どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
未来を問う声に耳をふさぎ、鬼殺しに突き進む百鬼丸。燃える血潮が、どろろの背中に欲望の地図を描く。
二人が流れ着いたのは、母子の亡霊が彷徨く夢の残骸と、死んだ魚の眼をした義人の家。飯を食わず死んでいく清貧の母と、全てを貪り肥え太る女達の城。
飢蛾よ、今宵牙を研げ。
そんな感じのマイマイオンバ出題編、みっしりと息苦しい”母”…であり、”妻”であり”女”でもある存在を巡るエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
子を活かすためなら人をも殺す母の情念と、理想のためなら無垢の肌に呪いを刻む義人。色んな人の色んな思いが、様々なモチーフに乗っかって綾織になるお話である。
先週顕になったどろろちゃんの背中は、父母の理想を乗せた白粉彫りであった。体温が高くなると浮き上がるそれは、琵琶丸の言う通り重たい枷である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
足を撃ち抜かれ(理念的に、肉体的に)不具となった夫の夢を、お自夜
は柔肌に刻む。
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それは性器を介さない濃厚なコミュニケーションであり、性器で繋がっても心は冷え切っていたミオの性略奪と、正反対に位置する裸身といえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
このアニメ、エピソードやキャラクター間の呼応が強く意識されているので、お話が終わった後でも…むしろ終わった後の方が、物語を深く考えさせられるね。
既に叶わぬ夫の夢を未来に託し、自発的に背負うお自夜。彼女は情念に身を焦がす恋人であり、娘の人生を当人の合意のないまま捻じ曲げる狂妄な母でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
いざとなれば(それこそミオのように)泥をすすって家族を食わせてしまう性を自覚すればこそ、お自夜は眼の届かぬ背中に地図を刻む。
人間として理念の重たさを受け止める自信がないから、夫の砕けた理想の重たさを、娘に強制的に背負わせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
困窮食である曼珠沙華の中で飢えて死ぬ清貧の生き様は、その実濃厚な葛藤とエゴイムズに満ち、綺麗なばかりでは当然ない。人が生きる以上、矛盾は常にそこにあるのだ。
貧すれば鈍する。飢えれば綺麗事は吹っ飛ぶ。だから、金は大事、欲は大事。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
琵琶丸は聖職にあるまじき言葉を口にするが、それは俗を突き詰めて聖へと至る道程でもある。琵琶丸自身は、ボロ布をまとって金に頓着しない流れの生き方を選んでいるのだ。
人には欲があり、生きるためには飯を食わなきゃいけない。理想ではなく現実を見つめた上で、腹が満ちたその先を問いかける琵琶丸は、既存の競技や教団から抜け出した超俗の系譜を感じもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
一休、親鸞、白隠、あるいは良寛。隠者にも似た聖人達の肖像画が、彼には重ねられている。
琵琶丸自身はお自夜と似た『飢えてでも正論を貫き通せる』人種だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
しかし琵琶丸はその生き方を、誰にも強要しない。親がそう生きたのだから、子もそう生きろという呪いを再生産しない。
自分のクローンを製造する邪悪さは、醍醐の家に長く伸びる影でもある。こういう部分、兄妹似てるのね。
どろろの背中に宿ったのは、俗世の欲を満たし自分たちだけが楽しく生きる未来か。鬼を殺す鬼として修羅の道を進む先行きか。はたまた、様々なカルマを飲み込んでなお聖性を貫ける、清らかな在るべき道か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
光の側から、坊主は静かに問いかける。
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どろろの背後にある柱を分割点に、綺麗に光と闇に塗られたお堂。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
湯で癒やされ、飯で腹を満たす当たり前の幸福が、当たり前に公開されている場所。
この乱世に、そういう宿り木が滅多にないことはこれまでも見てきた。ここからあるき出せば、また地獄が兄妹の前に広がる。
『そこからスルリと抜け出す手助けが、どろろの背中にあるよ』と坊主は問う。暴力によって頓挫し、清貧の中に散った理想を売り飛ばせば、鬼を殺し国を滅ぼさなくても、自分たちは生きていける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
その選択肢を、掴むか否か。そもそも、二人は鬼殺しの先を見据えるのか。
百鬼丸の『人間らしさ』と両天秤になった、国家の安楽。見も知らない他人の人生を、己の魂のために傾ける可能性。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
百鬼丸の眼は、そういう余分をまだ見ない。ニヒルを斬った時、あるいは万代を殺したときのように、敵対するものの事情を聞かない。
だが、それで良いのかね?
