動かされるのか、丁寧に削り出す場面ではどっしり力強く描いていた。

 ここら辺の緩急は美術の良さが支えていて、フォトリアルな方向にリアリティを追求するのとはちょっと違う、絵画的で厚みのある背景が、四季の移ろいを反射して大変良かった。
 長い馬生にたった一度しか無い、クラシック戦線の一年間に流れる時間を示すのに、桜から朝顔、紅葉へと移り変わっていく、自然豊かな花の色を印象的に使ってもいた。
 生きた花のイメージが鮮烈であることで、汗びっしょりに息も荒く駆け抜けていく””ウマ”に”娘”の華やかさがしっかり足されていて、可憐でありながら逞しい”ウマ娘”の在り方を、詩情豊かに削り出せていたと思う。
 この美術の強さを活かすように、キャラクターをやや引いた位置で捉えて鮮烈なレイアウトを構築するカットワークも大変冴えており、流転する状況の中で少女たちがどんな場所に身を……震える心を置いているのか、抽象的ながら的確に示すことが出来ていたと思う。

 

 キャラクターのドラマとしては、やはり唯一の主人公としてどっしり物語の真ん中に座るジャングルポケットが、大変魅力的な物語を生み出してくれていた。
 彼女の剥き出しの闘争心は、勝利によって誰かを足蹴にして自分を高い位置に置き、優れた存在として安心感を得るためには使われない。
 強いやつと競い合う高揚感、その中でしか磨かれていかない”最強”の自分に、もっと近づくために戦い続ける。
 極めて清潔な闘争への意思を宿す彼女だからこそ、自分に”土をつけた”アグネスタキオン(この慣用表現が、そのまんま敗北の中描かれていたのは良かった)に勝ち逃げされた形に運命が転がり、その背を追い迷う展開にも、分厚い説得力があった。

 粗削りで未熟なところもあるジャングルポケットを、頼もしく支える姉弟フジキセキ、名伯楽ナベさん、ずっと応援してくれる三バカトリオと、主役の周辺を固める”家族”の構成も多すぎず少なすぎず、皆魅力的で良かった。
 特にフジキセキはその才能を絶対視されつつ怪我に運命を捻じ曲げられた”同志”として、ライバルたるアグネスタキオンをグイッと主人公サイド(に、感情を寄せて映画を見ている観客)に近づける仕事をしてくれていて、めちゃくちゃ良かった。
 彼女の穏やかで包容力ある先輩ぶりが、ジャングルポケットが迷い込んだ暗い道を照らし、あるいはその思いを受け継いだジャングルポケットの力走がフジキセキの無念を照らしていくという、美しい照応関係。
 そこだけで終わらず、走ることを諦められない動物だからこその共鳴を、早朝河原のコースに眩しく輝かせて道を見つける場面は、あくまで競走馬の魂を継ぐフジキセキのこと、”ウマ娘”のことを、とても大事にしてくれた描写だと思った。
 あの再起の前にナベさんが、ナベさんにしか差し出せない助け舟をしっかり出しつつ、あくまでトレーナーであり人間である自分には踏み込めない領域がある事、そこをこそフジキセキアグネスタキオンと重ねていく事を、しっかり示唆してるのが、めっちゃ効いてて良かった。

 1996年に競走馬として引退したフジキセキが、2000年にデビューを果たすジャングルポケットの”先輩”になるのは夢の擬人化コンテツゆえのファンタジーであり、また所属その他の因縁が現実世界でも繋いでいた因縁を、物語に生かした形でもあろう。
 彼女と語らう川辺には柳の葉が印象的に揺れているわけだが、それはもう走ることが出来ないフジキセキがある意味、”競走馬の幽霊”である印象を僕に与えた。
 誰もが望まずしかし生まれてしまう過酷な運命に、走り続ける未来を砕かれた無念を引き継いで、己もその過酷な場所に足跡を刻みながら、必死に走る。
 そういう競走馬の過酷さに向き合い続ける主人公を、華やかな表舞台から少し遠い所……柳の奥の影に身を置きつつ見守り、見失いかけている”走る意味”を影の中から教える。

