イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

うる星やつら:第32話『扉を開けて 後編/涙の家庭訪問 禁じられた三宅家編』感想

 無限の可能性を秘めた扉を巡る、不思議な冒険の果てにたどり着いたのは、仲間が一人増えたいつもの友引町。
 SFマインドと豊かなイマジネーションが綾なす、奇妙奇天烈なモラトリアム・チェイスを描く令和うる星第32話である。

 新キャラ因幡くんを起爆剤に、ラムとあたるの関係性、そこから結果的に宙ぶらりんにはみ出す形になってしまったしのぶを掘り下げていく、長編エピソード完結となった。
 三角関係を維持するにはしのぶからあたるへの矢印が薄く、コミカルに怪力をぶん回す”いい友達”になっていたしのぶが、因幡くんというチャーミングな青年をヒロインに据えることで、淡い恋色に自分の物語を染め直す手付きが良かった。
 終盤凄い勢いで時空系泣きゲーのヒロインみたいな動きを積み重ね、一気にしのぶの隣に腰を据えた因幡くんの立ち回りも良かったが、『運命と決断』という青年期の一大事を、をとってもるーみっくな味わいであくまでコミカルに、永遠のモラトリアムを壊さないように削り出していく筆致は、作品の中核に何があるのか、第3クール最終盤に明瞭に示してくれた。

 都合の良いハーレム幻想をドデカハンマーで殴り飛ばし、その身が炎に焼かれてもラムが隣りにいる未来を死守しようとするあたるが、ずっと探し求めていた未来、彼だけの花嫁を見つけた時の表情は、この長編で一番いい顔だった。
 ああいうピュアな顔を見せるからラムも俺もダーリンに夢中であるが、浮気性でちゃらんぽらんな普段の仮面を引っ剥がし、自分にとって何が大事で何を守りたいのか、珍しくマジなあたるを掘り出すためには、数多の可能性を股にかける一大冒険絵巻が必要だったのだろう。
 基本的にはラムがあたるを健気に追う構図で進むこのお話、どっかであたるがラムの献身に報いる描写がないと彼を好きになりきれないわけで、令和うる星ではかなり多めに(そして的確に)、あたるの純情な側面が解るエピソードを選んで編じていると感じる。
 第5話”君待てども…”、第10話”君去りし後”、第22話”大ビン小ビン”、あるいは第29話”ラムちゃん、ウシになる”。
 いい加減で何事にも真剣にならない、人生の猶予期間真っ只中なあたるがラムの危機にはどんだけマジな顔で繊細な少年らしさをむき出しに、楽しい日々の終わりに抗おうとするかを、令和のうる星はかなり強く描いてきた。
 今回あたるが見せた炎の意思もその一つなわけだが、因幡くんが持ってきた可能性を可視化するSF的ギミックを鏡にすることで、どんな未来が気に食わなくて、望み通りだと思っていたハーレムは情けなさ過ぎて認められなくて、じゃあ何が一番大事か、ゴリゴリ削り出して説得力出していたのは、カタルシスがあって良かった。
 やっぱ俺は、なんだかんだラムにはマジなダーリンが好きだからさ……。

 

 因幡くんの親切であたる達は数多の可能性を覗き込み、自分が望む未来をその手で作るチャンスを得る。
 ガラス工房のような運命制作工場、無数の扉が浮遊する因果地平へ”墜ちて、潜る”仕草など、ちょっとシュールで可愛くファンシーな描写が、後に定番化するパラレルワールド物語の描線に、うる星らしい独自性を与えている。
 『未来が選ばれる/閉ざされる』というテーマは重く描こうとすれば、いくらでも重くなる題材だと思うし、そういうシリアスさをかすかに混入させてマジな願いを暴くための道具立てだとも思うのがだ、あくまで今回の度はドタバタと楽しく、明るくコミカルだ。
 結局選び取り帰っていく場所が『いつもの友引町』である以上、そういううる星テイストを崩さないのはとても大事だし、『やっぱあのドタバタは楽しいもんだなぁ……』と思えればこそ、あたる達の帰還(それを後押ししてくれる因幡くんの犠牲)にはホッと安心もする。

 軽い味わいを選んでいるから真芯を捉えた描写がないかというと、もちろんそんな事はない。
 ハーレムを求めてラムを不幸にした自分を殴り飛ばし、あんだけ求めていたはずの未来を自分の手で閉ざしたあたるは、たしかに何か一つ、とても大事なものを見届け選んでいる。
 何が自分の夢か。
 恋のライバル立ち位置から幸福にドロップアウトしていたしのぶは、扉を探す中で自分に問いただし、学生服を脱いで少し年を取って、でも恋の決着が先延ばしにされた新たなモラトリアムを夢に定める。
 それはとてもスタンダードな青年期の問いかけを、極めてこのお話らしい不思議で楽しい冒険の中で問いただし、終わらない狂騒の中に閉じ込められることを宿命付けられている子ども達を、物語が幕を閉じた後の可能性を探る旅へ誘う。
 そうやって、止まった時の中で永遠を踊り続けているキャラクター達に、人が生きておとなになってしまう遠い必然を近づけてあげれるよう、こういうエピソードを長尺で手渡すのは、僕はすごく大事で良いことだと思う。

 

