イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ALL OUT!!:第3話『一番大切なのは』感想ツイートまとめ

アイカツスターズ!:第28話『ハロウィン☆マジック』感想

涙と笑顔を燃料に天まで届けアイカツロケット、今週は四ツ星学園式万聖節前夜。
初っ端から頭のネジを外した大暴れ回であり、キャラ崩壊ありナンセンスギャグあり、色んなキャラが元気に跳ね回る賑やかなエピソードとなりました。
ハンパに受けを取り入って気まずくなるなら、こんぐらいぶっ壊してくれたほうが、正直楽しめるな……ローラの迷いのない汚れっぷりとか、清々しくすらあった。
取ってつけたようなS4イイハナシとか、小春ちゃんのM4籠絡祭りとか、凄まじいフラグを感じさせるセピア色の写真&モノローグとか、色んな要素を詰め込んだ結果楽しいカオスが生まれたのは、結構良かったです。

祝祭に相応しいぶっ飛んだ話なので、『前向きな成長』とか『物語の積み重ね』とかの綺麗事は全部横において、ネタの火力最重要な展開でした。
トンチキ方面ではローラと真昼ちゃんがとにかく体を張ってくれて、たい焼きのキグルミとかムーンウォークとか空手とか、地味に過去エピの要素拾う崩れ方で頑張ってくれた。
彼女らが思う存分弾けてくれたおかげで『あ、バカ回なんだ!』と分かりやすかったし、トンチキにズレたまま進んでいくおかしみも強くなったので、汚れをいとわない子は偉い。
ローラはあらゆる状況でスポンサーに報いていて、真面目で偉いなぁ……バカだけども。

あんま汚れはしなかったけども、楽しい空気をもともとのキャラと活かして堪能したあこと、最終局面で一気に目立った小春も、いい動きをしていた。
こういう無礼講な話で楽しんでいる姿を見せると、あこが主役たちに馴染んできたと肌で感じることが出来るので、そういう意味でいい話だったと思います。
頭の弱い回は、小難しいロジックを蹴っ飛ばして必要な場面を引っ張ることが簡単なのが、結構強い部分だと思う。

春ちゃんはメガネONメガネの徹底したメガネ防護と、朝日から生々しい性欲を寄せられつつ捌く姿が頼もしく、なかなかいい感じだった。
春ちゃんを香住家が取り合う描写の生っぽさは個人的に好きで、今回も真昼が親友に性欲剥き出しな兄を、ゴミを見る目で見下していたのとか凄く良かったです。
ローウィン・クイーンの称号も貰い、楽しい思い出を写真に収める終わり方自体はいいんだが、今後のことを考えると無邪気に喜べないフラグっぷりなのは、なかなかややこしいな……。


メインを盛り上げる形で脇キャラも切れ味鋭く暴れており、あれだけの大人数捌くには、これくらいネジすっ飛ばして話を暴れさせたほうが、ネタの火力が出ていいなと思った。
何故かギャバンポーズをとる幹部とか、自分たちで『理屈を乗り越える』とか言ってしまう先生方とか、頭弱い展開で強引にいい話にまとめ上げようとすること自体がネタなS4とか、短い手番でピリッとキチガイしてて、面白かったです。
ネタばっかりになってもしょうがないけど、キャラを覚える上でインパクトは大事なのだから、的を絞って使いこなすのは大事やね。

サブが元気だった分、わりと控えめ常識人だった主人公・ゆめが目立たないのは、ある意味仕方ないかな、と思う。
ここでローラ並にキチってたら話が元気になりすぎて、シットリしたオチを小春ちゃんに与えることはできなかっただろうしね。
来週はゆめ&ローラの歌組一年メインになるので、30話にブリッジかけるならこのタイミングしかないしな……。

というわけで、ボケっぱなし矢継ぎ早の展開を楽しみつつ、みんな元気に跳ね回る回でした。
バラエティ豊かに楽しさ重点で行くなら、やっぱこんぐらい狂ってたほうが見てて面白いな。
込められた熱量としても、ネジの外れたトンチキっぷりとしても、いつもと毛色の違う良いスパイスとして楽しめるのが、とっても良かったです。
暴れまくってると思わせて、存外丁寧に過去の要素を拾っているので、楽しい奇行を『キャラクターの意外な一面』として上滑りせず受け止められるのは、とっても大事だね。

