イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第11話『みらいへオーケストラ』感想

 沢山のあなた達と、沢山のわたしと、共に奏でる未来交響楽。
 関西と全国の狭間、決定的な何かへ飛び込んでいく直前の多彩な表情を豊かに切り取る、ユーフォ三期第11話である。

 青春の切り札たる魔法の手紙を使って、あすかに自分の真実を見つけ直させてもらったことで、北宇治吹奏楽部に漂う重苦しい空気は、必勝の追い風へと変わった。
 そんな一体感から真由はやはり取り残され、彼女を鏡とする久美子も進路に、弾くべき音楽の形に思い悩む。
 たった一つの真実がなかなか掴めず、しかし多彩にあり得る未来の幾つもの顔を、今回久美子は様々な人達との距離感の中に、おずおずと探していく。
 親友、ライバル、先輩、姉。
 向き合う人間ごとに久美子という人間の表情、その声色、形成される社会的ペルソナは多彩に変化し、その全てが”黄前久美子”であるのならば、大人であり子どもでもあり、勝つことも負けることもありえ、どのようにでも変わっていける自分の、どんな決断も真実になりうる。
 そう心から思える未来を前に、人間関係の複雑で芳醇な襞に丁寧に分け入り、黄前久美子の”今”を編み上げていく手つきが、とても繊細で良かった。

 

 細やかな表情の変化をリニアに追いかける、偏執的ですらある筆致は京都アニメーションという制作集団の得意……あるいは武器だと思うが、相手によって様々に切り替わる久美子の表情、向き合う中で変化していく感情を積み重ねていく今回は、特にそんな演出が豊かだった。
 相手との結びつき、それを生み出す個人的な歴史と感情(あるいはその不在)を反射して、今回の久美子は色んな顔を見せる。
 迷いの中、誰かに何かを言ってもらえたから(あるいは何も言わず、ただ隣り合ってくれたから)見えてくるものがあり、それに気づいた時に見開かれる瞳がある。
 あるいは自分が望んでいる関係の形に合わせて、柔らかに表情を装い、おどけた仕草で緊張を解す仕草も多く描かれ、久美子が高校生活三年間で手に入れた大人びた社会性と、変わることのない純粋な心根が、複雑に明滅するエピソードだったように思う。

 部長という役割を担って、大人に相応しい周辺視野と社会性を手に入れ、それだけではこわばった破綻が待ち構えるだけだった彼女の部活に、幼く真っ直ぐな自分らしさに帰還することで未来を示す。
 その過程で衝突した麗奈との、心と絆を再構築していく歩みも印象的だったし、様々な関係がプリズムのように瞬くエピソードの中で、なお繋がりきれない真由との距離感も興味深かった。
 自分の外側にある様々な鏡に、様々な顔で対峙することで自分が見えてくる照応だけでなく、幼くもあり大人びてもいて、素直であり装いもする、沢山の黄前久美子の全部がチャーミングで大切なのだと、九年の物語を閉じる前にあらためて確認する回だった。
 自分の外側にある様々な関係と、自分の内側にある多彩な自画像。
 その全部は一様に塗れないからこそ豊かなグラデーションをなし、複雑な共鳴を生み出して、世界を豊かな色で満たしていく。
 あすかという世界でいちばん大事な鏡に照らされて、真実自分がどういう存在であったかを思い出すことで、人生というオーケストラのど真ん中で、様々な人の様々な音を聞いて自分なりの音を返している、黄前久美子の到達点を、しっかり見届けられた。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 長くて短かった黄前久美子の青春、最後の跳躍を描く前の逍遥たる今回だが、カメラは彼女を中心に様々な人の表情も描く。
 関西大会突破の決定打となった見事なソリを、しっかり弾ききった真由であるけども、部一丸となって勝利を祈るその空気に馴染みきれず、どこか醒めたような、困惑したような表情で発表の瞬間を待っている。
 この当惑は転校当時からずっと続いているものであり、部員100人の吹奏楽部という小社会に、問題ない外面と確かな実力で足場を作りつつも、真由はそこに馴染みきれないままだ。