 しのぶが世界で一番愛しいものと選び取った、今まで通りの友引町。
 その引力は他ならぬしのぶ自身を捉え、ラブコメディの相手役という初期属性を剥奪して、あやふやで不確かで心地よい場所へと追いやった。
 面堂も交え、ワイワイ騒がしくも楽しく過ごす日々は僕らが見ていても幸せなものだったが、しのぶ自身何もかもがハッキリしないあの時間が、とても好きだったのだ。
 そんな彼女の中の真実を確かめさせつつ、因幡くんという素敵な青年が新たに迷い込むことで、しのぶは恋ができる少女としてのアイデンティティを取り戻し、彼のために泣き彼のために微笑む。
 それはあたると恋愛関係になりうる可能性をほぼ完全に葬り、新しい相手とラブコメするリスタートなのだが、ここまで32話積み上げてきた物語が強く、そういう新生を祝福しているようにも思う。
 こういう形に話が転がっちゃうと、ラムと牽制し合いながらあたるを取り合うってルートにしのぶを乗せるの、もう無理だからな。
 (ここら辺の変遷を踏まえた上で、次作となる”らんま1/2”では許嫁設定を多角的に活かし、かわいくねぇ色気がねぇおまけに素直じゃねぇ相手とツンツン距離感を図ったり、猛烈にアタックしてくるライバルを複数用意したのかな……などとも考えるわけだが、もちろん余談である)

 あたるが彼の青い鳥を見つけ、そのために身を焦がして可能性を守ったように、しのぶもこの騒々しい旅の中で自分の中にある一番大事にしたいものを見つけ、新しい可能性への扉を開く。
 結婚とか就職とか、分かり易い成熟のアイコンを扉の向こう側から持ってくるのではなく、因幡くんという新しいキャラクターが友引町にやってきて、しのぶの微かな恋心が新たな芽吹きを始める事でエピソードが収まるのも、僕はとても好きだ。
 不定形だからこそ力強く脈打つ、青年たちの未来の前で延々足踏みを続けるこの物語であるけど、それが閉鎖され腐敗していく閉じた理想郷にならないように、物語的な新陳代謝へ挑戦する姿勢があればこそ、終わらない狂騒には活力が宿る。
 あたるが幾度目か気付いたラムへの思いは、また話が回った先で華やかに咲き誇るだろうし、パラレルワールドを巡る大冒険の果てに掴み取った、新しい友達との微かな慕情もまた、なかったことにはならないだろう。
 そういう風に、慣れ親しんだ『いつものうる星』に慎重に新しい風を吹かせ、”らしい”楽しさを維持したまま作品とキャラクターを活かし続けようと頑張ってくれているのが、やっぱり好きだ。
 可能性の扉という形で、永遠の日常を生きるあたる達にも未来があって、それは彼らの決断と意思で変えていけるものだと示してくれたのは、子どもを主役とするから明るく元気なこのお話が、背筋を伸ばして自分と向き合う上でかなり大事なことだと思う。
 普通のラブコメなら学内行事とかと絡めて展開するだろう自己との対峙、望ましい世界の選択が、こういうSFテイスト満載の奇妙で素敵なお話にまとまるのも、この物語の持つチャーミングだろうしね。

 

 というわけで、終わらない日常のちょっと先にある世界を、少し覗き込んでお家に返ってくる回でした。
 メチャクチャ超越的なことをやっとるんだけども、兎の顔をした運命神をハンマーで殴るわ電撃ぶち込むわ、いつもどおりの超暴力で対峙している所とか、そんだけ元気に走り回って手に入れたのは新しい仲間一人って慎ましさとか、やっぱ好きだわこの話。
 友引町の引力はいつもの喧騒の中にあたる達を飲み込んでいきますが、それでも未来への可能性を閉じきらず誠実に扉を開けているからこそ、終わらないモラトリアムが心地よい。
 そういう作品の背骨を、強く感じられるエピソードでもありました。
 大変面白かったです、次回も楽しみッ!

葬送のフリーレン:第26話『魔法の高み』感想

 最強の大魔道士を相手取るフリーレンとフェルンを支援するべく、デンケン達は玄室に集い来る複製体達を相手取る。
 隣に立つ誰かを信じ、それぞれの強さで相手の弱みを射抜く。
 激戦に人間の証明が眩い、葬送のフリーレン第26話である。

 

 つーわけで鏡写しの大魔導決戦、久々のアクション作画大暴れ回である。
 アニメになってみると、魔族相手には振るう機会がなかった美しき殺し芸をフリーレンが山程蓄えてて、自分を追い込める強敵以外には使うまでもなかった事実に、良い作画が鋭い迫力を与えていた。
 魔王打倒からたかだか100年、人間どもが権力闘争の中で積み上げた対人魔術から距離を取りつつ、自分と同等の怪物を相手取る時はそこを遥かに飛び越えた摩訶不思議で可憐な殺戮技芸を振り回せる、フリーレンの底知れなさ。
 彼女の秘められた強さが表に出てくると、魔王打倒の偉業とそれを共に成した仲間たちの株も上がるので、アニメで気合い入れてフリーレンのみ到達可能な闘争の高みを描いてくれたのは、大変良かった。
 平和主義に殺意を錆びつかせて実戦で『使えないの』と、そのつもりもないし機会もないから研ぎ澄まされた技を『使わないの』じゃ、強キャラとしての格が全然違うからなー……。
 試験の中で描かれた、デンケン達常人が必死こいて積み上げた多彩な技を遥かに上回る、不可思議で迫力ある破壊が複製フリーレン戦に踊っていたのは、強さの説得力を”動く絵”で支えていて、大変アニメらしい演出だった。

