イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

南風に衣なびく -2019年4月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2019年4~7月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

・さらざんまい

 ベストエピソード 第3話『つながりたいけど、報われない』

身勝手で薄汚くて、どこまでも真っ直ぐな思いの行き着く先は、輝きか地獄か。

さらざんまい:第3話『つながりたいけど、報われない』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 というわけで、4月期一番手は幾原邦明の新境地、浅草ジャポネスクBLファンタジー"さらざんまい"である。
最初に言っておくと、ベストエピソードは全話です。見てねぇやつは全員今見ろ。イクニ作品で間違いなく一番わかりやすくて、一番後味が良いから。イクニ入門キットの決定版は"さら"!!
実際浅草とカッパ領域を行き来しつつ、少年(と元少年)の傷だらけのエモーションを掘り下げる展開はフックも強く、熱量があり、抽象を物語のパワーで押し切る勢いも十全だったと思います。

耽美のアヤットラーみたいなポジションにいる幾原邦明が、自作を批判するかのようにクソまみれの生臭いケツを大写しにして、一種露悪的に突っ走っていく。そうすることでしかたどり着けない領域を目指し、しっかり描ききった満足感は、やっぱ凄いと思います。
レオマブに仮託されている自己犠牲の美しさとその超越、ケッピとダークネスに重ね焼きされている堕ちた王子のモチーフ。自分が過去に語ってきたもので足を止めず、時代の風を素直に受けて船を未来に漕ぎ出していく結末は、強いトルクとパワーに満ちていました。
イクニチルドレンとしても、(一応)現役のアニメ視聴者としても非常に楽しく、胸躍る視聴体験になって、凄く面白かったし、嬉しかったし、ありがたかったです。あー……最高だったな!

その上でベストをあえて一つ、となると、六話・十一話の良い最終回っぷり、『から』の前向きさを推す……のが冷静な判断ってやつなんだろうが! 僕は三話! 燕太くんがその真実を漏洩させてくれた回だからね!!
燕太って自分のセクシュアリティを"妄想"と切り捨てて、社会のレールに戻ろうとする欲望の弱い"マトモ"な青年じゃないですか。そういう押さえ込みで自分のエゴを押し殺せてしまう"いい子"なんだけども、その抑圧は凄い暴発を起こすし、クソみたいな変態性としっかり向き合わなきゃ"マトモ"でいることなんて不可能なわけです。
エキセントリックな尖り方で特別な領域にたどり着く『だけ』ではなく、『マトモ』な燕太くんがいてくれたことで作品が、そして一稀と悠がどれだけ救われてきたかを思うと、彼の選ばれない寂しさ、身勝手なんだけどもあくまで"マトモ"の範囲に収まってしまうカルマ全開の優しさ、正しさというものが、僕にはとても愛おしく見えます。
彼が第7話で親友を裏切って一度間違え、しかし第10話で偽りの蘇生に縋るような二度の間違いを侵さないところが、人はどうしようもないけど変わっていける可能性に目を向けてくれているようで、すごく好きなのです。
何が間違いなのか、しっかり考えること含めて、失敗と更生の話だった(でもあった)なぁ、と思います。少年院に入った悠も、嘘と義弟への向き合い方を六話で掴み直し、第9話で暴走して間違え直し、また掴み直した一稀含め。

マトモなやつの中にも変態性があって、社会から逸脱した犯罪者にも普遍的な痛みと優しさがあって。お互い別々なのに響き合い、手を繋ごうとして失敗する。そういうごくごくシンプルで普通の話を、キャラ一人一人の人生見据えつつ真っ直ぐやる。
この第三話での燕太の描かれ方を見たときに、そういうスタンスを僕は勝手に見て取って、作品を信頼することにしました。今見終わって、その信頼も予感も期待もなにも間違いではなく、しっかり報われたと思っています。
あ燕太くんを、この作品を、物語を走りきった全てのキャラクターを、美しい浅草を、夢と欲望にまみれた河童と獺のファンタジーを、好きでよかったと思っています。
ありがとう。