 彼女の当惑を横に置いて、麗奈の特別なトランペットに完璧に寄り添うその演奏は、部の内外に高い評価を受ける。
 久美子を押しのける形でソリストに収まった、北宇治の不発弾に向き合う部員の表情は様々で、中学時代強豪校でそういう修羅場をくぐり抜けてきただろう、緑輝の表情もなかなかに複雑である。
 ここまで三年間、自分が主役となって作り上げてきた物語、完全実力主義の北宇治を裏切らないために、久美子がしがみついている建前……であり、本音でもある考えが唯一絶対の答えならば、二人のユーフォ奏者を中心に、部内を複雑にうねる空気を前にして、彼女自身も複雑な明暗に身を置くことはないだろう。

 抱えて演奏するユーフォニアム……かつて田中あすかが『黄前ちゃんっぽいね』と言ってくれた楽器を、盾のように御簾のように構えて表情を、心の内を探られないように構える仕草は、夏合宿で真由が取っていた姿勢と同じものだ。
 泣きたいほど本気でうまくなりたいと願い、その衝動のままにひた走ってきてなお、届かない場所。
 それが残酷で公平だからこそ、全部を賭けて挑むだけの意味があると、久美子はずっと信じてきた。
 完全実力主義こそが、それだけあれば全部がうまくいく、この物語唯一絶対だったはずなのに、部員100人の複雑な網目を見守る部長という立場に立ち、手に入れたはずの特別な上手さを揺るがされて、何が答えなのか見えなくなっている。
 しかしその解らなさは、物わかりの良い”立派な部長”という重荷を背負う前、青春探偵として校舎を駆けずり回っていた時代の久美子が、自分と物語を前に進める最大の武器だった。
 あすかと出会い直し”後輩”に戻ることで、そういうモノを取り戻し北宇治の窮地を救った今、複雑で不安定な自分と他人と世界のあり方を……同じような当惑に、分かり合えないと遠ざけ合っていた真由もまた身を浸している事実に、久美子は改めて踏み込んでいく。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 前回冒頭では預けられた鍵を、素直に受け取れなかった黄前部長であるが、言葉の使い方が上手くない滝昇の穴を埋めるように、思うままの真実を力強く叩きつけ、敗勢をひっくり返した今、信頼の証を素直に受け取ることが出来る。
 ここで滝先生の視線がかなり複雑に彷徨って、教育と芸術の中間地点にある吹奏楽部の活動に戸惑っていた自分を、生徒である久美子に対し明け渡し、手渡している様子が描かれる。
 彼の視線の先には、もう合うことの出来ない誰かとの思い出と約束があり、全国金賞は妻から引き継いだ滝昇の悲願でもある。
 それが久美子の燃え盛る檄が本番に間に合わなければ、手の届かない夢に終わった可能性に、自身の欠落を自覚しつつそれでもなお、顧問として指導者として求められる顔を必死に維持して、ここまで走ってきた男は自覚的だ。

 この『中身は至らぬ己にグラグラ揺れているが、それでも身を預けている集団が求める高みへたどり着くために、必死に外側を取り繕う』という仕草は、物語の平和な……平和に思えた前半戦、久美子が頑張っていた在り方でもある。
 部長という役職を得、表に出せない重荷と軋みをたくさん抱えてなお、なんでもない風を装って周囲の不安を飲み干し、より実りのある結果へとどうにか、人々を導く難しさ。
 空中分解寸前の衝突も含め、『大人であること』の難しさを知った今の久美子だからこそ、滝昇は鍵を預け弱さを見せ、それでも三年間揺るがすことがなかった己の真実を、改めて彼女に示しているように感じる。

