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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

バッテリー:第11話『二人の春』感想

アニメ バッテリー

かくして時はめぐり、人生という物語は続く。
アニメバッテリー、最終回です。
原作通り試合の途中でアニメも終わり、巧が何を手に入れられたのかは、明確には描かれない終わりでした。
瑞垣や門脇、戸村の変化と成長は明瞭に描けても、中心にいるバッテリーの描写は周辺を描くしかないのは、『巧の背中を見つけられない』と書き残して物語を終えられなかったあさの先生の筆を誠実に継承したからか、はたまた創作者としての不実か。
アニメ最終回の感想を書きます。

今回、サブキャラクター達の物語と感情が比較的明瞭な収まりどころを見つけているのに対し、巧と豪は己の気持ちをほぼ明言せず、形にならない発展途上のまま、物語を終えたように見えます。
展開自体は原作通りとも言えますが、僕が読んだ限りではもう少し明瞭に巧の変化を原作では描いていて、お話が終わりきらないとしても巧が進んでいく道がどこに続いていくかは、結構分かりやすかった気がします。
バッテリーTVアニメ版は、主人公たちに青春の迷妄を背負わせ、そこに微かな答えの兆しを埋め込む形で終わらない物語を終わらせた、という感じですね。

巧がどういう青年であり、この話がどういう話だったかを読者が決める馥郁たる曖昧さは原作通りなので、直接的な表現をアニメ制作者がしないことは正しいと思います。
元々勝負それ自体や野球の技芸それ自体に注目した作品ではないので、試合の勝敗が明瞭ではないのも問題ない。(”ラスト・イニング”において、そこは原作レベルでフォローされてもいるし)
あまりにみずみずしく残虐な、思春期という季節に切り込んでいくために『バッテリー』を描くことを選んだこの作品で大事なのは、その柔らかい場所に切り込みきれたか、否かでしょう。

アニメ版は『この一球』と指し定めるまでたどり着かず、時にボール時にストライクと才能を荒ぶらせ、巧の場所まで堕ちていく覚悟を決めた豪がそれを決死の鉄面皮で拾う現象だけを追いかけていきます。
お互い向かい合い関係を再構築した横手二中コンビや、複雑な感情を抱いていた『カントク』に「これが俺の生徒です」と自分をさらけ出すことが出来るようになった戸村に比べ、着地点はここですよと支持しない(出来ない)描写だと感じました。
元々語らず理解させる作風でしたが、最終話の『バッテリー』の描写は特にそれが強く、製作者が明瞭に出した答えよりも、視聴者が自力で答えを読み取るような描き方になっていました。


元々『私が受け取ったバッテリー』を主観的に語ることしか出来ない話だと思っているし、アニメもそれを踏襲したので、そんな話を続けます。
僕が『バッテリー』という作品から受け取った印象は、幾年か前に原作を読んだ瞬間の衝撃が深く刺さっているので、そこから離れることは出来ません。
だから当時突き刺さったイメージの話をすると、”バッテリー”はXの形をしたお話だと思っています。

優れた人間性を持つ『良い子』として、未熟な巧を受け止めていたはずなのに、己の凡才を叩きつけられそれでも天才の側に居ることを望んで、人格を摩滅させた『キャチャー』として己を狭く来ていしまう、豪の堕天。
ひねくれた『天才』として周囲を否応なく巻き込みつつ、己の影響力と責任に目を向けることのなかった巧が、思春期の一年を傷つきながら歩いていく過程で、世界と『キャッチャー』に向かい合い、『ピッチャー』という野球装置から人間になっていく昇天。
2つの軌道がお互い惹かれ合いねじ曲がりつつ、しかし決定的に噛み合わないまますれ違ってしまう瞬間を閉じ込めたお話として、僕はかつて、この未完小説を受け取りました。

作品から一度受け取った印象というのはなかなか揺るがないもので、それが豊富なイメージと繊細で的確な描写を伴い、心に突き刺さって抜けないモノならばなおさらのことです。
僕は"バッテリー"が相当に好きで、すでにかなり出来上がってしまっている印象を自覚しつつ、アニメはアニメで別の表現として見ようと、勝手に心がけていました。
描かれるものが僕の好きな"バッテリー"と食い違っていても、傲慢ながら『認めてやろう』みたいな思い上がりを、一応隣において見てきたつもりです。


そういう人間からすると、この終わり方はパーフェクトに僕の中のイメージをなぞったわけではないが、その可能性を確かに共有している不思議な終わり方です。
原作では巧周辺の成長イベントがもっと直接的かつ優しくて、その変化も明瞭だったわけですが、アニメ版はあくまで豪との静かで狭い関係性に的を絞って描かれ、最終回までマウンドという『狭い』世界を疑わずに進んでいきます。
しかし巧に何も変化がないのかと言えば、何かを感じているようでもあり、『ピッチャー』と『バッター』しかいないマウンドをいつか(それこそ次の一球にでも)狭く感じて飛び出すポテンシャルは秘められている。

豪にしても静かに固めた非人間への決意を明言することはなく、『良い子』時代に培った物分りの良さをフル動員して、硬い表情の奥に気持ちを押し隠して巧の球を受けています。
次第に張りを失っていく声と表情には、そういう内面の変化が確かに現れているのだけれども、実際に何を考えているかは明言しないし、象徴的なイベントを起こしてはっきり見せることもない。
それは「俺と友だちになりたいのか」と巧に問われた答えを、『相棒』という非常にさりげない呼称で返すような、穏やかで目立たない描き方です。
アニメ版は思春期の複雑さを描くために取った、曖昧とも豊かとも取れる表現方針を『バッテリー』に最後まで適応し、己すら己を把握できない思春期の霞それ自体を、主役を通じて描こうとしていたように感じました。

