イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルタイムプリパラ ベストエピソード七選

最終回から二ヶ月、ようやく自分の中でアイドルタイムプリパラを咀嚼できた感があるので、ベストエピソードを7つ選びたいと思います。
少し時間は立っていますが、アイドルタイムが持っている輝きはそうそう簡単には衰えないものだと思うので、遅まきながらやらせていただきます。
『あの話が入ってねぇ……ド素人が……』とか、『ワシもそう思う!』など、色々ツッコみながら見ていただくと嬉しいです。

 

・第1話『ゆめかわアイドル始めちゃいました!?』

ゆいちゃんのこと、ちゃんと好きになれる第一話だった。

アイドルタイムプリパラ:第1話『ゆめかわアイドル始めちゃいました!?』感想 - イマワノキワ

 らぁらという偉大すぎる主人公、二年九ヶ月に渡るサーガ。重たいものを背負いつつも心機一転、新しいことに挑戦するという難題に挑んだアイドルタイム。
それが徹頭徹尾『面白いアニメ』でありえたのは、夢川ゆいという女の子がとにかく明るく元気で、『アイドル』という作品の真ん中にあるものにポジティブな感情を懐き続けてくれたことが、とても大きいと思う。
物語のスタートであり看板ともなる第一話は、そういうゆいのキャラクター性にしっかり切り込み、強く印象づける仕上がりとなっていて、骨の太いエピソードだった。

細かいことは一旦横において、まずは作品のど真ん中と、それを支える主人公を見せる。
第1話でやるべきことをしっかり成し遂げたこの話があってこそ、一年という長くて短い時間の中で、プリパラの長いエピローグだけでなく、アイドルタイム独自の物語を伝えることが可能になったと思っている。
前半を支えた『アイドル不毛の地を、信念と天命によって開拓していく物語』という骨格も、この段階でしっかり見えるのが良い。

 

・第20話『ハッピー米(まい)バースデイ』

今回『お兄ちゃんであるショウゴ』への反目を外して、素直な気持ちで向かい合ったことで、『WITHのショウゴ』からも多くのものを受け取る準備が出来たのかなぁ、などと思いました。

アイドルタイムプリパラ:第20話『ハッピー米(まい)バースデイ』感想 - イマワノキワ

 僕は夢川兄妹が好きなので、ショウゴが主役を張ったこのエピソードも好きである。
男きょうだいへの子供っぽい反発を受け止めることで、ゆいをメイン視聴者に接近させていくキャラクターとしての仕事も好きだし、『イヤなお兄ちゃん』で終わらせず、年下の妹を厳しく、優しく見守り続けている兄貴の尊さも、しっかり追いかけているところも好きだ。
年頃の反発で遠ざけていた兄が、実は自分の根本たる『アイドル』への夢そのものを生み出し、兄の背中を追いかけることでステージにたどり着いたと思い出すこと。
そしてショウゴ自身も、妹を大事に思う気持ちが小さな頃から自分にあって、そんな優しさに素直になっても良いのだと認識できたこと。
夏の番外編に相応しい、コンパクトで温かい家族の手触りがエピソードの中にあって、自然あふれる北海道というロケーションも重なり、味わい深いお話である。

同時にここでショウゴが見せた存在感は、『男』という異物がプリパラの中にある意味、WITHというユニットの存在意義を先取りすることにもなる。
性別によって隔てられ、世間の常識を強く味方につけた『男』が、『女たちのプリパラ』に接近し、それぞれの形を保ったまま影響し合う。
そんな豊かさはトンチキな笑いに包まれつつも、ヒネた自虐や嘲笑にはけして陥ることなく、主役を食い過ぎないよう注意深く、しかし丁寧に描かれてきた。

終盤物語がクライマックスに入っても、ショウゴとWITHと『男』達は、少女の優しき隣人としてずっと側にいて、エールを送り続けた。
その前奏として、このエピソードでショウゴが妹に向けた(そして過去に向けていた)強さと優しさ、ありのままの事実に気づいて少し自分を前に出す賢さと勇気は、とてもプリパラらしいと思う。

 