 無機質な石を無意味に積み上げるのではなく、人と人が生み出す音を未来へと繋いでいく。
 今よりももっと剥き出しで不器用だった、大学時代の滝昇に”教育”の輝かしい本質を教えられて、生徒たちが勝つ手助けを誠実に積み上げる、今の彼がある。
 目の前に立ち現れた時、既に厳しさと正しさの権化であったかのような”大人”もまた、複雑で不確かな内面を抱え込み、特別な誰かとの出会いに道を示されて、今ここに立っている。
 たった三回のコンクールに全てを掛ける、吹奏楽部という奇妙な芸術活動を通じて、自分たちを導いてくれている。
 かつて感じた不確かな不信を、自分の原点に立ち戻ることで乗り越えた今の久美子には、今までより柔らかで弱々しく、だからこそ嘘のない滝昇の新たな顔が、しっかり見えている。
 そういうモノを見ることで、彼女の揺れる未来は次第に定まっていくのだ。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 とは言うものの、9月になっても進路が決まらない久美子に全てが見えているわけでもなく、かといって何も見えていない迷いも抜けて、麗奈という特別な鏡に向き合う中で、青春探偵は色んな顔を見せる。
 関西大会を突破し心の余裕が取り戻されたからか、今回は久美子が余裕のない麗奈を抱きとめる描写が多く、あんだけ酷薄に揺らがず見えた麗奈が実は、不安定な幼さを(久美子と同じく)抱えた思春期の少女であることが、改めて照らされる。
 それは鬼のドラムメジャーという役割に縛られ、滝昇への信頼に頑なにしがみつき、素直になれない不自由で自分を守っていた季節から、ようやく麗奈も開放されたから見れる姿だ。

 どんな時でも揺らがぬ定位置だったはずの、電車の隣の席が永遠でも不変でもないことを9話からの変遷は改めて示したが、しかしその親密な距離を愛しい特別と定めたからこそ、二人の距離は縮まり物語は始まった。
 そこに愛着を持っているのはお互い様で、でもそれだけで何もかも上手くいく時代は気づけば終わってしまっていて、しかし嵐が(一応)過ぎ去った今思えば、やはり眼の前の特別はあまりに愛しい。
 それを取り戻すための儀礼のように、言い過ぎた自分を謝罪する時の麗奈の頑なな表情と、見届けて戯けた仕草でもって、何もかもが元通りになるのだという芝居を差し出す久美子の成熟が、チャーミングでいい。

 

 後に超絶限界青春野郎であることを、言動を以て示す高坂麗奈の素直になれなさへ、久美子は時に茶化しながら笑って踏み込んで、柔らかく抱きしめてあげる。
 歩み寄り、手を広げるのは常に久美子であり、受け止めてもらえる幼い立場は麗奈の特権であって、久美子の手がためらいなく麗奈を抱きしめた後に、おずおずとその身を預けることにもなる。

 この関係性の傾斜は、苛烈な実力主義を突きつけ部長の資質を説いた時と真逆で、その両方が二人の真実なのだと思う。
 北宇治の音楽がどうあるべきか、立場と信念の違い故に激しくぶつかったり。
 気恥ずかしい”大好きのハグ”を通して、関係の修復と特別な愛情を確認したり。
 衝突し別れていく可能性含めて、麗奈との関係も永遠でも絶対でもなく、しかし確かに特別である複雑な面白さを、久美子は今回の危機をなんとか乗り越える中、一つ学んだのだろう。
 北宇治が好きで、音楽が好きで、麗奈が好きな自分の根本に立ち返れたからこそ、幼くすらある愛の表明に、戯けた仕草で麗奈を引っ張ってあげる自然な優しさも、また取り戻されてきている。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 麗奈との触れ合いにおいては、一度罅が入った関係性と自分たちらしさが抱擁し直され、修復され、また変化もしていくわけだが、真由と奏と久美子、三人のユーフォ奏者が複雑にせめぎ合う窓辺においては、張り詰めた緊張感が場を支配し続ける。
 演奏者・黄前久美子の不可侵領域だった場所に、真由はかなりの決意を持って踏み込み、奏も戯けた態度で裏から支える位置から一歩踏み出し、久美子に吹いて欲しい自分、真由を警戒する自分を表に出してくる。
 微笑みながら踏み入った場所が、三年目からの乱入者である自分には開け放たれていないのだと敏感に感じ取って、一度は身を引いた真由は、全ての決算が迫る中で微笑みの仮面を脱ぎ捨てて、傷つけ傷つけられる無防備な距離まで近づいてきた。
 奏もまた、久美子への愛しさ故にその爆心地を見落としていないのだと、己の存在を隠さないポジションまで踏み込んでくる。
 確かに、何かが変わりつつあるのだ。

