イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

すべてがFになる -THE PERFECT INSIDER-:第10話『紫苑色の真実』感想

髪の長いセイレーンが破滅を歌うアニメ、怒涛の解決編。
真賀田四季殺人事件の全容が不可思議なVRで解明されつつ、男と女と少女と男と女(なりかけ)の綱引きにも決着が付く回でした。
今回こう終わるってことは、最終話は全部エピローグか……余韻があって良いね。

自分は既読者ですのでトリックに関しては言う資格が無いので、今回も人間関係の話を。
僕はこのアニメを彼岸と現世の間で、犯人と探偵役が魂を引っ張り合うアニメだと見ていて、今回のVR空間はそれを凝縮したような絵面になっていました。
両親の死というトラウマから真賀田四季の殺人を受け入れるわけにいかない萌絵は、壁に閉ざされた尋問室に。
真賀田四季の天才性に憧れ、そもそも萌絵が足場を置いている(気になっている)人倫には存外興味が無い犀川先生はどこまでも自由な楽園に。
離れ離れになった二人を包む風景は、そのまま四季を許すか、許さないかを明確に表現しています。

両親が自分をおいて死んでしまった萌絵にとって、15歳での親殺しを人間の真理として娘に敷衍する真賀田四季のエゴイズムは、どうしても受け入れられない。
四季の天才性、純粋性、犀川創平好みの透明な魅力に引き寄せられながらも、死別という形で親に捨てられた自分を救い上げてくれた犀川先生への好意故に、萌絵は四季と海に沈んでいくわけにはいかないわけです。
つまらない現世の倫理に縛られ、留めてもおけない空疎な尋問室で、四季は娘を通じて四季を弾劾し、娘を救おうとする。
そこにあるのは正義感というよりは、記憶を封印するくらいに傷ついていた過去の自分を娘に重ねあわせ、救済しようとする切なる願い(もしくはエゴイズム)だと思います。

しかし真相は彼女の理解(もしくは願望)とは異なっていて、娘は天才ではなく四季を殺すことも出来ず、萌絵が発した『あなたは誰ですか?』という問が引き金になって死≒現世に向かって滑る落ちていった。
現世と彼岸を巡る綱引きは、大人の間だけではなく、萌絵と娘の間でも起こっていたわけです。
閉ざされた世界からの脱出が、何故死という形をとったのか。
その真相は多分永遠に明らかにはされないわけですが、萌絵が知らずと同一視し自分自身で現世に引きずり上げた娘は、彼女の祈りとは裏腹に凡人として死んでしまっている。
西之園くんには辛いオチです。


辛さという意味では外部との接触によって自我を目覚めさせられた結果、自分が真実と定めた『15歳の親殺し』を完遂できなかった四季博士も相当なものでしょう。
萌絵から犀川先生を取ろうという綱引きが四季にあるように、萌絵も『あなたは誰ですか?』という綱を四季の大事な娘に引っ掛け、研究所の外に、もしくは死に引きずり上げたわけです。
お互いの掛け替えのない存在を自分の岸に打ち上げさせる競争は、これまでの描写が示すような四季優勢では実はなくて、つまらなくて普通で倫理的な萌絵の勝利だった。
勝ったからといって望みの報酬が得られるわけでもなければ、誰かが幸せになるわけでもない死神のレースになってしまってはいますが、ともあれさんざん覆い焼きで描かれた四季と萌絵との対比は娘の死を以って萌絵の勝ちになった。

何故真賀田四季は、『15歳の親殺し』を繰り返される真実のルールとして完成させたかったのか。
親を殺した罪を娘に殺される罰で贖いたかったのか、はたまた尋問室のつまらないルールを外した楽園の真実は本当に『親は子どもを芽吹かせるために死ぬ』というものなのか。
そこは多分どっちとも取れるところだし、あんま大事なところでもないのでしょう。
萌絵が足場を置く現世の岸にしか行けない僕達にはなかなか理解し難いけど、四季博士にも僕らとは異質ながら情というべきものがあり、それが彼女の感覚と交錯するポイントが『15歳の親殺し』だったのではないか。
そのくらいの受け止め方を、僕はしています。
『証拠を残してたのは、見つけて欲しかったから』という証言も、素直にしてますしね。