それはぶっちゃけ不親切な表現方法だし、スッキリと『バッテリー』の物語を受け取ることは出来ない描き方です。
『読者の想像力にお任せします、無限の可能性を込めました』というのは、物語の重力を支えきれなかった製作者のおためごかしだとも思えます。
だから、僕が勝手に読み取ったものを胸を張って唯一の真実とはいえないし、そういうお話でもないと思います。(何しろ終わってないんだから)

その上で、お話の真ん中にあった『バッテリー』の未来はおろか、現在すらも春の霞のなかで朦朧と描いた今回は、結構面白かった。
僕が受け取った僕の中にある"バッテリー"とも、文庫本の形で浮遊している"バッテリー"という客観とも違う、独自の解釈として僕は好きです。
そらー原作の曖昧さを受け止めた上で、アニメ独自の読みを胸を張って提出し豪と巧の物語にアニメなりの決着を付けて欲しい気持ちははっきり強くあるけれども、同時によりにもよって主役二人に青春と未完の原作の曖昧さを背負わせる描き方は、好きだしアリだと思いました。


青春の曖昧さをまるごと背負った主役コンビに比べ、横手二中の天才・凡才コンビは結構いいポジションに来ていました。
瑞垣が作中最高の面倒くさい男なのはみんな知っていますが、振るわれた暴力をきっちりノシつけて返すことで、青春すごろく一丁上がりみたいな顔した門脇の思い上がりをぶん殴ってやる思いやりとか、過去最高にめんどくさかった。
『勝手に俺の中身を見きった顔すんな』という苛立ちも本物なんだけども、愛していればこそ憎み、憎んでいても離れられない門脇秀悟が人間として間違った場所に行くのを、座してみていられない情の深さも篭った拳だったと思う。
黙って座っちゃう豪ともまた違う、凡才なりの天才との向き合い方は、最後まで面倒で最高だった。

今回三年コンビのお話がしっかり収まっているように感じるのは、瑞垣の片思いが実は片思いではなかったことが、はっきり判るし伝わるからでしょう。
凡人が天才を眩しく見上げていたように、天才に思える男も親友の背中をずっと見てきた。
巧と豪の間では、思いやりつつ交わらないお互いの視線がしっかり絡み合ったからこそ、門脇は巧だけを見る狭い世界から一歩踏み出して、瑞垣や他のメンバーと一緒にやる『野球』に、試合開始ギリギリで辿り着く。
それは主人公がたどり着けなかった(けれども、たどり着けるかもしれないし、たどり着けないまま迷うかもしれない場所として曖昧に描かれている)、瑞垣と真っ正面から殴り合ったから行けた場所です。

いい年してコンプレックスこじらせた戸村が己を綺麗にしたように、拗れに拗れた三年生二人も明瞭な成長をしっかり演出し、表現していました。
それを考えると、やはり『バッテリー』二人の変化と内面が非常に隠微でわかりにくく、ストイックとも不明瞭とも取れる筆致で書かれているのは、意図的なんだと思います。
原作者が見失った『巧の背中』がどんなものだったのか、あえて答えを明記せず、判断材料だけ詰め込んで終わる。
それはやっぱ根本的な所で不誠実な語り方だとは思いますが、同時に『結末は視聴者の中にある』という高慢に手をかける資格を少しだけ削り取ったような、そんな『バッテリー』の描き方だったと思います。


というわけで、TVアニメ版のバッテリーが終わりました。
具象ではなく心象、過ぎゆく季節の中で移ろう少年たちの心を捉えて、語りきれなかった作品のアニメ化として、踏み込みきらない筆で輪郭を切り取っていく描き方は、僕にはしっくり来る描き方でした。
あの季節の子供だけにある繊細で身勝手で残酷な、だからこそ真剣な心の震えは、ちゃんと切り取られていたと思う。

そこに重点した結果、ストーリーとしての軸に欠け、判りやすい足場がなかったとも言えるけれども、クソ面倒くさいガキどもが傷つけ合ったり何かに気付く表現の繊細さが、僕には足場になってました。
『雰囲気アニメ』ってあまりいい文脈では使われないのだけれども、少年自身を明瞭に描くのではなく、その周辺の空気とモヤを切り取り、視聴者の解釈を必要と(もしくは可能に)したこのアニメには、的確な評価な気がします。
色々と考えたり感じたり、思い出したり思い直したり出来る、いいアニメだったと思います。

まぁこれが『信者』の欲目だってのは自覚してるけども、しょうがねぇじゃん俺"バッテリー"好きだし、好きだってこのアニメ見て心の底から思い出されちゃったんだから。
そういう気持ちが呼び起こされる、良いアニメ化でした。
お疲れ様でした、面白かったです、ありがとう。

B-PROJECT 鼓動*アンビシャス:第12話『BOYS BE AMBITIOUS!』感想

アニメ B-PROJECT 鼓動*アンビシャス

トンチキネタと地道なお仕事ネタの二刀流で突き進んでいたグループアイドル風雲録、最後はパワーだけで押し切る怒涛の最終回だよ!
二回に渡り場面に出ないことで存在感を高めていた夜叉丸さんが、夜叉のスタンドを出し、主人公への濃厚な憎悪を叩きつけ、虎の子のアイドルに嘘ついて私欲の道具に使う唐突にド外道ゴミ人間にジョブチェンジする話でした。
あまりに夜叉丸さんのネタを突っ込んだ結果、アイドルは束で行動し束で決断してシーンを極限まで省略する羽目に……その上で、夜叉丸さんのネタは掘り下げきれてないし、決着も全然ついていないという、相当にブン投げてぶっ飛んだ最終回となりました。
正直色々気持ちがまとまっていませんが、まぁ書きながら整えていこうと思います。