 とは言うものの、真由は傷つきやすい自分を守るかのように肘を抑え、奏でも窓一つ隔てて最後の一歩を踏み込みきらない、微妙な距離感を保っている。
 三人のユーフォ奏者の、ヒリついた痛みや歪みもひっくるめたアンサンブルが解決にたどり着くにはもう少し……おそらくはもう一話必要で、この校舎裏の影での接触は未だ、長く尾を引く未解決和音なのだ。
 そこが夏合宿に顕在化した、蝶を捉える透明な網より進んだ場所であることは、花に誘われ自分の意志でそこに止まった蝶に、かつて背を向けた暗くて熱い久美子の私的領域へと、決意を込めて踏み出した真由を重ねる演出からも明瞭だろう。

 

 そしてそこで曝け出されているものは、今まで久美子が理想と必死に守り、取り繕って破綻寸前までいった『みんな仲良しな北宇治吹奏楽部』とは、一味違う苦さがある。
 真由は久美子の本心を厳しく問いかけ、彼女らしからぬ激しさの奥になにか揺れる痛みを、ようやく突き出し始める。
 奏も真由への反発を久美子の前に顕にし、かつて北宇治の音楽を、それを心から信じる久美子を愚弄した、己の過ちをためらいつつ、真由の本意を探る尺度と差し出す。
 ひねくれた奏がその色眼鏡で見る、真由の”本当”とは違う共鳴を、久美子は自分自身の痛みから引き出し、去っていった真由との間に微かな……そして確かな共鳴を見出す。
 かつて自分が傷つけられ、だからこそ”久美子の北宇治”にはあって欲しくないと、必死に跳ね除けてきた震えと痛みを、もしかしたら真由もまた背負って縛られて、何度も分かり合おうとしてすれ違う、在り方の違いを生み出しているのかもしれない。
 元来の性格の違いもあって、奏がずっと睨みつけ警戒していたモノを、久美子は真由の真実とは受け取れないわけだが、しかしそのシビアな視線が改めて光を当てて、見方を変えさせるものが、この窓越しの接触には確かにあったわけだ。

 お互いの奥底を見せぬまま、譲り合えぬ信念をぶつけ合う痛みを苦笑いで受け流して、真由もまた窓辺に距離を取って、つばめと向き合う。
 夏合宿でもそうだったが、どうしても北宇治に馴染みきれない真由をつばめがすごく気にかけていて、しかし彼女の親愛が鬱屈を全て弾き飛ばす”特別”になりきれない様子を、このアニメは残酷に切り抜く。
 控えめを装いつつも、真由はユーフォを弾く事自体からはけして撤退しない。
 そこには『譲れぬモノがなにもない、他人の幸せ最優先な黒江真由』という自己像と矛盾する、けして譲れない何かが確かにあって、それを試しぶつける相手は同じユーフォを弾く久美子であって、つばめではないのだろう。
 窓越し身を乗り出して、銀色の盾で震える心を守っている真由につばめが向き合ってくれているありがたさを、真由が真実受け止めるためには、やはり今回踏み込みきれなかった不協和音の奥底へ、三人のユーフォ奏者が見を投げ出す必要があるように思う。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 僕は黄前麻美子のことが好きなので、お姉ちゃんとの触れ合いが描かれるととてもいい気分になる。
 不定形だけどたしかに自分の胸にある、なかなか解ってもらえない『なんとなく』を姉に肯定してもらった時、画面はなかなか見えなかった麻美子の視線を鏡に写し、大人びた装いへと磨き上げられていく久美子を切り取っていく。
 大学をやめて進んだ美容の技術で、麻美子に大人びた美しさを造ってもらう時、久美子の声は涙混じりに幼く、この時彼女は”部長”でも”先輩”でも(ましてやあすかを前にしたときのように”後輩”)でもなく、ただただ”妹”である。
 進路と部活に悩む高校3年生の、一番柔らかく部分を『可愛い』で受け止めつつ、姉は妹が震えながら世界へ飛び立っていく準備を、その指で整えてやる。
 鏡の中見慣れぬ自分が、未来の肖像画のように飾られた時のときめきが、化粧という行いに鮮烈なシーンである。