 そんなフジキセキの幽遠の美が、同じく過酷な運命に足を砕かれ、理性の影の中に飲み込まれかけているアグネスタキオンに、疾走と咆哮を以て大事な何かを教えるジャングルポケットの歩みを、より鮮明にもしていた。
 ウマ娘を飲み込む影の中から、それでもなお自分を導いてくれる先輩の思いがあればこそ、本能を怪物的な知性で押し殺し、理由なき疾走の定めを諦めようとするタキオンの影へ、思いを届けることも出来る。
 ”ウマ娘の幽霊”に助けられていた主人公が、”ウマ娘の幽霊”になりかけていたライバルを現世に引き戻すこと……それを唯一証明可能な死闘と勝利を掴み取ることで、二時間の映画を終わらせていくのは、大変収まりが良い構図だった。

 

 

 正直な話をすれば、あまり情報を入れずに飛び込んだ映画館、アグネスタキオンがあまりに痛ましく、目に涙をためながら映画を見ていた。
 ジャングルポケットにはフジ先輩もナベさんも三バカもいて、負けて迷って立ち上がるニンゲンの王道を、主人公として真っ直ぐ駆け抜けることが出来る。
 でも規格外の天才でありアスリートであるタキオンは、誰の助けも必要とせず誰にも助けてもらえない。
 走れなくなった理由を世間や戦友に語ることもなく、ジャングルポケットのように分かりやすい真っ直ぐなコミュニケーションも取らない。
 走り方も、長い勝負服の袖と低い姿勢が相まって、なんか蛇の跛行っぽくて怖いし……(良い演出だった)。
 彼女に圧倒的な才能を見て熱狂した観客たちも、汗をあまりかかない不敗の彼女がどんなウマ娘なのか、解らないからこそ無敵の偶像として崇め、去った後もその幻影を追いかけ続ける。
 そんなタキオンがとても寂しそうで、見ていて辛かった。

 そんな彼女は、ジャングルポケットの主観を反映して極めて爬虫類的な、理解しがたいキャラクターとして描かれ、瞬きを最後の瞬間までしない。
 泣いたり笑ったり、勝ちたいと吠えたり、感情を剥き出しに突っ走るライバルたちのいきいきとした目の芝居から、遠い所にこの稀代の怪物は置かれていて、ずっと目を見開いたまま遠い何かを追い求め続ける。
 そこに自分はいなくてもいいと、勝った負けたはどうでもいいと、うそぶく姿に微かな自己欺瞞を……足の痛みと心の涙を怪物の仮面で覆い隠す、彼女の人間性を、見ながら勝手に感じていた。
 タキオンだって、凄く辛いんじゃないかなと思いながら映画を見ていたのだ。

 

 焦点が定まらない……あるいは焦点が定まりっぱなしの揺れない瞳は、ほかでもない自分が走りの究極にたどり着くエゴイズムを、理性的に遠ざける。
 大事なのはウマ娘を疾走へと駆り立てる謎が明かされ、究極の解が走りとして具現することであって、それが自分である必要はない。
 極めて科学的で公平なこの態度は、研究者であるなら美質であり、しかし彼女は天才アスリートでもあったから、彼女の真実の半分でしかない。
 必死に見ないようにしている願いがもはや叶わなくなって、必死に取り繕った理性の怪物としての仮面の奥から、研究室にモノが溢れ出して乱雑になっていく描写は、泣けない自分の哀しみに気づいてすらいないタキオンの深層心理を、見事に演出してもいた。

