イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第8話『なやめるオスティナート』感想

 執拗に、過剰に。
 乗り越えたようで幾度も顔を出す、和やかな楽しさと本気の熱さの相克が、最後の夏合宿に炸裂する。
 遂に来るべきものが来た、ユーフォ三期第8話である。
 大変良かった。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 タイトルにある”オスティナート”とは、同じ要素を執拗に反復する音楽表現だ。
 冒頭蜘蛛の巣が夏の空を覆う不穏を不鮮明にぼやかした構図から始まった物語は、それがアゲハ蝶を捉えている姿を鮮明に描いて終わっていく。
 部長として背負うものの格段に多い最後の合宿、ソロ選考という極めて重要で残酷な現実に突き放される体験を経て、透明に思えて確かに張り巡らされていたものが形を得、何かを致命的に終わらせかねない危うさを暴いて、物語は新たな曲へと続く。

 それは完全実力主義が生み出す軋轢を、様々な奏者によって積み上げてきた”響け! ユーフォニアム”という作品の新たな軋みであり、繰り返されているようでいて形を変え、立場を変え、心に食い込む深さを変えていく。
 だからより精密を期すなら、今回作品に用いられている技法は執拗反復ではなく反復変奏なのかもしれない。
 どちらにしても、バロックな技法なのは間違いない。

 

 真由は部内に張り巡らされた蜘蛛の巣の危うさに、自分の実力が触れてしまう可能性を鮮明に見抜いている。
 加害者にも被害者にもなりたくない臆病と、多分嘘じゃない優しさと、微笑みの奥に怜悧な計算を隠す冷たさをないまぜに、この日を恐れつつたどり着いてしまった。
 久美子はこの危うい残酷を不鮮明に覆ったまま、北宇治らしく”本気”のぶつかり合いを経てなお誰も傷つかない、平和な夢に幸せにまどろむ。
 それをぶっ壊す落選の衝撃が叩きつけられて、このエピソードは終わる。

 それはかつて、『黄前さんは吹かないでください』と告げられ、涙ながらに駆け出して本気で上手くなりたいと、北宇治的実力主義を内面化した決定的瞬間の、再演になるかもしれない。
 あるいは部長という立場が揺るがす余震は、久美子個人の内的冒険で済んでいた疾走を部活全体に広げて、大きな物が壊れるかもしれない。
 何も繰り返しではなく決まってもいなく、だからこそ面白い歌が生まれてくる、混沌としたリアル。
 物わかりの良い”部長”の顔では乗り越えきれない、己の中と眼の前の他者に渦を巻いている名前のつかない混沌……反復される”ユーフォらしさ”に、再度捉えられた久美子がどう抜け出すか……あるいは、青春という蜘蛛に食われるのか。
 大きな転換点であり、ここをドラマティックに機能させるべく、偏執狂的なまでに作り込まれた映像がここまで、しっかり編まれてきたとも言える。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 第3話に引き続きコンテを担当した以西芽衣さんの表現は、極めて京アニらしい執拗さで発言と視線のラリー、そこに籠もる感情と社会的立ち位置を追いかけ続ける。
 目は口ほどにものを言い、自分の発した言葉がどう届いているのか……もはや無邪気な子どもではない高校生たちは、丁寧に追いかけ確認している。
 その響き方を踏まえて次の音が生まれ、人間関係とその網目に囚われた己の居場所を、複雑に探り合いながら100人からの部活は成立している。
 そこは宇宙よりも重たい一人間の心が、なんてことない顔をしながら触れ合い、すれ違い、探り合い、ぶつかる社会性の星雲である。

 星空に暗い闇と瞬く星があるように、人と人が言葉をかわす海にもポジティブとネガティブ、解決済みと未解決、色合いの違う関係が複雑に組み合わさっている。
 第4話で一つの結論にたどり着いた求くんの、祖父に対する距離を確認するように奏は、美玲が言い淀んだ古巣の話題をあえて出す。
 かつては場の空気を壊す爆弾になっただろうそれを求は微笑んで(『僕はもう、それで傷つかない』というサインを集団に差し出して)受け止め、自然な応答を投げ返す。
 このラリーを見て、求の思いを誰よりも知る緑輝は安心したように微笑み、低音パートという部活の中の小社会は、和やかな調和で結びついている事実を確認する。