ユーリ!! on ICE:第3話『僕がエロスでエロスが僕で!? 対決!温泉 on ICE』感想

スケートリンクが溶けるほど熱い情熱を、美の化身に捧げる日々のダイアリー、今週はついに対決。
ヴィクトルというトロフィーを巡る勝ち負けのドラマはもちろん、フィギュアという表現の可能性、勇利とユーリが持つ選手としての特性、トロフィーであるヴィクトルの圧倒的存在感、彼らを取り巻く人々の表情などなど。
ぶっとい芯を持ちつついろんなものを切り取ってくれるお話で、非常に面白かったです。
スケートの作画力も相変わらず有効に使われていて、ややアニメーションに寄せたダイナミックな表現力が心地よかったなぁ……いいアニメだ、本当に。

今回も色んな所が面白いアニメですが、単純に二人の男が競い合うドラマが冴えていた……とは一概にいえないのが、このアニメらしいスクリュー。
『23歳で世界トップクラスのスケーター』という主人公の設定を活かし、スポ根定番の展開をことごとく外しつつ盛り上がりを作るのが、非常に新鮮でした。
自分に何が足りていないかも、演技の中にどういうストーリーが込められているかも、GPファイナリストである勇利には当然のこととして把握できていて、その上でどういう努力を積み重ね、発見を演技に込めていくかを突き詰めていく展開が、すげー面白かったですね。
白紙の地図に真新しい経験を描いてく時代ってのは勇利にとっては終わってて、既に書き込んである程度充実している世界を変えていくことが、彼の物語なのだなぁ。

一方15歳の若きモンスター・ロシアの方のユーリはまさに白紙の物語でして、優しい人妻に心揺れたり、刺々しさが共同生活の中でどんどん抜けていったり、滝行とともにインスピレーションを受けたり、全体的に初々しく可愛らしいストーリーを背負っていました。
最初キツめの当たり方をした分、ユーリが心の障壁をどんどん下げて長谷津に馴染んでいく様子は見ていて楽しく、嫌がっていた風呂で素裸を晒したり、気づけば悪態がなくなって汗を一緒に流していたり、素直な部分が見えてくるのが非常に良かった。
まるで兄弟のように、柔らかに四回転の指導をしている姿は『俺……俺このボーイたちを好きになっちまうよッッ!!!』って感じで、トロフィーであるヴィクトルが来たら『反目しているフリ』を急いで捏造するところも含めて、非常にキュートだった。
登場人物に自然に可愛げを背負わせられるお話は、やっぱ良いな。

勝負論としてみても、ジュニアからシニアに戦場を変え、精神的にも肉体的にもタフさにかけるユーリの『弱さ』と、23歳の経験を活かし、男から女へ生まれ変わることを恐れない勇利の『強さ』を対比し決着を付けた流れには、強い説得力がありました。
滝の中で祖父の思い出と出会い、『アガペ』の手触りを掴みながら『こなすのが精一杯』だったユーリの若さと、『衣装』から受けたインスピレーションを的確な指導の後押しで形にし、自分なりの『エロス』として表現しきった勇利の老練さは、キャラを最大限に活かした対比よな。
ユーリの『弱さ』が悪しきものではなく、素直さや無辜の愛といった美点にちゃんと繋がって、今後の発展を期待させる要素になっているのも、凄く良いですね。


二人のユーリがとにかくガムシャラに体を追い込み、演技を作っていく過程をテンポよく見せ、それが二人の心をつなげていく過程を自然に描けたのは、身体表現をテーマに据えたアニメとしてとても良かったと思います。
たとえセリフで説明しなくても、トップアスリートとして肩を並べ、同じ釜の飯を食い、スケートにかける情熱を肌で感じていれば、距離や敵愾心はなくなっていってしまう。
そういう非言語的なコミュニケーションの強さがスケートというスポーツにはあって、それもまたスケートの大きな魅力なのだと、ドラマに重ね合わせて心地よく表現できていたのは見事でした。
気持ちのいい奴らが必死になって、心を通じあわせていく様子ってのは、凄くシンプルで楽しいもんな、見ている側としては。

