ガルパ履修記録
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
・羽ばたきのためのエチュード
新曲の見せ場を巡り、衝突する瑠唯と透子。高みを求め焼かれた痛みと、今正に羽ばたかんとする野心。その風は、 morfonicaをどこに連れて行くのか…。
そんな感じのとうるいバチバチイベント…であり、”モニカの小さな巨人”双葉つくしの物語でもあった。
ましろはバンスト一章、広町は”Let’s パーフェクトコレクション!”でそれぞれデカい話を貰ったため、今回はこの三人を掘り下げるエピソード。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
感情とセンスで突き進む透子と、理性的に現実を見据える瑠唯。二人の間に挟まり、ケンカを収めたり道を示したり、リーダーつくし大奮闘であった。
セッション後の会話やエリア会話が追加され、モニカの解像度がぐんっとアガるアップデートであったけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
その柱になるのが、今夏位のエピソードかな、と思う。バンド全体も、キャラクター個人も、顔がよく見えた印象。
青春の理由なき万能感と、その挫折を扱うバンドなんだな。”STAR DRIVER”だ。
瑠唯は『感情に流されず、現実を見ている』と自分を認識している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
それは『頑張った』という過程でも感情でもなく、ただただパフォーマンスだけを見られるクラシックに身を置き、全てを捧げ、勝てなかった経験が生み出すスタンスだ。
『私は私だから、価値がある』
同年代の子供達が、理由もなく抱く自己肯定。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
それを頭っからすり潰される厳しさが、クラシックの高いピラミッドにはある。
『出来ないのなら、お前に一番はやれない』
自己否定の砲弾が降り注ぐ戦場に、適応した結果(そして勝ちきれなかった結果)が、瑠唯の現実主義なのだろう。
『出来ない』という苦しさと屈辱ひっくるめて”現実”を飲み込まなければ、ついていくことすら出来ない厳しさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
瑠唯のロボットっぷりがそこに過適応した結果なのか、元々そういう子だったかは、燐子との個別エピで掘り下げられるだろうオリジンを見ないとなんとも言えないけども。
ともかく瑠唯は、『私が私だから意味を持つ』という、甘っちょろい幻想を引っ剥がされている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
しかしそれを捨てて生きていくのは、非常に辛い。何がどうなろうと、私は私でしかないからだ。
多分だから、瑠唯はモニカをやることにしたのだと思う。
もしかしたら、私が私になれるかもしれない場所。
それを求めている柔らかな自分をまだ認識できていないので、瑠唯は(コンクールで自分がそうされたように)徹底して客観でモノを見て、結果だけを冷静に伝える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
その過程に絡みつく感情や努力は、結果を連れては来ないから。そういう学習を、瑠唯の過去は彼女に与えた。
それが不幸ばかりではないことは、モニカの音楽的支柱になってる彼女を見れば判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
ストイックに結果を追い求め、自己満足で終わらない練習量を積み上げ続けたからこそ、圧倒的なパフォーマンスがある。
それは副産物であると同時に、瑠唯の人格それ自体でもあろう。
クラシックの、あまりに高い頂には届き得なかった自分。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
学生の自己実現バンドで演るには、あまりに出来すぎる自分。
その両方のバランスを上手く取って、”私でしかない今の私”を抱きしめられるのなら、とてもいいな、と思う。
けどロボ人間には、まだまだそのゴールは遠い。