 この一連のやり取り自身が、極めて高度な社会性と余所行きなだけではない優しさを含む、関係性のディスプレイ行為だ。
 奏がクレバーに危なそうな(しかし実際は既に解決済みの)場所に突っ込んだおかげで、小社会の構成員は自分たちがどこにいるのか、求という仲間が今どういう状況か、それにどういう感情を抱くべきかを、刷新し確認することが出来る。
 同時になかなか難しいものを抱え込んだ同級生を、奏が彼女なりの器用な不器用さで心配してて、心からの助け舟を出した場面でもある。
 人の良さと計算高さは複雑に混ざり合い、奏のそれは久美子とぶつかったからこそ輸血された、彼女の新たな天性として獲得されている。
 第4話のエピローグとしても、”誓いのフィナーレ”の続きとしても、暖かく嬉しいやり取りだった。

 

 低音パートに与えられた部屋の外側からでも、直接顔や声を交わさなくても。
 音を通じてコミュニケーションできてしまうのが、演奏家集団の面白いところだ。
 奏の鋭い耳は響いてきた音が麗奈のものであることを鋭く聞き分け、久美子はそこに特別な愛おしさを感じ取る。
 このソロに重ねて、自分が必ず晴れの舞台を勝ち取る。
 耳障りの良い『みんな』を真由に差し出しておきながら、漏れ出した思いが思わず指を動かす瞬間を、真由はしっかり見届けていて……そこに踏み込めない。

 奏から発し求に届き、緑輝を安心させた低音パートおなじみのコミュニケーション・ラリーとは、色合いも温度も違う未解決の不協和。
 真由を描く時、第1話から徹底して貫かれてきたテーマ性は、ここにおいても執拗な反復を見せる。
 『誰が私を愛するの?』という相当必死な問いかけに、『わたし』と答えてくれなかった久美子の虚偽を、真由は当人より鋭く見抜いている。
 久美子は部長として、良き先輩として『いい人』でいなければいけないし、自分の中にある不定形の暗闇に目を向けないようにもしている(この態度が、進路の不鮮明にも繋がっている)から、真実真由をどう感じどうなりたいのか、きれいな建前を越えた場所にある思いに目鼻を付けれていない。

 そこには北宇治で久美子が三年間積み重ねてきた感情と演奏の歴史があり、これまで彼女が主役の”響け! ユーフォニアム”がとても特別で素敵だからこそ、部外者を簡単に立ち入らせない聖域になっている現状が反射されている。
 聞けば思わず指が動き、心が波立つ特別な関係性。
 それは衝突と不和を経てお互いの本心を混ぜ合わせる、特別な体験……極めて”ユーフォニアムらしい”物語が支えるものであって、転校生である真由にはその蓄積がない。
 そういう場所へと踏み込む覚悟を、あくまで『優しいみんなの部長』を崩さない久美子は真由に示せていなくて、願いは響かぬまま中空に漂っている。
 久美子が無意識に麗奈のソロに応えた空弾きと、それに向ける真由の視線。
 そのすれ違いは幾度目かの反復を為して、噛み合わないふたりの距離を画面に刻む。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 言葉、視線、演奏、態度。
 人と人が繋がろうと試み、幸福に成功したり不幸にして頓挫したりするコミュニケーションのメディアは、様々な形を取る。
 指先もまたその一つだ。

 『ともに食事を取る』という、私的な親愛をディスプレイ可能な公的行動の描写は、むしろ久美子と奏の親密な距離感から真由がはじき出されている現状を、鮮明に抉っていく。
 真由への警戒感を(久美子の表面化されない思いを汲み上げるように)おちゃらけながら告げる奏の指と戯れ、親しい距離感を示している久美子の会話。
 それは、話題の当人が顔を出すことで中断され、良く整っているが余所余所しい、転校生への応対へと温度を変えていく。
 その取り繕いから溢れる感情が思わず指先に満ちて、鮮烈なパルスを放つ瞬間も、極めて京都アニメーション的な筆致でしっかり描かれている。
 人体のあらゆるパーツが、コミュニケーションと感情表現の媒介として機能するマニアックな文法を、徹底して編み上げていく姿勢。
 それは三期始まって以来、加速を続けて緩むことがない。