 フリーレンの凄みが際立つほどに、あの破壊の大嵐の中何とか生き延び、複製体を仕留める決定的な隙を作り出したフェルンの格も上がっていく。
 同時にあわやその生命を奪いかけた師匠の隠し芸、無拍子の魔術に圧倒される姿は、まだまだ大魔道士の高みには遠いことを教えてもくれる。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で、フリーレンが絶対に自分を守りきり勝ってくれることを信じながら、目の当たりにした魔術の粋に当然としているのは、なかなかイカレてて良かった。
 ゼンゼを圧倒したユーベルが示すように、魔法使いの強さは思い込む強さであり、不可能をねじ伏せるある種の狂気が、強者にはつきまとう。
 『魔族のいない世界』を信じ切って実際に引き寄せたフリーレンの夢が、今回描かれた多種多様な破壊の技によって支えられ、『何でも壊せるがめったに壊さない』という超然とした精神性でもって、ミミックに食われたり義娘に甘えたりしていることも分かった。
 あそこでうっとりと、自分を殺しかけてる大魔道士を見つめれるあたり、フェルンも結構ネジ外れてんなぁ……と思った。
 まぁ魔族に家族皆殺しにされて、常軌を逸した修行でたっぷりフリーレン式を仕込まれ、俗世の栄達に一切興味を向けず師匠の酔狂に付き合ってんだから、どっか壊れてるほうが自然よね。

 ソロで玄室への扉を封じる複製体に対し、フリーレンは最も信頼できる仲間であるフェルンと、コンビで戦う。
 お互いの命を天秤に乗せて、危うく揺らしながらも実力を信じて戦い抜き、一人で挑んでいたら生まれ得ない隙をついて勝つ姿は、デンケンが対複製体戦……というか多分彼の人生の中で選び取った、人が一人ではないからこその強さを体現している。
 生物種として共感や尊敬を持ちえず、コミュニケーションの本質に迫れない魔族に比べて、人類は……まぁ魔法を政治や戦争の道具に貶めたりもするが、一応言葉を通じ伴に戦うことができる。
 フェルンというイレギュラーを戦いの方程式にねじ込んだことで、相打ちに終わりそうなドッペルゲンガーとの戦いを、フリーレンは師弟生存で終える。
 フリーレン一人でも、フェルン一人でも勝ち得ないと、見ているだけで納得できるような超絶魔導大戦が描かれたおかげで、フリーレンの勝因がどこにあるのか、彼女たちがお互いをどれだけ信じているのかが、良く見えたのはとても良かった。
 軽口叩いてキャッキャする間柄だが、二人は命の取り合いを前提に魔術を真摯に磨く求道者でもあって、そういうシリアスで研ぎ澄まされた関係性こそが勝利の鍵になったのは、激戦にこそ映える美しい花だった。

 

 そんな死闘に水をさしかねない一級魔法使いの複製体を討ち取ったのは、殺戮に特化した三級魔法使いだった。
 『揺るがぬ信頼が生み出す勝利のイメージこそが、大魔道士にも勝ちうる最強の武器』と、フリーレン達の戦いで示す隣に、魔法学の常識を全部蹴っ飛ばして『私が切れると思ったのなら、なんだろうが切れる』を地で行くユーベルがいるの、なかなか面白い構図だった。
 ナントカと刃物は使いよう……正しい方向付が伴えばイマジネーションは無限の力を生み出すが、しかしそういう力は危険な方向にも開かれているわけで、魔術師というより超能力者のような佇まいで、我が道を行くユーベルの存在感は、独特で大きい。
 ゼンゼ撃破の異常性を際立たせるべく、撫で斬りにされたラヴィーナ達には残念なことだったが、『魔法戦は相性』という世界律を示す意味でも、かなり興味深いマッチアップだった。

 文字通り切れすぎる刃物のように、扱いが難しいユーベルのイマジネーションがこのまま、殺戮の方向に進んでいくのか、はたまた今回の試験を切っ掛けにネジ曲がっていくのか。
 一級試験を契機に、群像劇としての色合いを強めてきたお話の中でも、彼女の行く末はなかなか面白いネタだと思う。
 メガネくんに興味を持っていたり、自分と鏡合わせの殺戮者に見えて、その実不要な殺しを徹底して避けるヴィアベルと闘ったり、何か起きそうな気配は随所に転がっている……んだけども、生粋のぶっ壊れ人間なのもまた間違いなく。
 そうして壊れている精神性が尖った強さとなり、勝利を揺るがしかねない強敵をあっさり倒すのだから、魔法が実在する世界の善悪是非もなかなか、単純には割り切れないなと思う。

 変わり者ながら非常に真っ当な倫理観でもって、人相手に魔法は使わず人類の天敵ぶっ倒してきたフリーレン達だけだと、こういう捻れた価値観は表現しにくいと思うので、やっぱ一級試験でキャラ増えたのは良いことだわな。
 デンケンやヴィアベルが、魔法を人間相手に使うのが当たり前になった社会をどう生き延びてきて、何が摩耗しどんな芯が魂の奥に残っているのか描けたのも、そういう風にキャラ増やして、俗世の権勢に興味一切なしな変人以外の視点を、お話に盛り込んだおかげだろうしね。
 そういう多角的な視線を盛り込みつつ、ただただ魔法の高みを追い求めて莫大な時間を費やしてきた存在が、どれだけ恐ろしくどれだけ美しく見えるのか、フェルンの恍惚にしっかり刻んでいるのも、また良い。
 時の流れ、人の定めに押し流されて虚しくなってしまいがちな、遠くて美しい理想をそれでも追い求める良さってのを主役が背負ってるのが、僕がこのお話見てて好きだなぁと感じるところなので、偉業達成の最大功労者となったフリーレンの戦いが、魔王の如く強く、星のように眩しかったのは嬉しい。
 綺麗で遠い存在は、どっかに恐ろしさを残してくれていたほうが好きになれるね、僕は。

 

 というわけで二次試験かくして終了! やっぱ主役が一番チートだわ!! なお話でした。
 ほんわか可愛い旅の日常ばかりだと、うっかり忘れてしまいそうな魔法師弟の緊張感ある関係性が、華やかな命の取り合いの中で鮮烈に輝いていて、大変良かったです。
 力入れてアニメにしてくれてるおかげで、俺が見たい大魔道士の破壊技芸が山盛り良い作画で堪能できて、最高に良かった。
 世界最高の魔法使いってんなら、あんぐらい摩訶不思議な絵面で闘ってほしいと思っとるからな……ありがたい。

 毎度おなじみミミックオチで綺麗にサゲて、遂に一級魔法使い試験も最終局面。
 最後に待つ試練はどんなものになるのか、それをアニメがどう描くか。
 次回も楽しみです!