体を動かしていくうちに余計な感情が脱落していくのは、練習だけではなく勝負でも同じでした。
アレだけ棘棘していたユーリは、勇利の演技がヴィクトルの心を奪った瞬間をその才能ゆえに見抜いてしまい、結果を告げられるまでもなくロシアへと帰っていく。
この素直さでさらにユーリを好きになっちまうわけですが、こういうイノセントな結末が出会った当時即座に出てきたかと言えば、ユーリとしても視聴者としてもノーでしょう。
そういう素直さは、長谷津の美しい風景の中で『アガペ』というテーマに向かい合い、ライバルの気持ちを肌で感じ、体を追い込んだからこそ生まれてくる、輝く結晶。
勝ち負けを追いかけて始まったエピソードが、勝ち負けを超越した価値に辿り着き敗者にも恵みを与える収め方含めて、いい展開したなぁと思います。

アスリートの鍛錬を支える人々も生き生きとかけていて、練習を支える西部夫妻にしても、『女性性』というエッセンスを勇利に与えて勝ちに近づけたミナコ先生にしても、気持ちの良い人々として描けていました。
ただ口を出し応援するだけではなく、汗を流す現場に居合わせ身近な距離で支えてくれる姿を見せられると、主人公たちの苦労を共有してくれるありがたみが出てきて、凄くキャラを好きになれます。
勝生ファミリーもそうなんだけども、サブキャラクターの描き方・使い方うまいよなぁ。

彼らは勇利達がどれだけ素晴らしい演技をしているかを、視聴者に判りやすく伝えるスピーカーとしても機能していました。
このアニメのスケート作画はとにかくクオリティが高くて、ただ叩きつけるだけで凄みを感じられる素晴らしいものなのですが、それだけに頼るのではなく、ちゃんと言葉と表情を使って『凄さ』を見せているのは、作品を見る時の体温を上げてくれて非常にグッドです。
そのくせ、細かくてダルい技術解説はすっ飛ばして、スケートを見る『体験』自体をを巧く物語化してんだよなぁ……面白い。


真っ直ぐにスケートに情熱を注ぐ中で、逆に勇利やヴィクトルの影の部分が際立って見えたのも、今回面白いところで。
例えば初めてコリオを見る時勇利は『僕のための振り付け』と自惚れるわけだけど、そもそも"愛について"はヴィクトルが選手として自分のために用意した演目であり、勇利への『アガペ』ではなくヴィクトル自身の『エロス』の産物のはずです。
しかしあくまで『自分は特別に選ばれたんだ』と思いたい勇利としては、その曲は自分のためのスペシャルな芸術であると思い込みたいし、その自惚れがあればこそ、勇利はコメディチックな『カツ丼』を超えて『ヴィクトルを求める女』というセルフ・イメージに辿り着いてもいる。
影が日向になり、光が闇に繋がっている複雑な陰影は、まっすぐな話運びに巧く深みを付け加えていて、見事な捌き方だと思います。

もう一つ目立ったのはヴィクトルのエゴイズムで、ユーリの演技に『今まで見た中"では"一番良かったよ!』という真実を叩きつけてたり、勇利に基本練習を強いたり、柔弱な見た目には似合わないエグい人格が、結構目立ってました。
これも明暗相通じるところで、世界中の期待を集めて怯えることのない強い自我があればこそ、彼は『美の神』として存在できているわけだし、揺るがない自分を持っているからこそ、迷える勇利やユーリが気づかない『本当の自分』を見抜いて、コーチとして適切な指導ができもする。
結局は自分第一という『エロス』は許容量を超えていればこそ、他人を幸せにできる『アガペ』にも通じてしまう不条理こそが、ヴィクトルの天才を証明している、というところでしょうか。

ここら辺の相転移は勇利でも起きていて、ヴィクトルに猛烈で個人的な情愛を注ぐ『エロス』の踊りは、かつて無いほどに観客をひきつけ喜ばせる、公益に対してアプローチできる『アガペ』の踊りにもなっている。
抽象的なテーマとして『エロス』と『アガペ』を扱いつつも、実際のスケート表現を圧倒的な密度で描ききること、人格がぶつかりあうドラマの中でそれがどう対立/融和するかを見せることで、説得力を込めて視聴者に届けられているのは、非常に強いところです。
元々アニーションは身体性を取り込みにくいメディアだと思うのですが、極限的に作画のカロリーを上げてそれを宿してしまうのは、やっぱ凄まじいなぁ……それだけに甘えず、ドラマや説明も丁寧に乗っけて加速させてるしね。