夜叉丸さんが最後のハードルとして立ちふさがる展開も、急に顔を出した濃厚な憎悪も、ガルフジェットから一切の防護無しで飛び降りてくるアイドルも、自分はあんま意外だとは思いませんでした。
二話夜叉丸さんをお話から外すことで、疑念と期待をドンドン膨らませ、衆目を彼に集める話運びは巧く機能していたわけですし。
そして強引なトンチキ要素を含んでいるから面白いアニメだったし、理屈を蹴っ飛ばしパワーで押し切るスタイルは凄く好きです。
ロジックよりも勢いが優先する展開も、核となる部分を壊さないのなら『あっはっは、ばっかでー!!』と笑いながら楽しめたとは思うのです。

しかし前々回、夜叉丸さんが怪しい動きを始め、姿を見せないことで存在感を強めた当たりから、『トンチキな要素がありつつ、アイドルお仕事モノとして地味に達成感を積み上げ、主人公とボーイズが小さな絆を積み上げる話』としてまとまりそうだった風呂敷が、別の方向に膨らみ始めました。
今にして思えば、裏方だった夜叉丸さんをラスボスに仕上げ、彼を乗り越えることでお話をまとめ上げるための前フリだったわけですが、最終話で話の風呂敷をとにかく広げる方向に行った結果、すべての展開が駆け足になり、個別の要素を拾えなくなってしまいました。
夜叉丸さんがラスボスなのは良いとして、その動機は何なのか、果たしてそれが真実なのかを確認する余裕は一切なし。
つばさを追い込むために状況は超速度で悪化し、それを生み出しためにアイドルたちは非常に物分り良く、夜叉丸の嘘をそのまま信じて軟禁され、ファンのために、自分たちのために作り上げてきたステージを蹂躙されるまで唯々諾々と見ているだけ。

超展開として楽しめる勢いは確かにあるんですが、同時にあまりに急激に事態を勧めすぎた結果、これまで一応描いてきた(と僕は思っているし、そこがBプロの好きな部分でもあった)『職業としてのアイドル』の地道な魅力は、すべて押し流されたと僕は感じました。
ああいう(あんま好きな言葉ではないけれども、あえて使います)『雑』な展開を最後の最後に持ってくることで、これまでアイドルとつばさが身を置いていた地道な仕事の世界、小さな努力と信頼を積み重ねて、それがちゃんと返ってくる世界のリアリティも、一緒に壊れてしまった。
僕は目の前で繰り広げられるあまりの急展開をそう受け取ってしまったし、そうなった以上、無人のドームにアイドルたちがオチてくるラストシーンも、現実なのか幻影なのか判断しきれない、あまりに不安定な状況に追い込まれてしまった。

一応、アイドルとの疑似恋愛を含むこのお話のジャンルからすれば、あそこはこれまで主人公と培った愛が夜叉丸の欺瞞に勝ち、すべてを吹き飛ばすほどのステージが実現しました、というシーンなんだと思います。
でも、それを説得的に描くためにはこの最終回はあまりに急だし、あまりに沢山のものが説明されていない。
説明しないのは作品の味だとして、少なくとも僕には説得力のある描写として届いていない。、
あそこでアイドルたちが降りてくる決心に、とても納得できる流れではない。
ぶっ飛んだ展開をしたことそれ自体ではなく、お話をまとめ上げるラストシーンを信頼しきれない話運びになってしまったこと、あそこであまりにも都合のいい大団円が訪れるとつばさを、アイドルたちを、この話自体を信じられない展開になってしまったことが、僕は凄く残念なのです。


僕が身勝手にもそう感じるのは、アイドルたちの豊かな個性がほぼ描写されず、『B-PROJECT』という群体としてしか彼らが行動せず、決断しなかったことも、大きな理由です。
類型的な記号を背負いつつ、これまでのお話でアイドルたちが見せた表情には、個別の体温や価値観がしっかりあって、そこもまた、僕がこのアニメを好きだった大きな足場でした。
しかし最後の最後で、彼らは『B-PROJECT』という記号以外何も背負わない、のっぺらぼうの集団として、夜叉丸の無理筋を全部飲みこむほど愚かになり、唯々諾々と四日間も監禁され、その間にステージはぶち壊しにされ、抗うこともなくガルフジェットで高空まで運び上げられてしまう。
確かに成層圏からライブ会場まで落下してくるのはBプロ『らしい』クライマックスですが、そのために犠牲になったものを考えると、素直に大笑いするのは僕にはちょっと無理でした。

大きな無理を通すためには、その展開に従いつつも、個別のキャラクター『らしい』反応を合間に挟むことが必要だと僕は思います。
例えば誰か一人、夜叉丸の言動に疑問を挟むとか、軟禁から脱出する意思を見せるとか、ファンを心配するとか、そういうシーンがちょっとあるだけで、『B-PROJECT』という群体は個人の意志を持つ『アイドル』になれたと思うのだけど、怒涛の展開に押し流されてそういう余裕は今回、一切なかった。
話の都合に押し流されすぎた結果、アイドルたちが自分を支えてくれるスタッフやファンを顧みない悪い意味でのバカに見えてしまったのも、非常に残念なところです。
それは最終話にあまりに詰め込みすぎた露骨な弊害であり、これまで魅力と感じていた部分が最後の最後で果たされない、僕には残念な要素だったわけです。