娘が死んでも、自分を殺してくれなくても、四季博士は白い結界の外側に出て愛する男を殺し、消えていく。
理解してくれると思った存在が手のひらから滑り落ちてく孤独な七の宿命は、犀川先生にもいえます。
全てから解き放たれた楽園として世界を共有してくれる犀川先生ですが、悲しいかな四季と一緒に深みに落ちていけるほどの天才ではないし、向こうの岸には萌絵もいます。
娘だけではなく犀川先生を巡る綱引きにも負けて、真賀田四季は殺人の罪を問われることもなく孤独になる。
萌絵と同じように、彼女もまた勝っていないのでしょう。


原作から色々と変わっているアニメ版ですが、犀川先生と真賀田四季の直接的な交流の増加はなかなか面白いところです。
未来として顔を突き合わせての対話をし、VR空間でも同じ景色を共有して話し合うお気に入りっぷりは、現世のルールから開放されている天才には珍しい執着心です。
現実的な問題には興味が無いと言いつつ、白い異界から脱出する直前に顔を見て、声を聞いて、匂いと体温を感じながら犀川創平の顔を見た真賀田四季は、今回明らかになったように彼女なりの情を持っているキャラクターなわけです。
その情が萌絵が足場を起き犀川が未練を残す現世に彼女を一瞬繋ぐけど、そこに居られるのなら彼女は所長に抱かれていないし、両親も殺していないし、所長も殺してはいない。
今回の綱引きに関わった人間は全て、それぞれの対岸に憧れつつ、自分のカルマを裏切れないからこそ最初の岸に帰っていく。
このアニメは天才と凡人、彼岸と此岸、超越と倫理が白い異界で一瞬交錯して、孤独に離れていく話だったのかなぁなどと、今回の話しを見終わって僕は思いました。

犀川先生は原作では聞けなかった「屋上に出た時、何を感じましたか?」という最大の問いもちゃんと聞けたし、感傷的だと罵られることも出来た。
萌絵という現世へのアンカーが厳密に存在する以上、一緒に沈んでいけない犀川先生としては最大限可能な交流だったと、言えなくもないでしょう。
犀川先生、マジで社会的制裁とか法律とか倫理とかどうでもいいからな……流石森キャラのアーキタイプだ。

笑顔で四季に刺殺された所長は、もしかすると今回の事件唯一の勝者なのかもしれません。
天才を愛し、天才を理解しきれなかったけど満足する範囲で交流し、己の倫理のねじれに従って望んだ罰を受けた彼の人生は、満足度という点においては綱引きの参加者でも最大なんじゃないでしょうか。
四季博士が犀川先生の首にかかった縄をほどいて海に沈んでいったのは、所長が彼岸で愛という綱をがっちり握りこんでいたからと夢想すると、さらに勝ち組力上がるな。
13歳のニンフェットと、ハードコア孕ませファックもしてるしなぁ……『幸せになるのは簡単だ、人間をやめればいい』ってやつですね。

それぞれが岸に留まる理由を描写された大人たちに比べ、真賀田四季を演じていた娘が何を考え、何に揺らぎ、何を選んだのかはブラックボックスの中です。(研究所は白いからホワイトボックスのほうがいいかな)
真賀田四季の天才に捉えられ、そこから出ようとした結果死だけが残っている彼女の人生は、僕としてはどうにもやりきれなく寂しい。
四季博士もそう思ったからこそアレしたりコレしたりして大変なことになるわけですが、娘にとって萌絵という存在がどうだったのかは、両親のトラウマ治療できたと思ったら新しいのを抱え込んだ西之園くんの精神衛生上、知りたいところです。
でもそれは永遠にわからない方が、真賀田四季が天才の特権で弄んだ死の重さが感じられて、痛くて良いのかもしれない。
生活感を排除した結界の中で進んだこの殺人劇、それぐらいの証拠が残っていたほうが多分健全でしょう。

というわけで、真賀田四季の殺人事件に幕が下りる話でした。
彼岸と此岸に分かれつつもお互い影響を及ぼし、しかし決定的に岸を変える決断には至らない、煮え切らない交流のお話しのまとめとして、なかなか詩情のある映像だったと思います。
最終話は幕引きの後のカーテンコールのようですが、さてはてどんな余韻を残して終わってくれるのか。
とても楽しみです。