怪異も祓ったし、日常ラブコメやっぞ!
背中合わせにすれ違う、ギャルとオタクの思いを穏やかに追いかけていく、新章開幕なダンダダンアニメ第5話である。
前回ド迫力の追いかけっこ祓魔アクションで魅せたこの作品であるが、抱えた魅力はそういう”動”だけではない。
全力疾走で駆け抜けたその先、取り戻した日常にもあるクラスカーストの壁、ギャルとオタクを隔てる結界、素直であるという戦いもまた、非常に豊かな”静”の筆先で描かれる。
ぎっちり詰め込んだ速いテンポで展開する、色んな面白さを横断しまくるハイテンションの中、確かに刻み込まれていた心の機微に、どっしり寄り添う話数で大変良かった。
まぁいい雰囲気に煮詰まった帰り道、すぐさまタマがねーだの呪いがどーだので、ゲラ笑いと異常な霊能が溢れ出すムードに、立ち止まらず突っ走っても行くわけだが。
あんだけの大冒険を一緒に駆け抜けておきながら、下向き後ろ向きの陰力に引っ張られてしまうオタクと、どうにも素直に自分の心を見つめられないギャルの、すれ違い触れ合い向き合いの温かみは、確かにしっかり描かれた。
ターボババァとの激戦に既に示されているように、そういう絆こそが、日常の外側にある戦いを生き延びる武器にもなるわけで、穏やかな描かれ方に反して、かなり大事な話数でもあったと思う。
ここら辺の緩急自在、多彩な魅力…やっぱつええわSARU。
というわけで激戦を終えて日常に帰宅したオカルンは、非日常の中で得た絆が自分の勝手な思い込みではないかと、顔を伏せて考え込む。
正門で彼を待つモモちゃんを真っ直ぐ見ず、勝手に「無視が正解」と失礼ぶっこいて、自分を守ろうとするオタクを、ギャルは許してくれない。
学校の中と外を遮る境界線のちょうど上で、伸ばした手が首根っこを掴み、新しい日々が始まる。
…とシンプルに行かないのが、青春の難しいところだ。
自分たちだけの特別な体験、都市伝説と悪霊がタッグくんで襲いかかる大冒険を、一緒に喋って笑って楽しくなりたいのに。
学校という結界の中にに満ちてるノイズは、余計なことを少年少女に考えさせて、二人は相手を思いすぎてすれ違っていく。
F・ソル”魔笛の主題による変奏曲”をバックに、オカルン達が当たり前に過ごす場所の風景、そこに飲み込まれて上手く繋がらない二人の距離を描く演出は、”怪奇大作戦”の傑作エピソードをサンプリングしつつ、ここもまた穏やかな異界であることを告げる。
手に手を取り合い、おんぶまでして命がけで一緒に駆け抜けた、夢のような夜。
そこから生きて戻ってきたからこそ、倦怠を平和に転がしていられる場所で、オタクとギャルの日常はなかなかに交わらない。
それでいいと自分に言い聞かせ、そういうもんだと思い込んで、光の当たる場所と孤独な影、お互いの領域に棲み分けてきた、正反対な君と僕。
それがすぐさま自分に素直に、真っ直ぐ繋がって生きていけるのであれば、子どもたちを激戦の中に成長させていくオカルトバトルなんて、多分必要ない。
霊能大戦とはまた違った難しさが、当たり前に漂う場所で二人を隔てるものが、非日常の戦いの中では消えてくれる。
でもそれが、自分たちだけの特別な答えで、周りなんて…あるいは気恥ずかしさや卑下に囚われた自分自身なんて、関係ないとはとても思えない。
真逆なものを隔てる結界は、オカルト領域だけにあるわけじゃないのだ。
隣りにいるのに探している相手に気づかず、面と向かって喋ってるのにいがみ合ってしまう。
旗から見てればむっちゃ仲良しなのに、口をついて出るのは相手との繋がりを否定し、ギャルだのオタクだの、今までの自分を縛っていた形を守る言葉ばかり。
そういう壁を張り巡らさなきゃ、なかなか生きていくのが難しい、学園生活という檻。