僕が気になる要素は、夜叉丸さんの不在のネタばらしを最終話一回でやったこと、展開のスクリュー加減に対して尺が足らなすぎたことが、大体の理由でしょう。
もう一話尺があって、『夜叉丸さんが悪い人だと判る』展開と、『夜叉丸さんが生み出した障害を乗り越える』展開がそれぞれ倍だったら、お仕事として地道に積む描写も、アイドルそれぞれの個性も、魅力的な超展開の中に仕込めていたと思います。
ラストのライブも笑いと熱さの混在した、アイドルがつばさと繋げた絆の証明として、僕に作品が手向けてくれた現実として受け取ることも出来ていたと思います。

しかし実際に僕が見たのは、急展開を優先するあまりあまりに詰め込まれた最終話であり、自らの手で(僕が身勝手にそうだと認識した)作品の魅力を損なう、残念な終わりでした。
それを生み出した話数不足が、巧く畳めそうな風呂敷を思いっきり広げてロケットで飛ばすシリーズ構成に由来するのか、実写特番を挟むスケジューリングにあるのか、はたまた他の理由があるかは、さっぱり判りません。
気楽な視聴者の立場からは色々推測も出来るし、勝手に酌量することも出来るけれども、同時に目の前に出された物語が全部だという気持ちもあります。

ともかく僕の心の中の事実として、おそらく強引だけど真心のある展開として描かれただろうラスト・ライブは、すべてを失った主人公の絶望が生み出した、幻影としても写ってしまった。
そういうズレが生まれてしまったことは、すごく残念で哀しいことで、不幸なことかなぁと正直思います。
最後の最後で、主人公も、アイドルたちも、彼らがいる世界も、作品それ自体を信じきれない状態に僕がなってしまった、ということだから。
強引な展開をネタとして飲み込ませる腕力と、細やかな描写のバランスが好きだっただけに、最後の最後でその天秤が一報にふれ過ぎてしまったこと、それで良しとして実際に映像が流れてしまったことは、寂しいことだなと思いました。


『男性アイドルアニメなんて、所詮ネタ』『雑に供給される欲望充足装置に、なに真っ当なお話なんて夢見てんだ』と、ニヒルに距離を取ろうとする自分も、僕の中にいます。
でもそれは、このアニメが好きだったからこそ結構ダメージを受けている自分が、痛みを紛らわそうと言っている負け惜しみだと、僕は思いたい。
僕は結構真剣に、このアニメのネタな部分も、地道でシリアスな部分も、そこで描かれたアイドルたちの人格も、つばさと作ってきた絆も、好きだったわけです。
だからこそ、己でそれを損なった(と、僕は受け取った)終わり方は残念だし、辛いです。

後一話あれば、僕が感じた違和感と寂しさはちゃんとケアされて、いい具合に楽しめる最終回だったのかなぁと思わなくもないですが、事実としてこのアニメは13話ではなく12話です。
好きなアニメだし、好きなままでいたかったけれども、胸を張って好きですとは、今は言えなくなってしまった。
そういうことは世の中には沢山あるんでしょうが、それでもやっぱ寂しいなと書いて、感想を終わりにします。
お疲れ様でした、ありがとうございました。

91Days:第11話『すべてはむだごと』感想

アニメ 91DAYS

復讐苦いかしょっぱいか、口をつけたら飲み干すしかない毒酒の盃、虚無と破滅のラスト一個前。
コルテオの幻影に支えられつつ、己の命すらも道具として使い潰すアヴィリオの虚無が、『ファミリー』を食いつぶしていく話でした。
最高の舞台でガラッシアの頭を潰し、何がどうひっくり返ってもヴァネッティがすり潰されるしかない未来を確定させ、『家族』を奪われた意趣返しをする。
奪って奪われて、殺させて殺して、その先に何があるのか……それはアンジェロが最初から言っていたとおり、なんにもないです。
すべてのむだごとを剥ぎ取った虚無の果てに、二人の兄弟は何に辿り着くんでしょうね。

正直、劇場を舞台にしたクライマックスは最終回に持ってくると思いましたが、ラスト一個前にオペラハウスの虐殺が来ました。
アヴィリオの復讐計画、そしてこのアニメーションが描きたいものが、負のカタルシスを詰め込んだ『皆殺し』の半歩先にあるので、お話としても一手前でカードを切ってきた感じですね。
『みんな死んであースッキリした!! 復讐は虚しいな!!! でも最高にスカッとするな!!!!』というお話にしたいのであれば、あそこまで人間がつながっていく描写は増やさないし、アヴィリオがコルテオ殺しであそこまで壊れることはない。

どんなに空疎でも人間の奥底から溢れてきてしまう情の濃さ、怖さ。
その温もりや条理すら押し流してしまう、『家族』を奪われた事実の取り返しのつかなさ。
考えれば考えるほど虚しくて答えなんて出ないと分かっているのに、それでも考え、思い描くことをやめられない人間のカルマをこそ、このアニメはじっくり時間を使って描いてきました。
その軸にあるのはやはり、復讐の渦の真ん中にいる憎悪の兄弟、ネロとアヴィリオ。
それ以外のキャラクターが次々死のあぎとに噛み砕かれていく今回は、無駄ごとを剥ぎ取って世界をシンプルにしていくお話でもあるのでしょう。


