ガールズバンドクライ 第13話を見る。
これこそが正しいのだと信念を込めて、世界に突き出した小指は跳ね除けられた。
膝を曲げて現実を苦く飲む干すか、間違っていない私達の夢を貫くか。
どう生きるにしたって、ロックンロールは鳴り止まないッ!
主役が試合前からコールドで負ける、ガルクラ最終話である。
いやー…本当にスゴいなこの終わり方。
状況をリセットして二期に色目を出したとか、今後続けていくために余地を残したとか、そういうスケベな見方を跳ね除けて、徹底して井芹仁菜イズムを貫き通してたどり着いた場所って感じだ。
ラブライブ勝って浦の星が消えた、Aqoursの逆打ちだよなコレ…。
異様なテンションで駆け抜ける、ロックンロールサクセスストーリーとしてのピークはやはり第11話にあって、その勢いを駆って手に入れた社会的成功の足がかりを、潔く蹴り飛ばして根無し草に戻る。
成功物語としては最後の最後にちゃぶ台返し、井芹仁菜を主役とした自己実現の物語としては待ってました…なかなか評価に困る破天荒な最終回であった。
これを大体の視聴者に呑ませるだけの事前準備は、シーリングライトぶん回しながら愛の街かわさきにしっかり刻み込んできたので、自分の物語に全く嘘をつかない決着になったとは思う。
『最後まで、トゲナシトゲアリのトゲは尖っていたぜ!』という終わり方だな…。
ずーっと真相が伏せ札にされてたいじめ騒動の真相が明かされ、義の人・井芹仁菜が正論貫いた結果不正義に殺されかけた過去も描かれた。
そこに苦い現実を先回りして飲み込める、主役の鏡たるヒナの肖像画が一気に解像度を上げて殴り込み、絶縁の先にある拗れた感情が静かな炎を上げてきた。
『アタシは世知辛い現実に膝を折って、勝てるやり方で勝つけど、お前は極めて厳しい勝負を思うまま、幼いまま続けてね! アタシの歌であり続けてね!』というラブコールは、かつて桃香さんが仁菜に押し付けかけたそれとほぼ同じであり、同質量の感情を小悪魔笑顔の奥に秘めていると考えると…怖い女(ひと)達だな、ダイダスの歴代ボーカル。
この最終話は七割くらいヒナに捧げられてる感じで、彼女を鏡にして打イダスが選んだ現実路線と、トゲトゲが選ぶ理想路線の相克が鮮明になっていく。
眼の前で苦しめられている存在に、自分に泥が跳ねると解っていて手を差し伸べるか、見て見ぬふりをして自分を守るか。
仁菜が暗い場所に引きずり込まれた原因が、彼女の譲れぬ”義”にあったことがようやく明かされ、親友と道を解った理由にも顔がついてくる。
その笑顔は仁菜が悪しざまに罵ってきたよりチャーミングで、極めて厄介な愛着と反発を両方兼ね備えて、絶縁相手にちょっかい出してくる。
迷って迷って『コレで行ける!』と皆で確信し、突き出した一発が跳ね除けられての大赤字。
銭勘定とメンツが絡む、極めて生臭い音楽ビジネスの現場に甘っちょろい理想主義者が引きずり込まれた形であるが、そこは桃香さんと仲間たちが数年前に通り過ぎた幼年期の終りだ。
ツッパってりゃあ何度でもぶつかってくる、シビアな壁…というより、どっかで握手しなきゃ夢すら語れなくなる厄介な同居人であり、どんくらい折れてどんくらい我を通すか、それとの適正距離を測るのがあらゆる人の難題と言える。
大概何かを諦めて、大概なんとか生き延びて。
そういう賢さと、井芹仁菜はどうしても指切りできない。
ここでツッパる仁菜を勝利者と、現実見たヒナを敗北者と書かないのが、この作品独特のバランス感覚なのだろう。
ダイダスさんが思い知らされ、桃香さんも苦く夢を諦めかけた、極めてシビアな選択肢。