・第23話『地獄アイドル始めちゃいました!?』

彼女がとても好きで、共感して、その結果こうも拗らせた自分としては、あって欲しいと思う。

アイドルタイムプリパラ:第23話『地獄アイドル始めちゃいました!?』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 アイドルタイム感想が一ヶ月ほど停滞する理由になったこのエピソードは、思い返すとやっぱりいい話だ。
ここで危惧し振り払った『キャラが都合よく、インスタントに使われきってしまって、報いられることがないんじゃないか』という危惧は、しゅうかのマッチアップ相手にミキ子を起用することで、綺麗に乗り越えられる。
競争心や孤独、対立や高慢といった薄暗い感情は、主役勢にはちと背負いきれないし、ぶつかり合って輝くライバルの立ち位置上、ある程度は距離を取る必要がある。
そんなしゅうかに寄り添う立ち位置を、前半の敵役としてエゴや害意にまみれていたミミ子に託すのは、ベストの配役だったと言えるだろう。
『ベタベタ友情を口にはしないけど、ちゃんと受け止めて変化している』というしゅうミミの距離感も、主役が描けない『トモダチ』の形を背負って、とても良かった。

アイドルタイムはいろいろ歪な構成で、すっ飛ばすところは凄く大胆に飛ばす。
システムのルールを書き換えるために、世界の真相を暴いたり過去に飛んだりといった謎解きパートは、マジザックリ進展していた。
プリパラの長いエピローグという側面もあって、扱うキャラ数が多いので、過去キャラも『出しただけ』で処理してしまうことが、なかったわけではない。
そういう面倒くささと闘い続けるのも、一年間の販促アニメの宿命なのだろう。

その上で、個性と人格を持ったキャラクターをどう尊重し、どう報いるか。
大きなお話のうねりの中で、キャラクターがそこにいる意味をどう描き、輝きを見せるか。
とても難しいことだと思うが、ミミ子最後の主役会と言えるこのエピソード以降も、ミミ子は(お笑い担当も含め)よく動き、彼女らしく『アイドル』をした。
それはとても大事で、ありがたいことだと思う。

 

・第33話『ガァララ塔のひみつっす』

ここまで積み重ねてきた虹色にのの迷い路、全てを祝福する優れた仕上がりで、非常に良かったです。 ここが到達点であると同時に出発点でもあって、まだまだ物語は続く、にのは立派なアイドルになると感じられるステージだったのも、とても良かった。

アイドルタイムプリパラ:第33話『ガァララ塔のひみつっす』感想 - イマワノキワ

 虹色にのは、面白いキャラだったと思う。(プリパラ全キャラそうだけども)
外見とキャラ記号はボーイッシュで元気、湿り気のない明るさを強調しているのに、その実常識的で臆病、価値判断基準を外部に求めすぎる腰の弱さがつきまとう。
『男の子っぽい』ヒロイズムを無邪気に背負っているように見えて、その実『女の腐ったような』根性の弱さと付き合いながら、にのの物語は進み続ける。

ぶっ飛んだ連中が多かったアイドルタイムの中で、にのの冷静さや判断力は良いブレーキとして機能し、物語の手綱を握る大事なキャラでした。
そういう相対的なありがたさと同時に、彼女がアイドル活動を通じて自分を知っていく、凄くありふれた思春期の冒険を丁寧に追いかけてくれたことも、にのが好きである大きな理由です。

臆病な自分をバグらせて、どうやってヒーローになるか。
『男の子っぽい』属性を背負ったにのが、どうやって規範を飛び越え、自分の中の正解に胸を張っていくか。
結構面倒くさい話だったと思うんですが、このエピソードでガァララ&パックの横暴と絡めて『ヒーローアイドル』という答えを出したことで、太い芯が入ったと思っています。
アイドルはヒーローで、ヒーローはアイドルになれる。
性別を基準に背負うべき役割を強制/矯正してしまいがちな世間の圧力を弾き返す、欲張りな結論に、外側からの評価に怯え続けていたにのが立てたこと。
それはとても立派な成長であり、そこにしっかり到達できるよう個別エピを組み上げたこと含めて、良いエピソードです。
僕は東堂シオンが好きなので、彼女の『師』としての魅力を引き出してくれたことも、にのへの好意を支えてるかなぁ。