 

どろろ
ベストエピソード 第6話『守小唄の巻・下』

二人孤独に歩く道を照らす、夢の光。

どろろ:第6話『守小唄の巻・下』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 手塚治虫が完走し得なかった、時代に早すぎる名作。様々な時代、様々なメディアでそれぞれの結末が紡がれてきた物語も、2019年六ヶ月の放送期間を駆け抜け、見事に完結した。
醍醐の家、国にまつわる呪いと救いを見事に再構築し、時代背景を考慮した掘り下げでしっかりと煮込み直した独特の味わいは、兄弟相争う最終決戦へとどうにもならない因果を回し、残酷を溢れされ、微かな希望を残して進んでいく。
乱世から戦国へと繋がっていく、乗り越えがたい下剋上の流れ。遠い昔、ファンタジーの中にありながら、確かに僕らを取り巻く現在にも顔を見せる強烈なる残酷にしっかり向き合いつつも、ニヒリズムには落ちない。それぞれの宿命、譲れぬ思いを貴賤・男女・貧富様々な立場から彫り込み、善悪が渦を巻く人間曼荼羅を書ききった。
結論としては、琵琶丸の語るバランス論に落ち着くしかないが、しかし血肉のあるキャラクターがその悟りに至るのはあまりに難しい。全てを達観するには、世界には色と痛みが満ちすぎていて、百鬼丸は心身を取り戻すごとにそれを実感していく。手に入れた感覚と感情が、手に入らないものへの羨望をより強くし、刃を暴走させていく。それが収まる場所を探して、剣士と少女は灰色の乱世を転がっていく。

血飛沫く激しい殺陣、落ち着いた和風の色彩、存在感と美麗の宿る背景。アニメーションを彩る諸要素のクオリティが高く、その活かし方も適切であった。無情なる乱世の景色、人の憂鬱を遠ざけるような深山幽谷に存在感があればこそ、そこを駆け抜けていく主役の旅路にも、しっかりと奥行きが出る。
グロテスクから逃げることなく、身体が奪われること、命が潰えることの悲惨さを画面に焼き付ける”赤”の鮮明さがあればこそ、その理から一瞬距離を取り、人が人でいられる夢の美しさも映えた。
そしてそれは簡単に失われ、主人公たちは間違えていく。あるいは力故に、あるいは無力故に過ち続ける人々の、強さと弱さ。人を食い、人に交わる妖達の理解と無理解。斬ることでしか拓けない未来と、斬ることで失われてしまう希望。
様々なものが入り混じりつつ、けして蔑ろにされず、それぞれのエピソードの中で、皆必死に生きているアニメだった。そんな織物の果てに、赤児のように無垢に残酷に赤い血を浴びてきた百鬼丸が刃を収め、どろろという”母”から自立して歩き出すエンドマークがある。とても良かった。

ベストエピソードとしてこの六話を選ぶのは、ミオのヒロインとしての強さ、水樹奈々の配役の上手さが当然ある。紅白歌手を最大限活かす”歌”の使い方、あまりに無残な夢の果て。鬼に落ちる未来を預言するように、血まみれの殺戮に踏み込む百鬼丸と、止めるどろろ
6話を一単位として、非常に大きな区切りが訪れる四幕構成。この第六話は第一幕を〆る大事な話であり、百鬼丸どろろ、そして僕ら視聴者に深い傷と確かな印象を残した。忘れることは出来ないお話だ。
ミオがしてくれた優しさ、体を売ってでも守りたかったもの、見果てぬ黄金の夢。それは死んでなお百鬼丸と作品に残響する”歌”であり、ここで描かれたものを彼は幾度も繰り返すことになる。
それはリフレインに見えて、その度違う色彩と苦さを持つ。回復した器官、積上げた経験が別の答えと別の過ちを連れてきて、別の場所で何かが共通した因果絵巻が展開される。その反復が、非常に太い命運にキャラクターが身を委ねている感覚、それに流されつつ人として決断を積み重ねている実感を強める。それを見守る僕等の手を強く握らせ、悲嘆と声援を喉から搾り取っていく。