 『俺が勝つ』というジャングルポケットのこだわり、彼女を彼女足らしめている輝きは、他でもないタキオンの引退によって揺らがされ、足を止める。
 この迷いを、傷だらけの偽物の星をフジ先輩が本気のレースの後、手渡してくれたことで払って、主人公はその年最強のウマ娘を決めるジャパンカップへと挑む。
 ダービーでの力走の後、勝利に吠えた言葉が一瞬、理性の影へと沈みかけたタキオンの足を止めたように、エゴイズムを投げ捨てて理想への捨て石になろうとした悲劇の天才は、強敵と競い合えばこそ己の強さを信じられるのだと、怪物たちに飲み込まれる強さを受け止めながらそれでもなお『俺が勝つ』のだと、その走りで証明する主人公を見て、タキオンは初めて瞳に光を宿し、微かな涙を浮かべる。
 ジャングルポケットを迷わせもした勝利への執念、傷だらけの星を、タキオンも実験室の窓辺に吊るしていた共鳴がここで強く鳴り響いて、『私こそが勝つ。理想を体現する』というエゴイズムを、理性の怪物に許すのだ。

 タキオンを自分が自分である証として迷って捕まえた熱い血潮の燃え盛る場所へと、憧れるだけでなくひっ捕まえて引き戻した時、多くの人に助けられて物語を走ってきたジャングルポケットが、助ける側に育ったのだという実感が強くあった。
 そこでは競い合う強敵、乗り越えるべき壁が同時に真実心を通じ合わせる友でもあるという、競走馬の矛盾を越えた在り方が偽りない物語の真実として提示され、ゴールへと駆け抜けていく。
 ジャングルポケットは一人ではないからこそ、常勝の覇王に初めて土をつける力走を駆け抜けることが出来、その疾走がアグネスタキオンという孤独な天才に、ずっと一人ではなかったことを教えた。
 追い抜かれ背中を見つめる立場にならなければ見えない、ジャングルポケットを強く苦しめもした眩しい残照を、タキオンもまた瞳の奥に宿していたのだと気付かせるためには、このお話の主人公は傷ついてなお走りきり、夢を諦めぬ最強の戦士として、己を証明する必要があった。
 勝利だけが瞬かせる強い光で、タキオンに人間らしい瞬きをさせるために、この物語はあるのだ。

 

 フジキセキアグネスタキオン……二人の”幻の三冠馬”を重要なポジションで据えたことによって、この映画は”ウマ娘”アニメで随一、『競走馬が故障すること、引退すること』に向き合った作品になったと僕は感じた。
 ナベさんが重たく告げるように、誰も望まぬ不運は死闘の中に必ず訪れて、眩い夢を奪っていく。
 その追いつけない残照に焼き尽くされて苦しむことがあっても、なお全てを賭けて走るものたちは純粋で、強く、美しい。
 そんな生者たちの疾走が、望まずして”ウマ娘の幽霊”となってなお走りから目を背けられない者たちの思いを継ぎ、遥か彼方の届かぬ夢へと走り続ける星の歩みを、眩しく輝かせている。
 フジ先輩が未だ走りたいと疼く物わかりの悪い足を晒しつつ、今なお走るジャングルポケットの生き様を全て認めて抱きしめてくれたの、とても良かったな……。

 そして傷つき倒れたものもまた、運命を乗り越えてもう一度走り抜けれる可能性を、現実には実現しなかった2001オールスターによる夢のレース……競走馬達のヴァルハラを最後に描くことで、眩しく描きもした。
 二期のテイオーVSマックもそうだけど、やっぱ数多の理不尽や悲しみを乗り越えて叶わぬ夢を形にしてくれる”ウマ娘”の、ファンタジーとしての強さ、ありがたさを最後に叩きつけらると、耐えられぬほどに心を揺さぶられてしまう。
 走るものも、途中で走るのを止めるものも、皆戦い続けているのだ。
 その疾走は、夢も運命も越えて何よりも早く、終わることがない。
 苦しい力走を続ける戦士も、志半ばに立ち去りあるいは斃れた者たちも、みな尊く眩い星なのだ。
 そう思うからこそ、傷がつかない本物のダイヤモンドではなく、ヤンキー少女が願いを込めて空に投げ上げる偽物の星をこそ、主役とライバルが共に見つめている夢として、作中に刻む映画だったと思う。