今回のスケート表現は背景と人物の同期が外れていて、しかしそれがフィギュアの浮遊感を巧く出していて面白かったです。
全体的な表現も強調と省略を巧みに使いこなしたアニメ的なもので、特にユーリの長い手足が流れ、跳ね、踊る動きの心地よさが凄かった。
ロトスコープを使った『現実のトレース』という段階を一歩踏み込んで、アニメーションならではの表現として『動く絵』の快楽が感じ取れるのは、やっぱ最高に気持ちいいですね。


勇利からヴィクトルへの感情、二人の関係を描く筆は確実にロマンスの領域を意識しています。
んじゃあ二人はホモセクシュアルでしか繋がっていないのかというと、彼らは性器を持つ人間出る以前にフィギュアスケートという表現、『美』に奉仕する競技者なわけで、恋愛に似た強い愛情も、男女の領域を飛び越えて『女』になる変化も、全てはより良いスケートのためにある。
勇利のヴィクトルへの思いが同性愛者としての恋慕を含むにしても、含まないにしても、ヴィクトルはただ憧れて見上げる『美の化身』から、いつか捕まえて乗り越える『競争相手』、食い殺してやる『獲物』になりつつあるわけです。
気弱な童顔の奥にこういうギラギラしたエゴイズムを秘めているところは、勇利とヴィクトルは似たもの師弟なんでしょうね。

勇利がヴィクトルに向ける崇拝の視線と、ヴィクトルが勇利を抱きしめる冷静な目線がすれ違っているのは、滑走前の抱擁を見てもわかります。
『世界で一番モテる男』にとって勇利はまだ、自分に憧れの視線を向けてくる有象無象の一人でもあり、その視線全てを独占できるような圧倒的存在感を手に入れてはいない。
五連覇敵なしのヴィクトルが求めているのはもしかしたら、己と同じだけの質量を持った『敵』であり、勇利にその萌芽を認めたからこそ彼は長谷津に来て、未だ望むものが手にはいらないからこそ、あそこの抱擁であまりにドン・ファン的な対応をしたのかなぁと、少し思いました。

勇利とヴィクトルの間にある『憧れ』という長い距離が小さく、しかし確実に縮まっているのも事実で、練習のときはヴィクトルだけが歩み寄った抱擁は、滑走のときは勇利から進み出て歩み寄る形に変化していく。
あの2つのステップの対比は、こういう距離感の変化、関係性の変容こそがこのアニメの根本なのだとよく教えてくれて、非常にいいシーンでしたね。
勇利はいつか、気まぐれな『美の神様』『勝利の化身』を心底夢中にさせて、その求愛を華麗にかわすようなドン・ファンになれるんでしょうかね……まぁ似合わないか。
どういう形に落ち着くにせよ、勇利が勇利らしく己を見つけ、ヴィクトルと対峙する足場を手に入れていくことはお話を見る上で大事な要素っぽいですな。

惹かれあう男と男を描く上で、危ういホモセクシュアル的挑発を入れてくるのはむしろ誠実だと僕は思うし、性愛を含めた性差を超越してしまうような表現力をフィギュアが持っていると示す上でも、なかなかいい手筋だと感じます。
セックスに接近しつつ描写をしないステップの踏み方は、『そーいう領域をまるごと飲み込んで、男だ女だの区別すら融解させて、あるべき『美』をより峻厳に美麗に表現できてしまう超越性があるから、スケートは凄いんだよ』というメッセージを、勝手に受信してしまいます。
ホモかホモじゃないかで足踏みしているよりも、そういうところを含みつつ飛び越えて表現の餌にしてしまう貪欲さを楽しみたいのが、僕個人のスタンスかなって感じですね。

勇利はヴィクトルへの憧れから初めて、GPファイナルという場所に立つほどに表現を研ぎすませてきたわけで、ヴィクトルが代表する『美』への想い、それを背負うものとしての自負は、今表に出ているより遥かに誠実で苛烈だと思ってます。
それをヴィクトル個人への『エロス』だけに押し込めてみてしまうのは、スケートというより大きなもの(そしてそれを表現することで繋がる他者)への『アガペ』を切り捨てる行為で、どうにも勿体ねぇなぁと感じもする。
無論スケートの神への『アガペ』をより誠実に表現するためには、ヴィクトルへの濃厚な『エロス』を突き詰めていく必要もあるわけで、これもまた明暗相通じる部分なのでしょう。
勇利の秘めたる『エロス』を表現するためには、当然同性愛的な妖しさに接近していくのも非常に有効だと思うので、巧く手綱を握って欲しいし、現状握れているんじゃないかと思います。