一方透子の自己肯定感は力強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
とにかく桐ケ谷透子であるところの”私”は、”私”である時点で凄くて、見せ場も貰えるし褒めてもくれるはずだ。
その自信が揺るがない輝きとなって、彼女の周囲に人を集め…細かいところが雑になる。センスと才能である程度やれるから、突き詰めるという体験がない。
生半端なセンスや才能程度では勝負にすらならない領域に、手を伸ばして転げ落ちた瑠唯にとって、透子の自己肯定は『理解が出来ない』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
(『許せない』というわけではない。この冷たい他人との切り分けも、瑠唯が学習した生存戦略なんだと思う。才能と努力の線上で、他人を見てたら心が持たない)
透子はネット上で莫大な承認を得ているインフルエンサーだし、顔も家柄も良い。他者とのコミュニケーションも円滑で、周囲には同じようなキラキラを持ってる人が沢山いる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そうして醸造された自己肯定感は、彼女にイヤミのない前向きさを与えている。それは長所だ。
そしてガルパにおける長所とは、常に短所と背中合わせで書かれ続けていて、透子もまた例外ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
『私が私だから価値がある』という確信は、例えばましろの卑屈や広町の過剰な普通主義から、透子を遠ざけている。しかし同時に、出来ないからこそ細部を詰める繊細さも、まだ彼女にはない。
『私が私だから、私には価値がある』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そのトートロジーをぶっ壊された時、幼年期は終わる。それが瑠唯という、ロジックも通ってるし悪意もない相手だったのは、透子にとってとても意味のあることだと思う。
同じバンドで、ソリは合わないけど実力は認めている相手。
そんな瑠唯が、圧倒的に努力をしている。呼吸するように、細部を詰めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
なぜそうなったのかは分からない。そういう人間の細かい所に、目が行くほど桐ケ谷透子はまだ成熟していない。
でも、努力を積まずに結果を盗もうとしていた自分がダサいのは判る。負け惜しみで、口を濡らす余裕もないほどに
クラシックの戦線に足をかけるために、必要最低限の努力。瑠唯が背負う異質な重荷を感じて、透子の世界は崩れ、再構築されていく。変わって行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
ただ私であることが、何かを成し遂げるための絶対条件じゃない。客観的に何かを評価されるためには、積み上げるべきものがある。
瑠唯への(敬意があればこその)反発心を燃料に、透子はガムシャラに弦をかき鳴らし、努力を積み上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そうすることで見えてきた新しい景色は、多分悪いものではない。バンドを演ること、ソリの合わないメンバーと時間を共にすることで、起きる化学反応があるのだ。
それは瑠唯にとっても同じで、過去に学んだ現実主義とは別のエンジンが、小さく炎を灯している現状に、彼女はゆっくり目を向けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
自分が冷たいロボットではなく、変化の兆しを求めていること。言葉にはならないけど行いには現れる期待があればこそ、瑠唯は透子から、モニカから目を離せない。
そんな二人の間をつなぎ、両腕腰に当てて小さい体をふんぞり返らせて頑張るのが、二葉つくしである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
お姉さんぶってケンカを仲裁し、なかなか繋がれない二人の間をとりもち、新しく出会った世界を優しく言葉で解体して、受け取りやすいよう助けてあげる。
立派だよ…二葉つくし、歴史の教科書に乗れ!
