烏は主を選ばない 第13話を見る。
華やかな后選びの奥に隠された、人の業と弱さ。
蝶と戯れるように命を積む、怪物の本性を暴きつつ、一つの物語が決着するエピソードである。
つーか1クールだと思いこんでいたので、こっから先が見れると全然思っていなくて、なかなか嬉しい衝撃である。
心の内に秘めたものを他人に読ませず、読まれようと努力することもない若宮の治世には、雪哉が危惧する通り根本的な危うさがあり、しかし彼は金烏の座から降りない。
苛烈で正しく、多くの敵を作るだろうその歩みが何処にたどり着くのか、アニメでもっと見れそうなのは嬉しい限りだ。
いやー…ヒデーことになりそうだな!
というわけで桜花宮で起きた2つの殺人の裏に、身分の盾で守られる姫君たちがいた事実を、名探偵の苛烈な実地調査が暴いていく。
田舎から出てきて、素朴で可憐な健気を意地悪なライバルに虐められている、可哀想なシンデレラ。
お后レースという物語の枠の中、主人公を担当するのに相応しい外装と立ち位置を身にまとっていたあせびは、自分が悪であることを認識すらしていない、最も厄介な悪逆であった。
怜悧に真実を暴く若宮と、その酷薄が全く届かないあせび。
二人の怪物の間に挟まれ、極めて人間的な弱さと脆さに泣きじゃくる藤波の哀れさが、なんともやるせなかった。
色んな人がいるなぁ山内…。
アニメからのにわかながら、このお話の中核には『他人の解らなさ』があるのではないかと、ここまで見て感じている。
解らないからこそ解ろうとする努力の尊さ(そして虚しさ)と、解らないからこそ解った気になって、愛の美名においてエゴを暴走させる身勝手。
身分、性別、立場の壁を超えて他人を真実わかろうとする難儀から、手を引いて対等なはずの誰かを踏みつけにし、平気で殺せる共感の欠如。
それをシステム化し、下層から繁栄を絞り上げて策謀に興じる支配者たちのおぞましさ。
共感の不在…あるいは不可能が生み出す、業まみれの惨劇を生々しく描きつつ、一瞬だけ通じ合う心の瞬きを、美しく切り取りもする。
そういうテーマ性は作品の構造自体にも及んでいて、早々簡単に物語の全体を把握させない、巧妙な隠蔽と開示が一つの特徴かなと、現状感じている。
『ああ、華やかな宮廷でのお后選びレースを通じて、このこが自己実現を果たす話なのね』という、物語ジャンルが生み出す余談を膨らませ、あるいは逆手に取って真実を隠す御簾として使いつつ、その隙間から真実の毒を垂らす。
災厄の中心に立ちつつ、見事に責任から逃れきったあせびのおぞましさを暗い太陽にして、実はこのお話が凄惨なサスペンスであったことが明かされる構造。
これはまー、二軸並走になったアニメでは結構、インパクトが弱まってもいると思うけど。
小説の読書体験としては、桜花宮に狭く閉じ込められていた物語が衝撃の真相で内破し、視点が広がったところで地元から宮中へ、そして地元へと進む中で世界を知り、友を得、自分がするべきことへと戻る雪哉の物語へ潜っていく形…なのだろう。
その時読者は、非常に巧妙に山内の闇へと誘導され、視線を拡大される。
『私はこういう物語ですよ』と、見せるだけを見せているのにそれが作品の全部であるような感覚をもって、雪哉と若宮が暴く世界の真実…桜花宮の惨劇の背景にあった、より大きなシステムの最悪を突きつけられる形になる。
しかしそれが本当に、物語という他者を理解する行為になるのだろうか?
