イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第55話『プリンスとヤギとデートと私』感想

パルプスの野生児ふわりのお話もそろそろ大詰め、今回は彼女らしさをらぁらと煮込んでいく回。
王子の『とっとと世界の果てに帰れ。半裸で。赤いスポーツカーで』と言いたくなる嫌らしいエゴの押し付けと、それを跳ね返す女達の爽やかな連帯が良く効いていて、印象に残るエピソードとなりました。
デレマスといい、権力者に押し付けられた高いヒールを、お姫様が突っ返すラディカル・フェミニズム的お伽話が最近はやっておるのかな。

プリパラは色々トンチキなことをしたり、時々お話がヘロヘロしたりしつつ、軸を間違えないシリーズです。
『み~んなアイドル、み~んなトモダチ』というキャッチに恥じないよう、キャラ作りの激しい委員長から天使と悪魔まで、らぁらは色んな子と友達になってきました。
今回プリンス・プリンセスというキャラ要素と、世界を独り占めにしみんなの上に立つ独善を巧く噛みあわせて、天真爛漫なふわりに悩ませていく展開は、キャラの個別要素とシリーズ全体のテーマを巧く組み合わせた、見事な展開だったと思います。
笑いのネタとして回していたふわりの野生児要素も、王子の嫌らしい独善と照らし合わせると、とたんに人の中に入って平等に付き合う優しさを強調するわけで、面白いなぁと。

今回イイなぁと思ったのは、エゴの押し付けである王子とのデートを、しかし同時に立派なロマンスとして見せている点。
ふわりは王子のことが好きで、彼に報いようと思ったから物語に登ったわけで、王子のエゴが歪んでいても、それとこれとは別問題。
むしろ好きだからこそ、王子が押し付けてくる理想とパルプスの野生児という本性とのギャプに悩むわけで、野生児の極だけではなく、ロマンスの極もしっかり演出できないと、視聴者はふわりの葛藤にのめり込めないわけです。
ガラスのハイヒールという詩的なフェティッシュを巧く使って、本性に従って自分らしく生きることを決断したふわりの姿が、今回印象的に描かれていました。


そんなふわりのアシストをするのが、天性の年上キラー、我らが主人公らぁらであります。
自分はらぁらを小学五年生と設定したのは凄い妙手だと思っていて、それはなにも、メインターゲット層に寄せて親近感を出すという意味合いだけではありません。
思春期直前の幼い子どもだけが持っている、素直な感性を恥じらいなく真正面に押し出せる強さ。
そんな優しい強さを主人公に預けれるのが、らぁらを周りのお姉さんたちより少し幼い年齢にした、一番の強みだと思っているのです。

今回ふわりに寄り添っていく様子も、小学五年生らしい、背伸びをしない自然体のもの。
幼い自分が受け止められるだけの悩みを一緒に抱えて、ふわりの道を切り開く手助けをしてあげる姿は、とっても頼もしく、好感が持てました。
必要なタイミングでちゃんと前に出て、物語を前に進める仕事をちゃんとするのが、らぁらの主人公力高いところだと思う。
『だるまさんがころんだ』や『かけっこ』で無邪気に遊ぶ中学生たちはちょっと幼すぎる気もしますが、まぁそこら辺はアレだ、らぁらとふわりの純真さに引っ張られる感じだ。

メスモテ委員長ことらぁらにふわりを掻っ攫われた王子ですが、エゴむき出しで蠢動をはじめました。
後半見せた自分勝手な部分を、前半見せたスマートでロイヤルな部分と巧く調和させることで、ふわり&プリンスを扱ったシーズンが終わる感じかなぁ。
しかし1カット(+予告)写っただけの刺客が全ての印象を持っていく辺り、土屋さんはキャラ付け巧すぎる。
ここら辺はプリパラのキチった部分がパワーに変わってるとこだと思います……ホントね、頭文字がセ・レ・ブリ・ティになってるところとか卑怯。

ふわりの持っているキャラクター性、克服するべき問題とその方法をスマートにまとめあげた、コンパクトでパンチ力のある回だったと思います。
いろんな事情でクローズアップするキャラが入れ替わる女児アニでは、今回のような小回り効いて馬力のあるお話は、絶対必要。
今回作ったいい流れを殺すことなく、上手くクライマックスに持って行って欲しいと思います。
……いやもう次回予告の段階で期待大だけどさぁ……なんだよあの山、あの四人乗り自転車……。