イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガールズバンドクライ:第11話『世界のまん中 』感想ツイートまとめ

 駆け抜ける、世界のど真ん中まで。
 ガールズバンドクライ 第11話を見る。

 メインボーカルが家族との和解を果たすという、デカいイベントを乗り越えて挑むフェス。
 バンドとしてのまとまりが生まれ、幸運の追い風にも助けられ、ここまでの歩みを一つの助走として、終幕を前に高く高く飛び上がる回だった。
 やや短めのA&Bパートから、準備まで含めてどっしり描き切るステージで”トゲナシトゲアリ”の現在地を焼き付ける構成となった。
 世界に爪痕残すだけの完成度を手に入れた今の彼女たちを…あるいは彼女たちの今を、ドキュメンタリー&MVっぽく切り取る作り方が、不思議な達成感と納得を連れてきて大変良かった。

 

 この総決算感はもちろん、ラストに据えられた”空白とカタルシス”の圧倒的パワーによる所が大きい。
 その上であえて大きな波風を立てず、ここに立つまでの歩みと絆を改めて確認するように、運命のステージに立つまでを描く筆致が、そういう感覚を造ってくれたように感じた。
 自分たちなりの音楽を突きつけてきたダイダスさん含め、これまでのお話で出逢った人たち皆が仁菜の歌を聞き、パフォーマンスを見届け、熱狂の渦が広がっていく。
 それはそれぞれ個別の傷と理由を抱えて、ロックをやるしかない自分と向き合ったメンバーの物語がたどり着くべき、必然としての飛躍だ。

 前回仁菜が述べていたように、それが飛翔なのか落下なのかは解らない。
 兎にも角にも高く飛び立った後の物語がどこに行き着くかは、残りの二話を使い切って描くだろうし、ここでフィナーレとせず更に何かを描くために、今回高く飛ばせたのだろうし。
 バンド全体の空気感、笑顔の奥に隠した湿り気、フェスに挑む緊張と高揚。
 それらが一体となった混合気が、アンプで増幅されて爆発する瞬間の光。
 ここまでさんざん藻掻きぶつかってバンドになってきた”トゲナシトゲアリ”の音楽がどういうモノか、今回のエピソードがしっかり教えてくれた。

 自分が立っている場所こそが世界の真ん中だと、確信できる全霊のステージ。

 尖った凸凹を噛み合わせ、お互いの思いを吐き出しぶつけ合ってたどり着いた、視線が通い背中を支えられる、私達だけの居場所。
 それを描いてなお終わりじゃない物語は、一体どこへ進んでいくのか。
 二話残してこの大団円感、どう膨らまし転がしていくのか…。
 新世代の深夜アニメレトリックを見届けたい気持ちも強くなり、大変いいエピソードだった。
 ここで二話残してるの、ホント凄いよなぁ…。
 何やるんだろう、とてもワクワクする。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 今回のエピソードは、視線を交わす描写がかなり多い。
 それはここまでの11話で積み重ねた信頼と関係性こそが、バンドとしての”トゲナシトゲアリ”にまとまりを与え、世界に見つけられるだけの爆発的パフォーマンスを成し遂げる土台になっているのだと、言外に告げているように思う。
 目配せに込められているものを読み解くには、過去描かれたものを参照する必要があり、演出の暗号を溶きほぐしていく作業は、『ああ、ああいうこともあったな』とこれまでの物語を僕らが思い返す、自発的な呼び水にもなっていく。

 楽曲の方向性がまとまらず、メンバーがリーダーを見る視線。
 あるいはその視線を受けて、桃香さんが一瞬微笑む時。
 仲間の影から外れて自分一人で、新しいバイトに駆け出す仁菜を皆が見つめる時。
 視線には仲間を裏切ったと音楽諦めかけてたあの時や、そんな屈折を全部吹き飛ばす歌に出会えたその時や、その歌い手が自分の怒りの使い方を知らない臆病な狂犬だった時代や、そういう面倒くさい連中がバチバチぶつかって、バンドになっていった過去が反射している。