語りによって形成される物語空間において、描かれないものは存在しない。
桜花宮での后選びという、物理的・ジャンル的フレームの内部に押し込められていた物語の裏で、確かに存在している山内の地獄めいた政治闘争、あるいはあせびが糸をたぐる殺戮のゲームは、このエピソードでのインパクトを最強に高める意味合いでも、精妙に隠蔽されるべきだ。
『真実は、実はこういうものだったんです!』という、探偵物語を成立させる暴露の衝撃は、『真実は、早々分かるものではない』という前提の元に成り立っている。
そして精妙に編み上げられた面白さは、無明の奥にある真相を知りたいと、ページをめくらせる腕力を宿す。
御簾の奥に隠してこそ、その奥を見たくなる。
殺人事件も意外な犯人も、急な名探偵の登場と苛烈な真相開示も全部あった”烏に単は似合わない”は極めてミステリ的な物語であり、そのおぞましい真実が暴かれたことそれ自体が、”烏は主を選ばない”という新たな物語、新たなフレーム、新たな真実へと見るものを誘う、強烈な誘引となりうる。
一つの物語で示されている枠が猛烈にぶっ壊れ、思い込みがひっくり返されて『お前ってそういう奴だったんだ!』という、発見の快楽が真実めいて形を得て…おそらく、また新たな物語の中で苛烈に切り崩され、解らなくなっていく。
『他人は解らない』というテーマが、語りの構造自体に内包される。
そういう物語…なのかなぁ、と。
アニメを13話見ただけながら、今思っている。
あんだけ通じ合ったように思えた雪哉と若宮の物語が『私の知らないところで勝手に死んでください!』で(一端)終わる、妙に爽やかな離別も含めて、やっぱこっちが望んでいた…あるいは思い込んでいた物語の形を、小気味よく裏切り深く突き刺す、聡明で意地悪なお話だなぁ、と。
最初に脱落したように思えた浜木綿が、まさかまさかの幼馴染補正引っ提げて堂々の帰還、お后選びレースの勝者になって終わるのも、そういう気持ちいいひっくり返しよな。
そらー、最後まで見りゃあの人に勝って欲しいよ…。
己が綴るドラマによって作品世界の枠を規定し、それを思いっきりぶっ壊すことで秘されていたものを暴き、作品を加速させていく。
それがこの物語のスタイルであるなら、ここまでの1クールで造られた『山内ってこんなモン』という思い込みもまた、思いっきりぶっ壊されるだろう。
やべー獣とやべー薬が既に顔を出してる、今まで以上に血生臭くなりそうな第二章。
宮中に限定されていた視点が市井に広がり、支配構造の軋みを切り取るかな…と思っているが、『山内』というフレーム自体の外側に切り込む話にもなりそうな予感。
ほら、山”内”ってのはその”外”がなけりゃ、成立しない世界なんだろうしさ…。
新たな世界に飛び込んだ少年の政治闘争と並走して続いた、華やかなお后選びの物語が決着する今回。
見えていたモノは華やかな表層に過ぎず、どす黒い影が世界に当たり前に満ちていて、その焦点として無邪気な邪悪が、どす黒い影を伸ばす。
文盲が珍しくないと知らなかったり、服を脱がなきゃ烏は飛べないと解んなかったり、姫君たちの致命的な世間知らずが、文字通り人殺している構図がなかなかに残酷だった。
『そんな事、知る必要はございません』と側仕えに遠ざけられ、烏が獣の本性を持ち、飛ぶ自由と人でなしの不自由を背負って生きている現実を、飲み込まずとも生きていける温室の花。
それが毒花であったから、惨劇は起きた。
あせびと藤波の真実を暴く、若宮の苛烈な態度の奥に、貴人であろうとも命を弄び、罪から逃れる暴虐を許さぬ正しさが燃えていることを、彼の政治闘争を見てきた僕らは既に知っている。
しかしその瞬きを表に出しては、桜花宮のスキャンダルを正しく差配することが難しくなってしまうのなら、鬼か閻魔かと噂され、敵が増えようが若宮は気にしない。
この理解を遠ざける姿勢は、真の金烏という立場を投げ捨て一人間として幸せに生きるヒューマニズムを、雪哉に手渡され跳ね除ける仕草にも匂っていた。
権力の装置である自分を、唯一の自分と任じる裏には、一体どういう認識があるのか。
まだまだ、若宮というミステリは解ききれない。
雪哉は若宮の答えを、権力にしがみつく亡者の言と”誤解”したのだろうけど、では彼の誘い通り金烏の座から若宮が降りた場合、何が起きるのか。
我欲に踊るクズどもがストッパーを無くし、いよいよ醜悪極まる権力闘争が加速するのは目に見えているが、人間サイドの序列押しのけて次男を皇に据え付ける横暴に、合理的な理由があったとすれば。
ここら辺神権で成り立っていた古代政治から、人間どうしのぶつかり合いにシフトした中世政治への橋渡し…その失敗が裏に潜んでいる感じもあり、真の金烏が果たすべき役割(あるいは不在)を、早いとこ知りたい部分ではある。
『今更神様がしゃしゃんなよー! 現役プレイヤーは俺達、腐り果てた我利我利亡者だぞ!!』てのが、貴族どもの感覚だろうなぁ…。
あせびが張り巡らせた殺戮の網を暴く時、冴えわたるサスペンスフルな筆致が大変良かった。
なんかポワポワ華やかで綺麗な、砂糖菓子めいた少女小説の世界が、欲望とすら自覚されていない最もグロテスクな欲望によって手繰られた、おぞましい織物だったと分かる瞬間の、ゾクゾクするような衝撃。
それを成立させるのに十分な絵がたっぷりとあって、反転の悦楽をたっぷりと味わうことが出来た。
ぶっちゃけ相当に警戒度上げて擬平安シンデレラを飲んでいたので、望んでいた通り…それ以上にロクでもない真相がキッチリ襲いかかってきて、大満足である。
いやー、本当にヒドいねあせびちゃん様!