ダンジョン飯:第10話『大ガエル/地上にて』感想

 妹を喰らった火竜を求め、地下深き廃都市へと踏み込むもの。
 地上へと戻り、欲望と術数が渦を巻く迷宮全体を見据えるもの。
 冒険者がそれぞれの探索に向き合い、未来へ進む足取りを描く、ダンジョン飯アニメ第10話である。

 前回一話どっしり、ライオス一行の外側にいる冒険者を掘り下げた後だからこそ出来る、横幅と奥行きの広い決戦準備回であった。
 主役と縁のないもの、人となりのわからない誰かとしてナマリやタンスが存在しているのなら、彼らが地上に戻った後の風景もどこか空々しく、実感のないものとして感じられただろう。
 しかし前回、ピリピリしたファーストコンタクトから命がけの激戦を共にし、同じ釜の飯を食う所まで関係を深めたことで、変人一行が突き進む迷宮の外側にも、色んな事情と算段があり、別れた後もファリンを探してくれているナマリの情も、暖かく此方側に迫ってくる。

 魔物食という、ファンタジー世界でも常識外れなネタを真ん中に据える以上、ライオス一行はそれぞれどっか世間の当たり前から外れた、珍妙で愉快な連中である。
 第1クールは彼らの旅に焦点を絞り、戦って食べて必死に進む奇人集団を好きになれるよう、その好意を作り込まれた世界へ潜っていく足場に出来るよう話が進んできたが、そんな歩みもある程度の落ち着きを得て、ようやく主役の視界の外側に何があるのか、手応えを込めて描けるタイミングが来た印象があった。
 もちろんライオス一行の旅がハチャメチャながら面白く、美味そうだからこそそういう横幅も確保できるわけで、大ガエルと戦い廃都市を探索し、一度敗れた強敵にどう打ち勝つのか、作戦を練り腹ごしらえをする様子も大変良かった。
 地上に戻るタンス一行と、地下深く進むライオス一行を対照で描きつつも、片や妹の命、片や未来の命運と、話のタイトルにもなっている”ダンジョン”が持つ不思議な引力に引き寄せられて、同じ道を歩んでいる感じがする回だったと思う。
 『色んな連中が色んな思惑を持ってそれぞれの道を進んでいるが、その真中には確かな核があって、それこそが作品のメインテーマになっている』という実感を掴めると、群像劇は一気に瑞々しさを増すなぁ……。

 

 というわけでライオス(テンタクルスの階段)→タンス/ナマリ(地上)→ライオス(五層)と、視点を取り替えながら進んでいく今回。
 映像の時系列をカットアップし、地上組の話をまずしようと思う。
 前回の戦いでただの弾除けではなく、パーティーの一員として絆を深める決意を雇い主に告げたナマリだが、ツンツン実利的な態度の奥で死体置き場にファリンを探す、城の深いところが描かれていた。
 マルシルへのそっけない態度は、チルチャックが指摘した冒険者としての下降線をどうにか跳ね除けて、一端の戦士として家業を続けるための鎧……って部分もあったのだろう。
 無論情一本で生きてるのならば、マルシルのように損得抜きで冒険に付き合っていただろうし、実利と感情のバランスを取りつつ、自分のできる事をできる場所でやり続けているナマリの生き方は、とても好ましいものだ。
 よくよく考えると、どんくさエルフの気持ち最優先で突っ走って社会の常識置き去りにするところ、色々危ういからな……。

 

 雇い主であるタンスも、賢者の装いに相応しいバランス感覚と叡智でもって、ごろつき共が気にしないダンジョンの秘密とか、種族間政治とかと闘っていた。
 彼が島長を訪れる時、食事をしているのがつくづく”ダンジョン飯”だなぁと思うが、迷宮需要で立派に膨れた彼の館で食べられているのは、ライオス達が決戦を前に戦地で腹に収める魔物職とは違う、まさに”飽食”である。
 自分は迷宮に潜らず、探索者が掘り出してきた富で腹を膨らませ、支配者然と構えている島長は見た目ほど楽な立場ではなく、島と迷宮は長命種達の政治の焦点として、色々突っつかれる傷口だ。
 タンスが報告する迷宮の現状は、彼の高御座を保証する富が迷宮から枯れかけて、治安が悪化し秩序が崩れていることを教える。
 どうにか手を打たないと、迷宮の中にも外にもひろがる経済と政治は悪化し、飽食を貪るどころではなくなっていくが、そういう危機感を持っている人はごくごく僅かだ。
 主役からして、妹復活と魔物観察、モンスター・グルメにばっか興味あるしな……。

 戦士がクラーケンとの戦い/料理を通じて身にしみた、探索者をもその一部として取り込んで成立している、ダンジョンという生態系。
 気楽なライオス達だけにフォーカスしていると見えないが、人間の欲がそこに混ざることで既にそこは乱され、ダンジョンの外側へと不穏な気配が広がりかけている。
 魔物は迷宮から出てこず、富は無限に収奪できて、死んでも安心復活可能!
 そんなハック&スラッシュの夢とは、ちょっと違う現実主義で持ってこのお話の”ダンジョン”が動いていることを、賢者タンスの報告は良く教えてくれる。