 ここら辺のメロウな感情を宿して、今回はライティングの演出が飛び抜けて良い。
 夕焼け、夜闇、あるいはステージの万色。
 様々な感情を切り取りながら、光と闇は複雑な交錯でもって、率直な感情を語る。
 水ぶっかけやら解散危機やらビンタやら軽トラやら、本当に色々あった挙げ句、今のバンドはコミュニケーションが良く取れている。
 自分たちがどうなっていくべきなのか、言葉で明瞭に伝えるのをためらっていないし、言葉にならない視線や姿勢で思いを伝える交流も、かなりスムーズに機能している。
 同じ場所を向いて同じ未来を見て、同じ音を目指して…バラバラな個人のままでいれる。
 それは変わっていくダイダスでいられなかった桃香さんを筆頭に、社会との違和感を抱えるメンバー全員が心の奥底、求めていた繋がりの形なのだろう。
 そして目指すべき場所にたどり着いたのなら、ロックンローラーは無敵だ。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 そこに未だ飛び出せていないすばるの視線は、勝手に故郷に置き去りにした荷物を回収し、背負ったからこそ身軽になった仁菜の背中に…それに追いついていない自分に向く。
 ここですばるの嘘の精算を、他人にぶつけることなく舞台裏で一気に行うのが、大荒れに荒れているようでいて精妙に作中の空気をコントロールしてきた、このアニメらしい走り方だなと思う。
 井芹仁菜という規格外の暴れん坊を主役に据え、際立つクセを魅力として視聴者に突き刺すためには、どうしたら良いのか。
 相当に考え抜いて話を編んでいる作品だと、ずっと思いながら見ている。

 第4話で祖母への愛着ゆえの”保留”を正解としたすばる物語は、今回一気に前に進む。
 しかしそれはあくまですばる個人の決意として描かれ、例えば前回仁菜の帰省が周りを引っ掻き回したのとは、同じ波風では描かれない。
 それは主役と脇役の必然的差別…というわけでもなく、見ている側には仁菜の勇気と変化を受け取ってすばるが自然と、同じく前に進んで並ぶために未来を選んだのだと、受け止められる書き方になっている。
 尺を取りすぎない物わかりの良さというよりも、常時真ん中に立ち続けるバランサーが、彼女らしく突破口を開いたのだと思えるような、一つの決心。

 フェス本番に向かって駆け抜けていく、やることの多い筋立ての中で、『ここを乗り越えておかないと真実一つのバンドになって、世界の真ん中には立てない』というポイントを爆破しにいく手際は、大変良かった。
 あるがままの自分をさらけ出すロックの理想を、形にしたはずの衣装に相応しいだけの安和すばるが、そこにいるのか。
 夕焼けの中の繋がりが暖かく眩しかったからこそ、闇の中の孤高な問いかけは鋭い切れ味で、彼女の問題意識を切開する。
 こういう内面を情景に転写する画作りが上手いことで、圧縮された展開に必要な情報量が確保できているのは、このアニメの大きな強みだと思う。

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 蒼い自己洞察はメンバー全員に伸びていて、Aパートラストで皆が、ロックをやる理由を闇の中に独白する。
 これがパートの〆にあることで、これまでの総決算を刻み込む『ドキュメンタリー・オブ・トゲナシトゲアリ』感はより強くなるわけだが。
 1+1+1でそれぞれ孤独に、自分の足で立ち瞳で夜を見つめる三人に対して、beni-shouga組のニコイチな密接感が、独自の湿り気を帯びて心地よく重たい。
 同じ屋根の下、心の一番柔らかい部分を預け合いながら生き延びているルパと智ちゃんの距離感を、決戦前夜に改めて刻む筆だ。