その境界線を前に、オカルンはトイレで気付いた一大事をモモちゃんに告げようとして、レールの結界のまえで止まってしまう。
社交的で明るくて、自分には縁がない人たちが仲良く喋っている場所に、どうしても踏み込めない。
「住む世界が違う」と思い込んでいれば、排除されることも嘲られることもなく、孤独を飲み干せていた。
そんな体験が後押しする自己防衛が、オタクをギャルに近づけない。
それは恋じゃないと自分に言い聞かせて、頑なさで相手を傷つけてでも相手を見なければ、高鳴る心音をごまかせる。
クズ男に散々騙された体験もあって、恋に臆病になってるギャルは、オタクくんに背を向ける。
ここら辺、囃し立てながらも周りの友達のほうが、オカルンの生真面目とモモちゃんの臆病を客観的に見れてて、当事者の方が相手と自分のことを、境界の向こう側に遠ざけて良く見れていない。
まぁ、青春…ていうか人間ってそういうもんだよなぁ…。
モモちゃんの拒絶が、クラスで認識すらされていない最下層のオタクに、他人が向ける態度と同じかもと思い知らされて/思い込んで、オカルンは下を向いたまま賑やかな場所から離れていく。
甘酸っぱいラブコメの気配が、なんとなくの気恥ずかしさ、恋心と裏腹の素直になれなさに殺されていく時、少年の視線は結構シリアスに重たい。
ここら辺の洒落にならなさを、ツンと背けた向こう側でぽっぽ顔赤らめてるモモちゃんは、中々しっかり見れない。
自分を守るための可愛い臆病さが、取り返しがつかない傷を誰かに…あるいは自分自身に、刻み込む時だってある。
ここら辺、なんの気無しの意地の張り合いで悪霊トンネルを侵し、命がけの非日常バトルに飛び込んだ経験が、あんま活きてない態度と言える。
ターボババァの凶行の奥、悪霊になってしまった少女たちの慟哭を知って、何気なく足蹴にしたものがとんでもなくヤバいことだって世の中あると学んだはずなのに、それはなかなか、今までの自分に染み込んでいってはくれない。
奇妙な縁が繋げてくれた、自分の特別になってくれるかも知れない男の子の影を、いつも通りの一軍女子なキラキラで塗りつぶして、見ないまま遠ざけていくのは、いかさま学びがない。
…って、上から賢く切り捨てられるほど、俺も偉くはないけども。
ターボババァの事件は、自力で星子の領域まで彼女たちを引っ張ってきて、倒して/祓って/救ってもらうことで解決を見た。
悪霊が悪霊になってしまうメカニズムを教えてもらって、中々眼が届かない世界の真実を目の当たりにして、倒すべき敵だと思えた相手の真実を知ることで、怪異は真実乗り越えられる。
境界線を慎重に乗り越えて、その奥にあるものを見る陰智(オカルト)の技芸は、果たして日常にも敷衍できるのか。
モモちゃんが誰かを好きになった自分の気持ちに、素直になれる強さを、非日常の戦いの中から学び取ったかが問われる、超絶胸キュンラブコメパートである。
そしてモモちゃんは自分の鏡となる、あやねる声の最悪女子がオカルンにちょっかいかけることで、ようやっと身を乗り出して”本当”に近づいていける。
常人には見咎められない、サイキックの力を非日常から借り受けることで、惚れた相手をバカにするクズにタライ一閃ブチかまし、ギラリと鷹の目で所有権を主張もできる。
恋に憧れ振り回されて、傷ついてまた岡惚れに走る、素直になれないギャルのまんまだったら、踏み込めなかっただろう一線へと、モモちゃんは決意を込めて踏み出し、オカルンがその向こう側へと引っ張っていく。
恋の戦いが身近にあると、気づいたモモちゃんの眼光が好き。
アイラのイヤムーブが、モモちゃんに自分が何しでかしかけたか思い知らせるの、かなり好きなんだよな。