何かとバチバチする連中の合間に入り、『ダメー!』とお姉さんぶるつくしの資質が、今回はとてもいい方向に働いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
自分はみんなの面倒をみる立場で、ちゃんと出来る。透子とはまた違う自己肯定感が、恐らく弟妹の面倒をみる生活から育まれているのだと思う。みんな過去があって、今があるんだなぁ…
言葉にならない変化というのは、それが喜ばしくてもであっても当惑するもので。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
瑠唯は自分の中にある、現実主義じゃ割り切れないものに名前をつけられない。クラシックから学んだストイシズムでは、(透子の振る舞いに反射することで見えてくる)自分の中の感情は分析しきれない。
それに優しく寄り添って、『それはこういうことじゃないかな!』と、自分の感覚と体験を交えて補助線を引いてあげるつくしの強さと優しさが、とても眩しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そのままでは伝わりにくい無形の衝動に、名前を付けて繋げる。アダプターの大事さは各バンド様々に書かれているが、モニカはつくしか。
つーちゃんも青春の只中にいる一少女で、『こうでなければならない』という過剰で空疎な規範意識に縛られてたり、『私は私だから価値がある』というトートロジーを前面に出しつつ、当然それを信じきれていない脆さが見え隠れもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
その弱さは、つまり二葉つくしの強さでもある。
『自分はこれでいいのかな』といつでも実は悩んでいて、でも背筋を伸ばしてリーダーぶる。お姉さんっぽく振る舞う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
その道化芝居が、確かな手触りを持って瑠唯に、透子に手渡せたもの。強がりだろうと、正しく振る舞うことで成し遂げられるもの。
今回は、それを描く話でもあった。
それぞれ凸凹の才覚と自己/世界認識を抱え、形にならない肯定感と挫折を複雑に折り曲げながら、バンドをやっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
やっぱMorfonicaの物語はこれまでのバンドよりザラリと生っぽくて、だからこそ独自の質感がある。あんまお行儀が良くないと言うか、”普通な劇的さ”に重点してるというか。
広町がサラッと高難度フレーズを、自分の担当ではないギターで演る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そこには非常に残酷な才能のギャップがあるのだけども、モニカの子どもたちは(おそらく、まだ)気づかない。
『広町が出来る』ことより『アタシが出来てない』ことに夢中で、それを前に進めるべく視界を狭くする。
透子の端っこを見落とす粗雑な視力が、気にかけても今は毒にしかならない断絶を無意識に飛び越える、ジャンプボードになった瞬間でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
此処にある才覚の断絶、瑠唯は気づいているっぽいんだよな。まぁ否応なく”それ”を突きつけられる幼年期だったから、そら見えるか。
そのうち”普通”になろうと必死にもがいている広町が、抑えきれない才覚を暴かれて、周りを傷つけてしまう物語も動くだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
モニカの連中は皆、自分と世界をマッチングさせるパスポートとしての”才能”に、それぞれの形で思い悩んでいる。それが破裂する導火線は、確実に満たされぬ超天才だと思う。
それは先の話として、瑠唯と透子は(つくしを仲立ちに)ぶつかり合うことでお互いを少し解り、変わってきている自分も認識できた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
それは微かな羽ばたきだが、風を掴むためには大事な一歩だ。己の中から溢れる輝きは、誰かに反射しないと確認できない。そうして受け取った光を、より強くしていく場所
あるいは、確かにあるはずの光が見えなくなって、暗い迷いに溺れる場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そういう二面性を持ちつつ、Morfonicaの物語は続いていく。
凸凹人間がそれぞれのダメさと強さを持ち寄って、一秒ずつキラキラの青春を共有していく場所としても。Disも含めてナカヨシなアイツラ、マジ眩しい…。
ましろは後ろに引いたポジションだったけど、瑠唯に当てられて燃え上がる透子に更に影響されたり、”曲”に呼応する形で”詩”という自分の才能(世界へのパスポート)を真摯に駆動させたり、初期状態より少し前に進んだ姿を見せた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
他人を自己否定のドブ沼に引きずり込む妖怪から、一歩前進…かな?