 この暖かく微笑ましいやり取りは、かつて会話もないほどにすれ違い、分かり合えぬままぶつかった時間の先にある、幸せな結末である。
 お姉ちゃんの背中を追いかけ続けてた日々から気づけば抜け出し、押し付けられた未来を激しく跳ね除けて、自分の道へと巣立っていく姉の背中に、泣き崩れたあの夜。
 そこから時の癒やしに助けられて、選んだ道は家族に受け入れられ、姉妹はかつて身を置いていた……よりも親密で温かな距離感へと、お互いを進み出せれるようになった。
 姉との関係を通じて、衝突やすれ違いが時を経て、収まるべき場所へと収まっていける安心感を、多分久美子は学んでいる。
 数年前は想像もしていなかったような、オーディション勝てなくて悔しかったり、未来が解らなくて不安だったり、ラベルの付いていない柔らかな気持ちの全部を、受け止め抱きしめ飾ってくれる距離感は、手で触れられるほど近くに、確かにある。
 それは新しく手に入れ等たものであると同時に、かつてあった場所へ戻っていく歩みでもあり、未来は思い出の中にこそあるのだという時の不可思議を、久美子は鏡の中に


見つけていく。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 傘木希美との近すぎる距離感を切なく切り離して、演奏者としての未来に踏み込んでいった鎧塚みぞれの晴れ舞台に向き合う時、久美子は”後輩”というペルソナをかぶる。
 そこでは”妹”の幼い顔は大人びた化粧に飾られ、フォーマルな場にふさわしい顔を作り、同じ”後輩”という属性を背負いつつもっと余裕なく、切実で暗い顔をしていたあすかの前とは、また違う顔をしている。
 関西大会突破という結果を出し、思うがまま魂を叫ぶ自分らしさを取り戻した久美子の”今”を切り取る今回、他人の在り方とそこに反射する自分を見つめる余裕が出てきて、他者というプリズムを通して久美子の様々なペルソナが、僕らの前に提示されていく。
 部活動という、涙も笑顔も全部飲み込んでかつて確かにあった”今”が終わったとしても、続いていく”先輩”の関係性を麗奈といっしょに羨ましく見つめつつ、久美子は一年前とは変わった自分……進路と音楽にどう向き合うべきか、悩める受験生の顔をみぞれという鏡の前にさらしていく。

 ”リズと青い鳥”に深く細やかに刻まれているように、みぞれは自分を映す鏡としての他者、そこに映る自己像との向き合いが独特……ともすれば不器用だ。
 希美一人に全てを預け、かつてそれに裏切られて久美子に助けられて取り戻し、自分だけの特別に縛られながら、魂が緊密すぎた時代を飛び立っていった青い鳥。
 かつて聞くだけで心をかき乱されていた”ダフネスとクロエ”のオーボエソロを、見事に弾き切る姿に甘やかな依存からの自立を反射させつつ、音楽のみを自分の存在証明、あるいは他人と繋がる手がかりにする一本気な狭さは、みぞれに魅力的なアンバランスを付与する。

 

 この一本気はアメリカ留学を決めた麗奈と通じる部分があり、一年生にしてソロを任された音楽家の若い肖像画に自分を重ねて、麗奈は久美子よりもシリアスな熱を視線に宿してステージを見る。
 同族の頑張りに応えるように、ちょっと前のめりな応援を投げかけるみぞれは、音大へ進むべきか否か揺れる久美子に、同じ温度で言葉を投げない。
 (例えば奏やあすか、真由のように)周囲の雰囲気を感じ取って、適切なリアクションを投げかけて場の空気を泳いでいく器用さとは無縁なみぞれが、嘘をつかないことを久美子は知っている。
 だから、自分の居場所に久美子が並び立つ未来を想像できないと、ともすれば殴りつけるような激しさを宿してしまいそうなみぞれの反応に、自分が探し集めるべき答えの一つを、確かに見て取る。

