イマワノキワ

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デリコズ・ナースリー:第7話『炎上の攻防戦』感想ツイートまとめ

 デリコズナーサリー第7話を見る。

 一ヶ月ぶりのご無沙汰、微笑ましい子ども達の大冒険から一転大炎上、身内と長官が拉致られヴラド機関大ピンチ! というエピソード。
 …イヤマジヤバくない洒落になってなくない!? と思うわけだが、あくまでクールな探偵役を導き手にパパたちは大慌てすることなく、ヤバすぎる失態を横に置いて前向き、俺達の育児はこれからだッ! となった。
 視聴に間が空いたからか元々そういうもんだったからか、正直やや作品とのチューニングがズレてる感じもちょっとあって、なかなかに悩ましい。
 人命なんとも思ってないプロパガンダ・テロリストに、家督相続者が複数拉致られてんだけどなぁ…。
 利害や計算を越えた情のあるなしは横に置いて、貴族経済としてイエを成り立たせるリソースが全部吹っ飛びかねないド修羅場に、焦りを見せない当主たちは、僕にはちょっと冷静すぎるように思えた。

 

 

 

 

画像は”デリコズ・ナースリー”第7話より引用

 ペンデュラムの皆さんもモブへの悪行三昧をどっかに置き去りにして、アジトを第三のナーサリーに変えたちびっこギャング達にあらあらウフフしてて、起こってることの血みどろ大炎上加減と当事者のリアクションを、どう自分の中で繋げたモノか、なかなかに困る。
 イニシアチブ奪取が社会の根本ぶっ壊すくらい効果絶大なわりに、あまりにもスナック感覚でぶっ放せすぎるので、とりあえず地雷埋めと保険で子どもら全員噛んでおかない理由が、あんま解んないんだよね…。

 実際、かわいそうなオジサンや警官や犯行声明代わりの一般人相手には、尊厳も人命もゴミみたいに使い捨てたわけで。
 ジュラスが包帯の奥に隠した氏素性と、「TRUMPへの復讐」という個人的目的も見えてきたが、それがどんだけの覚悟をもって握りしめられた意地なのか、”第三のナーサリー”の運営方針で見えてくる…のかなぁ?

 

 話数使って、その可愛らしさを描写されたから。
 長大なTRUMPサーガの中で、果たすべき役割が用意されてるから。
 無垢な子どもを残酷に不条理にぶっ殺すような、物語ではないから。
 そういうメタなストッパー以外で、子どもらに絆されテロの道具にはしない理由が、人非人のクソテロリスト(として描かれてきたと、僕は思っている)にあるのかないのか。
 そういう違和感が、自分の中に確かにある。

 一般人への犠牲を余裕で看過してきたヴラド機関が、ことここに及んでイニシアチブの奴隷になった警官に情を見せてるのも、まぁまぁ気にかかった。
 そういうヌルい人道主義を横にのけなきゃ、維持できない歪な社会基盤を何をさておいても維持し、貴族特権を守り続ける非情に壊された結果、この物語の大人共はキレイな顔でイカれてたと思い込んでいたし、その結果子ども達への向き合い方が致命的にズレてるとも感じていた。
 ここで赤の他人の命を気にかけれるなら、もうちょい”マトモ”な親子関係を作るべく足掻けたんじゃなかろうかと、ついつい思ってしまう。
 まー火災に拉致、エグい犯罪の当事者になっても子どもら朗らかだから、外野があんまり気にするもんでもないのかも知れないが。

 

 ダリちゃんが「俺がナーサリーとかいう寝言言い出さなければ、子どもら巻き込まれなかったし…」は一兆%おっしゃるとおりで、この状況になってみなきゃ自分のやってることのヤバさが解んない壊れ方は、チャーミングで好きだ。
 話を停滞させないためか、せっかく気づいたヤバさを深く考えない方向にゲルハルト卿が拳で修正していたが、正直もっとシリアスに、もっと早い段階でちゃんと考えたほうが良い、大事な話だったと思います。
 まぁそこでマトモな判断基準を持ち出しても、求める絵面が出力なんてされねー…つう話だったのかもしれないけど。

