イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

異修羅:第10話『消える災厄』感想

 燃え盛る街に満ちる虐殺の音色が、夢の終わりを告げる。
 敗勢濃厚な街でたった一人、不壊の鉄蜘蛛に挑む修羅。
 世界の理を書き換える異能を、幸せを呼ぶ力だと信じる修羅。
 たった一人で戦争の行方を左右できる怪物たちの横顔が、滅びゆく街に照らされる異修羅アニメ第10話である。

 

 群像それぞれの戦争を切り取るカメラは、ダカイとニヒロの激戦を、あるいはキアと彼女の”先生”の足取りを追いかけていく。
 血で血を洗う残酷な世界こそが自分の晴れ舞台だと、堂々胸を張って死地に挑む盗賊と、燃え盛る炎を前にしてなお希望を紡ぐ言霊使いの在り方は真逆だが、国家レベルの暴力を単独で跳ね除けうる怪物だということは共通している。
 ユノがソウジロウの隣で薄暗く燃やしている強者への怨念は、戦争という暴力の嵐に何も出来ないまま翻弄されたラナにも共通であり、彼女が理不尽な世界に牙を突き立てるべく握った”冷たい星”は、世界詞の異能に虚しくかき消されていく。
 リチア新公国が、魔王亡き後の黄都新秩序に反旗を翻してなお勝てると信じる大きな要因だった暴力装置は、世界最急の生体戦車一つ潰せず、発射担当を薙ぎ払われれば二の打ちも効かない、ひどく脆い理不尽だった。
 あまりにも圧倒的すぎる”個”がせめぎ合う中、そもそも勝てない戦争に頭から突っ込んでいったタレンが何考えていたのか、彼女の街が燃えきる前に聞いてみたい気持ちは強いが……魔王自称者には魔王自称者なりの、譲れぬ何かがあったのだろう。

 燃え盛る敗勢の中でダカイは、ニヒロとの修羅比べに生きがいを見出し、軽口を交えて盗賊らしく戦い切る。
 幾度も『自分は剣士じゃない』と否定してきた彼が、剣士の極限たるソウジロウが無敵装甲ぶった切った剣筋を読みきれず、自分には到達できない神秘としていたのが、なかなか印象的だった。
 それは剣に生き剣に死ぬソウジロウだけが実現可能な異能であり、ダカイの怪物的観察力、見えた結果に何が何でもたどり着く実行力と同じ、生き様とチートの入り混じった力だ。
 キャラが立った人でなし同士がガチガチぶつかり、『どうやって倒すんだコイツ!』という視聴者の予断を堂々乗り越えていく腕前こそが、こういうお話の醍醐味だと思う。
 なので極めて盗賊らしく、剣士には出来ない勝ち筋に身を投げて、戦略兵器の直撃すら耐えきる鉄壁金城を攻略しに行った足取りは、とても鮮やかで良かった。

 『神経毒を適切なところに注入したら、物理ハッキングかませてハッチが開くんだよ!』はこうしてまとめてしまえばヨタ以外の何物でもないが、”盗む”という在り方に全霊を賭し、”らしく”勝ち切る勇姿を良い作画で描かれてしまうと、飲み込まざるを得ない。
 おまけに声が、なかなか聞けないけどずっと聞いていたいタイプの保志総一朗とくりゃ、不死不滅を殺した手際に天晴というしかない。
 普通にゃ飲み込めないヨタを、異様な迫力の語り口と激しい描写、修羅が修羅として生きざるを得ない定めと共にかかれて納得してしまう、強引なパワー勝負を受け止めたくてこういう話見ている部分もあるので、ダカイの戦いは大変良かった。
 ニヒロ側にもう一二枚、隠し芸があって勝敗がひっくり返りそうな迫力も、都市を蹂躙し破城の光を耐えきる戦いにあったが、さてはてどうなっていくかねぇ……。

 

 ダカイが胸を張って堂々、盗むしか能がなく”盗む”という範疇にねじ込めるなら何でも達成できる、修羅の己を誇ったのに対し、キアはなんとも青臭く人間臭く、血みどろの炎で汚れた街に眩しかった。
 ラナやエレナが諦めざるを得なかった、人が人として真っ直ぐ生きられる幸せを、何もかもを言葉で書き換えられるキアは諦めなくて良い。
 逆に言えば魔王が死んでなお戦乱の火種がくすぶる異修羅世界、”普通に”幸せに生きるためには、世界の理を捻じ曲げうる圧倒的な力が必要になるのだろう。
 キアの力ある言葉は街を覆う炎を消し、新公国逆転の要であったはずの戦略兵器を無効化する。
 灼かれ殺され、焼き返し殺し返す修羅の巷に汚れることなく、善良で正常な理想を甘ったるく語っていられるのは、そういう巨大すぎる暴力があればこそだ。

