イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァンパイア男子寮:第11話『美少年、溺れる。』感想ツイートまとめ

 ヴァンパイア男子寮 第11話を見る。

 お姫様に選ばれなかった女の子と、王子様になれなかった男の子たちのロスタイムが加速する、すれ違いのエピソードとなった。
 要素的には完全に、ボケ男に振り回され傷ついた挙げ句『忘れさせて…』で操を二番手くんに捧げた形なのに、吸血なので物理損傷なしやり直しセーフ! なの、マジ発明だなと思った。
 全てを識り全てを調整する、逆さまになった父なる神たる小森の仕事っぷりと合わせて、やっぱポップなインモラルで作品を飾っているように見えて、極めて古典的な倫理観と安全意識で話が転がっていく作品だ…。
 極めて堅牢なセーフティ自体を意識させず、ヒリつくヤバさに遊ばせる。

 乗り物が思わぬ横転カマして大怪我するおそれがない、ジェットコースター的な恋物語の成立要因として、ヴァンパイアという幻想を活用しきっているのは、やっぱ面白い。
 ファンタジー要素なしの無手恋愛(ステゴロ)だと、色々こじらせるの面倒くさそうな要素が、不思議のヴェールでスポンと出てくるからな…。
 でもそういう不思議な味わいが、独自の魅力となりいい絵面をつくってくれてるのも事実。
 夜空を飛ぶ御者なしの馬車とか、めちゃくちゃ良かったからな…あと当人の合意なしにあっという間に進められていく、吸血鬼族の婚姻儀礼
 フィナーレを目前に、ゴシックな絵面がたっぷり食えそうで良い感じだ。

 

 さてお話としては、選ばれなかった美人ちゃんが記憶と一緒にルカとの関係を取りこぼし、ルカくんの方は土壇場ギリギリで自分の本当の気持ちに気づいて、手遅れのすれ違いスレスレでさーどうなる! って所。
 愛なき世界に消えかけた美人ちゃんに『生きろ』と命じるのも、ルカくんに真実の愛を気づかせるお膳立てをするのも、子ども達のいない場所で真相を暴いて物語が良いところに収まる準備をするのも、なんもかんも小森がやってくれててマジすげぇ。
 蓮くんのクソ親父の反逆すらも始祖様の手のひらの上なんで、どんだけインモラルな空気匂わせてても、絶対的な”正解”を定める保護者の見守る、箱庭の中のジュブナイルなんだなぁ。

 というかジュブナイルというジャンルはおそらく、そういう世界のフレーム自体に体当たりでぶつかって、その一部を壊したり自分の輪郭をそこから学んだりして、己の形を学ぶものだろう。
 そういう意味では、なんもかんも小森がお膳立てしてくれて、世界全部がぶっ壊れてしまうようなショックもまた、成長に必要な起爆剤と見守られながら適宜与えられてきたこのお話が、そこに収まるかは結構疑問である。
 レンくんが己の恋心と天秤にかける、ヴァンパイア界の後継者たる地位とか、貴種としてのしきたりとか、押し付けてくる…ように見えて結構ちょろい抜け道を用意して、毎回確認取ってくれるのも小森だしな…。

 蓮くんがあんだけ親父を毛嫌いしつつ、ままならない三角関係からの脱出口をヤツの道具になることで都合よく転がしているのも合わせて、父権的存在にどんだけ噛みつき、あるいはその手のひらの中で物語が決着するかは、個人的にかなり気になっているポイントである。
 父なる神の定めた秩序から逸脱し、放埒と無法の限りを尽くす怪物として設計されたヴァンパイアが、年配の権力者の思惑にかなり従順に、世界の大きな構造に疑問も衝突もなくロマンス一本槍で思い悩んでいるのは、吸血鬼モチーフをポップに変奏する手法の、究極的必竟…と、なるのか否か。

 

 僕はこのお話の登場人物たちの、善良な物わかりの良さがかなり好きだ。
 みんないい子で優しくて、喉越し爽やか飲みやすい。
 その上で最後の最後、どっか何もかんもひっくり返してぶち破る、物わかりの悪い力強さを感じたいなぁ…と、贅沢に願っている部分もある。
 美人ちゃんが記憶を失い、レンくんが地位を失ったこの状況だからこそ、二人の関係性の地金を暴ききれるチャンスだとも思うので、どっか安全な檻の外側に出る、源・ヴァンパイア性みたいなもんを接種できたら良いなぁ、などと思った。
 記憶喪失と地位失墜、どっちもロマンスにおいては超王道の小道具だが、臆面もなく最終局面にぶっこんでくる力強さは、やっぱこのアニメの武器だよなぁ…終わりが近づくほど、シンプルなロマンス正拳でのどつきあい。

 美人ちゃんがレンくんに愛されているバロメーターとなる、サン・シュクレも投げ捨てられて黒く染まり、二人の恋は終わった…って感じになった。
 しかし可視化され物質化された愛に真実は宿らないという、極めて古典的な(もはやこすられすぎて物質主義的ですらある)精神主義がこの話を駆動させていて、誰かに押し付けられるわかりやすい基準は、二人だけの真実を定めるバロメーターにはなり得ない。
 作品の進行度をその色合いで可視化してくれた、”聖なる甘露”の導きを投げ捨てる展開は、今回ルカくんが貴種のしきたりとか小森のジャッジとかに背中を向けたのと、道を同じくした…仕組まれた成功だ。

 

 『選ばれる/選ばれない』という受動態以外に、美人ちゃんが己を生きるに値する価値を見いだせていないのと同じように、このお話の子ども達を取り巻く不可視のフレームは、一見選択の自由を成長の機会として子ども達に与えているように見えて、フレーム自体を疑う自由を剥奪している。
 『A/B』という選択自体が入れられている大きな箱をぶっ壊し、『』というフレーム自体がない場所へ進み出すことすら自由(で危険)であるからこそ、子どもは大人になって、好きな相手とセックスし人生を選ぶ権限を得ていく…はずだ。
 しかしこの物語はあくまで、小森を制御者とする堅牢かつ強大なフレームの中で展開していく。

 その破綻自体は作品がジャンル的欲望の中で希求される足場自体をぶっ壊し、『訳わかんなくて、つまんない話』にしてしまう可能性が大なので、まぁやんないわけだけど。
 しかしこうして終幕が見えてくる頃合いになってみると、破天荒に見えて結構不自由な…だからこそ適切に欲望に応える話なのだなという印象にもなる。
 知らぬ間に誰かが用意してくれた箱の中で、思い悩み荒波に揉まれている子ども達の在り方は彼らなりに必死で、懸命で、後紙一重、物わかりが良いと僕にちょうどいい。

 そんな手応えの中で残り一話、真実のロマンスが試させる状況はしっかり整ってきた。
 何が見られるか、次回もとても楽しみだ。