イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

「科学革命」とは何だったのか

スティーヴン・シェイピン、川田勝。タイトルどおり17世紀近代初期における科学思想史の本。サブタイトルは「新しい歴史観の試み」
サブタイトルにあるように、この本の視点は非常に鋭いところから始まる。クーンのパラダイム論を批判的に考慮し、「科学革命」なる一つの巨大な塊は存在せず、学者ごとの思想的・政治的みぶりと自然哲学/科学に関わる世界観、価値観の絡まりあいとして、再現性・現実性を重視する「科学的」見解が形成・重視されていったのだとする視座。
それは明確な時代の切断を拒否し、近代以前/以降の自然哲学/科学の線引きを疑う。17世紀科学者の機械論的世界観の中に神の偉大さに関する記述を見、ボイルの実験器具の中にスコラ的詭弁をひっくり返す力を見る。そのともすれば折衷的、どちら付かずで勢いのない臆見になってしまいがちなスタンスは、しなやかな理論と徹底した第一資料の読解、そしてそれを纏め上げる知見と記述力に支えられている。
例えばガリレオの望遠鏡やフックの顕微鏡、ボイルの真空装置は「科学的」な見解を物質的に支え、それ自体が思索の中で強力なメタファーとして機能するものだった。だが同時に彼らは「科学的」ではない世界からさまざまなもの、例えば量子論や神学、目的論などを(時に批判的に)借り受けていたわけだし、そこには連続がある。
同様にして、ガリレオの思考と、デカルトの思考と、ニュートンの思考はそれぞれの政治的・文化的・学問的文脈によって大きく異なり、そこには切断がある。連続と切断を丁寧に見分け、指摘し、文献によって補強する。その繰り返しにより、この本は一般書でありながら非常に強力な論理的骨子と「科学的」なるものへの言説を有している。
それは単に切断のみがあるとする言説よりも、連続のみがあるとする言説よりも、そしてその両方の中で結局何も言わずにいる言説よりも、はるかに強力な説得力と説明機能を有している。そして、切断の間に連続を見つけ、連続に見える部分に切断を確かめることは、とにかく徹底した資料分析と、それを支える冷静な視座、そして鋭い知見によってのみ可能な偉業なのである。
一般書としてスタートしているため、専門的過ぎる記述はほとんどなく非常に読みやすい。その上で、クーンのパラダイム論以後に科学史家がどのような自らの学問領域を発展させてきたかを明瞭に見せつけてくれる精密な書物でもある。少なくとも20世紀が科学の世紀であり、今が21世紀である以上、「科学的」なるもののはじまりがいかなるものだったか、を丁寧に解説してくれるこの本は非常に有益だろう。傑作。