…まぁアンタだって、あの接吻(未遂)を見た時「あッ…」って言っただろ?
狼の尻尾を踏んだ愚者の行く末を、ハラハラしながら見守る青春サスペンス、小市民シリーズ第13話である。
堂島くんが気を回す色んな厄介に気づかぬまま、あるいは小佐内さんが張り巡らせる警句をウザったく振り払いながら、瓜野くんは新聞部という小さな王国を禅定され、自分だけが特別に知っている共通点を振り回し、称賛を待ちわびる。
そのありふれた特別がめちゃくちゃに危うい事を、狐も狼も思い知らさればこそ、小市民を願って夏に破綻し、この春に流れ着いてきた。
さて、思春期ワクチンの予防接種を受けていない頑張り屋さんの行く末は…である。
どう考えても高3の貫禄と思慮じゃない、堂島くんの正しさは端から見ている僕らには明らかで、その前に立つ瓜野くんには見えない。
彼女にイイところ見せたい、明らかに自分より優れてるけど認めたくない先輩を上回りたい、幼く浅はかで切実な願いに背中を押され目を塞がれ、彼は自分だけが見つけた共通点に酔いしれる。
氷谷くんはその有頂天を微笑みながら肯定し、彼が逆転の一手をスムーズに叩き込める準備をしてくれる。
気持ちの良い肯定に流された彼には、自分を染めてくれる濃口小市民シロップであることを求める小佐内さんの言葉は、なかなか届かない。
…どころか、狼の口に唇を突っ込むことすらする。
死んだな…。
瓜野くんは自分が部長になったという情報を、小佐内さんが知っていることを疑問視出来ない。
堂島くんが彼女のアプローチを色々気にかけ、あえて盲動しないよう心がけていた態度を、「何もしてない」と切り捨てすらする。
智慧者と愚者、小市民と名探偵候補はそもそも見えてる世界が違うし、だからこそ自分を操る色んな意図を引きちぎれない…という話でもあるのだが。
そこを瓜野くん主観の有頂天ではなく、引いたカメラの客観で冷徹に切り取ってくるのが、このアニメの視点である。
ミステリの全体像を照らす良い画角なので、全く持ってアニメで描くには必要かつ的確なんだが、それにしたって容赦のないことよ…。
同時に小佐内さんが結構本気で、影に魂を宿して彼氏に忠言し、表層の芝居を頑張って続け、小市民シロップに染められる毒抜きマロングラッセになりたい気持ちも、鮮烈に描く。
放火の炎を思わせる赤に身を置く彼女は、偽りのない赤心もまたそこに宿していて、しかし瓜野くんは自分に苦い事ばかり言ってくる彼女との、境を愚かに超えていく。
卑屈と謙虚の境目はあまりにも薄く、人徳と成熟なくしては分をわきまえることも難しい。
これもまた青春のありふれた過ちであり、よりにもよって可愛い皮被った本物の獣を彼女にしてしまった瓜野くんが、これから飲まされる致死毒の苦さは、まーありふれてはいないのだ。
それも可愛げと見過ごされるような、青春や人間の未熟や不出来が、どんだけの惨事に結びつくか。
ここの容赦のなさが米澤穂信という作家、一つの特徴だと僕は思っているが、一期ラストにそういう日常の傷を抉って啜る小佐内ゆきの気性を思い知らされた僕らは、レシートを落とし瓜野くんを見下ろすポジションに立った小山内さんの瞳が、極めて残酷に獲物を抉る未来を直感する。
させるように映像の詩学をアニメが編んでいるわけだし、(瓜野くんには知りようもない)推理の材料を並べていくと、まぁそういう未来は容易に推察できる。
そして高校生らしい思い上がりを愚鈍に振り回すクソボケが、超可愛い怪物に踏みにじられる瞬間を、待っていなかったと言われれば嘘にもなろう。
小佐内さんがどんだけ、底知れぬ態度の奥で真摯に小市民に憧れ、獣の牙を収めようと藻掻いていたとしても、獣がその本分をむき出しにする瞬間を、僕ら視聴者は待ち望んでいる。
そっちのほうがキャラが立っていて、小佐内さんらしくて、可愛く面白いからだ。
こういう物語外部からの視線の暴力、青春のアレナで血を流す剣闘士たちを消費する残酷さを、際立たせるエピソードでもあったなぁと思う。
認めよう。
小佐内さんが好き勝手絶頂に最悪だと…俺達は嬉しいっ!