そんなわけで、勝者である勇利はもちろん、敗者であるユーリも、トロフィーであるヴィクトルも、彼らを取り巻く人々もキラキラと輝く、素晴らしい対決でした。
身体性を込めた滑走や練習の表現、人間通しが向かい合う瞬間の魂の火花、スケートにまっすぐに向かい合う時の汗。
熱量と誠実さを感じる表現がエピソードの中に満ちていて、見ていて楽しかったし、清々しかったし、さらにこのアニメを好きになれるお話でした。
良いなぁ……凄く良い。

ユーリは惜しまれつつ長谷津を去り、ヴィクトルを一応独占出来る体制が整った勇利ですが、『美』に向かい合うにはまだまだタフさが足りません。
美しく優しいエゴイストに振り回されつつ、23歳の青年はどのような自分を見つけ直すのか。
そこからどのような滑走が生まれ、我々をどのように驚かせてくれるのか。
個人の内部にある情熱をしっかりと描きつつ、それがより広い場所で爆発する快楽も大事にしてくれるこのアニメの今後、一切見逃せませんよ。
マジおもしれぇから、このアニメマジ。

響け! ユーフォニアム2:第2話『とまどいフルート』感想

夏だ! 水着だ! 合宿だ!!
青春の汗を吹奏楽に捧げる少女たちのライフログ・ヴィヴァーチェ、久美子が二年生沼に吸い込まれていく第2話です。
女体満載のプールに独特の空気を感じさせる合宿と、視聴者サービス多めで展開しつつ、中身はやっぱり細やかな心の揺れが主眼でした。
自分と距離がある二年生たちの問題に、何を足がかりに久美子が切り込み、切り込んだ結果遠い問題はどんどん近くなっていく。
物語の核心に主役が近づき、様々な感情や情報が視聴者にも見えてくる、動きのあるエピソードとなりました。

久美子自身が吠えたり揺らいだりというお話は、やはり一期である程度終わってしまっていて、二期は他人の動揺に久美子が感染し、傍観者でいることに耐えられずに切り込んでいく構成となっています。
他人は他人、自分は自分と切り捨てられれば心が揺れることはないんでしょうが、バンドを組んで演奏をしている以上……というか、未だ己が何者かはっきりと確定出来ていない年齢の少女である以上、久美子はそこまでドライにはなれません。
結果、久美子は様々な場所で様々な人の言葉を受け止め、咀嚼し、新しい場所に切り込んでいくことになります。
他人の事情に上がり込んだ結果見えてくるものだけではなく、そこに踏み込んでいく動きそれ自体が、久美子の成長物語の一部なのでしょう。

その最たるものが麗奈の心に上がり込んだ物語であり、その結果として『上手くなりたい!』と吠えるほどに久美子は自分を変えました。
麗奈の心に上がり込んだ久美子と、久美子の心に食い込んだ麗奈は相互侵犯的に影響を及ぼし合い、恋愛とも友情とも似ていて異なる、不思議なつながりを手に入れています。
今回色んな場所をフラフラし、少なからずダメージを追った久美子が最後に帰るのが、麗奈の待つ寝床だというのはなかなかに意味深です。

年相応の心の揺れは登場人物全てに共通する部分で、あすかの拒絶に傷つく希美はもちろん、『他人に興味がないのが良いところ』と優子に評されたみぞれも、冷徹に傘木を拒絶しているように見えるあすかも、揺るぎない仮面の奥に柔らかい感情を隠しています。
表面的なふれあいの中で見えてくるものと、その奥に隠れているものはこのアニメではかなり違うし、内心の動揺は(分かりにくい形でも)必ず表に出てくる。
この内と外の連動は、吹奏楽というテーマを選択し、心の有り様が音の形に反映される物語を紡いでいるからこそ、重要なものです。
そこに人間的な揺らぎが感じられればこそ、久美子も他人の事情に切り込んでいこうと思えるのかもしれません。

今回は内的動揺を巧くフェティッシュに託して演出していて、新山先生の登場で揺らぐ麗奈の気持ちはカブトムシの相撲に、みぞれの動揺と迷いはリズムゲームの画面に、巧く仮託されていました。
音のないリズムゲームはみぞれの外見的印象、ミスを乱発し『やめる/やめない』の選択肢を表示し続ける画面は彼女の内面を同時に切り取ってきて、印象的なフェティッシュだったと思います。
かなり直線的に(無遠慮に?)自分の気持ちを言葉にできる希美ですら、拒絶されて傷ついた心は涙として頬を伝うのではなく、ジュースの缶をゆっくり滑り落ちていく。
元々京都アニメーションは、美しい暗喩を映像言語の中に織り込んで表現する手腕に長けているし、そういう方法を好む製作者集団なんですが、今回は特にメタファーとフェティッシュの強さが生きていたと思います。