ネロを殺せるタイミングはこれまでも結構あって、そこでアヴィリオが見逃していたのは持ち前の甘さか、はたまた復讐相手全てを取り切れないからか。
これまで何度かそんなことを考えていたわけですが、今回展開された怒涛の計画を見て、全てがしっくり来ました。
ヴィンセントがアンジェロの『家族』を奪った理由は、ガラッシアという大樹に擦り寄ることで『ファミリー』を維持し、なんとか『ファミリー』の名前(それは高名であり虚名でもある)を残すこと。
オペラハウスがヴィンセントの『長年の夢』だったのも、そのこけら落としでガラッシアとの同盟関係を喧伝することで、彼が沢山のものを犠牲にして守ろうとした『名前』を守れるからなわけです。

そんなヴィンセントの夢(それは対立してても同じものを守りたい『ファミリー』の一員であり、理屈関係なしに愛している『家族』でもあるネロの夢でもある)を、最高のタイミングでぶち壊す。
復讐者としてではなく、ヴァネッティの『ファミリー』として外交特使を努めてきたアヴィリオがガラッシアの首を取れば、巧く話をまとめられたロナルド殺しのときとは違い、ヴァネッティとガラッシアの全面抗争は避けられない。
そうなれば、嵐に踏み潰される雑草のごとく、田舎町の木っ端マフィアは消し飛んでしまうということは、これまで何度も強調されてきました。

復讐相手のクソマフィアどもが愛し、守りたいと願った『ファミリー』、『マフィア』という生き方それ自体を、最高の舞台だからこそ演出出来る最高の復讐でぶち壊す。
これを狙っていたからこそ、アヴィリオはヴァネッティに滑り込んで地位を確保し、ガラッシアにヘッドハントされるほど関係を深め、親友を生贄に捧げてまで立場を守ったわけです。
ヴィンセントではなくガラッシアを取る『詰めろ』を成り立たせるためにも、顔を繋いで印象を良くしてきたんだろうなぁ……アヴィリオ、ほんと知略に関しては悪魔のごとしだな。


しかし、そこまでして積み上げた復讐は、アヴィリオにとってもはや『むだごと』でしかない。
アンジェロが本当に欲していた『家族』は自分の手でぶっ殺してしまって、その矛盾に耐えられないから大量のアルコールと、コルテオの幻影に逃げてまで、目標を完遂しようとする。
でも、どれだけ無残な『殺し』を積み上げたとしても『家族』が帰ってくるわけではないし、ネロと新しい『家族』になる道も、『殺し』の道から離れてコルテオと『家族』として生き直す道も、自分で閉ざしてしまった。
アンジェロがアヴィリオになった瞬間から約束されていた虚無が、『復讐まさに為る』というこの瞬間グッと全面に出てきて、仇本人だけではなく『ファミリー』全てを飲み込んでいく今回の展開は、おぞましいほどのカタルシスがありました。

『ファミリー』を守るためには親兄弟でも殺さなきゃいけないし、その後悔を体の中に溜め込んで表には出せない『マフィア』の矛盾。
これはフラテを手に掛けた後のネロも、テスタを消した後のヴィンセントも、そしてコルテを殺した後のネロも苛まれた、情と『殺し』の相反です。
けして癒やされることのないその裂け目を、みんな目の下にくまを作り、酒と空疎な義務感に逃げ込みながら見ないようにしてきたわけですが、魂の深奥まで届く痛みは、最後の最後で牙をむき出しにしてきました。

ネロが真実を言い当てていた(まぁその裏にはネットリした嫉妬があるんだけども)バルベロの提言を受け入れず、結果全ての破滅を呼び込んでしまったのも、アヴィリオという新しい『ファミリー』への情が根底にある。
第4話で同じ釜の飯を食って、生死の境を生き延びた『兄弟』だからこそ、その虚無に気づきつつも『俺がアイツに生きがいを与えてやる』と、あまりに見当違いな優しさも見せてしまう。
しかしアヴィリオの『生きがい』とはネロの死含む復讐であり、『ファミリー』として出会った二人はけして生きて『家族』にはなれない、情が形を結ぶことはない『むだごと』の関係でしかない。
このすれ違いと虚しさはじっくり積み上げてきたものであり、悪人どもがバッタバッタ死ぬオペラハウスの虐殺に、皆殺しのカタルシスを感じつつ虚無感のほうが正しく強いのは、巧く狙った所を射抜ける構成に仕上げたなぁと感じました。

息子と同じ『ファミリー』への情からアンジェロの『家族』を殺し、ガラッシアに娘を差し出してまで『ファミリー』を生き延びさせようと願ったヴィンセントの情も、今回色濃く描かれていました。
病身のヴィンセントが過去を後悔するシーンは、この『マフィア』も他と同じく情の人だったのだという確認と、『今更何言ってやがる……』という虚しさが同時にこみ上げてくる、哀しいシーンでしたね。
あそこで『家族』が同じ気持ちで『殺し』を積み重ねてきたカルマが見えるからこそ、最悪の形で精算を迫れられる後半の展開が、底意地の悪い快楽と虚しさに満ちてるんだろうなぁ。

人殺し共の自業自得でもあり、同時にそこには否定しきれない情もあり、どうにもやりきれねない虚しい味わいこそがこのアニメの醍醐味であり、それはアヴィリオが捧げていた『法無き天国』の兄弟盃に、一番良く顕れているかもしれませんね。
『アイツの虚無を満たしてやりたい』と願ったネロの兄弟盃をはねのけ、幻影と盃を交わすアヴィリオの姿は、コルテオを殺すことで最後の一線を越えてしまったアヴィリオの現在を痛ましく活写していて、鋭い切れ味がありました。
主人公なんだからもうちょっと救いある感じで描いていいのに、まずガンゾ目線で虚無を描いてからアヴィリオの主観で描き直すことで、アンジェロが浸っている温もりがどうしようもないほど幻で、不快感満載の悪い酔いだって叩きつけてくるのは、正しくシビアで素晴らしい。