 地上にひろがる世間から、良い意味でも悪い意味でも距離を取っているライオス達にとって、タンスがナマリを雇って挑んでいる彼の”冒険”は、縁遠い世界の物語だ。
 政治も経済もどっか遠い場所で踊るべきで、自分はただ迷宮に潜り魔物を倒し……それで、何がしたいのか?
 今は『ファリンを助ける』という眼の前の使命に突き動かされて動いているが、彼が人生の舞台と選んだ迷宮をエルフ宮廷が遠くに睨んでいる以上、遠いはずの政治や経済は思いの外身近になり得、ライオスなりの答えを出さなければ自分自身の願いも叶えられない。
 というかその願いを迷宮探索行の中で見つけていく、ダンジョン・ジュブナイルとしての味わいが結構石あるのだと示す意味でも、現状遠くにある迷宮政治、迷宮経済の手触りをタンスを通じて描いたのは、結構大事な一手だと思った。
 いかにもゲーム的に、尽きない始原で無限の富を得れそうだったダンジョンが、有限のリソースに適切に対処しなきゃ問題ドバドバ溢れてくる、極めて現実的な場所だって今回解るの、ホント面白い逆立ちだよなぁ……。

 

 まーそういう地上の喧騒ははるか上方、主役はともかく自分たちのクエストへ突き進む!
 強敵ウンディーネを倒し、オークの隠し通路で一気に五層! ……とはいかず、まーた一悶着あるのがいかにも、ライオス達らしい旅と言える。
 俺は非戦闘員のチルチャックが、シーフとしての罠知識と鋭い知恵を活かして戦闘でも活躍する場面が好きなので、丸呑みにされかけながら大ガエルをぶっ倒す活躍してくれたのは、大変良かった。
 魔物知識はライオスの領分なんだが、前回マルシルが手ずから料理を作ったように、大ガエルの生態を活かして危機を乗り越える描写があったのは、キャラがパーティに馴染み各々の垣根が崩れてきた感じを受ける。
 お互い私生活も過去も語らず、流されるまま”パーティ”になっていた連中が、大冒険の中で自分を形作るものを語り、あるいは見つめ直し、仲間に解ってもらうドラマがドッタンバッタン大騒ぎの中にちゃんと在るの、俺は好きだ。

 そういう硬い芯をしっかり確保しつつ、イカれてカワイイ絵面で思わず笑っちまうのもこのお話の強みで、お手製カエルスーツで危険領域を越えていく、ファンシーなんだか狂ってんだか良くわからない場面、素晴らしく良かった。
 片手にお皿抱えて、モグモグ飯食ってるのが”狂い”を加速させててなお良いんだよなぁ……。
 僕はこのお話が、料理を食べるだけだけではなく作る物語であり、食材と命懸けの死闘を繰り広げる所からしっかり描いているのが好きなのだが。
 自分たちの生活を支える糧がどう得られ、どう調理されて食事となるか、過程を楽しく余す所なく各筆が、今回は衣食住全面に伸びていて良かった。
 センシが”食”を、ライオスとチルチャックが”衣”をそれぞれ担当し、マルシルのツッコミが惑っている隙に、極めて迷宮的なイカレスーツが完成している様子は、”飯”を主題にしつつそれだけで終わらない、人間が生きる根底を様々な角度から描くこのお話の多彩さを、コミカルに削り出していた。
 普通の服では切り抜けられないテンタクルスのダメージゾーンを、大ガエルアーマーをDIYすることで乗り越え、目的地へとたどり着く。
 それが血まみれの生臭い作業だという事も含めて、”衣”がどう作られ何の役に立つのか、しっかり描いてくれるのが良かった。
 ここら辺の複眼はケルピーの石鹸作りでも生きていたところで、エンジンかかってきたお話が豊かな作品世界へと、貪欲に画角を広げつつ在るのを感じる。

 

 黄金の野を抜けてたどり着いたのは、オークが廃棄した古き廃都。
 ファリンを助ける旅の最終目的地、火竜彷徨う第五層である。
 おそらくTRIGGERアクション班が大暴れするだろう、大怪獣決戦は次回にとって置いて、今回はメインディッシュ前の下ごしらえ、腹ごなしと事前調査が描かれた。
 ここも”過程”を飛ばさない丁寧な手つきが生きているところで、変人ながら熟練の探索者であるライオス一行がどういう風に、ネームドモンスターを攻略していくのか……丁寧に描いてくれた。
 いざ本番を前にマルシルがナイーブになっている描写が、『やっとる場合か!』なセンシの食事の支度が今こそ必要であり、一大事だからこそ人間の根底を丁寧に満たし、しっかり食ってしっかり戦える姿勢を作る意味と価値を、良く際立たせてくれた。
 センシ抜きのパーティーが空腹で負けた冒頭の描写が、ホスピタリティ溢れるセンシおじさんが一向に加わってくれた意味をこの決戦前夜、しんみり確認させてくれた良かったな。
 オレ、センシスキダイスキ。(センシの話になると語彙力低下マン)

 今回はパーティーリーダーとしてのライオスの頼もしさが、事前準備の手際に良く映える回だったと思う。
 人間に興味のない、手のつけようがない魔物マニアではあるのだが、剣の腕だけでなく魔物の知識、観察力と戦術立案、集団統率力に優れたライオスは、確かに五層までたどり着ける力を持っている。
 行き当たりばったりの力押しではなく、現有戦力と地勢を確認した上で打てる手を探っていく慎重さは、ベテラン冒険者であるが故の知恵であり、一回負けているからこその痛い教訓でもあるのだろう。(この失敗から学ぶ姿勢は、タンスの苦言を嫌そうに聞いてる島長の怠惰と面白い対照で、こういう対比ができるから群像劇は面白いと思う)