オタクくんからかって嘲笑う醜さを、彼女が客観視させてくれなかったら、オカルンは自分が会話するの恥ずかしい存在だと”また”思い知らされて、クラス最底辺の泥に沈んでいったわけで。
まだまだ頭に血が上った素直になれなさで、青春街道を爆走する暴れ馬だけども、ここで自分の外側にあるものに反射してる自己像を、ちゃんと見れる視力を得つつはあるのだ。
アタシはあんな、最悪な人間じゃない。
醜悪な鏡像を目の前にして、そう思い直せる賢さを非日常の戦いから学び取って、モモちゃんはちょっとだけ素直になる。
裏腹な鏡合わせは何も、敵対関係だけに存在するわけではない。
好きだからこそ相手の行動を真似る、ミラーリングもまた人間の性であり、素直になれなかった自分を謝る気恥ずかしさを、額に添えた手で覆い隠すチャーミングな仕草は、オタクとギャルで共通だ。
ようやっと複雑な境界を越えて、二人が今の自分達に素直な…つまりは”めっちゃ仲良し”な距離に近づいていくまでの、ありふれて特別な青春の1ページ。
これを凄くじっくり、丁寧に書き綴ってくれる話数で、大変良かった。
ド派手で味の濃い表現と同じくらい、こういう腰の落ちた日常描写、心理表現が冴えているのは、やっぱり良い。
…っていう等身大の甘酸っぱさが、タマ消失の一大事を告げたあたりからぐにゃ~んと歪んで、モモちゃん笑い過ぎ大回転のオカルト時空へぶっ飛んでいくのも、まぁこのアニメでございまして。
怪異の正体見たり招き猫、事件を経て超能力も成長し、悪霊に寄り添う優しさが怪物にあったことを知ったモモちゃんは、可愛いネコちゃんになったターボババァへと、朗らかに微笑む。
人子を呪い殺すことしか出来ない怪異から、主人公に特別な力を与えうるパワーソース、あるいは対話可能な隣人へと、ババァを変えていける壁のなさが、超能力より強いモモちゃんの強みである。
星子やモモちゃんの助けを借りつつ、強敵に走り勝った経験は、変身ダークヒーローとしてのオカルンを成長させてもいる。
ババァと意識を切り離し、その支配を引きちぎって力だけを掴み取ったオカルンが、異能の戦士へと変貌するトリガーが”怒り”なのは面白い。
それは自分を蔑ろにされたエゴからではなく、自分の大事な人を傷つけると脅されたことへの義憤であり、空気扱いされてる根暗ボーイの根っこに、どういうモンが眠っているかを語ってもいる。
呪いの制御にモモちゃんの力を借りずとも良くなったことで、ヒロインにおんぶしてもらってた力関係が変化し、タマはないけど独り立ちって感じだな!
ババァも悪さするための力をオカルンに置いてきて、ようやっと対等に向き合える相手になった感じもある。
悪霊になるしかなかった女の子たちに、世界でたった一人寄り添ったある種のヒーローとしての顔を、モモちゃんが敵味方の境界越えて見た(星子が教えた)からこそ、素直に「タマ落とした」と教えてくれたわけだ。
…いや、マジで一大事だろそれッ! って所で、物語は次回に続く。
アコースティックギターの響きがよく似合う、穏やかな日常はAパート限定で終わり、オカルトに愛されたハチャメチャな日々が、またもや元気に動き出す。
でもそれは、あくまで甘酸っぱい青春の隣、日常と地続きに在る非日常だ。
この相互作用と断絶、アタリマエのことが一番難しいネジレの向こう側に、ターボババァと追いかけっこしてた時よりも更に加速していく物語は、全速で突っ走っていく。
それを導く道標が、オカルンの喪われたタマなのがまぁ、”ダンダダン”という物語ではある。
下世話と純情、日常と非日常の間にある境界線を反復横とびしながら、奇妙で危険な青春は新たな場所へと突き進む。
それをアニメがどう書くのか、思わぬ表現の横幅をしっかり示した今回を見て、更に楽しみになった。
次回もとても面白いアニメを見れそうで、大変に嬉しい。