 合宿場での会食というイベントを、真由は小社会に馴染んでいる自分を確認する/確認させるための社交として活用しようとして、馴染みきれず浮かび上がる。
 この断絶は三年間イチャイチャし倒し、公私にわたって特別な距離感を保っている麗奈との対話には(現状)ない。
 真由と久美子を同じフレームに収めない、混ざり合わなさを強調するレイアウトに対置するように、二人の飾らない触れ合いは窒息性の空気の中で、心地よく感じられる。
 そこには光が満ちて前向きで、何も間違いがない……ように思える。
 だからこそ、この救済が揺らいだ時のダメージは久美子にも僕らにも大きいはずで、三年青春を戦って強くなったはずの主人公を真実試す時が来たら、必ず炸裂する爆弾として用意されたアジールなのだろう。
 それでもしがみついてしまうほどに、完全実力主義の厳しさ、そこに馴染もうと必死に足掻きつつ馴染みきれない真由の苦悩、立場と善意に絡み取れられた久美子との摩擦は重たく、『くみれいだけは永遠だって!』と思いたくもなる。
 でもまー、ぶっ飛ばすよなぁどう考えても……。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 一瞬の逍遥を経て、久美子と真由は二人きりの脱衣場という、極めて私的な空間にたどり着く。
 小社会の中での立ち位置と距離感を、自分自身と周囲にディスプレイする公的空間でもあった食堂よりも、緊密であってよい場所……例えば麗奈相手だったら間近に自分を置くだろう場所で、久美子は最初鏡を見つめて真由の方を見ない。

 そこでぐるりと身体を返し、感情が強くこもった視線で相手の顔を見るのは、真由が意を決して拳を握り込み、お互いの優しい建前を弾き飛ばす本音を、えぐり出した後だ。
 これを公衆の面前で突き出せば、部長と転校生が小社会の中どういう立場に置かれるのか。
 しっかり考えられるからこそ、真由はここまで思いを抱えて踏み込まず、このままではいられないから本音を突き出す。

 

 『オーディション、わざと負けようか?』という、コレまでも幾度か突き出されてきた、完全実力主義の悪性腫瘍。
 そこに約束された己の敗北を見るのは、平気な顔を取り繕っている久美子自身己が勝てるか不安であり、そうさせるだけの真由の実力を確かに認めているからでもある。
 そしてそのゆらぎは部長としての久美子が他人に見せてはいけないもの、持っててはいけないものでだ。
 背中越し歪んだ瞳に宿ったものは、久美子の偽らざる本音なはずなのに、存在を許されていない。
 だから、瞳を覗き込まれる距離に向き直った時には掻き消え、覆い隠されている。

 己が変え己を変えてくれた北宇治を愛し、守り、形にしたい久美子は、今年も顔を出した完全実力主義の残酷さがそれでも良いものだと、真由になんとか伝えようとする。
 一瞬顔を出した動揺とエゴイズムは、向き合う時には冷静に取り繕われていて、久美子はあくまで小社会に求められる『優しい私』の顔と声を造って、真由に向き合う。

 

 しかしその顔では真由を真実揺るがし、あるいは受け止めることが叶わない事実はこれまで描かれたとおりだ。
 繕われた大人っぽさを拒むように、肘を掴んで拒絶の姿勢を取る真由の身体言語が、ここでも反復される。
 届かないながら形上収まりはするから、真由はここで納得した姿勢を魅せ、実際のオーディションでも……それこそ久美子を打ち負かすほど手抜きなく、勝負に向き合う。
 『そうしてくれると嬉しい』と微笑みながら告げ、納得してくれたと満足して笑みをこぼす久美子が見落としている網が、彼女自身を捉える結末は、冒頭既に記述したとおりである。