 同時にキアがシャルクに告げた、力を宿さないごくごく普通の言葉は、命と一緒に記憶と過去を置き去りにし、傭兵稼業に流れ着くしかなかった男の虚無を、微かに揺らす。
 あの時のキアは、その力を秘匿されることで戦略的アドバンテージすら得れる”世界詞”ではなく、残酷な現実を前に何も諦めたくないと、あまりに若くあまりに甘い夢を見る、小さな子供でしかなかった。
 そんな子どもの寝言に一理ありと、ニヒルに笑って道を示す諧謔がシャルクにもまだあって、この精神的余裕が真実強者たる資格を、されこうべに宿してもいた。
 シャルクさん、独特のユーモアが鉄火場でも衰えず、どんなときでも髑髏に嘲笑を浮かべたまんま戦い続けている所が、クールでいいと思う。

 

 世の中そんな風に聞く耳持ってくれる相手ばかりではなく、自分が運命に翻弄されるだけの弱者だと思い知らされたラナは、キアを怪物と見て怯える。
 ユノが憎悪へと反転させた無力感を、町ごと何もかも焼き尽くす衝動に繋げ、あるいは我を見失うほどの恐怖と絶望に転化させているのは、なかなか面白い在り方だと思う。
 ラナの反応は嵐の如き暴力に理不尽に巻き込まれた弱者としては、ごくごく一般的なものだと思う。
 それがありふれているから、暴力に魂の真ん中をぶん殴られたものが暴力を握り返し、何も出来ない虫けらではないと他人の屍で世界に墨書する行為は、世界のあらゆる場所で火を吹く。
 そんな虫けらのような人間、唯一の存在証明を言葉一つでぶっ潰せる存在は、確かに怪物以外の何物でもなかろう。

 その上でキアは優しく正しく気高くあろうとする震える子どもでしかなく、”世界詞”はその存在だけで戦争の行方を左右できる人型戦略兵器だ。
 この精神と異能のアンバランスは、この窮地を切り抜けて政争の道具に使おうとしてるエレアにとって、結構な急所になりうると思う。
 やっぱ自由意志とまともな感性もったまま、あんだけのインチキをノーモーションノー代償でぶっ放せる存在を扱うのは至難であり、洗脳なり心酔なり、良い首輪をつけなきゃエレアの望みは遠そうだと思った。
 言葉よりも、意思よりも早く少女を殺せる修羅もこの世界にはありふれてる(例えばナスティークとか)のだろうし、”先生”もピーキーな札に運命張ったなぁ……。

 そんなエレアは、かつて失った己の可能性に似た、キアの幼さに感化されラナを見過ごす……のか?
 腐っても黄都二十九官、裏切りと殺戮の泥濘に身を投げてでも生き延び、叶えたい理想があってその位置にいるだろう女が、ガキンチョ一人の生き様で果たして揺らぐか、否か。
 優しいヒューマニズムが全部を解決するような、ヌルいお話ではないと感じているので、こっちもまた一つ二つ、反転の札を隠しているような感じもある。
 まー世界の残酷さを諦めきって現実に適応した女が、若く真っ直ぐな心意気に触れて生き方を変えるドラマも面白いので、殺そうが見逃そうが、変わろうが変われなかろうが、どっちもアリかなと思う。

 

 というわけで、街は燃え人は死に、そんな当たり前の絶望と理不尽を踏み潰せる怪物たちもまた、生き方を背負う一人の人間……というお話でした。
 ながーい前フリでコトコト煮込んできた、イカれた異能群像劇の本領がいい感じにアクセル踏んでる感じがあって、大変良かったです。
 能力比べの面白さだけでなく、それぞれの力と密接に結びついた譲れぬ在り方、それぞれの歪み方がぶつかり空い、照らし合い、軋みながら絡んでいく様子を描くためには、やっぱある程度以上の準備がいるよね。

 それを承知でこの形式を選んだ異修羅アニメが、残りの話数で何を描くのか。
 楽しく見届けたいと思います。
 次回も楽しみ。


・3/10追記 転生チートでスカッと超人! ……というには、あまりに”社会”の強さと強さを細かく積み上げているので、『群れ/社会的動物であるが故に強い』ってキャラが出てきた時に、一気に物語の画角が変わるとは思う。