 最終決戦を前に仲間への感謝を言葉にし、この旅で得たものを振り返るのは正解だし大事……なんだが、モグモグ口いっぱい食べてる真っ最中に突きつける間の悪さは、まぁここまで彼の旅に付き合ってきた僕らもよく知るところだ。
 気づけば10話。
 イカれた所も優れた所も、全部ひっくるめてライオスが好きになっていて、彼と彼の仲間が本懐を遂げるのか、火竜決戦をハラハラ見守る気持ちが自分の中に生まれていることを、美味そうなカエル・カツレツによだれ流しながら確認する回であった。

 

 というわけで、迷宮の深奥と明るい地上、複数の画角から作品全体を照らす回でした。
 火竜との決戦場が廃都になったことで、ドラゴンのスケール感がより強く感じられるのは、シチュエーションの妙味だな。
 TRIGGERが描くとモロにゴジラになってるのはマジ面白かったが、絆を確かめ腹を満たし、やるだけやっての大決戦。
 次回一体何が描かれるのか、大変楽しみです!

異修羅:第10話『消える災厄』感想

 燃え盛る街に満ちる虐殺の音色が、夢の終わりを告げる。
 敗勢濃厚な街でたった一人、不壊の鉄蜘蛛に挑む修羅。
 世界の理を書き換える異能を、幸せを呼ぶ力だと信じる修羅。
 たった一人で戦争の行方を左右できる怪物たちの横顔が、滅びゆく街に照らされる異修羅アニメ第10話である。

 

 群像それぞれの戦争を切り取るカメラは、ダカイとニヒロの激戦を、あるいはキアと彼女の”先生”の足取りを追いかけていく。
 血で血を洗う残酷な世界こそが自分の晴れ舞台だと、堂々胸を張って死地に挑む盗賊と、燃え盛る炎を前にしてなお希望を紡ぐ言霊使いの在り方は真逆だが、国家レベルの暴力を単独で跳ね除けうる怪物だということは共通している。
 ユノがソウジロウの隣で薄暗く燃やしている強者への怨念は、戦争という暴力の嵐に何も出来ないまま翻弄されたラナにも共通であり、彼女が理不尽な世界に牙を突き立てるべく握った”冷たい星”は、世界詞の異能に虚しくかき消されていく。
 リチア新公国が、魔王亡き後の黄都新秩序に反旗を翻してなお勝てると信じる大きな要因だった暴力装置は、世界最急の生体戦車一つ潰せず、発射担当を薙ぎ払われれば二の打ちも効かない、ひどく脆い理不尽だった。
 あまりにも圧倒的すぎる”個”がせめぎ合う中、そもそも勝てない戦争に頭から突っ込んでいったタレンが何考えていたのか、彼女の街が燃えきる前に聞いてみたい気持ちは強いが……魔王自称者には魔王自称者なりの、譲れぬ何かがあったのだろう。

 燃え盛る敗勢の中でダカイは、ニヒロとの修羅比べに生きがいを見出し、軽口を交えて盗賊らしく戦い切る。
 幾度も『自分は剣士じゃない』と否定してきた彼が、剣士の極限たるソウジロウが無敵装甲ぶった切った剣筋を読みきれず、自分には到達できない神秘としていたのが、なかなか印象的だった。
 それは剣に生き剣に死ぬソウジロウだけが実現可能な異能であり、ダカイの怪物的観察力、見えた結果に何が何でもたどり着く実行力と同じ、生き様とチートの入り混じった力だ。
 キャラが立った人でなし同士がガチガチぶつかり、『どうやって倒すんだコイツ!』という視聴者の予断を堂々乗り越えていく腕前こそが、こういうお話の醍醐味だと思う。
 なので極めて盗賊らしく、剣士には出来ない勝ち筋に身を投げて、戦略兵器の直撃すら耐えきる鉄壁金城を攻略しに行った足取りは、とても鮮やかで良かった。

 『神経毒を適切なところに注入したら、物理ハッキングかませてハッチが開くんだよ!』はこうしてまとめてしまえばヨタ以外の何物でもないが、”盗む”という在り方に全霊を賭し、”らしく”勝ち切る勇姿を良い作画で描かれてしまうと、飲み込まざるを得ない。
 おまけに声が、なかなか聞けないけどずっと聞いていたいタイプの保志総一朗とくりゃ、不死不滅を殺した手際に天晴というしかない。
 普通にゃ飲み込めないヨタを、異様な迫力の語り口と激しい描写、修羅が修羅として生きざるを得ない定めと共にかかれて納得してしまう、強引なパワー勝負を受け止めたくてこういう話見ている部分もあるので、ダカイの戦いは大変良かった。
 ニヒロ側にもう一二枚、隠し芸があって勝敗がひっくり返りそうな迫力も、都市を蹂躙し破城の光を耐えきる戦いにあったが、さてはてどうなっていくかねぇ……。

 