 

・第44話『みちるさまとお呼びなさい』

みちるとあろまの不均衡な支配の構図を、最後の最後できっちりひっくり返して風穴を開けるエピソード。

アイドルタイムプリパラ:第44話『みちるさまとお呼びなさい』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 結構な数の人が、みちるのエピソード群からは第35話『未知なるミーチル』を選ぶと思う。
求めるべき夢が最も近くにあって、逃避に思えたものはそれを守るための庇護であり、負けてばかりだと思えていた臆病な少女は、最も重要な局面で既に勝利していた。
既存の描写をひっくり返しつつ、逆転した価値観こそが真実なのだと素直に飲み込める物語的豪腕に満ちたあのエピソードは、確かに圧倒的に強い。
過去の亡霊であり未来の夢でもあったミーチルが、空想と現実の垣根を乗り越え、現在のみちるに融合していくドラマの熱量も圧倒的だ。

その上で、このエピソードをベストに推したのは、やっぱりガァルマゲとみちるの疑似家族的共犯が、この話で綺麗に解決されるからだ。
『ああ、俺が問題だと思っていたものを製作者は見落とさず、作中で答えをくれるのだな』という信頼感を、作品との間に結べるエピソードだったからだ。
そういう確信をくれるエピソードというのは、とても貴重だし大事なのだ。

ガァルマゲは圧倒的な人気を背景に、そのズルさも込みで全肯定されてしまったような空気を、当時どこかに感じていた。
『家族だから』を贖宥状にして、『家族』が持ってしまう歪みや利益の不均衡、美名のもとに行われる搾取が果たして、乗り越えられるべき伏線なのか、鈍感の産物なのか読みきれない、信じきれない。
そういう心境にあった自分にとって、みちる個人の救済と変化はたしかに大事だったけども、彼女を取り巻く最も身近な他者……『家族』としてのガァルマゲドンにどうオチをつけるかはとにかく大事であった。
そしてこのエピソードで語られる、『年上のお姉さん』という自己像の発見、それによりより自然で無理のない形に再構築されていく『家族』の肖像は、そういう疑問にしっかり答えてくれた。

ガァルマゲは凄く好きだ。
強い悪魔を演じつつ、凡人でしかない自分に常に傷つき、乗り越えようとしているあろまも、そんな彼女を深く愛してずっと側にいるみかんも、不屈の闘志と無敵の前向きさで、報われない己を前進させ続けるガァルルも。
特にガァルルは、ガァララやピーツジという『年下の子』を相手にすることで、小さな彼女の小さな成長を細やかに切り取られ、アイドルタイムで描写が補正されたキャラでもある。
みちるのみならず、彼女たちの可能性と善性を輝かせる意味でも、とても良いクライマックスだった。

 

 ・第47話『パックでパニック!大暴れ!』

今回のらぁらの夢を見て、プリパラが終わるし、終わらなければいけないんだ、と思った。

アイドルタイムプリパラ:第47話『パックでパニック!大暴れ!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 第46話から最終話までは、全部ベストでいいと思う。
『プリパラ』が終わるにあたり、ずっと掲げてきた『みんなトモダチ、みんなアイドル』という理念が取りこぼしてしまうものを真ん中に据え、パックの薄暗い意志と約一ヶ月闘い続けたラストノートは、真実『プリパラ』を完成させた。
自分たちが作ってきた『プリパラ』が何を語り、何を語れなかったのか。
それを継承する『アイドルタイム』で、何を語るべきなのか。
それをよく考えた終章であり、語り切るための熱量と冷静さ、強いメッセージ性と感情のうねりがみっしりと詰まっている。

その上でこの話数を取り上げるのは、『真中らぁら』という稀代の主人公がどんな存在で、何を願っているかを誠実に掘り下げているからだ。
『プリパラ』が終わり、主人公の重責からようやく開放されるからこそ言葉に出来る、『中学1年生になりたい』という夢を、血が滲むような切実さでちゃんと描いたからだ。
お商売の都合に振り回されつつ、続く時は延々と続かなければいけない物語。
それは夢であり、同時に檻でもあって、そこにとらわれている限りキャラクターは、物語の枠を飛び越えた大きな夢へ羽ばたけない。