法師は静かに問う。
今回は出題編なので、この答えは出ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
目明き耳開きのどろろは真摯にうろたえ、百鬼丸は耳をふさぐ。
鬼殺しの鬼でいい、国喰いの捨て童子でいいと己を投げ捨てる。
だが、それで良いのかね?
法師の問いかけは、兄妹の道行きを見守る僕らにも当然伸びている。
美しい薄野を抜けて、兄妹は化物(あるいは化仏)と出会う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
物理の目で見るどろろはその異様に驚くけども、百鬼丸はその魂の色を見て、殺すべき相手ではないと判断する。
異形と清廉、どちらの眼で見据えたものが真実か。次第に分からなくなる。
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小僧の妖怪のブヨブヨとした肉体は、蚕の幼虫を思わせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
人の助けを借りなければ、枝から落ちて死に、白く目立つ体はすぐさま捕食されるような、不自然な生き物。
それが蛹を破って成虫になった後は、飯を食わずに死んでいく。蚕の成虫に口はないのだ。
後に人食いの怪物として襲い来る、もう一つの異形。手当り次第食い荒らす親子の貪欲と、するりと現れするりと消える亡霊たちの枯淡は”蛾”というモチーフで鏡合わせになっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
そして、体を売らず飢えて死んだお自夜とも。彼女はどろろという繭を生み出す天の虫…蚕だったのかもしれない。
蚕も亡霊も、気高い精神で飯を食わないわけではない。そういう器官を持たないからこそ、”喰う””生き延びる”という選択肢がないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
それは己の貪欲を自覚しつつ、それを背中の盲点に…娘の人生に追いやったお自夜も同じなのかもしれない。貪欲の器官を、あの時母は取り外したのだ。
母亡き後も生き延びてしまったどろろは、ミオと出会って貪欲なる愛情を見据え、その泥に輝きを認めた。奪っても生き延びる命の在り方を、今を生きる少女は否定できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
同じように、理念に枯れて死に果てた母の清らかさも、どろろの瞼の裏でけして消えない。灯火のように、呪いのように焼き付いた。
まだまだ少女の体で、聖と俗の両極に身を置かざるを得ないどろろに、巨大過ぎる赤ん坊がのしかかる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
まんままんまと飯を求める声は、確かに赤子のそれ。しかしその体はぶくぶくと肥大し、どろろにおぶわれるのではなく、どろろを吊るし上げる。
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未成熟な童女でありながら、”母”の真似事(これを”飯事”と呼ぶのは、あまりに的確な皮肉だ)を強いられるどろろの姿は、彼女に刻まれた因縁の複雑さを見事に表している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
百鬼丸の妹であり、母であり、恋人の気配を漂わせつつ、未だ性別を知られていない万色の少女。
お自夜が性をタブーとしたのも、白粉彫りにした入れ墨が性的興奮で浮き上がらないようにするための”蓋”だったのかとすら、今は思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
死んでなお…死んだからこそ、父の理想、母の清廉はどろろを強く縛る。そしてそこに愛を持って自律しつつあるどろろの姿も、コミカルにシリアスに描かれていく。
亡霊に身をやつした親子の因果を聞かぬまま、生きた人間と出会って巨大な赤ん坊はふっと消える。(ここら辺、夢幻能っぽくて好き)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
出会ったのは死鯖の目をした領主…国のため鬼神と手を結んだ、醍醐の鏡写しである。ここで”父”のシャドウ出すのエグいなー。
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どろろは亡霊親子への第一印象と同じように、物理の目と飢える腹に惑わされて、鯖眼の語る物語を素直に飲み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
子供を利用した悪しき”母”が、因果応報散りぬるを、哀れに思って花一輪。健気すぎて涙が出らぁ。
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既に赤い鬼神の因果を見て取っている百鬼丸は、カバーストーリーも話半分、冷淡に聞き流す。飯食う姿勢で”俗”への向き合い方が出るのは、やっぱ良い演出である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
浮世の生臭さを見れない百鬼丸の障害は、世界の真実だけを見据えてしまう。それが時に残酷なのは、これまで見たとおり。