 ダカイが胸を張って堂々、盗むしか能がなく”盗む”という範疇にねじ込めるなら何でも達成できる、修羅の己を誇ったのに対し、キアはなんとも青臭く人間臭く、血みどろの炎で汚れた街に眩しかった。
 ラナやエレナが諦めざるを得なかった、人が人として真っ直ぐ生きられる幸せを、何もかもを言葉で書き換えられるキアは諦めなくて良い。
 逆に言えば魔王が死んでなお戦乱の火種がくすぶる異修羅世界、”普通に”幸せに生きるためには、世界の理を捻じ曲げうる圧倒的な力が必要になるのだろう。
 キアの力ある言葉は街を覆う炎を消し、新公国逆転の要であったはずの戦略兵器を無効化する。
 灼かれ殺され、焼き返し殺し返す修羅の巷に汚れることなく、善良で正常な理想を甘ったるく語っていられるのは、そういう巨大すぎる暴力があればこそだ。

 同時にキアがシャルクに告げた、力を宿さないごくごく普通の言葉は、命と一緒に記憶と過去を置き去りにし、傭兵稼業に流れ着くしかなかった男の虚無を、微かに揺らす。
 あの時のキアは、その力を秘匿されることで戦略的アドバンテージすら得れる”世界詞”ではなく、残酷な現実を前に何も諦めたくないと、あまりに若くあまりに甘い夢を見る、小さな子供でしかなかった。
 そんな子どもの寝言に一理ありと、ニヒルに笑って道を示す諧謔がシャルクにもまだあって、この精神的余裕が真実強者たる資格を、されこうべに宿してもいた。
 シャルクさん、独特のユーモアが鉄火場でも衰えず、どんなときでも髑髏に嘲笑を浮かべたまんま戦い続けている所が、クールでいいと思う。

 

 世の中そんな風に聞く耳持ってくれる相手ばかりではなく、自分が運命に翻弄されるだけの弱者だと思い知らされたラナは、キアを怪物と見て怯える。
 ユノが憎悪へと反転させた無力感を、町ごと何もかも焼き尽くす衝動に繋げ、あるいは我を見失うほどの恐怖と絶望に転化させているのは、なかなか面白い在り方だと思う。
 ラナの反応は嵐の如き暴力に理不尽に巻き込まれた弱者としては、ごくごく一般的なものだと思う。
 それがありふれているから、暴力に魂の真ん中をぶん殴られたものが暴力を握り返し、何も出来ない虫けらではないと他人の屍で世界に墨書する行為は、世界のあらゆる場所で火を吹く。
 そんな虫けらのような人間、唯一の存在証明を言葉一つでぶっ潰せる存在は、確かに怪物以外の何物でもなかろう。

 その上でキアは優しく正しく気高くあろうとする震える子どもでしかなく、”世界詞”はその存在だけで戦争の行方を左右できる人型戦略兵器だ。
 この精神と異能のアンバランスは、この窮地を切り抜けて政争の道具に使おうとしてるエレアにとって、結構な急所になりうると思う。
 やっぱ自由意志とまともな感性もったまま、あんだけのインチキをノーモーションノー代償でぶっ放せる存在を扱うのは至難であり、洗脳なり心酔なり、良い首輪をつけなきゃエレアの望みは遠そうだと思った。
 言葉よりも、意思よりも早く少女を殺せる修羅もこの世界にはありふれてる(例えばナスティークとか)のだろうし、”先生”もピーキーな札に運命張ったなぁ……。

 そんなエレアは、かつて失った己の可能性に似た、キアの幼さに感化されラナを見過ごす……のか?
 腐っても黄都二十九官、裏切りと殺戮の泥濘に身を投げてでも生き延び、叶えたい理想があってその位置にいるだろう女が、ガキンチョ一人の生き様で果たして揺らぐか、否か。
 優しいヒューマニズムが全部を解決するような、ヌルいお話ではないと感じているので、こっちもまた一つ二つ、反転の札を隠しているような感じもある。
 まー世界の残酷さを諦めきって現実に適応した女が、若く真っ直ぐな心意気に触れて生き方を変えるドラマも面白いので、殺そうが見逃そうが、変わろうが変われなかろうが、どっちもアリかなと思う。

 

 というわけで、街は燃え人は死に、そんな当たり前の絶望と理不尽を踏み潰せる怪物たちもまた、生き方を背負う一人の人間……というお話でした。
 ながーい前フリでコトコト煮込んできた、イカれた異能群像劇の本領がいい感じにアクセル踏んでる感じがあって、大変良かったです。
 能力比べの面白さだけでなく、それぞれの力と密接に結びついた譲れぬ在り方、それぞれの歪み方がぶつかり空い、照らし合い、軋みながら絡んでいく様子を描くためには、やっぱある程度以上の準備がいるよね。

 それを承知でこの形式を選んだ異修羅アニメが、残りの話数で何を描くのか。
 楽しく見届けたいと思います。
 次回も楽しみ。


・3/10追記 転生チートでスカッと超人! ……というには、あまりに”社会”の強さと強さを細かく積み上げているので、『群れ/社会的動物であるが故に強い』ってキャラが出てきた時に、一気に物語の画角が変わるとは思う。

 

うる星やつら:第31話『扉を開けて 前編』感想

 神様ウサギが落とした鍵で、騒がしいアリスたちは可能性の国の扉を開けていく。
 あり得るかも知れない未来を覗き込み、求める結末を求め彷徨う不思議な旅路。
 令和うる星第31話である。

 というわけで満を持しての因幡くん登場、物語が終わったその先を紐解いていく多言世界旅行記エピソードである。
 今となってはマルチバースパラレルワールドもオタクのド定番となっているが、40年前は当然目新しい新機軸であり、コミカルで騒々しいうる星テイストを濃厚に交えつつも、SFマインド濃い目の話で面白かった。
 多元世界を渡り歩く旅のきっかけになる因幡くんは、複数の世界を観察・管理可能な神様みたいな存在であるが、すぐさまいつものノリに波長を合わせて騒がしく駆けずり回り、しのぶといい感じのオーラを出していく。
 最初はラムとあたるを取り合う三角形の一点を担っていたのに、話数が積み重なるほどにマッタリいい感じの友情物語に引っ張られていって、ラブコメの相手役としては存在感が消えていたしのぶにとって、待ってましての固定カプ候補とも言える。
 しのぶがあたるに対してあんま太い矢印を伸ばしておらず、ラムと気さくな友達関係をすぐさま作ってしまった結果、緊張感ある三角関係が維持できてないって意味では、面堂くんも似た所あるな……。