『プリパラ』に真中らぁらを閉じ込めてしまっている製作者たち。
『プリパラ』を背負えばこそ存在できている真中らぁら。
巨大なコンテンツを巡るある種の共犯関係に目を向け、それでもなおキャラクターが血とともに吐き出す秘めたる願いを、ちゃんと聞き届け物語にする。
それはとても大事で、しかしなかなか達成されない。

『正しさ』の船に乗り切れず、エゴと感情を肥大化させぶん回したパックを、ラスボスに据えたのもその一環だと思う。
物分りよく『アイドル』達の物語が、歌による共感でまとまろうとしても、そこからはじき出されてしまうものがいる。
大きな物語が幕を閉じるに際し、それを語らなければ終わりきれないからパックはラスボスとなったわけだが、『二人っきりが良かった』という叫びはやはり、彼個人の血のにじむ、個人的な欲望としてある。
『みんな』に向かい合いすぎたらぁらは、その身勝手なエゴイズムを制御しきれないわけだが、『プリパラ』に出せなかった答えは『アイドルタイム』が背負うことになる。

 

・第50話『夢のツバサで飛べマイドリーム!』

かくして、船が出る。

アイドルタイムプリパラ:第50話『夢のツバサで飛べマイドリーム!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 というわけで、らぁらの『死』を踏まえての最終決戦を選ぶ。
前作主人公が悪目立ちして全部解決してしまうなら、続編の存在意義などどこにもない。
だから、ラストは主役に……という打算を超えて、マイドリだけがパックに歌を届けられたこのエピソードには、圧力と説得力があった。

元々プリパラは、身勝手で根性悪な面々がそれでも結びつき立ち上がる物語だったが、一回リセットをかけ作品の規模を縮小したアイドルタイムは、より個人的でコンパクトな物語として進展していった。
(それが『ただの小学六年生』としての真中らぁらを描きなおし、彼女をゆっくり神から人間へと下ろしていった、ある種のリハビリテーション的側面もあると思う。)
巨大な『正しさ』全て背負えるほど賢くもなく、思う存分身勝手で、てんでバラバラまとまらないマイドリーム達の姿は、例えば第36話『ユメ目合宿大ピンチ!』とかで語られている。

そんな、神たり得ない人間の、泥まみれで情けない歩みだからこそ、到達できる場所がある。
それこそが、『アイドルタイム』独自の答えである。
この最終話は、そういう作品全体のまとめとしてよく出来ていたし、歌って踊る『アイドル』にゆいやにのやみちるがどう救われ、その想いをどうパックに伝えるかという、個人的な物語でもあったと思う。
作品は総体と部分が複雑に絡み合い、影響し合いながら走るものだから、全てが終わるこの話数でしっかり、その両方を視野に入れて語れているのは、アイドルタイムプリパラが物語をコントロールする技法の高さを証明していると、僕は思う。

そういう『巧さ』もあるけども、やっぱりパックというあまりに巨大で身につまされるエゴの塊を相手に、祈りを込めて『みんなトモダチ!』に帰還する運びの熱量が、クライマックスに相応しい。
パックという巨大な影に向かい合うことで、プリパラはこれまで隠蔽してきた真実を作中に取り込んでいく。
完全なものなどなく、愛は呪いに変わり、歌は通じない。
そんなニヒリズムと正面から目線を合わせた上で、マイドリは『それでも、夢が叶いますように。みんなが幸せになりますように』という祈りを背負って、『アイドル』をする。
その姿が、アイドルタイムとプリパラがずっと追いかけてきたものを凝集したようで、僕は凄く良いクライマックスだな、と思ったのだ。

 

以上七編、選ばさせていただきました。
プリパラもアイドルタイムプリパラも、やっぱり凄く良いアニメ、好きなアニメで。
終わったあともなお胸の奥でうずいて、何かを語りかけてくれるようなアニメだったのだと、今回感想をまとめながら思いました。
既にプリパラに出会っている方も、まだ見知らぬ方も、心に届く強い歌のあるアニメですので、ぜひ見ていただきたいと思います。