そのトリガーが引かれて、嬉しいやら悲しいやらだ。
狼が夢見たマロングラッセ味の恋は、愚かな接吻未遂で決定的に砕けたのだ。
一方もう一人の獣も己の本性を抑えきれず、目の前に置かれた謎にかぶりつき、同時に別れた同盟相手が本当に世界に火を放っているのか、気にかけて裏を探る。
もっともらしく見える共通点が、自分の願望が勝手に線を引いた幻影なのか、どんだけ確かめても崩れない現実なのか、確認する慎重さが小鳩くんにはある。
自分が見つけた特別な関連性を疑わず、それを証明するために危うい橋を突っ走って狼の尻尾を踏む瓜野くんとは、そこら辺全然違うのだ。
この残酷な対比は、どっしり構えて全体を見てる堂島くんの凄みを、感じ取れてない瓜野くんの軽率にも滲んでいる。
ミステリの主役に必要な資質は、結構多岐に及ぶのだ。
同時に事件は見ても人間見えてない盲点も、彼女の三股を告げてくる相手が誰だったか、モノ見るまで気付けない仕草に露骨に現れてもいるが。
堂島くんが部の立場や自分の栄達より先に考えてしまう、眼の前の人間の苦しさってやつを、小鳩くんは小市民同盟解除しても見れない。
それが狐のサガである。
彼女の裏切りよりも見えてきた事件の全貌に心躍らせ、爽やかな風に乗せて決め台詞を吐く時、小鳩くんの瞳はキラキラと青春真っ只中、何よりも輝いている。
その人非人な嗜好が(一応)彼女(と位置づけられる存在)を置いてけぼりにしている様子は、前回描かれたとおりだ。
彼もまた、小市民ではいられない。




小佐内さんが一方的に甘味を貪る彼女との逢引に比べて、氷谷くんとの昼食は自分を特別にしてくれる切り札含めて食卓に並んで、平らな印象を受ける。
…そう見せて瓜野くんの平凡で満ち足りた(その意義を腐れ高校生らしく当然理解してない)お弁当と、氷谷くんの買ったまんまなパンが対比もされてんだけどさ。
己が特別になれる証たる共通点に興奮し、前のめりになっても窓枠一つ乗り越えられない、奇妙で冷たい距離感を冷静に睨みつけつつ、裸の王様に色んな輩からの糸が伸びている様子を、アニメは丁寧に積み上げていく。
頭が切れて落ち着いた誰かの力を、借りて気に食わない輩をやり込める悦楽は、瓜野くんも彼を嫌う門司くんも同じだ。
堂島くんの推理と態度に乗っかって、ザマァ見ろとばかりに瓜野くんを揶揄する視線の後ろ側、当人は苦い顔で自分たちの記事が何を生み出し、どんな厄介事が降り掛かってくるか…そこに自分が何をしうるかを、苦々しく噛み締めている。
前に出て喝采を浴びるより、より多くの人の平穏を掴み取ろうとする真の小市民気質が、どれだけ得難い気質なのか。
解った上で便利に利用する獣も、分かんないまま乗っかったり反発したりする凡愚も、堂島くんの深慮に寄り添うことは出来ないのだ。
堂島くんは人間が出来ているので、こういう孤高を嘆いたりはしない。
見返りも求めず、相手に恨まれようが自分に出来るだろう最善を尽くし、それが最適な結果に繋がらなかった事実を冷静に鑑みて、部長の椅子に未練なく別れを告げる。
それは瓜野くんが特別な自分を証明するべく、ずーっと欲しかった王冠であり、部活動が自己顕示欲の道具ではないと告げる先達の言葉も、彼の耳には入らない。
まぁ、高校生なんてそんなもんだよね。
そう思いつつも、ありふれたお調子者には致死毒を流し込む作風を考えると、つくづく「あーあ」ではある。
さー瓜野くんの、短い春が来るぞー!