そんな因縁の子供たちが正面から対峙する状況を作るべく、今週はバッタバッタと人が死にました。
アヴィリオが直接取ったタマは特に濃い感情もないデルトロとガラッシアで、濃厚な因縁のあるバルベロもヴィンセントもガンゾも間接的に死んでいる展開も、いい具合に虚しさを加速させていました。
直接手を下すかどうかが問題になる段階は通り越して、復讐の虚無だけをアヴィリオが受け取る形ですね。

冷静な参謀役の仮面を引剥して、濃厚にヒスった櫻井孝宏を堪能させてくれたバルベロくんは、今週もすンゴイ濃厚な嫉妬マシーンでした。
そういう意味では、彼もまた情の男だったわけだ……徹底してるなぁ。
完全に私情で目が曇ってるんだけど、状況分析自体は非常に的確で、ネロより遥かに真実に近い位置にいたって皮肉、このアニメらしくて好きよ。
ガンゾ叔父貴が獅子身中の虫だってことまで見切れていれば、また別の道もあったんでしょうが……そういうままならなさも引っくるめて、このアニメの味か。

裏でガラッシア革新派と繋がってたガンゾの叔父貴でしたが、手駒にしていたはずのアヴィリオを最後の最後で測り間違い、見事な犬死を遂げました。
描いた絵と実際張り巡らした陰謀を考えると、結構大した人なんだけどな……そういう人が作中一番ゲスい私欲で動いているところも、ツメ間違えてあっさり死ぬところも、作風に合ってて好きです。
叔父貴はアヴィリオをお話に引き込む上でも、彼の危うい綱渡りを私欲込みでアシストして成立させる意味でも、他のキャラの情を際立たせる俗物としても、いい仕事してくれるキャラだった……迷わず地獄に行ってくれ。

バルベロにしてもガラッシアにしてもガンゾにしても、アヴィリオの虚無を測り間違えて死んでる感満載なので、最後の勝者ッ面で擦り寄ってきたストレーガもろくなことにはなんないんじゃねーかなと思います。
親の共存路線をヌルいと切り捨てて、カリスマ性と才気で己を証明しようとギラついているって意味では、正しくネロのシャドウよねこの人。
ネロとアヴィリオの長く続いた因縁が来週収まるわけですが、サクサク人が死んだ中で生き残ったこの人が、終幕のキーマンになるのは間違いないでしょうけども、どう使うのかしら、楽しみだわ。


そんなわけで、そもそも虚しかった『マフィア』と『復讐』の本質が、虚栄の舞台で剥き出しになるエピソードでした。
『復讐は虚しい』『殺しは悪いこと』って題目はみんな見知っているわけですけども、それを上から目線で説教するのではなく、むしろ逆の位置に主人公を据え泥の中を這い回らせることで際立たせる作りは、誠実で倫理的だなぁとつくづく再確認させられました。
ホントねー、凄まじく虚しいんだけれども、その虚しさを確認するために見続けてきた部分あるしなぁ……でも何か『実』みたいなものを手に入れたくもなるし、そんなの望んじゃいけないテーマでもあるし、苦くて甘いいいアニメだ。

『むだごと』を剥ぎ取る過程でバッタバッタと『ファミリー』が死に絶え、舞台に残っているのは復讐の兄弟と、新たなる才気のみ。
この役者たちをどう使って、これまで描いてきた血まみれの酩酊にケリを付けるのか。
91Days最終話、すっげー楽しみです。

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない:第26話『ジャンケン小僧がやって来る!』感想

アニメ ジョジョの奇妙な冒険

ここ一ヶ月くらい血まみれ腐れ連続殺人鬼の話ばーっかりやってたアニメ、今週は漫画史上最も『圧』のあるジャンケン。
息子のケアを欠かさない二次元親父の導きで力を手に入れた少年が、死ぬほど大人気ない大人と本気のバトルを繰り広げるエピソードでした。
ぶっちゃけ作画はところどころ面白くなってたし、演出もどっかヌケてる感じがしたたけども、どんどん意味の分かんない勢いを加速させていくジャンケンバトルは期待していた圧力がちゃんとありました。
『ボーイⅡマン』の名前通り、悪の誘惑に晒されつつ勝負の果に魂の輝きを手に入れ、『再起可能』で終わる少年の成長劇としても好きだなぁ。
血腥い展開が続き四部中盤、一服の清涼剤のようなお話でした。

今回はほぼ坂本千夏VS櫻井孝宏の『凄み』劇場でして、どんどん大げさになっていくジャンケンバトルを快演とともに楽しませてくれました。
たかだかジャンケン五本勝負なのに『フォーム』とか『悪運のグー』とか『下り坂』とか、なんか圧力のある単語がどんどん出てくるし、何故か凄い高さにジャンプするし、『よく分からんが、なんか凄いのは判る』というトンチキ加減が最高でしたね。
ここ最近手だけ切り取って死体を証拠隠滅したり、血まみれの連続殺人鬼が逃亡を図ったり、どす黒い話ばっかり続いていたので、ジャンケンでここまで本気になれるバカバカしさが、むしろ嬉しかったりもする。
こういう形で『日常』と『非日常』が交錯するのも、杜王町の魅力だと思うわけです。