その難度をしっかり見つめようとしないまま、道理と仁義が全部そのまま通る、あるべき世界の形を疑わない愚かしさが、確かに仁菜にはある。
その譲らぬ一本気が彼女のチャーミングな魅力であり、ロックスターたりうるカリスマ性の源泉でもあるのだが、『自分は正しいから勝つ!』という理念先導主義は、時に戦う相手の戦力を見誤って蟷螂の斧を振り回す結果に繋がる。
というか、トゲトゲ全員巻き込んで”繋がった”。
勝ち負けの土俵それ自体に最初から乗っかれない、アンフェアな対バンだってのは既に解っていたはずで、ならその上で勝てる手筋を探り、どれだけ己を譲れるか考えなければ、待っているのは敗残のみだ。
約束された惨敗を、何も解ってねぇバカの罵声を、前にして仁菜はもちろん怒る。
バレバレな原因と結果の繋がりを、高ぶる感情のまま見落として突っ走り、『なんでこんな事になってんだ!』と吠える仁菜のヤバさは、確かにヤバい。
主役のシャドウたるヒナが前面に躍り出てくることで、最後の最後にそういう部分を、グイッと表に出してくる構成となった。
いやースゴい…本当にスゴいよ。
譲れない熱いバカさを、譲らなかった結果桃香さんは永遠の約束を破って地元に帰りかけ、仁菜は戦う前から対バン勝負に負ける。
んじゃあ譲って賢くなれば良いのかと問われれば、それは井芹仁菜の物語ではなくなってしまう。
そして賢く譲って売れた連中が間違っているかと問われれば、このお話はそうならないように、すごく慎重にダイダスさん達を爽やかな夢追い人として描き、ヒナも毒の中に賢い現実感覚とネジレた愛着を宿す、チャーミングなキャラに仕上げてきた。
主役が選ばない道、選べない道も、別に間違ってるわけじゃない。
どっちに行っても人生獣道、選んだまんまに進むしか無い。
譲らぬ正しさが振り回すトゲに、相当傷つき疲れ果てたヒナは、自分が知ってる井芹仁菜なら絶対に跳ね除けるだろう裏事情をあえて伝えて、反発を誘導する。
それは売れているからこその余裕であり、道を違えてなお心に刺さった詩に導かれて、自分なりの獣道に進みだした果ての居場所でもあろう。
メジャーとアマチュア、現実と理想。
かつて桃香さんとダイダスさんで描かれた、別れた道の先まだ続いている景色を、ここで仁菜とヒナで描き直してくるのはなかなかに面白い。
それは簡単に答えが出る対比ではなく、だからこそロックンロールが挑み続ける価値がある、難解な方程式だ。
いつもより影が濃い河原木邸で、バンドはこれからの未来を相談することになる。
『ダイダスさんいい人だし、敵ってわけじゃねぇんだから頭下げて軟着陸しなよ…』みたいな、現実におもねた結論を、どうしても飲み込めない私達。
極めて不器用で、不義理ですらある一本気こそがバンドの芯であると、仁菜の暴れっぷりに教えられ魅了もされた四人が、取るべき結論は既に決まっている。
結局残りの四人、全員井芹仁菜好き過ぎ人間だからこそ、この路線に突っ走るしか無い不幸と、突っ走れる幸福が両立してんだよなぁ…。
前回心の赴くまま告げていたように、ロックンロールが生み出す高揚感が、飛翔なのか墜落なのかは解らない。
地面に足がつかない不安は、引力に支配されていない自由と裏腹であって、どっちかだけ都合よくつまみ食いして、気持ちよくサクセスするなんてのは、まーまー許されない。
アイドル衣装着込んでなお、本物のロックを叩きつけることで街を支配するほどバズったダイダスさんは、現実の引力を引っ剥がすほどのロックを、果たしてやっていないのか。
自分たちが間違っていないなら、自動的に真逆の一を進んだ者たちは間違っているのか。