そんな栄光の始まりに、小佐内さんは火と赤心の色をした夕焼けを背負って、最後の忠告にやってくる。
キレーに明暗に別れた彼氏彼女の距離感は、僕らの危惧が杞憂ではないと優しく裏打ちしてくれるが、そんな夕日に照らされて小佐内さんの影こそが、ここでは喋る。
彼女が他人に向けるべき顔を自在に書き換え、あるいは何を考えているか分からない無面目に真意を隠せる存在であることは、これまでのエピソード…どころか、学内新聞を見る後ろ姿にも明らかだ。
様々に色を変える顔は嘘もつけるし、真実を覆い隠しもするが、裏も表もない影は不思議と、真実を告げてくれているように感じる。
この影絵芝居は極めて鮮烈に、小佐内ゆきという少女が僕らが恐れる獣の顔だけを真実とせず、結構ナイーブで傷つきやすい人間味を有していることを、改めて描いてくれる。
衝撃の一期最終回、震えながら告げた報復への怖れは嘘ではなく、だからこそ狼は一切容赦なく全てを利用し尽くして、復讐を完遂した。
そんな獣の牙を覆い隠す、小市民味のシロップであってくれることを瓜野くんに求めて、彼の求愛に応えようとした小佐内さんの気持ちは、僕らに見えているより多分純粋だ。
あるいは”だった”。
顔を合わせれば見えてしまう、自分の知的水準に這い上がってこれない他愛のなさを、疎み飽き果てても。
あるいは年相応の、自分自身中学時代振り回して他人も自分もズタズタにした”特別だ”という思い上がりに、突き動かされて周りが見えないとしても。
それでも一緒に、他人の喉笛を狙い世間を騒がせなくてもすむ穏やかな場所で、苦みを消していきたかった。
嘘まみれの表層が、いつか本当になって欲しかった。
そんな切実さを当然、瓜野くんは見れずに顔のない影として、小山内さんの肩を抱く。
自分が女を組み敷き、上から理解らせる強者なのだと勇み足一つ、致命的な一線を越える。
小佐内さんは火の色の領域から半歩踏み出して、先の見えない暗い場所に踏み込んできてくれたのに、その意義と危うさを考える……以前に、知ることもなく。




かくして口づけはすんでの所で跳ね除けられて、ふわりと軽やかなステップで狼は距離を開ける。
レシートを取り落として、低い位置に瓜野くんを置いて、自分がどんな顔をしているのか切り取られない場所へと沈んでいく。
夕日の中だと、獣の目はよく目立つ。
小佐内さんが自分の忠言を聞き入れず、一線を越えてきた相手をどう捕らえたのか、彼女を知っている僕らは良く推察できる。
…本当に?
