イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第26話『新しい血』感想

かくして時間は行き過ぎ、少年は大人になり、世界は相変わらず地獄の釜の底でうめき声を上げている。
半年ぶりのオルフェンズ、作中時間も結構進んでの再出発となりました。
第1話を強く意識した構成で、25話分の物語で少年たちがどう変化し、何が変わっていないのかを『新しい血』である新キャラをうまく使って見せてくれる、テクニカルな回でした。
かつては大人に『死ね』と言われていた子供たちが、新入りと一緒に『死ぬ』立場になっている姿は、頼もしく思って良いのやら、そうそう簡単に宿命が変わらないカルマを嘆けば良いのやら、オルフェンズらしいイヤーな気分になれる出だしだったね。

半年の間が開いて、僕も正直フィーリングを忘れていたので、ハッシュくんを筆頭とした新入りたちをカメラに使って、鉄火団の『今』を追いかけてくれる構成は、色々ありがたかったです。
冒頭アトラのナレーションで、一期の物語が世界に及ぼした影響はザラッと説明されるのだけれども、それはあくまで俯瞰で見た変化であり、キャラクター目線の血の通った変化というのは、尺を使って描かなければ実感できない部分。
立場を背負って色々変化のあった鉄火団メンバーだけではなく、彼らの背負ったものを一切知らない新入りの視点も足すことで、逆に客観性と主観性のバランスの取れた、良い描写になっていたと思います。

ナレーションでダラっと説明してしまうのはそんなに妙手ではないと思いますが、何しろこのお話は徹頭徹尾泥臭い物語で、一番策士として動いているマクギリスですら客観的に世界全体を把握しきれているとは言い難い状況です。
しかし鉄火団がなし得たことは世界レベルに影響を与え、その変化が鉄火団自身にも関係する以上、どっかでまとめなきゃいけない情報ではあるからね。
キャラクターが俯瞰的価値観を重視しない以上、主観的な会話の中に混ぜて出してたら間延びする情報でもあるわけで、スパッと見せてしまったのは良かったと思います。

なし得た変化自体も、このアニメらしい個人的であり社会的でもあるレベルであり、功罪様々に孕みつつ血まみれ泥まみれという、救いがあるんだかないんだかよくわかんない末路でした。
ラストの攻防戦で鉄火団は『一旗揚げる』という目標に一応辿り着き、時代の寵児と言える立場になりはしたけども、戦争と暴力しか切り売りできるものがない状態はそうそう変わるわけでもなく、英雄になったことで子供が戦場に引っ張られやすくもなるという、皮肉な結論。
ギャラルホルンの支配力が落ちたのも、上から押さえ込んでいた暴力が外れて治安が悪化する結果を産んでいるんですが、んじゃあコロニー編みたいな白色テロがまかり通る世界が良かったのかというと、けしてそうではない。
唯一絶対の正解などありえない、複雑な矛盾と業に満ちた世界に相応しい、少年たちの野望の結末だと思います。


世界が小さく、しかし確かに変わったように、鉄火団も変化と停滞の中にありました。
英雄ともてはやされ、行き場のない少年たちの受け皿として機能していると言っても、やってることは相変わらず小さな体の切り売りであり、第1話と同じように木っ端のようにガキが死ぬ現実は続いています。
しかしそこには『人生を良くしたい』『希望を持ちたい』という悲痛な願いが生きていて、『一番隊と同じだぞ』と茶化されたシノも、一番隊隊長兼練兵教官として、『子供』を生き残らせる『大人』の立場を必死に演じています。
その成長は嬉しいことなんだけれども、かと言ってシノの望みが全部叶うわけではないというのは、クソみたいな『大人』が指揮していたときと同じようにガキがバタバタ死ぬ戦場を見れば理解できることです。
どれだけ痛みを伴う戦いに勝ってもも、身を切られるような犠牲を生んでも、世界はそうそう簡単には変わってはくれないわけです。

他のメンバーも『大人』になってしまっていて、スーツ着込んで書類仕事に忙しいオルガも、それを補佐しようと頑張るユージンも、がむしゃらに己を証明しようと走っていた一期とは少し違う空気をまとっていました。
経験を積み、実践を通じて己を世界に証明した少年たちの背中には、社会的な期待やかつて自分たちがそうであったような『子供』など、いろんなものが背負わされている。
それは枷でもありやり甲斐でもあるというのが、新生なった鉄火団の日常を丁寧に追いかける中で、しっかりと感じ取れました。
『背負うべきもの』を手に入れた変化の一番わかり易い象徴として、ビスケの忘れ形見であるクッキー&クラッカを使ってきたのは、シンプルかつ巧いですよね。