 みぞれの飾りも配慮もない、極めてみぞれらしい言葉が結構ショックだったことは、久美子が表情の見えない暗がりに一瞬囚われた様子からもうかがえる。
 しかしそこで揺れた自分を表に出さず、微笑んで率直な答えに感謝できる自分を作り、あるいは選び取って久美子は、音大へと進まない未来へ自分を押し出してくれた”先輩”に、心からの感謝を告げる。
 そんな大人びた対応はやはり、常にその在り方を問われ、個人のゆらぎが集団へと波及する部長の立場でもって、自分の言動が何を生み出すのか、考え繕ってきた成果なのだと思う。
 その外面は不自由に久美子を縛り、部内に危険な不協和音を生み出したりもしたが、しかし間違いでも嘘でもなかったと、僕は思う。
 『頼れる黄前部長』であろうと、必死に背伸びを続けた日々が彼女に与えたものはとても大きく、その強がりは立派だった。
 そんな風に、間違いなく頑張ってきた自分を誇れる場所に、久美子がたどり着いて物語が終わってほしいなと、僕は三期始まって以来、ずっと願っている。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 部長として過ごした日々が久美子に何を与えたのか、確認する鏡として、あまりに若く青臭く二人の距離を思い詰め、張り詰めた必死さで決意を差し出してくる麗奈の震えは、とても良い。
 その、久美子と一緒に思わず笑ってしまうような余裕の無さは、美しくて嘘がない。
 宇治川の夕焼けに決別を突き出された時も、多分この一本気な震えが麗奈には宿っていて、しかし周りを見る余裕、相手や場所に応じて様々な自分で在る余裕を失っていた久美子に、それは見えなかった。
 その生身の柔らかな震えに(も)惹かれて、特別な絆をお互いに許していた過去を、気づけば忘れていた。
 非常に豊かに様々なものを切り取りつつ、ドラマの展開もキャラクターの描写も黄前久美子の一人称に捧げられているユーフォ三期の筆致は、主役の心理状態を反映して描かれるべきもの、それが取りこぼすものを選ぶ。
 今、麗奈の幼さや脆さ、それが生み出すあまりに真っ直ぐで透明な心が描かれているのは、それを見つめられる自分を久美子が、沢山の人との触れ合いの中で見つけ直したからだ。

 冗談交じりの朗らかな分かれ道は、みぞれの直言に道を見定めた久美子の宣言によって、湿り気と重さを得ていく。
 横断歩道の白線が、お互いの距離を測るメジャーとして機能する劇的空間において、麗奈はこの美しい一瞬をここで終わらせて、永遠にしてしまいたい願望を吐き出す。
 それは変化していく未来の中で、何よりも大切だと思えるものが由来で行ってしまう摂理への、幼く本物の不安だ。
 進路という一つの指針においては、アメリカ留学という決断を一人で果たした麗奈の方が、この期に及んでグダグダ迷っている久美子より先に行っているわけだが、しかしこの横断歩道……あるいは『大好きのハグ』を果たした階段前において、進み出し抱きしめる役は常に、久美子の担当である。
 思えばいつでもそんな風に、不安定に揺らぐ麗奈を抱きしめられる特別さを甘く噛み締めながら、二人は一緒に進んできた。
 生来の生真面目さ故に人とぶつかり、自分を譲る器用さをどうしても手に入れられない大親友の、簡単には他人に預けない柔らかな部分を、久美子が手を引いて導いてきた。

 道を違えても、形が変わっても、確かに繋がっている幸せな未来を笑いながら久美子が差し出す時、二人は過去を取り戻してもいる。
 悔しくて涙するほど音楽に本気になれる、他人とぶつかってばかりの特別な誰かに、自分の憧れを預けた時。
 そんな苛烈さだけじゃない、一本気な可愛げが確かに麗奈にあって、それに惹かれてもっともっと特別になろうと思えた時。
 ここまでの物語の全てが、麗奈が突き出したあまりにも極端でバカな本気を柔らかく抱きしめて、高校3年生が思っているより結構どうにかなってしまえる未来へと、優しく羽ばたかせていく。
 そういう風に高坂麗奈という少女を、彼女を特別にした黄前久美子を、愛しく思える場所へと久美子が、どうたどり着いたのか。
 生徒であり妹であり後輩であり演奏者であり、部長であり黄前久美子である彼女を取り巻く様々な関係性、様々な距離感を通じて、人間を成り立たせる豊かな乱反射を切り取る今回は、そういうモノを確認する回である。