周りの連中も出来ない自分を認めつつ、不屈に燃えて頑張ってる。自分も詩を頑張ると、良いもの出来るし仲間も喜ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
過去に学んだ自己否定と無力感を振りちぎって飛ぶのに、モニカはいい場所なのだろう。そういう場所に出会えた幸運は、メンバーそれぞれ、いい影響を及ぼしている。
これは結構じわっとした変化で、リアルの時間をじっくり使って物語を積むアプリというメディア、いらがっぽい部分も含めリアリティを上げて紡ぐモニカの物語があってこそ、楽しめる特徴だとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
エチュードは練習曲。いつか壮大なシンフォニーを奏でるために、絶対必要な一歩。
でもそれ自体が結果のための過程ではなく、少女たちそれぞれにとって掛け替えのない発見と変化であり、日常の一幕でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
そう描けたのは、多分”過程と結果”がメインテーマの一つであろうモニカの物語として、とても良かったと思います。この羽ばたきを、次にどう変奏するかも楽しみだ。
・追記いろいろ
つーかつーちゃんの私室&寝間着がサラッと爆弾投下されてたけども、やっぱデケーな二葉家!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
ガルパは家庭の経済事情を(こころ以外)あんま前面に出さねぇけども、キャラが乗っかる基盤としてめっちゃ大事にしているので、住環境が見えるのはありがたい。可愛い部屋だったなぁ…。
俺はスタドラでは15話が一番好きなので、いつかつくしに『なんだよお姉さんぶって! 分かったようなこと言うなよ!!』って吠えるシーンが…見たいが見たくない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
つーちゃんマジ、自分が”器”じゃないの分かった上で、スゲェプルプル背伸びしてお姉ちゃんぶってるからなぁ…義人傷つけるのはアカン!
瑠唯がクラシックの価値観に過剰適応したストイック・ロボって自己イメージを振り払って、胸の中でうずく獣を開放する瞬間は非常に楽しみである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
それはいつの間にか諦めていた幼年期に立ち返ることだから、やっぱクラシック始めた起源描かんと踏み込めんわな。りんるいエピ”ガン待ち”だわ。
瑠唯『ロボットは寂しくない。超えるべき現実、あるから。ロボットは、ずうっと弾き続ける。現実、いっぱい押し寄せる』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
俺『でも、あなたを見ている方は、寂しくなるわ』
現状、瑠唯にはそんな感じ。(何でもかんでもウテナマン)
今回のエピはバンドとしてのコアアーティストと、集団としてのリーダーをどう書くかって、話でもあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
瑠唯のヴァイオリンは冒頭書かれてたとおり、モニカの看板となる圧倒的な強み。
でもロボ人間は、集団の関係調整とか難しくてできない。『モニカの音はこうあるべき』という指針も出せない。
作曲はしてるんだけども、クラシックで一回ベキベキにへし折られたのもあって、『これが私の音』と胸張って世に問えない状況でもあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
人間関係の凸凹はつーちゃんの姉力でまとめるとして、『モニカの音』は今後、どういう発展を遂げていくのだろうか?
既存バンドを見ると、ポピパ、Roselia、ハロハピ、RAS
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
は集団としてのリーダーと音楽的支柱が重なってる印象が強い。
Afterglowは蘭ちゃんのカリスマと脆さでバンドになっとるわけだが、あんま前には立たない。ひーちゃんの人の良さ、つぐの目配りで潤滑させてる感じ。
パスパレは非常に特殊で、自分たちで曲を作らずプロとして『作ってもらう』バンドなので、実は音楽性の追求と自己表現が必ずしも重ならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
圧倒的なクオリティとパフォーマンス、ドラムへの情熱を持ちつつ、こういう状況で”獣”を適切に制御できてる辺り、やっぱ大和麻弥は出来てるわな。
『音楽集団としての方向づけと、人間集団への支配力を一極集中させすぎると良くない』つうのは、RASがアニメ三期後半でやったことで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
今後『チュチュの曲』以外もやってくだろうRASがどういうアイデンティティを自認し、曲を通じて世に問うていくかは見どころだと思う。
ハロハピみたいに、こころの規格外の”才”に振り回されまくることで個人と集団のアイデンティティを確立し、世の中良くしてる描き方もあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
バンドの方向づけって側面からも、ガルパは色んな答え、色んな在り方を”是”としてんだな、って感じ。モニカはどーなるかねぇ。
そういう意味では、バンド活動をあくまでメディアの一つと捉えて、それ自体に絶対的な価値を置かないハロハピの特異性って、やっぱ大事だわな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月11日
一章ラストで『特別な私達』としてのバンドが全滅した後のことに言及してるのも含めて、あの特異な集団が一番、世間が広い。不思議なもんだ。