 真由が鮮明に見ていて久美子に見えていないものが、北宇治にはたしかに張り巡らされている。
 ここで自分の言葉が真実真由には届いていないことを見落とした久美子は、ソロ不選抜という重たい現実に殴りつけられることで、否応なく透明な網の存在を自覚する。
 それは彼女がとても立派に果たしてきた、けして嘘ではない尊さを持った部長としての頑張りの奥……一人間、一奏者としての黄前久美子の思いがどこにあるか、もう一度見つけなければ抜け出せない罠だ。
 羽の一つ、足の一つもげるほど苦しかろうがもがかなければ進めないどん詰まりに、既に自分が行き着いている実感を、真由はここで既に持っているから本音を突き出し、久美子は同等の熱さと暗さでは受け止められなかった。
 ようやく向き合ったはずの二人が生み出すすれ違いは、未解決なまま長く尾を引いていく。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 真由との対峙で奏でられた”楽しい”と”上手い”の不協和は、部内政治を司る幹部ミーティングでも、形を変えて姿を見せる。
 滝先生の思い描く音に近い奏者が選ばれるオーディションは、かけがえない三年間を注ぎ込み積み上げてきた、個人的な体験に深く深く食い込んでいる。
 奏者であると同時に学生であり、数多の人間の網目に巻き込まれた一つのノードである存在を、ただ実力だけで測る残酷。
 その難しさを語らう時、学生たちは自分たちこそがその方針を選んだ事実を、時に忘れる気楽さを未だ、持っている。

 自由な心の現れとして誰に気兼ねすることもなく、美しく鳴り響けば良い個人的な音楽を、北宇治はやっていない。
 あるいは、選んでいない。
 そこで人間関係の方を見て馴れ合い、甘っちょろく腐っていく道を生徒自身が蹴り飛ばし、滝昇がその決断に応えたからこそ。
 北宇治は部員100人を抱える強豪となり、”北宇治らしい”完全実力主義が正しいのか疑問に思い、滝昇が思い描く音が正しいのか、疑い始めている。

 

 秀一の温情主義と麗奈の指導者信奉、どちらが正しいのか原理的に測ることが出来ない中間地点で、久美子は迷った後に唇を固め、滝の決断についていく道を握りしめる。
 それが”響け! ユーフォニアム”だったから。
 泣くほどに『上手くなりたい』と願い、傷ついた心を抱えて全力で走って、ぶつかりながら響き合って生まれた音楽を、間違いだと思いたくないから。
 本気だからこそ泣く人に安全圏から声をかけて、何にも熱くなれない昔の自分に、戻りたくはないから。
 久美子は2つの正解の間で揺れる自分を噛み殺して、片方を選んだ。

 ここまで他者との間で行われてきた、発言と本意のディスプレイ行為はこの時、久美子の内面で行われている。
 自分という他者が真実何を考え、己の外側に答えとして表すべきか。
 無邪気なまま感情で突っ走る一年生ではもうない、部長だから色々難しいことも考えなきゃいけない三年生の久美子は、自分の外側をどう形作るかの意識を高く保つために、自分の内側がどうなっているかを感じ取るセンサーを鈍らせている。

 立場が要求する大人びた態度が、久美子の武器であり北宇治の苦境を幾度も突破してきた幼い率直さを、縛っている状況……とも言えるだろう。
 今回示される透明な網……部内の不和、真由との軋轢、あるいは完全実力主義の残酷を突破していくためには、言葉を飲み込み必要な顔と声を作る成熟から一旦距離を取って、己との対話を通じて率直さを取り戻すことが必要なことを、マニアックに表情の変化、細やかな仕草を切り取る筆致は告げている。
 そんな渾身の力を込めなくても飲めるだろう、滝先生からの贈り物にどれだけの力みが向けられているのか。
 そういうモノをこそ、このアニメは執拗に描いていく。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 薄暗い闇の中瞬く光は、白々しい社交とはまた違った温もりを宿す。
 滝先生からの心尽くしを、抱きしめ手放さない麗奈らしさが、なにか自分の知らない重たさを抱えているらしい緑輝への真心として手放され、手渡されれる。
 それはこの優しく美しい月光が舞台装置になるからこそ、許される行為なのだろう。

 麗奈も滝先生だけを求める狭い世界に生きているわけではなく、三年間一緒に頑張ってきた友だちを元気づけるため、”特別”を手放せる優しさを確かに持っている。
 優等生ぶっておきながら梨々花とはイケナイ夜ふかしを楽しみ、うっかり目撃してしまった求のアンニュイには気づかれないように自分のソーダを差し出し、そそくさ逃げていく奏とよく似た、不器用で愛しい優しさ。
 それを受け取り口づけるコントラバス師弟は、優しい夜に何を語らったのか。
 緑輝は、親友にそれを語らないことを選ぶ。
 
