ガルパ履修記録
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
・出勤!笑顔パトロール隊!!
こころがまた変なこと言い出した!
楽器を握らぬバンド活動として、街に繰り出したハロハピ。幼い善意は転がって、笑顔がどんどん大きくなっていく。
そんな、私達の日常。
つ~塩梅の、ハロハピのオーソドックスを描くお話。はぐちゃんが善良で良かった
ガルパにおいて、波風少ない『いつもの』エピは大嵐を前に現状確認というか、崩す前提のスケッチという意味合いが強い…気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
ハロハピの基本形をしっかり追った今回、”今”と同時に”これから”が大事なのかなぁ、とか、勝手に思ったりもする。
ハロハピは音楽を笑顔のためのメディアとして捉えていて、それ自体が目的化していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
ここらへんはRoseliaと対極的…に見えて、友希那が二章以来自意識を改革しまくっているため、Roseliaも音楽を『Roseliaであるためのメディア』として捉えているフシがある。
手段が目的化し、視野が狭まって真実を見失う。Roselia(というか友希那)は第一章開始前にこの状態に陥り、だからこそ強烈な世界観を持ち得た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
一方ハロハピは一生で出会うまで楽器を知らず、メンバーになった花音の笑顔を増進させるために、偶然音楽を選び取ったバンドだ。
双方ボーカルがバンドの中心に立ち、そのキャラクターや方向性を決めているのは共通。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
センター個人の人格が、集団(結束)としてのバンドに反映されるのはどのバンドも同じだが、Roseliaとハロハピは特に色が濃い気がする。
今回ハロハピは楽器を取らない。それは(最上の)笑顔のメディアでしかない
こころは自分が見ている世界の真実を、自分以外に拡大するためにハロハピを選び取っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
あらゆる人が笑顔になって、幸福になりうる世界。『そうは言っても…』という矛盾、障壁が存在しないこころの行いは、根本的に善である。
が、矛盾に満ちた世界で実態を持つには、アダプターが必要になる。
それが音楽であり、奥沢美咲である、ということを、今回のエピソードは細やかに追う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
久々に『常識の通訳』としての美咲の仕事が多く、同時にこころの躊躇いのない善性に魅了され、救われている様子も色濃く書かれる。それは美咲だけでなく、ハロハピ全員がハロハピである理由ともなる。
こころは過程をぶっ飛ばすので、純粋な善意を叩きつけられた相手はかなり当惑する。ここにクッションをかけるのが美咲の仕事だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
ハロハピが社会と接点を持ち、事務手続きやら細かい準備やら、アダプター作業が存外大事なのだと気づきだして、そういう仕事は分担される。そこに悩んだのが二章だ。
今回はぐは駅前のゴミ拾い、薫は花壇の水やりと、非常にオーソドックスな慈善を提案する。社会に受け入れやすく、通訳を必要としない善。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
対し、こころは自分の心の中に浮かんだ個人的な善を、そのまま提案する。クローバーの花かんむりを作るのは、確かに楽しい。同時に範囲が狭く、個人的だ。
メンバーが提案する活動を、こころは片っ端から実行していく。そのリーダーシップ、自分の個人的なヴィジョンへの執着の薄さが、彼女をハロハピの真ん中にしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
こころ自身は、社会と上手く接合するメディアを見つけられない。だが誰かが見つけてきたメディアを、否定することもない。
むしろ本人が見つけられていない真実の側面を、素朴に指摘して加速させる資質が強くある。善に対する直感が極端に鋭く、実行する上でのハードルが極端に低いことが、センター・リーダーとしての弦巻こころの資質である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
そしてもう一つ、幸運と環境に恵まれる『持ってる子』でもある。
衝動に突き動かされるまま進むこころの背中を、世界と結果は急ぎ足で追いかける。そうなるように、彼女周辺の世界は出来ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
その特別さを、こころは自覚しない。それは誰もが持っている笑顔の力で、その普遍性に気づかせるのが自分の(そしてハロハピの)ミッションだと、認識している。
しかし実際、誰もがこころのようには振る舞えない。弦巻家の財力、持って生まれた幸運、色んな意味での壁のなさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
発想力、カリスマ、美貌、実行力。『持ってる』彼女だからこそハロハピの先頭に立って、指揮杖を降ってみなを幸福に導くことも出来る。
では、こころがいなくなってもハロハピは続くのか
ハロハピの『バンド活動』は楽器に縛られない。笑顔が生まれるなら、ビー玉弾きでもなんでもいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
その拘りのなさは、活動だけでなく人員にも及ぶのか。『持ってる』人間だけが、幸福に気づき拡大する特権を持ちうるのではないか。
『持ってる』を強調する今回派、そんな疑問を加速させる。
今回のエピソード(今回も、か)は子供の夢のような、邪気のない展開が心地よい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
