花野井くんと恋の病 第9話を見る。
春、桜の季節。
花野井颯生は狭い世界の殻を破り、誕生日に新生すッ! というお話。
会えない時間の二人が描かれることで、逆にどんだけ深くお互いが心に突き刺さっているのかが見える回であり、ロマンティックなクリスマスで花野井くんが恋人にプレゼントしたものを、彼の誕生日に返してあげる報恩のエピソードでもあった。
俺は人生ネジ曲がるくらい重たいものを手渡された恩義を、忘れずしっかり手渡し返して相手の人生も捻じ曲げてくる人が好きなので、花野井くんに抱きしめられて世界を広く強くしたほたるちゃんが、そういう行いしてくれたのは嬉しい。
お話としてはゆったりしたペースで病み気味青年のカウンセリングを行う感じで、何かが動き始めている予兆を桜の花びらと早春の風に乗せて、しっかり可視化させる演出が良かった。
『特別に選ばれ愛される』という、花野井くんの傷と祈りが語られることで、彼を『独占欲強い完璧彼氏』つう偶像から降ろして、傷だらけの少年に戻すような回だったなぁ…。
花野井くんの両親が彼から剥奪した、正しくて優しくない愛の欠如は、正しすぎるほたるちゃんが自身の傷として抱えていたものでもあって。
花野井くんがグイグイ求め手渡すことで、埋まった過去の欠乏でもある。
愛し愛され、そこで完結せず広い場所に踏み出すこと。
エゴイズムと公益性の普遍的なダンスを、お互いを抱きしめ合いながら進んでいく二人の道が、いつか望んだ自分に近づいていく自己実現の歩みなのだということが、とても良く描かれていたと思う。
花野井くんはほたるちゃんとのデートコースを、来年の下見ということでその目で見る。
満たされなかった両親との関係性が、ずっと渦を巻いている狭い私室ではなく、その外側にあるキレイな世界に踏み出せるのは、ほたるちゃんがテコになっているからだ。
彼は一人きりだと満たされなかった過去にうずくまり、傷ついた幼い心を抱えたままメシも食わず、己を憐れみ世界を恨んでしまうので、”外”に出るには理由がいる。
それはどんだけネグられても、両親の愛を特別にする彼の執着が”家”には刻み込まれてしまっていて、彼を手放さないからだ。
そこから本当に一人で離れてしまえば、寄る辺なく消えてしまうくらいに強い願いを、花野井くんはずっと親に対して抱え込んでいる。
恋人という存在はその代理でしなかく、これまで彼を満たさず/彼に満たされなかった恋人たちは、当人が見落としている欺瞞を嗅ぎ取って、背中を向けたんじゃないかと思う。
特別特別言ってるくせに、その献身の奥でどっか別の場所を見つめ続けている男を隣に奥野、相当キツいと思うよ…。
おまけにその歪みに、花野井くん無自覚だしな。
ほたるちゃんの公平さを借り受ける形で、花野井くんは近視眼的な自己愛と痛みから距離を置いて、眼鏡で視力を補正して自分と世界を見れる場所まで、ようやくでれるようになった。
『ほたるちゃんのために』出た外には、どっかの親子の幸せな触れ合いがあり、そうして自分の外側に置かれた理想を目で追うことで、満たされなかった過去を、そこに宿った痛みを、花野井くんは見つめる。
べっとりと自我に癒着して、自分を支配しているのに気付けない影が、どこに突き刺さっているのか。
直視するのは辛い洞察を、それでも伸ばしていくのは多分、心の何処かでそうしたかったからだ。
正しさだけが己を癒やすと、どっかで知ってたからだ。
花野井くんは自分を『良い子じゃない』と定義し、狭くてヤバい愛情だけが自分らしさだと思い込む。
しかし他人は離れた位置から、ヤンでるにしては公平で博愛的な花野井くんをちゃんと見ていて、それを指摘もする。
うぜーダチ気取りから言われても心には響かないが、『もしかしたら、親に捨てられた僕も”良い子”なのかもしれない』という可能性を信じるに足りる愛を、ほたるちゃんが示してくれている。
だから今の花野井くんは、客観的自己像を主観的自己像と重ねながら、思い込んでいる自分とあるがままの自分のギャップを、花景色に埋めていく洞察を自分に許す。
あるがままの自分見つめても、傷を受けたとしても、それを上回る何かを手渡してくれる絶対の存在が、確かに自分の隣にいてくれるのだという信頼を、ほたるちゃんは恋人ごっこのなかでちゃんと造ったのだ。
ほたるちゃんが恋と距離を取った冷静さから踏み出し、己の中に湧き出す情熱と愛しさをためらわない『悪い子』になるのは、自分を『良い子じゃない』と考えるようになった花野井くんが、運命の人を一心不乱に求めた結果だ。
この熱を受け取ることで、ほたるちゃんはあんまり正しいとはいえないたった一人への個人的な愛が、なーんも間違っていない己の真実だと確信することが出来て、そこへ身を投げ自分を預ける。
それを受け止めることで、花野井くんは自分を信じていく。
愛される自分を信じるためには、誰かを愛する自分を(たとえ親からの愛情欠乏の代理だとしても)本気でやり切るしかなかったし、たった一人を求めるエゴイズムから離れる勇気は、たった一人の自分をちゃんと抱きしめてくれる誰かに出会うことでしか叶わなかった。
極めて複雑にねじれた矛盾を、しかし若い恋人たちは幸運に攻略しながら、何かが欠けている自分たちを支え合い、与えあって変えていく。
自分を不自由で不自然な場所に置く傷や痛みがどこにあって、愛し合いされる中でどうなっていきたいのか、ちゃんと見れる場所へと進み出していく。