ミオを巡る物語はその最初の一撃であり、最も深く刺さった刃だと思う。血飛沫のバイオレンスと同じくらい、生々しいセックスから逃げず、生と死が覆いなく叩きつけられる厳しい乱世の掟を、視聴者に分からせたエピソードだ。
そのインパクトだけでなく、細やかな時代考証と暗喩の配置、後々の構成で強い意味を持つ要素の埋め込みと、繊細な運びも同居している。非常に巧いし、力強いエピソードなのだ。

最後にミオが夢見、百鬼丸どろろが歩を進めた黄金の夢。それは18話後のラストカットで、未来の二人が一緒に歩けるかもしれない景色に、しっかり繋がっている。
ミオの犠牲があったから、二人の未来がある。そんな事は言いたくない。ミオはミオとして、自分のために傷つき、歌い、必死に生きて死んだのだ。だがその孤独な闘いは、確かに誰かに伝わり、死んだとしてもひびき続ける。
そういう”継承”の起点として、最初の六話の仕上がりはとても優秀だし、その終わりを彩るこの赤と黄金の絵巻は、強烈な印象を残す。ここでミオのことを好きになって、でもあまりに悲惨に死んでしまったことが、強く胸に突き刺さって抜けなかったからこそ、僕はこのアニメを最後まで見守った。そう言う部分が、確かにある。
このアニメを好きになって、描かれているものをさらなる前のめりで見ようと心に決める決定打となった、大事なエピソード。ベストである。

 

ぼくたちは勉強ができない
ベストエピソード 第1話『天才と[X]は表裏一体である 』

僕ラブコメは、男の子がチャーミングじゃないと見れない人なのだが、そういう意味で成幸くんは大合格である。

ぼくたちは勉強ができない:第1話~第3話感想 - イマワノキワ

 ラブコメが苦手である。ジャンルというのは定型化するものだけども、恋とか楽しさだとか、人間の内部で渦を巻く個別の感情を固定化し、特定のパターンで消費していく”硬さ”が目立って、どうにも食いにくい。
逆に言えば、定形を切り崩し自作だけの視座、その作品世界に生きるキャラクター独自の人生を描こうと、血の通った物語をしっかり描いてくれるのであれば、非常に楽しいジャンルでもある。
手癖に凝り固まった共通見解がなければ、物語はあまりに混沌として食べにくい。しかしそれに甘え過ぎれば、作品は弾力と独自性を失ってみすぼらしく腐っていく。このバランスはあらゆる創作物が挑む難題であり、個人的な見解としては”ラブコメ”は特に難しい。

ぼく勉はお約束をしっかり踏まえたジャンプラブコメの王道でありつつ、独自なテイストを忘れず、キャラの可愛げと個別の感情をしっかり扱ってくれて、非常に楽しくありがたい”ラブコメ”だった。
ジャンルの定形に何らかの”逆”を当て挑戦してくれると新鮮味が出ていいし、パターン化されたポルノからはみ出して個別の人生を描く気概を感じ取れて素晴らしい。そういう波風を細かく起こしつつも、視聴者が見たいものをたっぷり叩きつけてくる多幸感もあって、バランスが良かった。
少年誌ラブコメにつきものの肌色サービスもいい塩梅に抑えられ、下品ではないが嬉しい感じで良かった。少女漫画の文法を積極的に取り入れ、清潔感とトキメキを画面に盛り込んでいったのも、とても素晴らしかった。

それらの長所を支える背骨が、主人公・唯我成幸の人格の強さである。彼は亡父の遺言を信じて、劣等生呼ばわりの少女達にしっかり寄り添い、支え教える。その真摯な姿に当然少女達はキュンキュンして、俺と同じように成幸くんが好きになる。強いシンクロだ。
彼は正しくもチャーミングであり、かわいい少年だ。主役のことを好きになれれば、お話との付き合いは八割勝ったようなもんで、ずっと見守ることが出来るだろう。そういう主役の強さ、お話の根っこをしっかり見せてくれる第一話であった。始まりが強いアニメは、終わりまで強い。大事なことだ。