暗い部屋で語られる生臭い銭勘定と無力は、そこら辺を新たに掘り下げていく。
ここら辺の生っぽさに打ちのめされて、自分を撤退するべき敗者だと思いこんでいたのが一話の桃香さんだと思うけども、何も諦められない青臭さをロック赤ちゃんに改めて教えられて、退けない一線を自分の芯に捉え直してもいる。
仁菜のハチャメチャなスジ論にツッコミ入れつつ、乗り込む甲斐のある泥舟だと人生ベットしたからこそ、ここに集った連中はバンドになった。
なら、我らがロックスターの突き進むまんま、行く所まで行くしかねぇだろう。
そういう現状を、キャラと視聴者に改めて確認する河原木邸会議である。
どうやっても真っ直ぐにしか進めない、生まれついてのストレートエッジ。
そういうバンドでございます。
仁菜はグチャグチャになって行き場のない感情を、いつの間にかプロレベルに仕上げてきたギターに乗せて掻き鳴らす。
極めてロックスター的な叫びはカッコよく決まりきらず、こたつのステージから仁菜はドスンと転げ落ちる。
その転落が命取りのデッドエンドになるのか、鼻をこすって立ち上がれるかすり傷なのか。
かつて音楽室の暗闇に殺されかけ、なおまた懲りない懲りたくない、井芹仁菜の原点が最後に改めて、大変元気な回である。
音楽のミルクをたっぷり飲んで、現実の世知辛さを抱きしめたうえで前に進んでいく成熟を手に入れたようでいて、それはあくまで途中経過。
根っこの部分には、変わらず聞かん坊が埋まってるぜ!
そういうのを見せる上で、号泣混じりのギターリフは大変良かった。
今までの蓄積を全部リセットしてゼロに戻るような、徒労感も正直覚える展開ではあるのだが、同時に大人びた成熟だけがゴールではなく、どんだけの経験をつもうが変わらない…変わってくれない魂の色を、ずっと描いてきた作品らしいケリだとも思う。
ここで自分の原点を確認させるのなら、立ち戻ったそこから新たに進み出す物語を書かなきゃ片手落ちなわけで、まー二期欲しいっすよマジ。
譲らず現実に殴り飛ばされたトゲトゲが、どういう顔で川崎ロックシーンをサバイブしていくのか、ちゃんと見届けてぇよ俺はッ!!
んで、結局どこから来てどこへ行くのか。
前回あんなにお祈りしたのに、現実的なサクセスを届けてくれなかったロックの神様に、バカで愉快な面々は恨むことなく改めて、進むべき未来を伝える。
それは決定的に友と別れた瞬間を、自分が本当に譲れなかったものを、全部吐き出して仲間に見て貰う告白の瞬間でもある。
かつて自分の決断を抱きしめてくれなかった者に背中を突き飛ばされて、進みだした場所で、間違いきってる井芹仁菜は間違っていないと、抱きしめてもらえる愚かな幸せ。
それをツンツン手渡すのが智ちゃんなの、人間関係最後のピースが埋まった感じあったな…
手水場の柱と本殿前のポール、二重の結界が切り離す領域に、トゲナシトゲアリの五人はしっかり収まっている。
それは仁菜の苛烈な理想主義に背を向けて、自分なりの現実主義で世界に勝ちにいったヒナが、一緒に入れなかった場所だ。
現実思い知りつつも、正しくなかろうとも、その叫びが好きだからバンドになった連中の、一歩遠いところに安和すばるはいて、最後の最後に一歩踏み出し、沈みゆく泥舟に乗る。
賢さを投げ捨てて、全力で突っ走れる自分は未だ、賢く優しい彼女から遠い。
ここら辺の不協和音も、可能であればアニメで掘って欲しいんだよなぁ…そういうネタが無数あるの、おそらく計算づくの構成なんだろうな。
最初で最後のメジャーライブ、後ろ足で砂をかけるせめてものケジメと、差し出した退所届を誰も望んではいない。