鯖目の語る尼は子供を暴力で支配する悪人だが、それにしては”弓”はおかしな道具だ。畏れさせ縛り付けるなら、鞭や杖のほうが分かりやすい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
鳴弦、あるいは蟇目。魔除けの呪法にも使われる道具を持っていることが、尼の聖性を滲ませているようで、なかなか面白い
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亡霊、油、花、弓。伽藍焼失事件の真実が顕になる回答編は来週になるだろうが、鯖眼の欺瞞を百鬼丸は見抜いて…いるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
ミステリを後ろから読むように、過程をすっ飛ばして一つの真実だけを見れてしまう目。
誰が悪いかは判る。だが、なぜ悪いか、悪いならどうしたら良いかは解らない心眼。
それもまた、蚕めいたお自夜の生き様のような、世俗と折り合わない危うい聖性であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
そろそろ、鬼に呪われ鬼を殺す一本の刃として生きていくには、百鬼丸は色んなものを取り戻しすぎた。
そう、取り戻す。飢えて喰い、迷って進む人の当たり前は、元々百鬼丸にあったのだ。
どろろとともに進む旅路の中で、あるいは寿海によって育まれた時に、もしくは母の祈りで命をつないだ時に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
運命に呪われた異形として生まれついても、聖俗の間で生きるしかない人の宿命は常に、百鬼丸と共にあった。
過酷な旅は、それを取り戻させ、思い悩ませる。魂に刻まれた使い方を思い出させる。
奇っ怪な幼虫を切り捨て、兇猛な母蛾と向き合った戦いの先で、百鬼丸は何と出会うのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
果たして、それで良いのかね。
静かに問うた琵琶丸は、鯖眼の屋敷には同行しない。だからこそ、遠くに響くその問いかけは、静かに重たく長く伸びる。百鬼丸は、答えなければいけない。
万代と出会った時は、相手の言葉を聞く耳を持っていなかった百鬼丸。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
それはミオの子守唄を、母の慟哭を、父と弟の呪いを、既に聞いている。
夫婦として、恋人として邪悪に睦み合う鯖目と恋人。その視線の先にある”国”という家。
それも再び、無縁と切り捨てるか
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はたまた、取り戻したものの重さを天秤に載せ、己を揺らすか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
様々な問いかけが投げかけられた出題編で、一番大きな謎掛けはここかな、と思う。
兄貴は投げかけられたどろろちゃんの献身に、塩対応が過ぎる感じもあるので、そろそろ揺らいでもいい頃合いじゃないかなー、と思うが、さてはて。
鬼神を切り捨てた時どの器官が戻るかが、百鬼丸の立ち回りに直結するんだろうなぁ、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
そして蚕のように飢えて死ぬのではなく、人を食って子を生み、己も生きる道を選ぶ毒蛾の生き方は、どろろの視界にもよく刺さるだろう。あるいは、尼の死に様の真相もか。
『乱世を決死に生きようとした家族』という要素が、キモい小僧妖怪とどろろ、あるいはミオや今までのキャラクターに共鳴してるところがエグいなぁと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
自分の魂の兄弟とも言える相手を、どろろは最初拒絶し、次第に情が湧いて面倒を見る。おしっこの世話をし、”母”の役割を見事に果たす。
嫌だ重荷だやってらんねぇと吠えつつも、果たすべき人のあり方をどん底でも成し遂げてしまえる、どろろの聖性。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
それはお自夜の生き様から学び取ったものであり、同時にどろろを縛る鎖のようにも見えて、なんともいい難い。このアニメで描写される全てのように、簡単には割り切れない。そこがいい。
今回提示された表面的な謎は、次回真相を切開されるうちに別の顔を見せるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
聖と俗、呪いと祝福、蚕と毒蛾。
乱世の厳しさが容赦なくむき出しにする、裏腹に癒着した矛盾。そこをグイグイと掘り下げる筆が、次週どううねるか。楽しみですね。
あ、時間経過の表現としてコオロギが使われていたのは、寂としたいい雰囲気が出てとても良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月17日
白隠禅師は蟋蟀の一声を聞いて大悟したそうだけども、琵琶丸が目立った今回、そういう意味合いもあんのかなこの描写。
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