 久美子が部長だからこそ先に預けられた、月永求の『聞くべきではないこと』がようやく、緑輝の元へとたどり着いたことで、久美子は一つ気がかりを捨てられたのだと思う。
 友だちの方に向き直らず、預けられた大事なものを、死と生の間に横たわる星の川を見上げている緑輝は、何もかもあけすけで前向きな彼女が滅多に見せない、私的で隠微な表情を浮かべている。
 ここで緑輝と求が受け渡しあったものは、明かされない秘密だ。
 視線と言葉が着弾する先、生まれる共鳴を常に確認し続ける、小社会でのコミュニケーションを描き続けるエピソードとしては、かなり例外的な対応である。

 しかし真由を中核に据えて、白々しい社交が執拗に反復されたエピソードにおいて、語らぬからこそ繋がる思い、とても瑞々しく感じられる。
 そういう答え方が心のふれあい、人と人との繋がりにはあって良いし、確かにあるのだという、網目の合間をすり抜ける瞬きが、夜闇に美しい場面だった。
 俺は三期4話がいっとう好きなので、あの触れ合いを経たからこそこの夏の夜、求と緑輝と彼らを愛する人達がどこにたどり着いたのか、凄く静かに飾らず教えてくれるこの場面……大変良かったです。
 やっぱ川嶋緑輝は良いなぁ……本当に良い……。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 一年坊主共がグースカのんびり寝てられる早朝五時、アラームを鳴らさぬように気を使って久美子は起き、思い出の中の田中あすかを抱きしめるように”響けユーフォニアム”を一人弾き、朝食もとっとと食べて終え、オーディションの準備をする。
 真由との距離を縮めきれない枷になっている、大人びた部長としての仮面がどれだけの苦労で維持され、何を支えているかをこのアニメは、けして見落とさない。

 確かにそれは久美子を縛る透明な網であり、是正されるべき間違いを含むのだろう。
 だが過去起きた事件を反復しないように先回りして、震える手を隠して、久美子が必死に部長を頑張ってきたことで、壊れなかったものが沢山ある。
 今回優しい夜闇に美しかった、緑輝と求くんの繋がりもそうだし、そもそも低音の一年どもがこの合宿、最悪寝相でグースカぶっこいていられるのだって、部長が問題の芽をしっかり摘んだからだ。
 黄前部長は間違っていない。
 そして、完全に正しいわけでもない。

 

 前回覗き込もうとして拒まれた”響けユーフォニアム”を、真由は遠目に見守りながら今度は踏み込まない。
 北宇治のネトネト面倒くさい歴史から遠ざけられ、その完全実力主義を忌避しながらもも乗りこなし、排除される怖さに怯えつつおずおずと、手を差し伸べてきた女の子。
 黒江真由が踏み込めない領域であり、黄前久美子が踏み入れさせない聖域。
 そこにこそ久美子の飾らない掌が、力強く抱きしめられる思い出の残照があって、”響けユーフォニアム”があまりに素敵な曲だからこそ、久美子の視線は強く『これまでの北宇治』に向いている。
  だがそれは、真由にはどうしても共有できない……久美子があまりに大切だからこそ真由から覆い隠し、近づけないアジールになっている。
 ここに……”響けユーフォニアム”に真由を受け入れ、共に奏でるまでの物語も、2/3をそろそろ過ぎる。

 ”誓いのフィナーレ”まで山盛りの面倒くささとギスギスを抱え、青春でこぼこ道を駆け抜けてきた久美子と北宇治が、迎える最後の年。
 そこに迷い込んだ異分子は真由一人に集約され、主人公乗り越えるべき課題、部を揺らす厄介事、成長のための起爆剤は基本、彼女が背負うことになる。
 北宇治の過去を知らず、確かな実力と協調性を持ち、それでも”特別”にしがみつくこれまでの”ユーフォらしさ”に乗り切れない彼女は、徹底して『これまでの北宇治』から遠ざけられた存在だ。