フェティッシュという意味では、Aパートの水着は単純なご褒美お肉というだけではなく、ちょっとヒネった意味合いも込めた面白い見せ場でした。
服を着なければ全てが顕になるというわけではないですが、無防備で楽しい時間を共有する北宇治吹奏楽部の現在は、一期のギクシャクした雰囲気とは隔世の感がありますし、希美の重たい問い詰めを視聴者に食わせる煙幕としても、結構な仕事をしていたと思います。
他にも似た水着を着ているキャラクターで精神的ペアリングを暗示(あすかと香織、優子と夏紀)したり、麗奈の身体的成長をインパクトある形で見せたことで、最後の『体も心も大人っぽい』という久美子の感想がストンと納得できたり、色々込めるなぁと感心してしまった。
競い合いのドラマも、面倒くさい人間関係からも、巧く『特別』であり続けることの悩みからも距離を置いて、常に無垢で巧くて強い存在である緑輝が、誰とも似ていないちびっ子ワンピースなのは、なかなか面白いなぁ。

そういう演出に助けられつつ、騒動の中心にいる傘木希美の主張を聞き取るのが、Aパートの主な目的となります。
『一年前の事件』を体験していない久美子にとって、希美はあくまで遠い存在であり、『あすか先輩が許可を出さない人』として認識されているところから、関係性が始まっている。
『年下なのに、コンクール出るのどうよ?』というキッツイ問いかけから切り込んで、彼女の吹奏楽に掛ける思い、今の北宇治への認識を受け取ることで、久美子が部外者から当事者に立場をスライドさせていくのは、心理的なサスペンスを強く感じる動きでした。
久美子がこれだけ強く思っているということは、やっぱあすかは表面化している内面(面倒くさい表現だ)の冷たさとは異なり、後輩を強く引きつける引力のような感情を奥に秘めている印象を受けるね。

高校生という年齢ゆえか、はたまた人間存在を切り取る作品の眼差しか、このお話はキャラクターを単純な善悪では切り分けません。
他者の感情に対し敏感であるか、鈍感であるか。
そうして感じ取ったものをどう行動に移し、どう世界を変化させていくかという問題は複雑怪奇で、多様な表れを持っています。
吹奏楽への情熱を真っ直ぐに突きつけてくる希美にしたって、『なぜ、自分は受け入れられないのか』という問いかけで足を止めて、己の行動が誰にどう影響を及ぼすのか、思慮が足らないという描かれ方をしている。
そういう未熟さをあざ笑うのではなく、それもまた一つの段階、一つの必死さ、一つの誠実であるとちゃんと受け止めて表現する姿勢があるのが、僕がこのアニメが好きな理由の一つです。

罪悪感混じりの夏期の友情に背中を支えられる形で、あまりにもまっすぐに、時には暴力的に切り込んでくる希美は、おそらくこのままでは自身の望みを叶えられない気がします。
しかしその率直な姿勢、吹奏楽への情熱と生ぬるい部活へのいらだちは、久美子の共感を惹きつけ、『私が聞いてきます』という言葉を引き出す。
いきなり正解にたどり着くのではなく、人間と人間が情熱をやり取りする中でこのアニメの変化は起きてきたわけで、プールサイドの熱い交流は、非常にこの作品らしいシーンだったと思います。


そんな希美の真っ直ぐな気持ちが傷つける先、鎧塚みぞれの心にも、久美子は入り込んでいきます。
みぞれも久美子にとって遠い存在であり、リズムゲームの話題で接触を作ろうとした時の気まずい空気が、それを巧く写し取っていました。
そういう距離感から、弱々しく震える心と瞳を見せ、己の内面をさらけ出す間合いに近づいていく構成は、真夏のプールサイドと夜の合宿場、喧騒と静寂、明と暗の対比こそあれ、希美との対話に非常によく似ているわけですね。