 

・KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-
ベストエピソード:第4話『十王院カケル 愛と共に翔ける』

まーその集大成たるステージが、ブッチギリで狂ってるのはほんと凄いけどな…。

KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-:第4話『十王院カケル 愛と共に翔ける』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 TVでやっていてもキンプリはキンプリで、非常に楽しかった。(最初の企画が深夜シリーズとして立ち上がった敬意を考えると、『振り出しに戻る』ということかもしれないが)
”らしさ”とは何か、いつだってそれを捉えるのは難しいけども、キンプリを見ていて楽しいのは脳髄をぶっ飛ばされるようなパワー溢れる展開、迸るパッション、巧妙な絵の作り方と展開の圧縮、むせ返るような男のセクシー……といったところだろうか。
僕はキンプリのバカで賢い所が好きで、バカなところばっかり強調されると『んー、それも嘘じゃないんだけどな……』という気持ちになる。非常に冷静に自作を見て、自分が言いたいことをどう届けるか考え抜いた結果として、圧縮率の高い濃厚な視聴体験で殴りつける戦術選択は、もうちょい褒められても良い。

と言いたいところなんだが、このエピソードの”Orange Flamingo”を見るとまぁ、全ての理屈を蹴っ飛ばしパワーで押し込む押しの強さこそが、キンプリ最大の強みだというのはよく判る。
『新シリーズになっても、相変わらず”強い”ぜ俺たち!』と教えてくれた第2話、キャラの陰影が深くなった第5話、ナイーブな問題を細やかに描いた第7話、パワーと成長が同居する第9話、使者たちの因縁が渦を巻く第10話以降……。
力強いエピソードはたくさんあるのに、この話数をベストに選んだ理由はシンプルで、ステージの再生回数が一番多いからだった。曲、衣装、ジャンプ。全てが総合的に脳髄を殴りつけ、揺さぶる強烈な快楽。それはやっぱり、キンプリの最も強いパワーだ。

わけの分からない、だが凄まじいものを投げつけられている忘我の喜びと、それを効率よく的確に届けるためにシェイプされた細やかな物語構造、的確な映像選択。このエピソードも、カケルがどういう人間なのか見せるために、色んな所がしっかり考えられ、練り込まれている。
それを認めた上で、やっぱり獣が踊り天然ガス吹き出し金と欲に狂うステージの問答無用っぷりは、圧倒的に強い。『あ、キンプリを食ってる』という感じがする。その実感を毎週楽しく浴びることが出来たのは、本当に幸せなことだった。

同時に映画ではやっていないこと、映画の後だからこそ出来ることも沢山盛り込まれていて、”今”そして”これから”のアニメにしっかりなってもいた。最終回に散りばめられた『今までご支持ありがとう! これからもみんなで”夢”見ていこうな! 俺たち頑張るよ!!』というメッセージの太さは、下手に思えるほど強烈で、しかし溢れる情熱と誠実さに満ちていた。
僕はやっぱり、七つの星が一つの星座になった後だからこその物語が見たいし、それは必ず面白くなるだろう。七つの星と、それに立ち向かうシュワルツの綺羅星たちがどんな星なのか、一個一個掘り下げたこのアニメが面白かったように。
だからこの感想は一つの終わりであり、同時にすべての終わりではない。”次”がある。なければならない。そう強く感じている。1ファンの身に何ができるか、強いことは言えないけども、やっぱりキンプリが好きだったし、今後も好きだろうと思わせてくれる、とても良いアニメだった。面白かったです。

 

