イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

乱歩奇譚:第11話『白昼夢』感想

歪で歪んだ世界の正義なき探偵物語、最終回であります。
新世代のホモカップルは愚直に体を張って人生の軌道を曲げ直し、めんどくさい経験が蓄積した旧人類は出来損ないの私生児を産み落として別れた。
かくして人生は辛く、つまらなく、猟奇の人々は特に何を為せるでもなくリアリズムに窒息させられていくのであった。

ナミコシがクッソめんどくさいクソホモだってのは今までの話見てれば分かりますが、対するアケチ先輩は彼と一緒の所まで堕ちてやるほどバカでも変態でもなく、なんにも考えないで正解を掴めるほど愚かでもない。
世界全てを猟奇のルールで塗り替えれるほど影響力のない天才探偵が、愛する友人に手を振りほどかれてしまったのは、その誕生の時から決まってた結末なのかもしれません。
ハシバくらい素直なバカだったらと考えると、中二病死に至る病
いや、ナミコシが寂しがりやすぎるくせに自分を一切愛せない、虐待被害者にありがちな精神状態から抜け出せなかったのが根本的なところだとは思うけど。

ナミコシとアケチと暗黒星の関係は『愛しあった結果授かった子供が毒ガス人間で、産めばナミコシも死ぬし周囲の人間もたくさん死ぬ。アケチは常識人として堕胎しろよと言い、その発言の裏にはナミコシの母体を大事にしたい気持ちがあった。伝わらなかったけど。ナミコシはアケチとの愛の結晶だったのでなんとしても産みたかった。二人の道は分かたれ、毒ガスでナミコシも他の人もたくさん死んだ』というふうに言い換えられると思います。
アケチ先輩、ほんと何も出来てねぇな。
コバヤシ少年とハシバの仲を取り持ち、もう一人の自分は間違えさせなかったのが、唯一の成果か?
コバヤシ少年とハシバの話は普通に良い話なんだけど、お話全体を背負わせるほど強力で普遍的な『普通』足り得なかったのは惜しいところだ。


そうして生み出された暗黒星だけど、結局半年で日常の中に埋め込まれ忘れ去られた。
性善説というか、正義の為に二十面相というアイコンを生み出したハシバの理念はけして理解されず、俗欲のはけ口としてていよく利用されただけだ。
ここらへんの『猟奇は現実に勝てない』オチは、奇しくも二十面相が殺したワタヌキ編と同じでしょう。
そういうあきらめがこのお話の言いたいことだったのかと考えると、乱歩の名前を関している割には踏み込みが弱い気もしますし、抗議自殺者生中継に代表されるような薄っぺらいテーマを貼り付けた悪趣味映像を連発することで、逆にテーマ性は薄れていった気もします。

この物語が猟奇が現実を歪めて行く理念優先型のフィクションなのか、理念は結局現実を改変し得ないという諦観(もしくは現実感覚)に満ちたフィクションなのかは、エピソードごとに違うわけで。
その反復運動からお話の芯を削りだしていき、最終的に止揚する構造ならまだ納得も出来たけど、これも卑俗で悪趣味な『社会派ネタ』の軽い扱いで真実味がどんどん薄くなって、止めとして暗黒星ロジックの破綻があった。
この物語の『もっともらしさ』が何処にあるかは、ブラック企業を糾弾したふりをしたり、メディアの取材姿勢を戯画化したりすれば見えてくるというものではないだろう。
むしろそういう悪意に満ちたデフォルメは、お話の芯にあるものが何なのかをボヤかし、作中で行われる奇っ怪な事件の魅力を薄めて人を離れさせる原因になっていたとすら思う。

アケチやナミコシ、影男が代表する夢の側と、ワタヌキや二十面相が代表する現実の側が折り合えないという話にするのであれば、この過剰に悪意方向にドライブされた世界の中で真っ当な倫理を維持していたナカムラ刑事やハシバを、もっと目立たせてくれても良かった気がする。
ハシバはアケチ-ナミコシの『頭いいけどバカ』なホモカップルの対比物として正解を掴んでいたけど、もっともっと核の部分にいて良かったと思う。
そもだに、夢と現実の対立はテーマでもなんでもないですよ、と言われてしまえば、こんなつぶやきも空に消えていくだけなのだけれども。

人間椅子編のように乱歩の猟奇を現代風にリブートする話なのか、ナミコシ編のように徹底して味のない現実に猟奇が敗北していくお話なのか、地獄風景のように奇人たちが大暴れするギャグなのか、ナミコシ編のように失った青春期の思いが世界を巻き込んで暴走し取り返しはつかないというお話なのか。
僕にはいまいち統一したイメージを抱けなかったし、バラバラの世界認識が相互に響きあって一つの像を為す、ということもなかったように思う。
乱歩没後五十年という看板を出して挑むのならば、もうすこし統一感を持った切り口が個人的には欲しかったし、悪趣味で俗な『リアルなネタ』の中途半端な取り上げもいらなかった。
乱歩は俗の中の俗ではあるんだが、それを貫いた故に聖性に辿り着いている矛盾を達成したからこそ、死んでから50年目にアニメが作られるくらいには衝撃のある文学なのだろうし。
惜しいアニメだったと思います、つくづく。