みぞれにとって、希美はどういう存在なのか。
それが明言されてしまえば、2期の物語を牽引するエンジンは燃料を使い果たしてしまうので、その真相は丁寧にヴェールがかけられ、巧みに印象だけが届くようになっています。
置き去りにしたことを憎んでいるのか、違う道を歩んだことを恨んでいるのか、繋いだ手を離さないでいて欲しかったのか。
愛憎定かならないまま、運命のバスの中で聞いた"ダッタン人の踊り"が嘔吐のトリガーになってしまうほど、みぞれの中で希美が大きな存在であることは示されます。
もしかすると、大切なのは感情の量それ自体であって、それが愛情なのか惜別なのか憎悪なのかという色合いは、分類できず混じり合っているのかもしれませんが。

ともあれ、みぞれにとって南中での事件、『一年前の事件』が傷になっていることは事実であり、強い感情を無表情の奥に隠しているのも間違いなさそうです。
それは部外者である久美子が周囲を飛び回っても解決しない、希美に直接ぶつかることでしか流れ出さない気持ちなのかもしれませんが、その激流に耐えられるほどみぞれが強い存在ではないことも、巧みに演出されています。
そういう脆さを巧く守りつつ、二人の気持ちを適切な場所に導くためにも、久美子は丁寧に関係者と向かい合い、心を交わして状況を見定めていく。
二期の久美子は物語全体主役であると同時に、希美とみぞれのアンバランスな感情のドラマを支える脇役でもあり、二人に対してコンタクトを果たし、感情が引っかかる足場を作ることは、今後の展開の中で大事なんでしょうね。

みぞれの心は希美という個人に強く結びついて震えつつ、吹奏楽という競技の残酷さ、コンクールの無慈悲さにも傷つけられています。
『特別になりたい』久美子にとって、コンクールは己の証を世界に突き立てる大事な場所ですが、みぞれにとっては嫌いな場所でしか無い。
しかしみぞれだって、一年前の北宇治のように温く緩く楽しく(葵ちゃんいうところの『アリバイとしての部活』)吹奏楽をやりたいわけではないことは、その行動からも実力からも見て取れます。
コンクールは嫌だが、オーボエは吹き続けていて、しかし希美がいない部室で演奏し続ける意味も、嫌いなコンクールに向かい合う理由も、もはやみぞれ自身には分からない。
この袋小路は希美の真っ直ぐさが突き当たっているどん詰まりとそっくりで、他人の介入がなければ抜け出せない迷路なのです。

吹奏楽をテーマとするこのお話にとって、コンクールを考えることはみぞれ個人の問いかけでは止まりません。
己はなぜ吹奏楽を吹き、あやふやで危うい基準で己を否定されたり、『特別』と認められるのか。
それは久美子を筆頭に、この物語に関わるキャラクターすべてに投げかけられた問いなわけで、ここでそれが表に出てくるのは、話し全体の陰影がグッと深くなる、良い問いかけだと思います。
久美子と麗奈は一期丸々使ってこれに答えを出したようなものだけども、色んな人とふれあい、色んなエピソードを通過することで、それも変化しているかもしれんしね。
他のキャラクターにも『コンクール、好き?』というみぞれの問いを投げることで、そのきゃrカウターが何を考え、なぜ作品内部に存在しているかを掘り下げられるという意味でも、みぞれと久美子の問答はいいシーンだったなぁ。


今回のお話はみぞれと希美、二人の当事者が同じような袋小路に行き詰まっていて、傍観者の介入を必要としている現状を確認する回だったと言えます。
世界を変えうる傍観者とはつまり、主人公として物語の中心にいる特権を持った久美子にほかならない訳で、彼女が様々な人の心の揺れに向かい合い、感じ取った答えを媒介していくことが、二期全体を貫く大きな物語になるのだと思います。
久美子自身が迷いの中から答えにたどり着く物語は一期で結構やってしまっているので、他人の重荷をわざわざ背負って、あるべき場所に配送するお話を担当するのは、毛色が違って面白い。
人間関係に冷淡な部分がある久美子が、他人の事情に感じている距離とかもちゃんと描かれ、話の核心に切り込んでいく道筋が自然なのは、非常に良いですね。

水着で過ごしたプールも、普段とは違う『特別』な場所である合宿も、停滞していた感情が溢れ出すには似合いの場所です。
まだまだ続く合宿の中で、少女たちはどんな素肌をさらけ出し、傷を共有していくのか。
麗奈の滝先生LOVE大作戦はどういう結末を迎えるのか。
次回が楽しみですね。

ブレイブウィッチーズ:第3話『第502統合戦闘航空団』感想ツイートまとめ