からくりサーカス
ベストエピソード 第28話『ぶたちゃんはあるいていった』

与える。手放す。その決意が、愛の根源か。

からくりサーカス:第28話『ぶたちゃんはあるいていった』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 からくりサーカスのアニメは、なかなか難しいアニメだった。どう考えても3クールで終わらず、何かが必ず切り落とされる。それは複雑怪奇な物語機械を回す歯車で、抜け落ちれば絶対にギクシャクする。
それに加えて作画のヘタレ、長尺ゆえの停滞感などもあり、無条件に褒めることは難しいアニメとなった。だが最後まで見終えて、自分の感覚と感性を担保に大声で言えるのは、面白かったし、良いアニメだった、ということだ。
応急処置的に、存在しないキャラクターに代役を立てた変更が、新しくも必然性のある繋がりを生み出したり。アニメで加えた変更が、原作が秘めていた輝きをより強めたり。動きと色と声がつくことで、新たな力強さを手に入れたり。
取りこぼしたものは当然たくさんあって、綻びも否定し得ぬぎこちなさもある。でもそれは、新しく生まれた楽しさや力強さ、別角度から掘り下げられた原作の輝きを否定するものではない。
かなり大胆な”アニメ化”になったけども、やれる限り誠実にやりきってくれたいいアニメ化だったなと、終わった今では思う。変化に伴うほころびが心の中にジワジワ溜まって、作品との波長が合わなくなった結果、一時視聴が止まっていたからこそ、そうも思うのだ。

ジュビロ漫画といえば脇役の生き様であり、各々個別の信念と強さを持ったキャラクターがどう変化し、どう満足して生き抜くかが、力強く焼き付けられている。からくりアニメはそこは凄くしっかりやってくれて、ジョージもルシールもギィも、ヴィルマも阿紫花も”最古の四人”も、流れ星のように鮮烈な最後をしっかり飾ってくれた。
その中でコロンビーヌの最後を語るこのエピソードを選ぶのは、原作を読んだ時は受け取りきれなかった彼女の強さ、可憐さ、儚さをアニメがしっかり描ききって、アニメだからこそ見つけられるものをしっかり届けてくれたからだ。このエピソードに、このアニメ化に教えられたものはやっぱりたくさんあって、その象徴みたいな話数である。

物語全体でどれだけ大きな仕事を果たしているかも、結末を知っての”再読”だからこそ気づけたし。悠木碧の熱演も相まって、ロリ化してからのコロンビーヌはマジでヒロイン力が高い。
アニメからくりは『勝が男として戦士として主役として、鳴海としろがねを追い抜いていく物語』として再構築されていると、個人的には感じている。群像劇として可能な限り横幅を広げつつ、焦点は勝にあると。
そう考えると、勝の中のドス黒さひっくるめてしっかり付き合い、切開したコロンビーヌの存在意義は非常に大きい。直接伝統と戦う力を勝にあたえ、規格外の尺優遇を貰った正二よりもその存在感はデカいんじゃないかと、贔屓目込みで思う。
そう思わされるくらい、コロンビーヌが恋という幻像を追い求め、勝に投影し、その身勝手なエゴがとても綺麗な夢に変わって、一瞬の抱擁に繋がるこのエピソードは綺麗で好きだ。
しろがねへの恋慕より、鳴海への憧れより、敵であるはずの自動人形への友情を取った勝の清廉が、最終的にフェイスレスに届いて人類全体を救う。そういう未来への投影も含めて、やっぱこの話数はとても好きである。

 

八月のシンデレラナイン
ベストエピソード:第6話『これからの私たち』

いやービックリした、こういう”背筋”持ってるなら言っておいてよホントー…

八月のシンデレラナイン:第6話『これからの私たち』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 アニメ・八月のシンデレラナインの強みは当然、作画ではない。最後まで見切った視聴者なら肯定するだろうし、途中で切った方々もそこが主な理由だろう。ヘロった止め絵、動かない作画、妙なテンポと間合い。
”野球”というアクティブな題材とは相性最悪の、外野から見ても判る困窮具合は確かに、クソアニメの烙印を押されて然るべきものである。がしかし、アニメは絵だけで出来ているわけではないし、情熱が不出来な存在をなんとか形にして、ちゃんと伝わるメッセージを送りつけてくることも、またあるのだ。
それは大概奇跡と呼ばれるものだが、ハチナイくんは諦めずに自分のヘロヘロ加減と闘い、どっしり腰を落とした感情物語をギブスにすることで、奇跡を掴み取った。
大声で言えば、良いアニメだった。最高のアニメでは当然ない。みんなが好きになるかと言えば、そう云うことは絶対にない。