 ルパはいつも微笑みの鎧で本音を覆い、だからこそバンド最年長の古強者として人間関係を安定させてくれる頼もしさを、キャラクターに刻んでいる。
 それは心が見えきらない遠さと裏腹なのだが、両親を失って一人きりの哀切と、だからこそロックンロールを燃える灯火として必要とする切実が、時折漏れる。
 そういうモンを、付き合い長いし自分が一番ヤバいとき魂を支えてもらってもいる智ちゃんは、受け止められる特別なポジションに立っている。
 ルパが本音にうるむ瞳を見せるのは、二人きり夜の底に立っている自宅しかないし、その特別さが微笑む修羅としての、彼女の強さを支えてもいるのだろう。

 ここでルパの無敵感を引っ剥がし、智ちゃんだけに預ける震えを書いたのも、すばるの決意と同じく『やっとかないと嘘になる』描写なんだと思う。
 バンドがバンドで居るために、複雑怪奇な人間の地層をコンパクトに抉り出し、並べ直し、全てが飛び立つ瞬間の準備をする。
 すばるを第4話で描かれた優しい嘘つきから、ルパを第9話で見せた優しい保護者の顔から、引っ張り出さなきゃ動かさない運命を、ちゃんと動かすために、描くべきを描く。
 ここに手数を使いすぎず、必要なだけのエモーションを込めてさっぱりやり切るスピード感が、多分この作品の疾走感を支えているのだろう。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 晴れの舞台はバンドのメンバーだけでなく、彼女たちと出会い触れ合い道を示してくれた、様々な人のためにもある。
 第1話で運命が動き出すのを助けてくれた、キョーコさんの再登場を筆頭に、バンド外の人達総出で勝負の瞬間を見届ける横幅があるのも、今回の良いところだ。
 俺は仁菜とミネさんの、メチャクチャ気の合う末っ子とお姉ちゃん感が大好きなので、今回も仲良くて大変良かった。
 色んな人がいてくれたから、今ここに立っている。
 そういう感慨が、バンドの外と中に呼応し共鳴しながら、広がりまとまっていく準備時間。

 美しい黄金色の光に満ちた楽屋テントの外で、桃香さんは仁菜とすばるの対話を…嘘つきが自分を変えてくれた親友に追いつくために、自分の本当を一人解き放った事実を聞く。
 そういう本当のことを聞ける場所から逃げ出して、ロックンロールを諦めようとした過去の自分を、桃香さんは今多分見ていて、だからこそ遠い場所まで連れてきてくれた仲間への思いと、真っ直ぐ向き合ってもいる。
 それは逃げて迷って弄んで、縋って張り飛ばされて泣きじゃくって、あんまりにも色々あったからこそたどり着けた、自分だけの高い場所だ。
 テントの中のすばると仁菜も、そこにはいないルパと智ちゃんも、皆でたどり着いた場所だ。

 

 世界に殺されないために立てた中指を、ズラして掲げた小指は、未来を約束するための絆にもなる。
 俺はやっぱこのファックサインの作り直しが好きで、とてもこのアニメらしい詩情だなと思う。
 トゲだして荒れ狂うのは他人が押し付けてくる正しさに、飲み込まれないためのアンカーであって、それは誰かと繋がることで初めて機能する。
 何もかも拒絶する攻撃性を抱えたまま、どうすれば愛しさを抱きしめ抱きしめ返せるのか。
 ワーワーガーガー喧々諤々、色々やってきたからこそ今、仁菜とすばるは小指を繋ぐ。
 あんだけ周りが見れる…見れてしまう子が、一人で考え決めて進みだしたという事実含めて、すばるが嘘つきにサヨナラする描写は好きだ。
 そうやって、『コレでいいや』と思い流されてきた場所から飛び出し、新しい自分になる動因はどこにあるのか。
 どう考えても井芹仁菜という規格外のロックンロール・モンスターと出逢ってしまったことであり、この話の主人公が持っている引力の強さを、一番身近に証明しているのがすばるなのかな、と思う。
 そんな仁菜がトゲ出しまくりの暴走状態で死ななかったのは、もちろんすばるちゃんが色々お世話してくれればこそで、お互い様な二人はだから、ここで改めて運命を約束する。