しかし追い詰められたジャンケン小僧が静を人質に取ったことからも判るように、いかにトンチキバトルでも人倫を踏み外し、『悪』に落ちていく可能性はスタンドが絡めば必ずある。
今回のバトルは実は第3話で億泰が戦ったような、もしくは第19話でしげちー達が踏み込みかけた、スタンドという『非日常』の力をどう制御し、どう使いこなすかの分水嶺でもあったわけです。
露伴ちゃんが善人だからジャンケン小僧が道を間違えなかったわけではないでしょうが、思わず金色のオーラが出るくらいの『凄み』で迫り、小僧に芽生えた『負けたくないッ!』という気持ちを正面から受け止めてやったからこそ、彼は静を地面において『ジャンケン』をすることが出来た。
敗北した後魂の自由を求めて死を臨んだ『凄み』もそうなんですが、ただの笑えるエピソードの中にキラッと魂の輝きを入れ込んで、『弱い』人間がどうすれば『強く』なれるのか、きっちり描いているのがジョジョの凄さだと思います。


僕は原作からしてこの話が好きなんですが、それは小僧のスタンド『ボーイⅡマン』の名前のとおり、『少年が少し大人になる』成長のドラマが、このトンチキじゃんけん劇場にあるからです。
小僧は露伴ちゃんのことを憎く思っていたり、侮っていたりはせず、むしろ尊敬できる強い存在だからこそ打ち勝ち、己を証明したいと願っている。
たとえそれがジャンケンでも、『強い』存在にぶち当たって己の『弱さ』を乗り越え、自己の証明を刻みつけたいという熱い思いは、青年だからこそ抱ける純粋な思いです。

実際小僧は露伴ちゃんとの限界ギリギリバトル(ジャンケン)を通じ、急速に『凄み』を身に着け知恵を付け、『子供から大人へ(Boy to Man)』成長していく。
ここら辺の変化を、坂本さんが見事に演じてくれたのが素晴らしかったです。
それは小僧の魂が黄金であることを示すと同時に、試金石として立ちふさがり、憧れと戦意を受け止めはねのけた露伴ちゃんの魅力にも繋がるわけで、お互いの魅力を引き出す良いマッチアップでした。
ジャンケンなら血とか死人とか、あんまでねぇしな……硝子の破片で手を切ったし、ともすれば小僧か静が死んでいたけど。

小僧の純粋なアドゥレサンスを時に斜めに、時に正面から受け止めることで、露伴ちゃんも魅力を増していたと思います。
ガキに勝って大笑いするわグーで殴るわ、相変わらず性格最悪ですが、『子供から大人へ』脱皮した魂の価値を認め、勝負を支配していた『運』で華麗にダメ押しの一発を入れてくるラストが、凄く爽やかで良かったです。
まぁそこに至るまでに腐れインチキぶちかましてはいるが、最初にブラフ使ってきたの小僧だしな……そこまでひっくるめてのジャンケン勝負ッッッ!! ということなのだろう。

静を地面において卑劣な方法に背を向け、『男と男』の勝負に挑んだ段階で、小僧の未来は開けているわけで、そこで露伴ちゃんが『再起不能』にしてしまってはどうにも収まりが悪い。
ジョジョでは定番だった『再起不能』をちょっと崩して、『子供から大人へ』への可能性に満ちた『再起可能』で〆る今回の終わり方も、このエピソードが好きな理由です。
吉良が顔を見せて以来血腥い展開が続いたからこそ、バカでお間抜けで意味分かんなくて、でも『人間なかなか捨てたもんじゃねぇな』と思える話が、少年の可能性を信じる終わり方で〆られてるのは凄く胸に来るんですよね……作画ヘロヘロのバカエピソードだけどさ。
吉良のどす黒い殺意と笑いだけではなく、今回のようなアホな『凄み』と可能性も内包しているからこそ、四部はいろいろあって面白いと思えるんだなぁと、再確認できました。


そんなわけで、トンチキボーイが『男と男』の勝負を経て、成長の階段を一歩登るお話でした。
アニメになって見るとマジで空飛ぶ意味とか脈絡とか一切なくて、この唐突さで視聴者を飲み込んでしまうパワーこそ、やはりジョジョの強さだなと思い知らされる。
最初いやいや付き合ってた露伴ちゃんが、ドンドンスタンドバトルの文脈でジャンケンを捉え始めて、単語の選び方に『凄み』が混ざってくる流れがマジ面白いですな。

ほいでもって来週も、殺すの殺さないのからちょっと離れたエピソード。
俺ァ四部の日常コメディな部分が特に好きなんで、こういう話は大歓迎ですな。
原作の持ってるストレンジなテイストをどれだけアニメに落とし込んでくれるのか、今から楽しみです。

 

クロムクロ:第25話『鬼の見た夢』感想

アニメ クロムクロ

クソ異星人との最終決戦も終わって全てが平和になったんだー!! とは行かない、クロムクロラスト一個前。
このまま大団円では話数余るなぁと正直思っていたが、宇宙大決戦は起きてるは最後の敵は人間だわで、一気に転がりすぎだろ正直!!
富山の土着性と結びつきつつ描かれた、『異人』が受け入れられる世界の優しさが好きだっただけに正直衝撃を受けていますが、まぁいつものごとく、書きながらまとめていこう。
まぁ誰が『鬼』で誰が『人間』か、この話で一気に曖昧になったな……。

というわけで、敵の本丸をぶっ潰し当面の敵がいなくなった地球。
これまでの暖かな空気が全て嘘だったかのように、人類は超技術を求めて策謀を深め、『戦場』で絆を深めたはずの『異人』たちは実験動物扱いされる。
これまであまり描かれていなかった部分だけに衝撃でしたが、エフィドルグの技術を考えると納得できる部分もあり、それにしたってヒデーよマジと思う部分もあり、複雑な感じだ。
『戦場』が開放された象徴としてレンブラント光が差し込むところから始まって、富山の外から『平和な現代』の悪意が滑り込んでくる展開と考えると、なかなか性格が悪い。