 しかしそんな彼女が健気に新たな小社会に混ざろうと、微笑みながら自分が差し出せる何かを懸命に手渡そうとしている様子は、それを受け止めきれない久美子に重ねながら、これまでいくども反復されてきた、
 真逆だから排除していい”敵”としてではなく、柔らかな美しさと彼女なりの優しさと賢さ、高校3年生だからこその成熟と未成熟の同居が、他の子ども達と同じくある……できれば仲間になって欲しい、ならなければいけない存在として描かれてきた。

 

 そんな彼女を遠く跳ね除けてしまう、久美子の過去への頑なな視線はどこか、彼女を主人公に展開してきた”響け! ユーフォニアム”へ僕が向ける視線と、重なっているように思う。
 新しいものなんていらない。
 これまで積み上げてきた物語の決算だけを果たして、何も変わる必要はない。
 そんな執着に囚われる停滞は、作品の内側と外側に別れつつもどっかに通っていて、北宇治の色に馴染まぬ茶色い制服を着込んだ転校生を、遠くへ押しのける。
 だが彼女もまた北宇治吹奏楽部に籍を置く仲間であり、本気の実力を示して舞台に立つ資格を持ち、揺れながら己を探している、久美子と同じただの少女だ。

 そういう存在とボコボコ感情で殴り合い、めんどくせー衝突を繰り返して前に進んできた物語が、彼女がさらけ出しつつある戸惑いや震えに深く踏み込まぬまま、物語を終えて良いのか。
 そんな問いかけを突き抜けて新たな……最後の答えを出すことの難しさを、幾重にも反復されるすれ違いはしっかり描いている。

 それはこれまでと同じく、そして違う形で越えられるべき大きな壁であり、今久美子が立っている美しく広い朝焼けは、解り会えないとすら思った色んな人や難しさに、剥き出しで挑んで涙したからこそたどり着けた景色なのではないか。
 そしてそこに、同じ楽器を抱えて混ざりたげに佇んでいる真由をはじき出すのは、久美子が何より大事にしたい『これまでの北宇治』を損なう行為ではないのか。
 そんな詰問を、完璧ではない(からこそ魅力的な)主人公に静かに投げつつ、美しい最後の朝が終わっていく。
 答えを得てたどり着く終わりの瞬間だけでなく、迷い間違い戸惑った歩みの全てが青春の音であるのなら、これまで反復され、ここからまた繰り返す不協和音もまた、”響け! ユーフォニアム”の大事な構成要素なのだ。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 オーディションの情景は内乱の予感を孕んで薄暗く、これまで日常のなか優しい隠微に包まれていた視線が、剥き出しのまま複雑に交錯する。
 それが行われる場と人によって、コミュニケーションの温度や性質が大きく異なること、そのためのメディアが複雑に色を変えることを丁寧に反復してきた今回。
 最大の爆弾が落ちる前駆として、奏の落選とさつきの当選……それを中心に皆の瞳がどう動くかが、丁寧に編み上げられていく。
 奏当人が必死に取り繕う表情より、梨々花の呆然のほうが率直なのが、鮮明で残酷でいい。
 こういうモノを多数編み上げて、このアニメは成り立っている。

 どんな結果が訪れたとしても、それを言い渡す滝昇の意思の元それを受け入れ、揺るがず進んでいく。
 そんな北宇治イズム自体が揺らいでいることを、幹部会での秀一の言葉は示してもいたが、『ただただ実力で選ぶ』という久美子自身が受け入れてきた(はず)の方法論が、当然生み出す一つの帰結。
 真由が恐れ、逃げようとしたところを久美子本人にせき止められてきた、結末にして新たな開始。
 それが訪れる前の、残酷で強い空気の震え。
 見えない網。
 そういうモノが、結果発表の場を満たしていく。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第8話より引用

 ユーフォソロの担当者を告げる滝先生を覆う影は、あるがままの実体では勿論ない。
 ドラマの明暗や登場人物の心境を的確に画面に反映し積み上げてきた、このアニメらしい画角から、今の滝昇はこう写るという、心理主義的結像だ。
 自分でない名前が呼ばれた時、一瞬当然『はい』と答えそうになった主人公の呆然と、その隣で望まぬ選別に瞳を閉じ、それでもなお自分が選んだのだと顔を上げて受け止める真由の対比。
 それもまた、見えぬはずの心をこそ作中現実にえぐり出していく、このアニメの筆の反復……であり、確かにこの非常事態に相応しく、最適に変奏されていた。