無論彼らは未だに夢を駆ける『子供』のままでもあって、オルガの危険な切迫感も、それを生み出す三日月の危険な目線も、一期と変わってはいません。
指揮官やビジネスマン、教官や上司という『大人』の立場を他のキャラクターが手に入れているのに対し、ハッシュから『産廃』呼ばわりされている三日月は、相変わらず凶猛なる刃としてしか己を規定できない、不器用な存在のようです。
クッキー&クラッカとの会話を聞くだに、地道に学習は続けているようですけどね。

しかし三日月が変わらず『悪魔』でいることは、暴力装置であり続けるしかない鉄火団にとっては有用でもあり、部隊壊滅の危機に再びガンダムを駆って降臨する姿は『大人』と『子供』を超越した頼もしさを感じさせます。
名も無き少年兵先輩が新入り共に言っていたように、鉄火団の生き方は相変わらず『やるしかねぇ』溝の底の生き様であり、『逃げずにやり続ける』ことで自分の命の使い方を自分で決めれる程度にはなった、ちったぁマシな生き方でもあります。
冒頭で回想されていたように『カタギの商売だけでやっていくには、まだまだ足りない』以上、純粋なる暴力として己を迷わない三日月のブレない存在感は、それがオルガと鉄火団を袋小路に追い込む気配を宿しつつも、やはり良いものなのでしょう。


変化と停滞という意味では、クーデリアお嬢もすっかり逞しくなった姿を見せてくれました。
世間知らずの思想家お嬢様は2クールの物語を経て、政治や思想と距離をおいた実務家と己を任じ、過去の夢想に決別するかのようにギョウジャンの薄汚れた手を拒絶します。
彼が仕掛けてくるだろう暴力を予測し、鉄火団という駒を迷わず配置する手際も含めて、すっかりタフになってしまったと感慨深かったです。

しかしお嬢が持っていた理想、フミタンが美しいと呪った夢はけして損なわれてはおらず、雇用創設に教育支援、社会福祉という救済を、しっかり形にしてもいます。
ここら辺は蒔苗との腐ったパイプが生み出した銭でようやく実現できているわけで、清濁併せ呑む器量がちょっとずつでも社会(世界ほど大きくなく、個人というには広い範囲)を変えてもいる。
ここら辺は、『殺し』を稼業にするしかないけれどもそこに少しの善意が交じるようになった鉄火団と、共通する描き方かもしれません。

現実に己の理想を問う城として『アドモス商会』という名前を選んだ辺りに、お嬢にとってフミタンがもはや永遠になってしまっている事実を思い知らされて、痛ましいやら美しいやら、どう受け止めていいかわかんないです。
死人の理想はけして損なわれうことのない美しい夢想ですが、同時に現実と降り合うことのない危うさを秘めてもいるわけで、今後物語が残酷な展開になって来た時、思い出が呪いに変わりはしないかと不安でなりません。
ここら辺はビスケットを喪った鉄火団にも共通するところですが、オルガの独走へのブレーキになりかけて死んだビスケットと、お嬢の理想を後押ししながら死んだフミタンは、呪いのかけ方が正反対なんだよなぁ……。
両者とも比較的イケイケな様子が描写されていた分、世界の残酷さが敵に回った時が不安になる二期第一話だったと思います。


2クール分の物語を共有した僕にとって、鉄火団やお嬢の変化と不変は非常に感慨深く、手応えのある描写です。
しかしその価値を見出すためには作中からカウンターを当てる役が必要ですし、二期から見る視聴者の足場になるキャラクターも必要でしょう。
なので、三日月に反感を持って色々文句を言ってくれるハッシュを始めとした『新しい血』は、いい仕事をしてくれたと思います。
いまいち戦場のヤバさに気づいていない彼らがいてくれるおかげで、一期メンバーのプロっぽさと成長が際立つ意味は、凄く大きかったな。