だが、俺は好きだ。個人のアニメ感想はそれが一番大事で、それが全部な気もする。ニヒルに冷静ぶって安全圏を確保しようとする賢い感想は、やっぱり性に合わないので吠えておくけど、世界がどんだけアニナイくんをけなそうが、俺は最高に面白かったし最高に好きである。
好きポイントは第一話で宇喜多くんを気に入って彼女の成長を軸足に見れたところとか、東雲くんの強烈な毒ガス発生装置っぷりがいい塩梅に裏返ったところとか、”部”の複雑さと面白さに真っ向から向き合ったところとか、先生やコーチャーなどダイヤモンドに入らない野球人にリスペクトがあったところなど、沢山ある。
しかしやっぱり、作画に頼らない人間関係の面白さ、色んな女々感情が多彩に顔を出し溢れかえる熱量とパワーこそが、一番の魅力だったと思う。ベタ、定番、工夫なし。外野が罵るなら好きなだけ言いやがれ……文句無しで、ハチナイくんのドラマは面白かったし、好きになれた。

そこら辺の強さが本格駆動するのは、清城に負けてチームの形、『弱小チームの大逆転』という話のフレームが整い、個別の人間模様にクローズアップできるようになった六話以降である。
こっからの青春の解像度の高さ、ひとりひとりの人格を大事にゴツゴツぶつけて火花を散らす手際と背筋力は、贔屓目なしでパワフルだったと思う。才能、立場、関係性……様々に異なる連中が一つの場所に入って、出会い語り化学反応を起こす。その起爆剤は生の感情、綺麗とも汚いとも判別できない青春の怒涛である。
この第六話は、そういう危険物を扱う資質がハチナイくんにあることを堂々証明した、記念碑的なエピソードだ。無敵に思えた翼が抱え込む脆さと身勝手さ、物分かりよく思えた河北くんの焦りと哀しさ。
チーム結成の形をなぞっていた序盤では追いきれなかった少女一人ひとりの顔、それが結集して生まれる”野球”と青春の巨大な全体像を、扱う資質と資格があることを、ハチナイくんは上辺だけのキャッチコピーではなく、実際に駆動するドラマの熱量でちゃんと叩きつけた。
それは信頼に値する物語行為だし、そこで生まれた信頼感は裏切られることはなかった。作画は何度も死んだ。演出は上滑りした。だがその奥で激しく熱くうねるドラマは、裏切りなく力強いトルクを僕らに伝え、心を動かした。
それがありゃ、アニメを好きになるのは十分である。いいアニメだと思うには十分である。そういう自分の判断基準を再確認する意味でも、この第六話から得たものはとても大きかった。大好きなアニメの、大好きなエピソードである。

 

ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風
ベストエピソード:第11話『ナランチャエアロスミス

今回の仕上がりを見ると、あのシーンとかあの見せ場とかもバッギャ~~ンッ!!! とかっこよく決めてくれそうな期待がモリモリ高まり、非常に楽しみです。

ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風:第11話『ナランチャのエアロスミス』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ジョジョ五部""黄金の風 ……素晴らしいアニメ化でした。
長めの原作を20年の時を超え、どう蘇らせるか。ノスタルジーをクスグり、既存ファンを満足させるだけではなく、”今”のアニメとして新しい風を吹かすか。
”アニメ化”においていつでも難しい、編集と選択の問題を、五部スタッフは大胆なアレンジとアニメ独特の表現力で実現することにした。原作のコアを抑え、細やかな変更と大規模なカットアップを組み合わせて、ブチャラティチームが出会い、反目し、ぶつかり合って魂を交流させ、時に別れながら真実を目指す歩みを描きなおした。
アニメというメディアには動きがあり、音があり、色がつく。メディア独自の強みを最大限に生かした演出でアクションを盛り上げ、キャラクターの心情を伝える。ギャングという社会悪に身を投じて、そのまま流されていくものと、抵抗し正義を為さんと奮戦する者たちの差異を描く。