 人が発したメッセージがどう相手に届くか、それが自分の心をどう揺らすかを極めて丁寧に、微細なリアクションを余す所なく抜き取って描くことで、非常に繊細で活きた劇的時空間を、己の中に成立させてきたこのアニメ。
 ここでの久美子の呆然と真由の決意は、そんな繊細な感情表現の極地とも言える、豊かで残酷で鮮明な演出だった。

 

 真由は自分がソリに選ばれる=久美子が選ばれないこの結末を冷静に予期し、幾度も逃れようと身動ぎし、”正しい”久美子に阻まれてたどり着いてしまった。
 過去北宇治部員がそうしたようにオーディションから逃げても良かったし、手を抜いても良かったところを、久美子の願いに向き合いつつ自分に引き受けて、誠実に引いた結果ここに至った。
 だから、隣を見るより前を向く。
 下を向くより未来を見据える。

 その鮮明な決意が、通達から一瞬遅れてぐにゃりと世界を歪ませ、懸命に部長の立ち位置に相応しい正しさで頑張ってきたからこそひろがる動揺の中で、己を見失っていく久美子と対置されている。
 久美子に見えていなかったもの、見ようとしなかったもの。
 真由には見えていたもの、囚われてなお見据えているもの。
 不鮮明な網がアゲハ蝶を捉え鮮明になる、エピソード開始時と終了時のリフレインは、極めて明瞭に主人公の現在位置と未成熟を……揺れる心境とそこから続いていく未来を捕まえている。

 

 思うに三期は、二年目までのリフレインを極力避け、今までやったことは美味しい見せ場だろうとすっ飛ばしてきた。
 サンフェスも府予選も演奏を描かず、真由を中心に据えて積み上げられる変化の予兆と美しい不協和を、丁寧に追いかけてきた。
 部員のボイコットもオーディションでの手抜きも、再演の気配を宿しつつ久美子部長の頑張りで回避され、同じ轍を踏まない成長が確かにそこにあった。
 ””誓いのフィナーレ”で未解決だった求くんの荷物を緑輝と一緒に降ろし、順風満帆と表向き思えるこの合宿(あるいは、久美子が部長になって以来の北宇治)に、炸裂する新たなテーマ。

 それは執拗な反復に思えるものが常に、新たに生き直すからこそ難しい生の実情を、思いと痛みに満ちた青春の景色を、切り取るために選び取られている事を示している。
 幾度も重ね合わせ変奏するのは、そこにこそ描かれるべき大事なものがあり、その変化にこそ語られるべき主題が宿るからだと思う。
 ”ユーフォらしさ”は常に、既に描かれてしまった愛しい思い出ではなく、痛みと残酷を秘めて荒れ狂う、眼の前の現在の中にこそある。
 そんな過去ではなく現在へ、そこから繋がる不定形の未来へと向く視線を、久美子が失っているからこそたどり着いた、一つの決着。
 その痛みが、立場や”らしさ”のかさぶたを抉り、青春の血を流すべき傷跡を暴いていく。

 『上手くなりたい』と泣くほどに思ったあの瞬間を、強制的に反復されることで、久美子は再び時を遡っていく。
 これまで頼もしく、愛しいノスタルジーを込めて見守らせてもらった『立派な部長さん』のままでは越えられなかった壁の向こうへ、どうにか己を投げ出すしかなくなったこの状況。
 決死に物分かり悪く、青春と取っ組み合いしてきた物語はようやく、丁寧に準備してきた嵐の中へと、久美子と一緒に飛び込んでいくのだ。

 ここにたどり着かなければ、黄前久美子と彼女が主役の”響け! ユーフォニアム”は、真実自分たちらしい在り方とは何か、本当の音を奏でるために必要なものとはなにか、新たな色彩で抉り出し、描き切ることは出来ないから。
 それを示すために、過剰な反復がこのエピソードの中に、あるいはここまでの8話に、そして全ての物語の中で、複雑に鳴り響いてきたし、これからも形を変えて繰り返され、折り重なっていく。

 

 少女たちはようやく、ふたたびここにたどり着いた。
 待っていたし、来てほしくはなかった。
 次回も楽しみです。