あせびの悪意は証明できない。
分厚すぎる鉄面皮で邪悪を覆い隠しているのかも知れないし、真実どうなるのか解っていないのかも知れない。
他人は解らないのだ。
どこを突けば自分に都合のいい結果が出力されるのか、感覚出来る怪物の知性は間違いなくある。
しかしそれと認識や決断…責任が乗っかる土台を遠ざけて、どう転んでも安全を確保できる繭に自我を包んでいる、精妙な自己防衛の構図も透ける。
馬すら酔わせる魔の毒草であると、己の魅力を認識していない…ふりか天然か、読めぬまま人は彼女に酔い、その興を得るべく必死に走る。
そうすれば、自分を愛してもらえるのだと思い込む。
敦房と同じ構図だなコレ…。
雪哉サイドで主題となった”忠”とはまた違う、強いてラベルを貼るなら”愛”だろうモノに狂わされて、下男も姫も勝手に罪を犯して、勝手に死んだり終わったりしていく。
それは全部あせびの意思と責任の外側に置かれているもので、分かり得ない他人の心に全てが繋がってしまう以上、名探偵は真犯人を殺せない。
ただ、『あなたが嫌いだ』と告げるだけだ。
しかしその言葉は、あせびが選ばれるべき主人公として自分を真ん中においてきた、妄想の物語を壊すには十分な強度を持っている。
華やかなお后選びレースが瓦解した後、その奥に確かにあった心と心の繋がりが形をなして、グーパンチで爽やかに決着をつける。
ミステリとロマンス、並び立たない二つの物語が並走して進んできた物語が、ついに接触して破綻する様子を、このアニメは非常に鮮明に描いた。
若宮が身を置く苛烈な現実は、冷たいモノトーンに染まって冬の色合いであり、自分を運命のヒロインと、真相を暴かれてなお信じるあせびの世界は、ロマンティックな春色に相変わらず染まっている。
甘い欺瞞を剥ぎ取り、死人の生臭さと罪の苦みを叩きつけて、あらゆるモノが真顔になる場所でも、夢を現実とし妄想を事実に変える、強烈な認知の歪み。
オタクスラングではない、原義通りの”サイコパス”すぎて嬉しくなっちゃった…。
藤波決死の懇願も、目の前に消え去る命の瞬きも、あせびの春色を奪いはしない。
それが嘘っぱちの夢であるなど、客観的な認識がハナからあるのなら、こんなに精妙に自分を責任から遠ざけつつ、自分に都合が良すぎる結果を簒奪できる構造を、良心の呵責なくやり切ることは不可能だ。
彼女は自分が生み出す残酷なミステリを、心底最高のロマンスだと信じ切っている。
そこに分け入るためにはミステリの言語ではなくロマンスの語彙が必要で、王子様から投げかけられた『あなたが嫌いだ』だけが、彼女を包む春を冷たく冷やし、寒々しい山内の現実を一瞬、思い知らせるだけの力を持っている。
まー”改心”とか絶対無理だろうがな!