勝利したからこそ迫ってきた暗い雰囲気を反映して、洗脳された人には治療法はないし、奴隷労働させられた人も結構死んでいるという、シビアな現実が突きつけられました。
ベスを助けるために洗脳されちゃったリタも実質廃人かと思うと、勝って喜んでばかりもいられないし、そういう世界が待っているなら『鬼』たちへの扱いも少しは納得……いかない。
ホワホワしているようで結構シビアに人死ぬ話ではあるので、今まで考えなくても良かった部分が表に出てきた、という表現が一番正しいのかなぁ。
『人間』であるために『鬼』になったボーデンさんに、おそらく米軍からクソみたいな指令が届く所、それを燃やす炎でたばこを『口に入れようとして出来ない』演出が入るのが、ひどく苦いね。

ここら辺の変化を見せるために、ハウゼン医師とスカリーもどきがうまく使われていました。
ハウゼン医師は元々マッドな人で、エフィドルグと総力戦やってたときはそれも魅力だったんだけど、人間同士で内ゲバやる余裕が出てきた今、それは恐ろしい暴威に変わる。
でもそれもハウゼン医師の一側面だし、野戦病院で人の命を救った彼の行いが、今のマッド・サイエンティストっぷりで消えるわけでもない。
苦くて複雑な味がようよう出てきていて、面白い使い方をされているなと思いました。

国連のインスペクターは途中完全に存在が消えていて、正直『ん? 読み違えたかな?』と思ってもいましたが、剣之介をあくまで『異物』として疑い排除する象徴として、お話に戻ってきました。
ムエッタの説得に耳を貸さないヨルバと合わせて、そうそう簡単には『異人』に居場所を与えてくれない世界のドライさを、巧く象徴していると思います。
由希奈がムエッタに送ったケーキ(『口に入れるもの』)が無残に踏みつけにされるように、みんながみんな、カレーとオムライス食って仲良くってわけにも、行かないもんな……行ってほしかったけどねマジ。


戦争が終わってグッと様相を変えてきたのは、学校の面々も同じで。
美夏の『現実と向き合わなきゃねー』という、ひどくありふれた言葉が、ただの学生連中と『異人≒鬼』とで全く意味合いが変わってくるのは、凄く残酷で残念だ。
進路を考える余裕がある学生の『日常』に、剣之介は接近しつつ同化する権利を与えられなかった、ってことだもんなぁ……。

サムライとして生きて戦い、勝って生き延びてしまった剣之介は、様々な因縁を背負って『学生』ではなく『武辺』としての生き方を選び、ゼルとムエッタを故郷に送り届ける狂気の賭けに出ようとしています。
最後の最後まで自分の望みではなく、他人からの恩義のために『戦場』に飛び込んでいく姿は彼らしいのだけども、あまりにも寂しい。
ただ一人カルロスの『今』を肯定し、『お前の映画は面白いと思った!』と大声で叫んでくれる男が、あまりにも危険な存在呼ばわりされて、死ぬか実験動物扱いされるかしかない『平和な現代』。
そこから彼を遠ざけ、人間として遇する余裕がエフィドルグとの『戦場』を必要としていたのは、なんとも皮肉だ。

そんな彼に寄り添い、運命をともにすることが気づけば当然になっていた由希奈は、愛ゆえの遠ざけられ、ひとときの別れを迎える。
まー『戦場』に鍛えられて、自分のやりたいことをはっきり見据えるようになった以上、剣之介の『分の悪い賭け』に協力しないわけがないけどさ……凄まじい速度で家族と別れる決意固めてるもんな……お嫁さんだからしょうがないか。
これまでじっくりと繋がってきた『武辺』と『普通の高校生』との絆が、一気に断ち切られる展開になってしまったけども、今はそれが無駄なものではなかったと思えるような収め方をして欲しい
と強く願います。
剣之介と別れるにしても、共に進んでいくにしても、嘘のない運びにしてほしいもんだ。

残り二話で一気に話の舵を切り替えてきたので、どう収めるかは非常に気になるところです。
剣之介の『分の悪い賭け』が成功して、エフィドルグ由来の技術を本船ごと宇宙にかっ飛ばしてエンドってのが、ひとつの終わり方かなぁ……『異人』が結局受け入れられない終わりなのは残念だが。
対決するべき相手が決戦に勝てば終わるエフィドルグではなく、人間の複雑なカルマそのものなので、完全なハッピーエンドたぁ行かないだろうしな。
今回意味深にカメラに映らなかった、ソフィ&茂住がどう動くか気になるところだなぁ……。


そーんなわけで、『狡兎死して走狗烹らる』を地で行く、世知辛い展開でした。
そういうシビアさは、例えば逃げ出した由希奈への対応とか、徐々に受け入れられていく剣之介とかで距離をおいていく話かと思っていたんだが、最後の最後で牙を向いてきたねぇ。
しかし無視したり切り捨てたりした部分ではなく、情で包み込んで遠ざけてきた部分ではあるので、ある程度納得は行く。

問題は、残り一話でこの方向転換をどう収めるのか、ってことなんですが……どうなるだろうか。
24分あればなんでも出来る気もするし、これまで真っ正面からは扱っていなかった題材すぎて、調理が難しい気もする。
どちらにしても、一気に油断のならない最終話となった次回。
これまでの物語をしっかりとまとめ上げ、愛すべき武辺者と普通の高校生の行く末を、しっかり描ききって欲しいと思います。