 

 

 という感じで、主人公とライバルの燃え盛る引力に重きを置いた物語であったが、共に駆け抜ける仲間たちの存在感も大変分厚く、魅力的だった。
 僕は一種のゴースト・ストーリーとしてこのお話を見たので、””お友達”を追いかけて走るマンハッタンカフェの奇妙さも、むしろしっくり飲み干すことが出来た。
 フジキセキアグネスタキオンが体現するのとはまた別の角度から、見えざるゴーストホースの影を置い、マジ具合悪そうな虚弱体質から地道に己を鍛え上げ、菊花賞の勝利を掴み取る物語は、これまでの”ウマ娘”だったらもう少し強めにフォーカスした、個別の物語になっていたと思う。
 しかしそこをあえて描かないことが、この映画が主人公一本でに時間を走り切る新たな試みとして必要な選択であり、それでもなお『カフェ頑張れ!』と思える可憐と懸命が描けていたのは、とても良かった。
 同じクール系変人に見えて、タキオンは余力を残して勝利を掴み、カフェはボロッカスになりながらなお負けるってのが、良い対比だったと思う。

 クセの強い連中の中で、ダンツフレームの透明度の高い可愛らしさは心地よい癒やしであったが、そんな彼女も”ウマ娘”の本能を燃やし、本気の力走に歯を食いしばる描写が分厚く良かった。
 ああいう素直で普通に思える子こそが、譲れぬ闘魂にしがみついて獣の顔をすることで、ウマ娘に刻み込まれた魂の定めがより鮮明になって、最後にそこに目を開くタキオンの決着も、スルッと心に届いた感じがある。
  やっぱ僕はウマ娘が”ウマ”であり”娘”でもある共存がすごく好きで、ダンツフレームの在り方はそこら辺をすごく鮮明に形にしてくれてたなー、と思う。
 ”娘”要素全開のウィニングライブでも、みんなめっちゃ可愛かったなぁ……奇妙だけど必然のフィナーレとして、あの舞台を楽しめるお話だったのはとてもありがたい。

 あとあり得ないほどメチャクチャ色んなウマ娘が出てきて、なお太い本筋を圧迫せず乗りこなしていた手際は、大規模クロスメディア・コンテンツの極限を見た思いで感激した。
 RttTを最後まで見届けたものとして、不敗の怪物として開花したテイエムオペラオーとか、最前線で戦い続けてるナリタトップロードとか、一線を退いたけどその分カレンチャンとメチャクチャイチャイチャしてるアドマイヤベガとか、見られてよかったな……。
 ホントありえないくらいイチャイチャしてた……カレンチャンのヒロイン力に惹かれてRttT見てたきらいがある視聴者としては、大変にありがたかったなぁ。
 どんな包囲網を引かれても勝ち切る古馬最強の貫禄をちゃんと書いたからこそ、主人公が挑み乗り越え物語の成果を示す最後の壁として、テイエムオペラオーが機能していたのも、大変いい描き方でした。
 ケレン味と詩情を的確に使いこなして、短い手番で物語に必要なだけの存在感をキャラに与えれていたのは、めちゃくちゃ良かったな……。

 

 というわけで、大変いい映画でした。
 二時間という制限が、群像ではなくあくまで主人公に焦点を絞り、その競技人生全てではなく一度きりの一年間を描ききるという、濃度の高い物語を生み出していたと思います。
 正直TVアニメとしての”ウマ娘”の構造的な軋みを、特に三期からは勝手に感じ取っていて、なんらかそれを突破する疾走が欲しいと思っていた所に、全速力でぶっちぎってくれたのが、アニメオタクとしては嬉しい限りでした。
 まさに”新世界の扉”を開けるに相応しい、新たな王道への挑戦であり、真っ直ぐにスポ根物語のど真ん中へ挑む頼もしさと、それを古びさせないために新たな表現に果敢に挑む意思が形となった、素晴らしいアニメでした。
 楽しかったです、ありがとう!!