それは手を引き、導いてもらうことで一緒に未来へ進んでいく、幸せな恋だ。
物語序盤の花野井くんは完璧を取り繕い、自身の寒さや辛さなどどこにもないように、ほたるちゃんに献身していた。
しかしそんな彼が確かに傷ついているのだと、ほたるちゃんは雪の公園で”正しく”客観したからこそ、恋がわからないなりにケアしようと手を伸ばした。
花野井くんのマゾヒスティックな献身は、痛覚の不在ではなく無視によって成り立っていて、真実恋人同士となり愛されている保証を得た今、ようやく彼は痛覚を取り戻す。
自分が傷ついていて、欠けていて、それでも何かを求めていることを客観する。
そのためにはたった一人を求めるエゴイズムより、もっと広い公益性に、目を向けたほうが良いと認識しだす。
倫理的な妥当性、そして論理的な整合性。
二重の意味で”正しい”この認識は、本来親が与えるべきだった無償の愛と存在の肯定を、ほたるちゃんがたった一人の自分に手渡してくれたからこそ成り立つ。
自分を満たしてくれない正しさに手を伸ばせるほど、人間は賢くも強くもないわけで、ほたるちゃんが『良い子』であることで自分を満たしていたように、花野井くんはヤバいヤンデレ野郎であること…広くて正しい場所に背を向けることで、崩壊寸前の自分をギリギリ保っていた。
しかしほたるちゃんの手がその輪郭を補強してくれて、愛の麻酔薬に頼る必要もなくなってきた。
”正しさ”に目を向ける余力が、ようやく育ったのだ。
ここに辿り着く前から花野井くんは極めてジェントルな、恋人と自分の境界線をちゃんと見て、相手を尊重できる(が、真実尊重し切ることが出来ない)少年だった。
今回広がった”正しさ”への視野は、もともと彼の中にあってしかし殺されてきた資質が、ようやく再生した…とも言える。
ここら辺の視力と地力を、素のメガネ男子の顔をほたるちゃんに見せれるようになった恋の進展と重ねて描いているのは、なかなかいい詩学だなと思う。
花野井くんの欠乏に歪んだ視界は、愛で補正され力を取り戻す事を求めていて、今ようやくそれが叶いかけている状態なのだ。
そんな人生リハビリを見届け守る人も、隣りにいる。
偉いなぁ二人共…
僕はこのお話を、靴と身長差のアニメとして見てる部分があるんだけども。
今回法事に縛られやりたいことが出来ない『良い子』から、お姉ちゃんの後押しを受けて脱却していくほたるちゃんの足元は、いつも通りの飾らぬスニーカーだ。
心のまま駆け出した歩みは止まらず、世界の片隅(親に)見捨てられた花野井くんを見つけ、捕まえて抱きしめる。
この時花野井くんとほたるちゃんの身長差は平時と逆転し、ほたるちゃんの方が”上”に立っている。
花野井くんが求めていたものは、重力に引かれて高いところから低い所に落ちるわけだ。
クリスマスデートにおいては、花野井くんの飾り立てたスタイリッシュさと対比されていた足元は今回、彼の革靴をあまり写さない。
彼の大人びた擬態にドギマギしつつ、ずっと欲しかったものを手渡されたありがたさに満たされ、恋に火をつけたあの日の優越は、もう花野井くんには無いのだろう。
その代わり、ほたるちゃんと同じくクソダサなパンツと上履きでもって、傷ついた誰かの内側へ入り込めなかった幼い時代が、しっかりと描写されている。
それはクリスマスには見えなかった花野井くんの地金が、『良い子』でいたかったけどいられなかった彼の後悔と決意が、滲むプレーンな靴だ。
あの時は無敵なロマンス王子に見えた(からこそ、ほたるちゃんがずっと求めてきた家族の外側の特別たり得た)花野井くんが、かつてほたるちゃんと同じ素朴な靴を履いていたと見せること。
それは彼が抱きしめられ救われた、ほたるちゃんの濁りのない”正しさ”を花野井くんもかつて抱え、時の流れとともにそれが損なわれ、変質したことを示す。
しかしその変質は自己憐憫に満ちた嘘ってだけではなく、確かに一人の少女を願いを叶える素敵なロマンティックを宿していたし、その奥にある痛みや切なさも、ちゃんと解ってくれる人に出会えた。
無様でも、嘘っぱちでも、飾りでしかなくても。
花野井くんの革靴は、彼だけの靴だ。
それと同じくらい、かつて自分の足元を覆っていた素朴な”正しさ”が自分の一部なのだと、思い出す旅へと花野井くんも踏み出していく。
たった一人に選ばれない痛さを抱え、それを満たす手段を誰にも教えられず、ようやく出会えたたった一人を、過剰に燃え盛る愛で満たし、満たされながら。
ここまで彼を守る唯一の鎧だった、献身的なエゴイズムから片手を離して、ほたるちゃんを抱きしめながらずっと活きたかった場所へ花野井くんが踏み出したいと思えたのは、本当に良かったと思います。
それは誰かに押し付けられるでもなく、とても花野井くんらしい情熱で求められれた”正しさ”への意思だ。
『これが自分らしさだ』と思い込んでいるものを、手放して自分を変えていくのって本当に怖いことだと思う。
でも花野井くんはほたるちゃんがいない場所で、ほたるちゃんがいてくれるからこそ踏み出せた場所で、自分を世界に反射させながら本当の願いを見据えて、新たに踏み出すことにした。
それが真実、『自分らしさ』を捕まえる旅になるって、ちゃんと知ってるから。
こういう風通しのいい客観を、ヤンだ外殻の奥にピュアに抱え続けているところが、彼の魂が善良なところだなーと思ったりします。
捻れた運命の果て、出会えた『良い子』と『悪い子』の旅路は続く。
次回も楽しみです!