 それを、二人と出会ったからこそ諦めの良い大人気を投げ捨てて、何かを吠えるしかない自分に向き合い直した桃香さんが聞く。
 儀式が完遂されるのを見届けてから、声を掛ける。
 良い。
 めちゃくちゃ良い場面だ。

 

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 さて土台を整えて未来へ飛び立つための最後のニトロとして、ライバルへの燃え盛る思いはとても大事で、桃香さんがどうしても飲めなかった偶像色の生存戦略を己のものとしたダイダスさんの晴れ姿が、仁菜の喧嘩魂に火を入れる。
 仲間内で視線が通う信頼の描写が分厚かったからこそ、青すぎる屋上にすれ違う視線が、後悔を秘めて蒼く熱い。

 バンドとして、ロックンローラーとして一皮むけた達成を描く今回は物語のフィナーレではなく、まだ描くべき余白を残している以上、ヒナと仁菜の関係は今後大事になるんだろうな…と思っているのだが。
 ずいぶん落ち着いた前向きさを示しているのに、ここでだけバリバリにトゲ出す特別さがどこから来てどこへ行くか…なかなか大事な描写だと思う。
 屋上に倒れ伏した仁菜と、立ち上がって進み出すヒナの視線はあの時も今も、交わることはない。
 ないはずなのだが、ねじれの位置を維持したままお互いに突き進み、プロとしての姿勢が試されるこの舞台でもう一度、ようやく正面からぶつかることになる。

 かつて桃香さんが、自分の”逃げ”を仁菜に呑ませるオブラートとして利用しようとした、ダイダスのステージ。
 その目論見が見事に頓挫し、その時約束した再戦へとたどり着いた今。
 胸に深く突き刺さった心残りを、故郷に戻ってハローとグッバイとサンキューを告げたことで引き抜いて、色んなモノを真っ直ぐ見れるようになった今。
 ようやく、あの時すれ違っていた視線が正面から衝突するタイミングがやってくる。
 捻れに捻れた挙句の果て、ろういう剥き出しな場所に流れ着くことが出来るのも、このアニメが濃く煮出す、ロックンロールの良いところかなぁと思う。
 捻くれ者によく効く、人間関係ブースターとしてのロック…か。

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 ヒナを新ボーカルとするダイダスさんが、纏った衣は変われども燃え盛るロック魂は揺るがずと、新曲でしっかり告げてくれたのは大変良かった。
 ダイダスさんが選んだ道は桃香さんが選べなかった道であり、彼女をリーダーとする”トゲナシトゲアリ”が進めない、タフでチャーミングなもう一つの正解だと僕は思っている。
 その媚びた衣装も媚びない音楽も、何も間違いじゃない。
 そう真正面から見つめれる場所まで、桃香さんもビンタ炸裂やら軽トラでの号泣帰路やら経て、ようやくたどり着けた。

 桃香さんと同等以上の痛みと決意を込めて、このステージに立ってるダイダスさんを、勝つことでその過ちを正すべき”敵”でも、同じ思いで同じ場所を見つめる”仲間”でもなく、違う道を選んだが志が響き合う”ライバル”として書いてるこのアニメの筆が、俺は好きで。
 そういう存在なりの音楽がどういう響きを持つのか、今回力を入れたステージ表現でしっかり描いてくれたのは、とても嬉しかった。
 ここでヒナだけが不協和音のように、トゲまみれの殺意で睨みつけられてもいるのだが、ただ世界を憎む以外の生存方法をバンド活動と帰郷に学んだ今の仁菜は、かつての親友がベロと小指から出すチャーミングなサインを、受け取る余裕がある。