小佐内さんが瓜野くんをどう思い、期待し、願って失望したか。
読みうる材料は沢山あって、探るほどに真相は逃げていく。
つくづく、魅力的な謎である。
彼らの青春を俯瞰で見る僕らは、そのミステリアスな底の知れなさと怖さを解っている(つもり)だけど、な~んも見えてない瓜野くんの小市民アイは、眼の前で笑う女の子の知性も恐怖も、全く理解しない。
ここら辺は堂島くんの凄さを分かんないで反発したり、氷谷くんとの隔意に気付けない様子とも共通している。
アニメにまとめるにあたり、瓜野くんの内言は徹底して削られているわけだが、そうして獲得された客観性が彼の罪のなさとどうしようもなさを、同時に画面に焼き付けている感じがある。
自分を特別だと思い込みたい、余りに当たり前な青春を送る少年が、どれだけ名探偵たり獲ないかを、残酷に抉る筆致だ。




んで、名探偵たりうる卓越した知性と状況捜査能力を有した、小市民志願の人非人だけども。
彼女にほっぺツンツンされたあと、ワンテンポ遅れて「ラブラブ彼氏なれあこんくらいの態度をとるよな~」と頭で判断して動いている感じが、短くも的確に綴られていて最高で最悪だった。
小佐内さんがひっそり干渉して作り上げた、彼氏が特別になれる空間にもちゃんと気づいている男二人は、下世話で人間的な学校内醜聞には疎い。
三股の事実を告げられてなお、晴れやかな顔で事件の全容が見えた喜びに髪揺らしてる男は、そらー小市民なんぞにはなれねぇわけよ。
小鳩くんは彼女には見せない己の頭脳を、堂島くんには預けて情報を仕入れ、事件の深奥に潜ろうとする。
かつて縁があった小佐内さんの真意を探りたいという、綺麗な建前に本心がある程度以上混ざっているのも、嘘ではないのだろう。
しかし堂島くんがそうであるように、謎解きはあくまで色んな人の平穏を守るための手段でしかないと、割り切って人間を見る視点は得れない。
ただ知るだけ、ただ解くだけの、生粋のミステリ人間であることに彼自身飽き果てているけど、狐は狐であることをやめられない。
狼が狼であることを、やめられないように。
小鳩くんなりの学習を経て、伝わんねー解んねぇバカに己の賢さを顕示する危うさを、彼は仲丸さんの前で引っ込めている。
そうすることが小市民に相応しい処世術だと、自分に言い聞かせの必死の擬態が、既に破綻しかけている気配は彼なり感じ取っているのだろう。
だからこそ、素の自分でいられる堂島くんとの会話が、切れ味鋭い知性を抜き身のまんま振り回せる瞬間が、爽やかで心地良いのかもしれない。
その異質性に、堂島くんが親身に寄り添ってくれている…わけでもない。
小鳩くんは彼にとっても遠ざけるべき異物で、その在り方は好きにはなれなくて、同時に縁と能力が、彼らを近くに引き寄せる。
フェンスに窮屈に遮られて不自由で、しかしお互いの目をしっかり見れる彼らの春には、濁りや当惑がない。
自分の愛…ってことに、通念上なっているモノを仲丸さんが裏切ってることは、決め台詞を前にサラッと流して良い”春のとまどい”なのに。
世の高校生が世界の全てと夢中になる色恋沙汰は、小鳩常悟朗を養う餌たり得ない。
どんだけ表層を飾っても、謎を解きそう為しうる己の特別さに耽溺する性分は、黙っていてはくれない。
そして瓜野くんよりちょっとだけ鋭い仲丸さんは、小佐内さんより己を飾るのが下手くそな小鳩くんの性根に、ジリジリ感づいている。
そういう、どうしようもない小市民なりの知性と感性と情動に、小鳩くんは敬意も愛情も、愛着も執着も上手く持てないのだ。
そらーまぁ、堂島くんもできれば近づきたくない相手と思うよなぁ…。
その交わりきれなさが、真実獣たちが追うべき”小市民”たる堂島くんを、彼らの答えにしてはくれないのだろう。
参考にするべき、尊敬するべき人間の答えは目の前にあるのに、小佐内さんも小鳩くんも、彼のようになれないしなろうとしない。
そんな全うで人間らしい道では満足できないからこそ、彼らは獣なのだ。
だが赤い夕日の中影が語ったように、人間とやらになってみたかった気持ちも、二人共嘘じゃない。
嘘じゃないのにこんなんだから、余計に厄介なんだけどさ。
というわけで、「狼と狐なりなんとかフツーの高校生やろうとして、一年頑張ったけどいよいよ破綻しそうです!」という、獣たちの近況報告でした。
この段階で小鳩くんが小佐内犯人説に触れてる時点で、それが真実を炙ってないってことはメタ的に示唆されてはいるんだが、では燃え盛る炎の奥には何があって、何を燃やそうとしているのか。
一期では小佐内さんの獣の性根を丁寧に美麗に、画面に積み上げていた筆が、心地よくもさかしまに、色んなモノを撫でている。
それが結実する時、どんな結像が見られるのか。
秋後半戦、とまどう春を越えての次回が、とても楽しみです。