色んな所が変わって、色んな発見のあるアニメ化だったけども、暗殺チームの存在感は本当に強くなったと思う。声優陣の快演 、追加されたシーンが生んだ分厚さ。奴らは奴らなりに人情と絆を持ち、しかし”悪”であることをためらわない。自分の欲のために誰かを踏みつけ、堂々と欲を満たす。
それはブチャラティをリーダーとし、彼がジョルノとの出会いで再生させた夢と決定的に対立する。チームとして強力な絆を持ち、親に反逆する野心を持ち、似通った2つのチームは激しく、お互いの喉笛を噛みちぎる宿命に身を投じていく。
ここら辺の”凄み”はこのエピソードの前、第10話で追加・表現されたものなのだが、ベストに選ぶのはこの第11話である。その理由の一つは、僕がナランチャ・ギルガという少年がとても好きだから、である。

彼はとても可愛らしく、凶暴で、学びを求める子供でありながら”凄み”を宿したギャングでもある。決断する自由に怯え、命令を待ちわびつつも最後は、出会ったばかりの少女の傷に共鳴し、運命の川へ自分の意志で飛び込んでいってしまう。
その相反する魅力は、”悪の中の善”を追い求める五部をギュッと濃縮しているようで、とても魅力的だ。”エアロ・スミス”の初舞台、広げた両腕の滑走路が凄まじくカッコイイ死闘のなかで、可愛いだけじゃない凶暴さ、ただの暴力ではない知性と覚悟が、アクションの中にしっかり滲んでいる。
そしてオリジンの開陳を前倒しにして、キャラクターがどんな奴なのか、何故犯罪に身を投じたかを見せる再構築の妙味もある。ここで早めにナランチャの魂が見えたからこそ、激動の連戦の中でしっかり主役を応援することも出来る。

この”オリジンの前倒し”はアバッキオでもやっていて、第6話に仕込まれた回想の薄暗さ、傷ついた魂の闇と光は、非常に鮮烈だ。それをベストに選ばないのは、主役の陰りと光りを反射する鏡……敵役の存在感がある。
暗殺者チームの一番手として、油断なく攻め立てるホルマジオ。お互いの能力を探り合う異形のミステリとしても、頭のキレる彼は優秀な語り部だった。他人の腹に車をブチ込む、情け容赦のない暗殺者としての顔。残虐極まるギャングとしての顔。仲間を思う戦士としての顔。
様々な顔が、命がけで彼と対峙するナランチャ、お互いが背負うチームをぐっと引き立て、作品に深い陰影と色彩をつける。獲るか獲られるか、知恵と力と意地を全て引き出し、お互いの魂を試し合う激しいバトル。

その緊張感が、今後も物語を貫通していく。こっからノンストップで、あまりにも残酷な試練と、それに挑む魂の輝きを見れる。それをより鮮烈にするために、アニメで使える全ての手段、時に原作を大胆に変えても魂を伝える手腕が生かされる。
そういう作品への信頼感が、僕の中に生まれるエピソードだった。ココまでのエピソードも非常に鋭いのだけども、作品の全様相が高レベルで噛み合い、アニメを見る脳髄の全領域が激しく興奮するこのエピソードを見たことで、五部アニメを見る姿勢が更に深く、前のめりになったと思う。
そういうエピソードに出会えることは、とても幸せなことだ。そういう作品に出会えることは、とてもありがたいことだ。ジョジョ五部アニメ、最高でした。ありがとう。