しかしそれを突き出さなきゃ自分たちが望む道に進めない、厄介でバカ極まる己をバンドが思い知ってしまった以上、獣道に戻っていくしか無いのだ。
そこから光の当たる場所へと、引っ張り出してどうにか売りたかった三浦さんの気持ちを思うと、主役どもの野放図を両手を上げて称賛できないの、いいバランスだなぁと思う。
みんないい人で、だけどそれでもなおなかなか、完全には上手く行かないのが世の中だわな。
しがらみを跳ね除け翔び続ける/堕ち続ける道を選んだアホに、ヒナは執拗にあっかんべ~をし続け、仁菜を挑発し続ける。
もう知らないと背中を向けたはずなのに、全く何も終わってはいない心の行先を、二人ともプリプリトゲ出しつつ探し続けている。
この決着のつかなさは、真逆の輝きで強く結びつき、それでも離れていったダイダスさんと桃香さんの絆が、スゲー爽やかに心地よく精算され、離れつつ繋がっているのと面白い対比だ。
過去完了形の颯爽と、現在進行系の湿度。
色んな方向に青春は転がり、たどり着いた新しい景色も、ゴールじゃなくてスタートでしか無い。
トゲトゲが、客の顔の見えないハコでやるの新鮮だな…。
故郷に背を向けて川崎に流れ着き、ロックンロールと取っ組み合いをして、バンドになってステージに立つ。
仁菜の物語は常に行き当たりばったりのライブであり、現場に立たなきゃ見えない実感で満ちていた。
ずっと拒んでいた故郷に戻ってみて、ようやく見えた世界の真実。
第10話、熊本に拓けた景色と同じものが、バンドサクセスストーリーの終着点であり、野ざらしな獣道の始まりである舞台に立って、ようやく見え直す。
その音を聞いていたのは、私一人ではなかった。
あれだけトゲを出していた相手が、確かに親友と呼べる存在だったことを、仁菜は最後に思い出す。
この再帰と再発見を最後に持ってくるの、ほんと面白いなぁと思う。
仁菜とヒナに何があったかは、序盤から印象的に伏せられてきたミステリーであり、今回事件の真相が仁菜の口から語られ、ヒナがその行く先を巧妙に誘導し、たどり着いた場所で見えてくる感情。
遺恨とトゲの濁りなく、かつて確かあったものに目を向けられるのは、自分の全部を思い切り叩きつけなきゃ嘘になる、ステージという現場だからなんだと思う。
井芹仁菜にとって、ロックンロールを奏でるとはそういう、自分にすらなかなか見えないものをクリアにして、何が本当なのか、間違っていないかを、改めて実感できる行為なのだろう。
仁菜の多重な『解ってなさ』は、彼女の大きな魅力であり、なかなかにイラつく欠陥でもある。
現実も自分も正しさも、全く持って解ってない主人公だからこそ、世間が押し付けてくる答えを跳ね除けて、自分だけの答えを『解っていく』ダイナミズムの中心に立てる。
ここにたどり着いて自分語りするまで、仁菜は過去確かにあったものを『解っていなかった』し、それを全部ウソにすることで今の自分を造ってきた。
しかし頑是ない己らしさを貫いた結果、メジャーシーンに背を向けるこのライブが教えるのは、ヒナもまた同じ曲を聞き、彼女なりのロックを探し求めて獣道に立っているという、消えない共鳴だ。
それを聞いて、音楽が始まる
一期ラストステージとなる”運命の華”は、回想を多く交えたやや私的/詩的な作りであり、観客のリアクションはチッタの暗がりに呑まれて良く見えない。
客席に反射する社会的成功よりも、己たちらしくあり続けることを選んだ物語が、色濃く滲み出たステージ演出とも言えよう。
楽曲自体もどこか祝祭的というか、一つのエンドマークを奏じるのに相応しい華やぎがあって、ここに至るまでに積み上げてきたものと、こっから新たに動き出すものの両方が、音に弾けるいい曲だった。