あせびの怪物的に肥大化したエゴは、世界全てが自分のためにあると心底信じられる、ある種の強さを支える。
それは世界が勝手に都合よく、自分を主人公に据えてくれる(いかにもシンデレラストーリー的な)幸運を、疑わずに済む強さだ。
俯瞰で見れば、あせびの働きかけによって全ての悲惨が生まれているのに、あせび自身は自分の影響力を見ようとせず、世界を変え他人を操ってしまう罪深さを認識しないまま、『誰かが勝手にやってくれる』夢に浸る。
この客観を絶対表に出さないことで、若宮という名探偵が切り込まなければ崩れなかった、春色の迷宮が成立している。
夢ばかり見ている、恋に恋する華やかなお姫様。
自分できめて自分で背負う、近代的権利とは縁遠い、選ばれるのを待ってるだけの置物。
そういう古典的なヒロイン像をあえて背負わせ、真相開示の爆発力で反転させて、無邪気で無責任な怪物を削り出す衝撃は、大変良かった。
やってることも人格もありえんほど最悪なのだが、同時にやるだけやりきってる奇妙な清々しさもあせびにはあって、正直嫌いになれない。
お姫様型殺戮者の完成形というか、システムの奴隷になっているようでいて、そこから免責を最大限引き出してやりたい放題やりまくってるたくましさが、猛烈なジャンル批評になってんだな…。
ここら辺、マジでシステムの犠牲になった白珠の悲惨、システムから脱却する真赭の薄と浜木綿の颯爽と合わせて、四人だからこそ完成する描写で見事だね。
そういう古典的なヒロイン像をあえて背負わせ、真相開示の爆発力で反転させて、無邪気で無責任な怪物を削り出す衝撃は、大変良かった。
やってることも人格もありえんほど最悪なのだが、同時にやるだけやりきってる奇妙な清々しさもあせびにはあって、正直嫌いになれない。
お姫様型殺戮者の完成形というか、システムの奴隷になっているようでいて、そこから免責を最大限引き出してやりたい放題やりまくってるたくましさが、猛烈なジャンル批評になってんだな…。
ここら辺、マジでシステムの犠牲になった白珠の悲惨、システムから脱却する真赭の薄と浜木綿の颯爽と合わせて、四人だからこそ完成する描写で見事だね。
雪哉は一年の宮中留学で、誰もが羨む権力のど真ん中がどんだけの地獄かを、身を持って思い知った。
ここら辺の真相開陳は、華やかな后選びの内側にどんだけ生臭いハラワタが詰まっていたか、暴くことで物語が終わった女の子サイドと、歩調を重ねていると思う。
しかし若宮は、そこだけが己に全てを与えてくれるのだと退かない。
あるいは退けない。
その奥にあるものを、浜木綿は幼い日に抱いた恋心と敬意を刃にしてその眼で見ていて、真の金烏が進むだろう地獄に供をする腹を、しっかり固めている。
雪哉は何を求めて、若宮の隣へと戻ってくるのだろうか。
金烏の瞳が見据えるように、帰還はおそらく定められた運命だ。
『他人は解らない』という軸が、僕が感じているように作品を支える太いものなら、夫婦であろうと腹心だろうと他人は他人、忠も愛も人間存在に立ちはだかる無理解を、完全な相互理解へは導かないかも知れない。
そこに特例を生んでしまうのがドラマのうねりというもので、語り部がどんだけシビアに作品世界を…そこを支えるテーゼを睨みつけ、徹底するつもりなのかも、今後探るべき一つのミステリなのだろう。
どーなんだろうなぁ…個人的な手触りとしては、それこそ皆殺しエンドになってもおかしくないくらい、シビアな視線で”山内”を見ている感じはある。
それはそれで、語るべきものに嘘がない筆で好きだな。
愛と忠は、社会システムに取り込まれエゴに歪まされつつも、一個人どうしが真実繋がりうる、個人的な関係として成り立ちうる。
人間一人を何より尊いとする、近代的ヒューマニズムが全ての答えであるのならば、そういうモノが全ての答えになって、面倒くさい心と世界のグチャグチャを気持ちよく、払い除けてくれるだろう。
しかしそういうシンプルな夢から、決別した怜悧なシビアさがこのお話にはあって、二つの物語が一つの終わりにたどり着いてなお、まだまだ複雑怪奇な世界の在り方を問いただす姿勢は、より深く広く冴えていきそうだ。
若宮が譲れぬ居場所と選んだ、政治と経済、野心と祈り、卑賤と高貴が絡み合う”山内”。
そこには貴族だけでなく色んな人が生きていて、宮中だけが世界ではない。
…あるいは、山内だけが世界ではない?
女房の衣が獣の本性を取り戻してでも、必死に生きようとする人間を封じてもいるのだと、早桃の死に様が無惨に描いた後、新たな犠牲の叫びが響いていた。
”烏に単は似合わない”が、華やかな衣を着るヒロインたちの勝負服への言及だと思わせておいて、生きるか死ぬかの瀬戸際でもがいた犠牲者を殺した、拘束具の描写だっていう転倒はめっちゃ良い。
華麗で残酷……王宮絵巻を描くうえで必要なものが、確かにある。
数多貴族が聞き届けない市中の声を、若宮が聞いている様子が入ったのは小さく、大事な救いだな、と思いつつ。
新たな物語がどう転がり、何を描くか。
想定外の第2クールを心から喜びつつ、次回を待つ。
いやー…思い込みをぶち壊されるミステリの快楽を、放送期間で味わうとは思ってなかったよ正直。
まだ見れるの、めっちゃ嬉しいわ。