ガキ大将のように元気に、たくさんアイデアを出してみんなを元気づけ、いい方向に導くこころ。彼女の幼い思いつきは、誰にも邪魔されず幸福へと転がっていく。
そしてそれは今回だけの特例でもあり、弦巻こころの世界には、幼さで解決できない矛盾がたっぷり詰まっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
そのことを、ハロハピの物語はけして無視していない。こころの見据える世界と、こころ以外が住まう現実。その摩擦こそが、ずっとハロハピの主題であった。
摩擦が極端に少なく、とにかくハッピーに転がっていく今回のエピソードは、その幸福を強調する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
同時に、無視できない摩擦でその歩みが止まった時、リーダーとバンドが違う方向を向くしかなくなった時、何が起こるかを微かに想起もさせる。
それは『弦巻こころ』が描かれ始めた時から、ずっと続く外縁であり、中核に据えて掘り下げられたことがない問題でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
彼女はあくまでモノローグを許されない黄金の獣であり、理解不能であるがゆえにハロハピの、幼い幸福のエンジン足りうる存在だ。今のところは。
こころの資質とヴィジョンに、自分が持ちえない(と思いこんでいる)からこそ憧れる、美咲と花音。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
こころと同じく幼く見えて、しかし一足先に複雑怪奇な世界との摩擦に色々悩んでもいるはぐみ。
実は相当人格が完成されていて、ハロハピから受け取るよりハロハピに与える量のほうが多い善良奇人、薫。
メンバーによってこころと向き合う角度は違うが、『弦巻こころがこの世界にいてくれて、良かった』と思っているのは共通だ。そのことを、皆よく言葉にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
照れ屋の奥沢くんですら、今回は凄くこころを褒める。それはこころが好きな自分を褒めることで、とても好ましい。ちょっと涙出た。
かすかな摩擦を内包しつつ、幸福へと突き進んでいくハロハピ。その日常が穏やかに切り取られたエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
その幸福は僕らが(弦巻こころ以外のあらゆる人が)失ってしまったものを、再獲得させる。では弦巻こころが笑顔を失った時、それを誰が再獲得させるのだろうか?
一生ラストに仕込まれた叙述の爆弾は、チクタク静かに音を立てながら、破裂の瞬間を待っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
その時が来てほしいような、来てほしくないような気持ちが、僕の中にずっしり刺さっていることを思い出させられるイベストだった。
皆幸福で、ますます幸福になってほしい。(ガルパ実篤)
あ、ビー玉ツンツン少年をサンプルに、弦巻こころが自分の哲学をどう”刺す”かが典型的に描かれていたのも、現状確認として面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
とにかくまず、自分たちが楽しむ。そうして生まれる幸福の環(サークル)に入ってくるかは、他人の自主性に任せる。しかし不要な障壁は乗り越えて、働きかけはする
他者との境界線を適切に(あるいは一般的に流通している形で)獲得できていないこころにとって、そのアプローチが最も効率的で、他人を貶めない距離感なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
『あなたもハッピーになりましょう!』とはいうが、強要はしないのだ。幸福の形は様々でも、幸福になりたい気持ちは普遍であるから。
その原形質めいた『こころの中の幼い幸福』と、社会によって個別にシェイプされ、様々に高い障壁が育つ『年経た幸福』との間に、どうブリッジをかけるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
今回問題にならなかったからこそ、三章以降の大ネタとして使ってきそうな予感がある。カテゴリー論なのかなぁ…。
追記 同じモンスターにしても、描かれ方、掘り込まれ方は当然違うよね、っつう話。
しかしこうしてこころの特異性を掘られると、他者性を『面白ーい!』と蕩尽するだけでなく、勝手なイメージ、そこに反射する自己の他者性を蕩尽される”アイドル”に氷川日菜がなったのは、後付にしてもよく出来た運命だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
他人の目に映る”氷川日菜”を、彼女は卓越した知性でよく見る。楽しむ
そこにある無限の距離を、白鷺千聖だけが傍から見て寂しがったり美しく思ったり、その身勝手さが他者性の断絶、そこにかかる虹色の橋を際立たせたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
つくづくガルパは断絶のお話だな、と思う。”アイドル”ならざるこころの視界にある(そしてない)他者性の影は、今後どう揺らぐのか。さてはて。
こころと日菜という、他者性にブリッジを架けない(架けれない、架ける必要が少ない)モンスターを軸足にすると、ガルパは途端にヒューマニティSFの様相を呈してきて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
異星人のように、超能力者のように社会一般の人間定義から外れる存在が、基準を遥かに凌駕するヒューマニティを有する時。
怪物だと排斥するべきか、人間性の定義それ自体を書き換えて、怪物を怪物のままサークルに入れていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月22日
無限の選択肢が取りうる社会の中で、少女たちはたった一つのチョイスに己を預ける。決断を投機した先に交流が生まれ、善が帰ってくる。その多様性と勇気を、ガルパは優しく見ている。そこが好き