まぁ色々あったし、今後も色々あるが、悪くない旅だった。
そう思える曲で、とても良い。
想定の三倍くらいダイダスさんとももかんのハッピーアオハル絵巻が爆裂してて、『やっぱ桃香さん、アイドル衣装着たほうが良かったんじゃねぇの?』と思わなくもないが。
どっちにしても、選んでしまったものは取り返しがつかず、『なかったことにしてください!』と運命に頭下げる道を、五人の少女は跳ね除けた。
そのバカな末路を、嘲笑わずに見つめるシルエットが、最後に綺麗なのが好きだ。
ヒナ含めて、ダイダスさんの存在強度があったればこそ、仁菜が愚かに全力で引っ張る主役バンドの一本気が、ナルシシズムから上手く逃れれられてた感じ。
現実と理想、肯定と否定の、錯綜する中間地点。
そこが、ロックの居場所だ
へそ曲がりで意地っ張りな音楽を、わざわざ聞きに来るアホどものために、仁菜たちは今奏でられる最高をしっかり形にして、そこからまた飛び立っていく。
行く先が天国なのか地べたなのか、解らないまま身を投げる。
そうせざるを得ないアホタレを主役に、それに魅入られてしまったバカどもを道連れに、トゲナシトゲアリの音楽はまだ続いていく。
間違っていないはずの自分を思い切り突き出して、数字に水ぶっ掛けられて現実を思い知らされ、それでもなお突き進むのだと、勝手に決めて勝手に進む。
転がる石に苔生さず、Living Like a Rolling Stone。
つくづく、そういう物語であった。
というわけで、ガールズバンドクライ、無事最終話を迎えました。
面白かったです、ありがとう!
東映が総力を上げて3Dアニメと女の子てんこ盛り音楽モノに殴り込んでくるってんで、正直半笑いで見出した部分もあったが、井芹仁菜という強烈すぎる主人公を起爆剤に、豊かな感情表現力、冴える詩情と可愛らしさで横っ面を張り飛ばしてくる、力強いアニメだった。
ナメられた所を実力で解らせるスタイルは、極めてロックンロール的だといえ、そういう意味でも作品で描いているものと、アニメが置かれている居場所がシンクロして馬力が出た作品だったかな、と思う。
新しいモノがたくさん見れて、凄く良かったです。
ヤバすぎる仁菜をどうにか好感持って受け止めてもらうべく、色んなレトリックを駆使してお話を編み上げ、テクニックとパワーが両立した物語が生まれていたのも、とても印象的でした。
桃香さん達に沢山お世話されながら、泣きじゃくりつつ世界にロック突き立てる仁菜の野放図に、気づけば魅了されている牽引力の強さ。
そうして突っ走った先、気づけば誰かを支えられる強さを撮りもどいている主役の成長。
それで物分かりよく収まらず、手に入れた成功を意地と気合で蹴り飛ばして、もっと自由になれる場所へと身を投げだしていく最後の展開。
どれもまー、大変凄かった。
この速度で駆け抜けられたのは、仁菜が主役だからだわ。
収まりのいい話にするんなら第11話の熱狂で一気に押し切って、安定したプロ路線に乗っかった後のお話をそっから展開していくんでしょうが、仁菜も物語もそれを選ばず、残り二話使って全部をひっくり返して来た。
そういう自分らしさを暴れさせるなら、選んだ獣道がどこに続いているのか、見させてもらわなきゃ気がすまない。
俺はもう、”ガールズバンドクライ”のファンなんだから。
というわけで二期切望ではあるんですが、とまれこの素晴らしい物語を最後まで自分たちらしく描ききってくれて、ありがとうございました。
めちゃくちゃ面白かったです、お疲れ様!
いいアニメ、いいロックでしたッ!!