 ヒナとの関係は未だ未解決な和音として物語に埋め込まれていて、残りの話数で弾き切ることでフィナーレとする要素なのか、はたまたまだまだ続いていく物語の起爆剤として残すのか、なかなか気になる所である。
 思い込みと頑なな警戒で、今感じているものの真逆が真実だったと気づいていく旅を、主役を変えて幾重にも描いてきた物語なので、今回のチャーミングな熱唱を入口として、ヒナの見え方が(僕らにも、また仁菜からも)変わってくるのは、全然ある話だと思う。
 というか今回メッチャ可愛かったので、仁菜が屋上に置き去りにした青い季節を取り戻す中、もう一度その顔を見る場面はぜってぇ見たい。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 正直、残り1/3を残して『脚本 花田十輝』のテロップが滑り込んできた時、かなりビビった。
 非常にじっくり時間を使って、ステージに上るまでの高揚と緊張、本番を前にしたからこそ顕になっていく思い、ライトに照らされうわ言のように吐き出される思いを、積み上げその時へと至る。
 そのために必要なもの、必要だったものを丁寧に並べ積み上げていくエピソードが、最後に描く舞台がどうなるのか。
 Liveな期待感が、作中の描写とシンクロしながら高まっていく特別な感覚。
 それが、しっかりと演出されていたと思う。

 これまでの全てがここに来るために必要で、ここから生まれる全てがそこに繋がっている。
 過去から未来へと一直線に流れていく、当たり前な時の流れを立ち止まって改めて観察してみて、思い出は未来の中にしかなく、決意は明日の方しか瞬かない、時の不可思議を改めて感じる。
 そういう人間が生きることの真実へと、確かに飛び込める特別な爆発力がロックンロールにはあって、それは衝動をただ突き立てるだけでは形にならない。
 互いに笑い合い、嘘なくぶつかり合える最高の仲間と、自分たちだけの特別なサインを刻むこと。
 誰もいない空白に未来の鼓動を感じ、風に吹かれている自分の今を、素直に受け取ること。

 

 ここまでの物語があったればこそ成立する、井芹仁菜の”今”がどんな手触りで流れているかを、準備からどっしりステージ全部を描く選択が見事に射抜いていて、とても良かった。
 音響を確認するやり取り一つ、ステージの外側にいる観客のレスポンス一つ。
 粒だったリアリティを積み上げることで、仁菜たちがいる場所の空気と、その高みへと進んでいくために必要だった11話全部を、一塊に飲み干すことが出来る。
 それはこのアニメを好きになって、ちゃんと見てきたから受け取れる豊かな報酬で、そういうモンを手渡してくれるお話と付き合ってきて、良かったなぁと思える回だった。
 …最終回じゃないのコレで!?

 舞台袖では桃香さんの言葉に涙ぐんでいた仁菜が、観客を前にしてだんだん熱に浮かされた視線を、金色の情景に投げかけていくのが好きだ。
 ここではない何処かを、神がかりの巫女のように見つめながら呟く、自分が今ここで歌う意味。
 それは鳴り響く音楽がダサければツバ吹きかけられる、ロックンローラーの所信表明であり、証を立てれるのはたった一つ、Liveで生まれる歌だけだ。
 震えるほど公平な一回こっきりの審判へ、仁菜は尋常じゃない精神状態で飛び込んでいって、己の全部を…つまり井芹仁菜を構成してくれている誰かと一緒に、ステージへ立つ。
 そういう心持ちで、ロックンロールに飛び込める輩はなかなかいない。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 仁菜がロックンロールをどう受け止め飲み干しているか、アーティストとして、人間としてのステージが毎回、演奏表現に反射して多彩な所が、このアニメの良いところだと思う。
 ただ初期衝動を吠えた第1話、世界に広がっていける可能性を投射した第3話、5人になって完成したバンドの姿をありのまま見せる第7話。
 プロとしての登竜門となり、バンドとしての完成度を見せる今回は、MV仕立ての過剰な演出がバッチリハマる、きらびやかで分厚いステージだ。
 数多の色彩と己の背骨たる過去が錯綜しながら、今世界の全部に立ち向かう少女を照らす。

 尋常じゃないトランス状態でステージに入った仁菜は、その熱量を暴走させることなく堂々と乗りこなし、矮躯に似合わぬカリスマ性で背筋を伸ばして、見事にパフォーマンスをやってのける。
 マイクを抱えて自分を守り、内面に深く入り込むようなこれまでの歌唱とは少し違う、見られている自分を(おそらく無意識に)的確に演出するような、スターの佇まい。
 それを支えているのは、仲間と瞳を交わす中で手に入れた愛と信頼であり、故郷でしっかり告げた”いってきます”であり、傷ついて暴れて吠えた今までの全部…なのだろう。