 この修復と再生、より二人らしく未来へ自由に飛び立っていけそうな幸福な予感は、息苦しい展開の聖域として”くみれい”を配置し、譲れぬ衝突によって一回それを切り崩す、精妙な劇的犯行計画によって成立してもいる。
 ここで麗奈の幼い余裕の無さと、自分を抱きしめてくれた姉のマネっこ交えつつ、怯える少女の手を取れるようになった久美子を描くために、あの永遠に思える安らぎと、衝突による聖域の破綻を準備していた印象だ。
 そういう精妙な物語的パズルを組み立て解きほぐしつつも、その1ピース1ピースが紛れもない青春の真実なのだと、思える美麗と熱量でもって毎回、しっかり描き続けてくれたことには感謝しかない。
 後悔も喜びも、全てを歌にするために何を描くべきか。
 ユーフォ3期は、そういうモノにずっと向き合っているアニメだと思う。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第11話より引用

 最も愛しい他者、世界でいちばん大事な鏡といえる麗奈との距離を整え直し、分離不安にバブバブいってた情緒赤ちゃんをしっかり抱きしめ、久美子は大人びた横顔で一人、夜の宇治川を前へと進む。
 前回のあすかを皮切りに、先生や姉、先輩、後輩、ライバル、親友……様々な名前を持つ相手と向き合う中、たくさんの顔を持つ黄前久美子が描かれた今回の旅の最後、たった一人歩く少女が描かれるのは印象的だ。
 それは照らすものない暗い暗黒ではなく、自分という存在が誰に照らされて輪郭を得るのか、人間関係のオーケストラの中にある自己を改めて確認した後、己自身という他者に歩きながら向き合う一瞬を、鮮烈に切り取るポートレートだ。

 自分の気持ち一つが、100人からの他人で構成される社会にどう影響を及ぼし、ならばどう振る舞うべきかを考え続けた、部長としての一年。
 『上手くなりたい』と涙ながら願った物語の原点から、確かに上手くなったはずの自分を抱えて、銀色のユーフォニアムを抱えた転校生によってそれを揺らがされた一年。
 必要に応じて上手くやり、その器用さが自分らしさを縛って迷い、原点に戻って見つけ直した思いを、どこに、だれに、どのように飛び立たせるか、久美子は今しっかり見つめている。
 そうできるだけの光源が様々、自分を取り巻き支えていて、たった一つの答えに縛られない多彩な自分が、その乱反射の中に確かにある事実に、久美子はもう怯えない。

 

 真由か、自分か。
 勝つか、負けるか。
 そういう二分法に気づけば囚われていた、この物語の主人公が、最後のオーディションを前にどう自分の在り方を照らし、真実望む未来を掴むのか。
 黄前久美子、最後の炸裂を丁寧に準備するエピソードでした。
 多彩な関係性の中、複雑で豊かな久美子の自己像を描く回だからこそ、彼女と向き合い触れ合う色んな人の顔がより鮮明に見えて、大変良かった。
 黄前部長と同じように、弱い自分を必死の強がりで支えながら、多くの人の輝く夢のために頑張ってくれていた滝昇の顔とか、音楽に一本気すぎてどっかアンバランスで危うい、みぞれと麗奈の愛しい幼さとか、色んなモノ見れてよかったなぁ……。

 今回描かれたように、迷いと衝突を経て久美子は様々な人と、様々な顔で繋がり、向き合えるだけの人格を得てきた。
 そんな彼女が窓の外、あるいは影の向こう側に取りこぼし続けている、二人のユーフォ奏者。
 次回はオーディションを通じ、演奏者としての、部長としての、人間としての黄前久美子を描き切る最後のピースが、作品に降り立つ回になると思います。
 それは久美子がずっと見て見ぬふりを続けていた欠落を満たし、作品を完成させるだけでなく、ずっと所在なさげに震えていた真由と、ずっと戯けた仕草に久美子への愛を燃やしてきた奏が、たどり着くべき真実に行き着く回となるでしょう。
 それを描けば、この物語は終わる。
 終わってしまうし、終われるのです。
 次回も楽しみです。