イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

すべてがFになる -THE PERFECT INSIDER-:第8話『紫色の夜明け』感想

奇人変人が織りなすメロウ・ドラマ、八回目は萌絵のセクシーアピールと犀川先生のエウレカ
Aパートを虎縞ラムちゃん水着で駆け抜け、Bパートもショートパンツで無自覚なセクシーを振りまいた、萌絵の奇人っぷりが目立つ回となりました。
最近人間アピールが多かったので忘れてましたが、こうもビジュアルで見せられると解りやすいな、トンチキ人間力

僕はこのアニメを真賀田四季側(殺人者/天才/非社会的存在/彼岸)と、犀川・西園寺側(殺人を悼む側/凡人/社会に繋がった存在/此方側の岸)との綱引きとして見ています。
真賀田四季的な属性を二人の主人公が持っていればこそ、彼等は四季博士に引き寄せられ魅力を感じるわけですが、同時にそちら側に入ってしまえば終わりだと感じてもいる。(そう描写されてもいる)
ここに萌絵の『犀川先生を、大人の女に取られちゃう!』という焦った恋心が絡まって、色々面倒くさく進むのがこのアニメのエンジンだと思っています。

虎柄水着でのっしのっしと歩きまわる萌絵の頭のおかし……エキセントリックさは、彼女の中の真賀田四季を絵で再確認する演出だといえます。
名家のお嬢様でもなければサヴァン的計算能力の持ち主でもない僕達視聴者は、ひとしきり笑ったあと『着ろよ! 早く服着ろよ!!』とツッコむわけですが、そういう感性は彼女にも犀川先生にもない。
無論白い異界である研究所という『場』もあるんでしょうが、水着で大暴れすることを厭わない萌絵のズレは、独特の行動理念を貫いて近親相姦と殺人を実行した四季博士と繋がっている部分です。

しかし萌絵は完全に真賀田四季ではないからこそ、お話しのエンジン足りえる。
犀川創平が好きだという気持ちを、犀川創平に嫌われないように実現したいという、一般的で『普通』な感覚も持っている。
綱引きの『引っ張られる力』として虎水着を描いたように、じっくりと変わりゆく夜明けのシーンは綱引きの『引っ張る力』、過去のトラウマを整理し社会の中の自分を再確認しようとする努力を、絵の力で巧く表現していました。
川井憲次の印象的なBGMも相まって、夜の青から夜明けのピンクへとグラデーションしていく空の美しさは、その原義的な意味でアニメーションしていて、活き活きとしたパワーがあった。
それは、夜明けの中で語られた萌絵の告白、その背景にある価値に、製作者が向ける視線も表明しているわけです。

過去の傷を四季博士との対話で思い出し、犀川を傷つけた過去に向かい合った経験を萌絵は『良かった』という。
ここら辺は父親の「絶対に許さんぞ」という呪詛に、未だ決着をつけられない四季博士にはない強かさでしょう。
真賀田四季の強烈なキャラと派手な言動に惑わされがちですが、『引っ張られる力』は必ずしも『引っ張る力』より質的優位があるわけではなく、人間が選択しうる二つの在り方として等価であり、製作者たちはどちらかの岸に落ち着くこと自体に、意味や価値を貼り付けようとしているわけではないのです。


そんな感じで萌絵は『戻って』来るわけですが、今度は犀川先生が『引っ張られる』する。
レッドマジックの停止に伴う暗闇の中で、犀川先生の頭脳は加速し、これまで出されたヒントを統合して答え(の一端)に辿り着く。
探偵役として常識外の知性を見せるこのシーンが、萌絵の怯えた表情で終わるのは印象的です。
あと原始人とダチョウな……ダチョウ多すぎだろアレ……。

常識(『此方側の岸』の価値観)を超えた推理能力や知性というのは、真賀田四季と共通する要素です。
萌絵が両親の死と常識の無さというファクターで四季博士と繋がっているように、犀川もまた、探偵役として背負わされた異常加速の脳髄で真賀田四季と繋がっている。
研究所という異界に自分を閉じ込めた四季のように、犀川先生もその怜悧な頭脳故に、人間社会の雑多な要素を嫌い、そこから離れられる研究所を『理想の環境』と高く評価する。
あのイメージシーンは推理であると同時に、犀川先生の中の真賀田四季性を強調するシーンでもあります。

その上で、犀川先生も『此方側の岸』に留まる理由がある。
水着の時はぼーっとスルーしていたのに、ショートパンツで無防備に眠る姿を見た瞬間、気まずそうに目をそらす彼女。
どうでもいい存在なら、それこそ痛いスク水姿の道化としてさんざん踊った島田に対してそうだったように、やれやれと呟いて人生から切り離す事もできるのが、犀川先生のキャラクターでしょう。
しかし、犀川は萌絵相手には白い足に目を奪われ、気まずそうにそらすわけです。

キャラデザのせいか、それまでの奇行のせいか、正直僕にはあまり刺さらない萌絵のセックスアピールではあるのだけれども、犀川先生には大きな意味を持っている。
暗闇の中の一連のシーンは、犀川創平の中での綱引き、そこに一方的に引っかかっているように見えた萌絵の綱が、実は犀川先生からも伸びているということを示す意味があります。
まぁすかした台詞言うだけの、むっつり朴念仁ではないってことだな!!


そんな凡人たちの相互の、そして対岸への綱引きはさておき、四季博士の物語は研究所への監禁に収まり、話は現代につながってきました。
顔の見えない『真賀田四季』がミチルに語りかけるシーンは、トリックに対する言及に満ち満ちていて危うくすらある。
しかしもう残り3話ですし、どどんと押しこむタイミングではあるのでしょう。

もともと殺人事件自体が最大の謎なのではなく、真賀田四季という人物、彼女に共通点を持ち引き寄せられる主人公二人の解析を重視し、再構築されたアニメーションシリーズ。
結構穏やかな回(半裸の萌絵がウロウロする絵面はショッキングだけどさ)だったのですが、主人公サイドの掘り下げとしては印象的で、面白い回だったんじゃないでしょうか。
今回稼いだキャラクター的財産をどう使い、どう綱引きのお話をまとめていくのか。
それが残り三話を見つめる、僕の個人的な視点であります。