第1話をなぞる形で戦闘が入り、MSとMWの不正規戦が展開したことで、『新しい血』の薄暗い側面が出ていたのも、なかなか面白いですね。
シノやユージンが良い『大人』としてどれだけ夢を見たところで、経験を積んでない新入りからバッタバッタとぶっ死んで『新しい血』に変わっていってしまう戦場の矛盾をサブタイトルに込めてくるのは、相変わらず性格悪くて素晴らしい。
一期だってビスケットの血を燃料にして鉄火団の旗は上がっていたわけで、今後も枯れない花は『新しい血』を求めて進むってことなんでしょうね。
なので、オルガの出世志向も、それを後押しする三日月のプレッシャーも、両手を上げて賛成とは行かないと。

一期26話は『火星を飛び出し、クーデリアを地球に送り届けるまでの成り上がり物語』という芯がありましたが、二期は何を軸にしていくんでしょうかね。
既にある程度項を遂げ名を成したキャラクターたちが現実の矛盾に飲み込まれていく話なのか、作り上げた鉄火団が破壊されていくカタルシスなのか、はたまたより良くより望ましい世界を作り上げていくのか。
どう転がすにしても、ある程度自分の物語を進めた既出メンバーと、新たな白紙のストーリーを背負った新キャラ達の絡みは大事だし、面白そうでもありますね。
ぶっちゃけ鉄火団サイドってネームドゼンッゼン死んでねぇから、後半は使ってくると思うんだよねぇ……。


んで、マクギリス以外のネームドがだいたいぶっ死んだか失脚したギャラルホルンサイド。
月外縁軌道統合艦隊アリアンロッドの愉快な仲間たちが、いい具合に存在感を出していました。
マクギリスの野心すら噛み砕いてやると言わんばかりのギザ歯なラスタルさんとか、チョウチョ実際に食べちゃうジュリエッタさんとか、額に『お人好し』と描いてあるクジャンくんとか、いい仲間なんだろうなぁと素直に思えた。
そして善人っぽい部分を見せた人は軒並みマクギリスに食われてきたので、彼らの未来が心配でもあります。

マッキーはカルタの後釜に座って地球外縁軌道統制統合艦隊司令に就任し、ファリド家代表かつ次期ボードウィン家党首として、血縁主義のクソ政治にもガッツリ噛み付くポジションを確保。
火星のスキャンダルを自分から口にする強かさ含めて、相変わらずクソ以下のクソ人間っぷり、そして腐敗を強引に切除する辣腕には曇りが見られません。
あのクソが人間燃料にして世界に風穴開けているのは、悔しいことに事実なんだよな……その結果、ギャラルホルンが変わりつつあるのも本当だろうし。
神妙に『私に友人はいない……(だって俺がぶっ殺したし)』とか言ってたけど、OPで意味深に登場してた騎士仮面にどういう一発を食らうのか、今から楽しみです。

鉄火団とクーデリア、アーブラウと宇宙ヤクザが共犯となって、ギャラルホルン主導の世界秩序が揺らいできている二期。
個人が個人の誇りと夢を持って、周囲の小さな社会を変えている描写がそこかしこに見えました。
今は各勢力ごとに隔たれている変化ですが、それは社会から世界へと拡大し、また大きな衝突と流血を強いるんだと思います。
しかしこのアニメが一番大事にしているのはそういう大きな物語ではなく、あくまで個人的な魂の変遷であり、その過程で失われるものへの哀悼と痛みをどう描くかという、個人レベルの物語でしょう。

運命の大波、カルマの地獄に飲み込まれどうしようもなく流されつつも、諦めず小さな意地を貫くことで、社会を変えうる存在。
その先に、人間たちの小さな物語が寄り集まって世界が変わる物語があるというのは、泥臭いテイストを殺すことなくお話しのスケールを大きく出来る、良い作り方だと思います。
一期の物語を経て変わったもの、変わらないものを丁寧に追いかけ、キャラカウター個人の『今』をスマートに並べてみせた今回は、新しく始まる物語の序曲として、かなりよく出来ていたのではないでしょうか。

少し『大人』になってしまった少年たちが、再び世界の残忍さと向かい合うことで何が生まれ、失われるのか。
結果的に良い方向に転がっていった『家族』の閉鎖した腐敗臭と、『現実』を見すぎる想像力の無さは今後、決定的な破綻を呼び込むのか。
彼らの『これまで』を思い起こしつつ、『これから』にも思いを馳せることが出来る、良いファースト・エピソードだったと思います。
鉄血のオルフェンズ、やはり楽しませてくれそうですね。