 

 さておき、結構トンデモナイことが起こっているのにお話はいつもの調子で進み、不可侵なはずの可能世界にラムは扉を作り、好奇心旺盛に土足で駆け抜けていく。
 思えば前回Bパート、スナック感覚で通学路にショートカットを作ろうとして、あり得るかも知れない未来に迷い込んでる時点で、鬼ッ娘宇宙人のDIYは時空間移動や因果操作の領域に手をかけていたわけで、スルスルと神様領域まで話がぶっ飛んでいくのもまぁまぁ納得である。
 そうして覗き込んだ未来は主に、誰と誰がくっついて家庭を築くかという一点に集約していて、ここら辺は確かにラブコメらしい味わいである。

 どんだけ扉を開けても、主人公とメインヒロインがくっつく未来は観測されず、お互い納得行かないガッカリ未来を否定するために、一行は扉を開けては観測し、別の未来へと乗り換えていく。
 ここら辺のノリの軽いお試し感覚はいかにもこのお話らしくて、ドタバタワイワイ騒がしい珍道中と合わせて、不要な重たさがなくて良い。
 管理局のウサギ達とドッタンバッタン大騒ぎしている所は、”ふしぎの国のアリス”と”注文の多い料理店”をかき混ぜて、SF味のスパイスを効かせた感じがあって面白かったな……。

 

 あり得るかも知れない未来を覗き見て、あれが気に食わないこれを認めないとワイワイ騒ぐ行為は、可能性を狭めると同時にどんな未来を望んでいるのか、暴き立てるリトマス試験紙のような意味合いも持つ。
 なにしろ永遠の狂騒を駆け抜けていくハイテンション・コメディ、『真実の望み』とかいうマジで重たいものを真っ直ぐ見据えるチャンスもなかなかないわけで、そういう場所に楽しく騒がしく……つまりは”うる星”らしくたどり着くための道具立てとして、運命を観測し製造できる稲葉くんが選ばれた感じもある。
 彼の手を取って一緒に走りつつ、自分は本当は何を望んでいるのか、不定形の未来を鏡にして考える仕事は、そういうエピソードがさっぱり無いまま終わりなき日常に埋没仕掛けていた、三宅しのぶが主に担当することになる。
 旅の果てに彼女が見つける望みこそが、彼女がどんなキャラクターであり、この物語において何を求め何を為すのか、一つの答えを照らすだろう。
 そういう感じで、キャラクターの核にある小さな祈りを結晶化出来るエピソードがあるのは、やっぱ良いことだと思う。

 話のど真ん中からちょっと外れたところで、ワイワイやかましい掛け合いしながら望む未来を探している主役カップルは、では何を望むのか。
 ラムの場合はダーリン一筋で分かりやすいが、即物的で多情に思えるあたるが何を望んでいるのかは、分かりにくいようでいてバレバレではある。
 ここまで幾度かあった、シリアスな手応えのエピソードで示されているように、プレイボーイ気取りで空振りばかりの諸星あたるの本当に大事なものは、傍から見ているとバレバレなのに、あたるはそれをけして正面から見ない。
 そんな自分のマジを観測してしまえば、物語の未来は一つに固まってしまい、永遠の狂騒は終わりを告げるしかなくなってしまう……のかもしれない。
 友引町が終わらないカーニバルの只中で、宇宙人から妖怪まで、常識ブッ壊れた何でもありの混沌を踊り続けるためには、それなりの幕引きを用意しなければならず、それはまだまだ……具体的には三ヶ月ちょっとぐらい先の物語なのだろう。

 

 自分が何者であるのか、観察せず確定させない浮っついた浮遊は、友引町の物語が長い長いモラトリアムであることを示す。
 猶予期間であるからにはいつか年貢の納めどきがやってきて、その先にある未来が思いの外多様性に満ちて、色々ハチャメチャであるってのを因幡くんの力を借りて、観察している真っ最中であるが。
 どんなふうにも転がりうる、不定形の未来をどんな形に固めていきたいのか。
 次回後編は、それぞれの願いが照らされる話になっていくだろう。

 もっと地道に、もっと当たり前の普遍性を持たせて掘り下げても良いテーマなのだが、あくまで騒々しくもSFマインドに溢れた、大変”うる星”味わいでそこにアプローチしていくのが、やっぱこのSFラブコメの金字塔という感じはある。
 ヒロインが空を飛ばず電撃を出さず、世界は野放図なやりたい放題を許さず、時間も運命も飛び越えていけない当たり前の窮屈さは、やっぱりこのお話には似合わないのだ。
 同時にそういうぶっ飛んだ作風でありながら、どっか思春期の普遍的な柔らかさをしっかり捉えて、SF的道具立てを活かしてジュブナイルの真ん中に突き進んでいく手応えも、またうる星らしさであろう。
 ここら辺、やっぱ”ドラえもん”イズムの正統後継者というか、児童誌から少年誌へ語り部を変えて継承されてるものがある感じなんだよなぁ……。

 可能性の扉を開け放って、迷い道の先に望むのはどんな未来か。
 アニメがこの重要エピソードを、どういう色合いで書ききるか。
 次回後編、楽しみですね!