 

 ここに至るまでの全てが、間違いじゃなかったと証明する。
 その心持ちを改めて、自分の真芯だと見つめ直せたからこそ、仁菜の背中は真っ直ぐと伸び、侠客めいた気風がその立ち姿にも宿る。
 すばるとの楽屋での対話シーンでも鮮明だったが、宗男にキッチリ育てられた歴史は居住まいにしっかり出て、仁菜はメチャクチャ背筋がピンと伸びる。
 父の心を知らぬままでは呪いでしかなかったその習性が、今は世に恥じるもの何もなしと胸を張り、眼の前の有象無象の脳髄をロックでぶっ飛ばす力強さに変換されている感じがある。
 目覚めたのか、思い出したのか。
 仁菜は自分を守るために。トゲを世界に吐き出す以外の吠え方を、このステージで体現しつつある。

 それは井芹仁菜の怒りと愛に満ちた個人的な吠え声であると同時に、それぞれ個別の傷と思いを抱えて”バンド”である仲間の歌だ。
 ステージを飛び出し、心を射抜かれた連中をまばゆい光に集めながら、それは様々な人に届く。
 アンコールまでやりきってバンドTに身を包んだダイダスさんたちが、”ももかん”の魂がかつての宣告通りボーボー燃え盛っている様子を見届けれて、本当に良かったなと思う。
 ダイダスさんはあの雨の中の約束を破らなかったし、桃香さんも扉越しの強がりを嘘にしなかった。
 それを、お互いが言葉にするよりも強く激しく、魂の奥底で解っている。
 解らせる力を、弾き続ける在り方は持っているのだ。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第11話より引用

 吠え声は広がり、遠くへ届く。
 こんだけのステージをやりきられてしまえば、己の存在証明をそこに賭けて、見届けてもらおうとシャカリキになった戦いに、文句はないだろう。
 すばるが嘘つきな自分と決別するべく、祖母に投げかけた戦いに勝ったことを、短いカットでしっかり示す圧縮力、誠見事だ。
 あと娘ともども枷から解き放たれた宗男が、明かりのついた部屋で”いってらっしゃい”の続きを見届けているのが、やっぱ良い。
 歌う個人を超えバンドとなり、それも越えて沢山の人と繋がっていく歌は、プロとしての未来を切り開く爆心地でもある。

 伸るか反るかのキャリアメイク、一発勝負のロックンロール成り上がり物語を、お話の盛り上がりの土台としてしっかり使ってきたお話でもあるので、ここで完璧な回答を最高の形で描ききったのは、展開を飲み干す上でもありがたい。
 神がかりな仁菜の歌唱が、場末のステージに規格外の引力を呼び込み、熱狂が広がり人が集まる様子を、ステージングに重ねてしっかり描いてきたのが効いている。
 そういう結果が必然と思えるような、会心のステージを終えて物語は、開幕に約束された勝利へとたどり着く。
 それは自分が自分でいるための闘争を傷だらけ、走り抜けて行き着いた場所。
 あの放送室の暗がりから、求めたどり着いた光の真ん中だ。

 ただ自分らしくやり切ることが、魂の代弁者を求め続けている観客の求める姿そのものであるような、生粋のロックンローラー
 キレること、ぶつかることでしか自分を表現できなかった赤ちゃん人間が、他人に届きともすれば金になるパフォーマンスへと、手を伸ばした証明となるステージでもあった。
 『ここまで駆け抜けてしまうと、もうやることないんじゃないの…』という感じもしないではないが、しかしこのアニメは残り二話を残している。
 僕が想像もしない奇跡を描き切るには、十分な時間だろう。

 

 至った高みから更に伸びる道を、翔び堕ちて何処へと。
 とんでもないものを見届けられそうで、とても楽しみだ。