 何を魂を支える手中と定め、守るべき善とするかを生活の中学び取っていく子ども時代が、最悪の暴力と人格軽視にもみくちゃにされてたあの子達が、”マトモ”になれるとは僕は全然思わない。
 最悪に最悪を重ねていく”ナーサリー”の成れ果てとして、彼らがどんだけ歪むのか、別の物語で答え合わせをしてみたくもあるが、描かれているものを自分なり素直に受け取ると、クソ親父共に「本当は、あの子達を愛していたんだ。不器用にしか出来なかっただけなんだ」みてーなこと言い出しても、まったく共感できないし、ただただ子どもらが可哀想だなぁ…という感想に戻ってきてしまう。

 

 ”ナーサリー”をタイトルに含みつつ、あるべき(と、僕は勝手に感じてしまう)生育の形から何もかんも外れている火災と暴力の真っ只中から、一体何が芽生えていくのか。
 起こってしまっていることのヤバさが、どう考えても真っ直ぐ健全な魂を育む方向にはいかず、捻じれに捻れた地獄の屈折を、抵抗能力のない子どもに押し付ける結果しか想像させてくれなくて、なんか不屈の救済者ッ面してる大人たち、全員無責任な加害者に見えてしまってなかなか困る。
 屋敷が燃え、目の前で家族が傷つけられるのを目の当たりにして、未だ未成熟な魂にどういう傷がつくのか。
 そこを勝手に想像してしまうのが、あんま良い観劇作法じゃないのかもしれない。

 しかしそういう共鳴を殺してしまったら、曲りなりとも”育児”を主題の一つと選んだ作品に潜る意味も薄くなってしまう気がするし、なかなかに難しい感じである。
 やっぱアレだな…ステゴロも規律違反も出来る超破天荒☆推理装置なダリちゃんに、「お前は最低の屑だ。賢ぶってるが自分で言ってるように、一番弱く大事にしなきゃいけない存在をエゴに巻き込み傷を強要した、最悪のバカだ」と、作中の誰かが告げて欲しいね。
 ダリちゃんが世界唯一の特別じゃない、間違えまくりのポンコツ人間として等身大になろうとすると、周りが殴りつけて”主役”に戻すの、結構不公平で可愛そうだな…。

 

 あれよあれよと屋敷が燃え、遠ざけられていたつもりで最初っからヤバさの間近に置かれていた子ども達が、テロと洗脳と破壊の中心に引きずり込まれて、一体どうなっていくのか。
 奴隷種族の業が炸裂する爆心地から、無垢で弱い存在が守られていて欲しかった気持ちも、一応守るつもりだったボケ親父どもの失態も、飲み込んで状況は転がる。
 こうなってしまったからには、適切な保護を与えられず惨劇のど真ん中に子どもを投げ込むとどうなるのか、徹底的に掘り下げて描いて欲しい気持ちもあるが…子どもらには何の罪もないし、無事に何の傷も受けず戻ってほしい心もある。
 惨劇と奇跡、どっちに転がって欲しいか…自分が分かんねぇな!

 作品に潜って素直に楽しむというより、描かれているものに感じるザリッとした違和感と、先を見たくなる楽しさがどこに流れ着いていくのか、見届けるスタンスに自分が変わりつつあるのを、今感じております。
 このある意味冷笑的な、作品との距離が遠い間合いは多分あんま良くないんだけども、こっからハマれる位置へと自分と物語が戻っていくのか、それとも違和自体を見つめる形へと関係が変化していくのか。
 物語に心地よく溺れていたい気持ちと、どういう間合いに変わっていくのか自分自身を観察する視線もまた、混ざり合いきらず自分の中で位置を探していて、実はこの状況が結構面白かったりもする。
 離人的でシニカルが強すぎて、あんま良くないなぁ…。

 

 

 ダリちゃんは無敵の名探偵なのか、愚かさ極まる幼年期の破壊者なのか。
 ペンデュラムは人命も尊厳もなんとも思っていない鬼畜なのか、誘拐した道具に場を移す”人間”なのか。
 子ども達は愚劣と残酷に歪められる贄なのか、それを跳ね除け健やかに育ちうる希望なのか。

 多分一極には寄らない、入り混じって割り切れない答えへたどり着くことを期待しつつ、今後積み重なる描写の中で自分なり、作品を噛み砕き咀嚼していきたいと思います。
 一ヶ月の断絶もあって、物語を腹に落とすのに結構苦労してるのが正直な感覚ですが、それもまた結構面白いと感じれてるのは、良いのか悪いのか。
 次回も楽しみ!